2015年11月19日木曜日

最後の一文を読み終えて安倍総理が深い礼をした直後、静寂が打ち破られ、イ ン ドの国会議員が全員総立ちになり、長く拍手が鳴り止まなかった。一方、日 本で は全く報道されなかった。

引用元(勉強の為に引用しました。):


備忘録より

最後の一文を読み終えて安倍総理が深い礼をした直後、静寂が打ち破られ、

インドの国会議員が全員総立ちになり、長く拍手が鳴り止まなかった。


一方、日本では、内容どころか、演説の存在自体が、全く報道されなかった。


 「私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。

 それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。

 ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた「インディラ」という名前の象でした。
 その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、
 それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。

「アーシャ(希望)」、「ダヤー(慈愛)」、そして「スーリヤ(太陽)」というのです。
 

 最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。
 日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、
 日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。 

 これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます。」


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 つづく

 


最後の一文を読み終えて安倍総理が深い礼をした直後、静寂が打ち破られ、

インドの国会議員が全員総立ちになり、長く拍手が鳴り止まなかった。

時間を取り戻すことは出来ないが、振り返ることは出来る。

いまだからこそ読むべき演説がある。それはすなわちこの2本に他ならない。

インド国会における安倍総理大臣演説

「二つの海の交わり」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html

インドの国会議員が全員総立ちになり、長く拍手が鳴り止むことのなかった名演説。

インドの主要一流メディアは、

 新聞の全面を割いて一言も略さず全文を伝えた。

 一方、日本では、内容どころか、演説の存在自体が、全く報道されなかった。。。


(簡略抜粋)
 

 アショカ王の治世からマハトマ・ガンディーの不服従運動に至るまで、

 日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています。



 私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います。

(中略)
 

 私の祖父・岸信介は、いまからちょうど50年前、日本の総理大臣として初めて貴国を訪問しました。

時のネルー首相は数万の民衆を集めた野外集会に岸を連れ出し、
 


「この人が自分の尊敬する国日本から来た首相である」

 

と力強い紹介をしたのだと、私は祖父の膝下(しっか)、聞かされました。

敗戦国の指導者として、よほど嬉しかったに違いありません。



 また岸は、日本政府として戦後最初のODAを実施した首相です。

 まだ貧しかった日本は、名誉にかけてもODAを出したいと考えました。


 この時それを受けてくれた国が、貴国、インドでありました。このことも、祖父は忘れておりませんでした。
 

 私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。
 

 それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。
 

 ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた「インディラ」という名前の象でした。

 その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、

 それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。
 

「アーシャ(希望)」、「ダヤー(慈愛)」、そして「スーリヤ(太陽)」というのです。


 最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。



 日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、
 

 日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。
 

 これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます。 

(大略)

 

■麻生外務大臣演説  

「自由と繁栄の弧」をつくる 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html

1997年から1998年にかけ、韓国とASEANの主だった国が、軒並み通貨危機に襲われました。あのとき我が国は、デフレ不況のどん底。

 しかし、199810月には総額300億ドル、4兆円以上の資金支援を打ち出しました。

 韓国には約84億ドル、インドネシアに30億ドル…。

 あれからかれこれ10年経って、韓国にしろASEANにしろ、「自由と繁栄の弧」の、チャンピオンとなったわけであります。 

日本の外交の基軸を、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済といった 

「普遍的価値」においた「価値の外交」を推し進め、日本からカンボジアにラオス、~ 

それにベトナム、中央アジアの諸国や、グルジア、アゼルバイジャンなど、コーカサス 

地方の国々、~キエフやウクライナまでをつないだ「自由と繁栄の弧」を21世紀の 

新機軸として世界の安定と発展に日本が尽くすべきであるという外交理念。  

これは、中国・朝鮮に対する「思想戦争」の宣戦布告に等しいインパクトを持っていた。

だからこそ、中国は恐れおののき、日本の親中メディアを使って潰しにかかったのである。 

「価値の外交」も「自由と繁栄の弧」も理解出来なかった日本人はこれを全力でつぶした。 

変わりに与えられたのは、「パンダの外交」だった。 

 

伝えない日本のメディアが悪いと嘆くことは出来る。
しかし演説の全文は、外務省のWebサイトにずっと掲載されていたのである。
そしていまも。
それでも読まない、という 人は、パンダでも見に行ってはどうだろうか。 

 
   靖国神社に奉納された感謝状 ↓

『インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。  

偉大な貴国はインドを解放するにあたって可能な限りの軍事援助を提供しました。 

何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を 流してくれました。  

インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。 』

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