2017年5月3日水曜日

ブタの臓器を人間に移植できるようになるかもしれない-ブタ内在性レトロウイルスとは

『ブラックジャック』で馬の脳を人間に移し替える話がありましたが、さすがにこれは手塚先生もやらなかったのではないかと思います。
遺伝子編集技術によって豚の臓器を人に移植できる可能性が出てきました。
Thanks to a powerful new gene-editing technique, researchers have made a stride toward engineering safer pig organs for human transplants.
そんなまさか、という話です。通常、臓器移植の際には拒絶反応というものが起こります。拒絶反応はアレルギーと同じく免疫作用によって体内に自分以外のモノを排除しようとする働きです。ある程度のコントロールは可能になっているものの、未だに人同士でさえ起きる拒絶反応が豚と人で起こらないはずがありません。
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そもそもなぜブタ
ブタの臓器の大きさは人に近く、普段から食用として用いられているのでブタを殺して臓器を得るという倫理的(心理的)な抵抗が生まれづらい。
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しかし遺伝子編集技術を使用することで豚の特定の遺伝子をノックアウト、機能させなくすることで豚特有の抗原の一つを発現させないようにし人の体が豚の体なのか人の体なのかわからないようにすることが可能になりました。これによって豚の臓器を拒否反応を出さずに人に移植することが可能になる可能性が出てきました。研究者によるとこの豚を核移植技術を使って来年の半ばまでに生産するめどが立っており、2、3年後には人間に実際に豚の腎臓を移植する臨床実験がおこなわれるだろうと予測しているようです。
豚の臓器を人に移植とは、すごい話ですねぇ。などと騒がれていたのが大体16年ほど前の1999年の話です。
結局、件のノックアウトしたクローン豚は作りだすことに成功したようですが、臨床実験がおこなわれることはなかったようです。というのも、異種間の臓器移植には拒否反応以外にもブタ内在性レトロウイルスという大きな問題が含まれていたからです。

レトロウイルス

なんだか耳に馴染みのない単語が出てきましたね。一つ一つ話を進めましょう。まず『ブタ内在性』という部分は忘れてレトロウイルスとはどういうものなのか、というところから始めましょう。
レトロと言われるとなんだか少しセピア調の写真が浮かんできてなんとなく古代のウイルスのような気がしてしまいますが英語の『retro-』とは元々『逆の』という意味を付与する接頭辞ですのであえて日本語(?)に訳すのなら『逆のウイルス』という意味になります。さて、逆のウイルスとは一体どういうものなのでしょう。
私たちの体を構成する細胞は絶えず分裂を繰り返し新しい物に生まれ変わっています。細胞は(おおよそ)タンパク質で構成されており、タンパク質は大まかに言ってRNAによって翻訳されることで作られ、タンパク質を翻訳するRNA(の配列)はDNA(の配列)を転写することで作られます。このような『DNA→RNA→タンパク質』の順に遺伝情報が伝達される仕組みをセントラルドグマといいます。何やらよくわからない説明になってしまいましたが、要するに体を作るための最初の源はDNAである、という話です。これは当然の話ながら人間に限らず恐竜から細菌までほとんどどんな生物にも共通する事柄です。
が、どんなことにも例外は存在します。(ウイルスと生物とするかという議論は今は置いておいて)それがレトロウイルスです。
レトロウイルスはRNAを遺伝子として持っており、RNAの情報をDNAに転写する酵素を有しています。つまり『RNA→DNA』というセントラルドグマと逆の遺伝情報がおこなわれるのです。これが『逆のウイルス』つまりレトロウイルスと呼ばれる所以です。ちなみにではありますが、レトロウイルスは元々はREverse(逆)TRAnscriptase(転写酵素)の略としてretra virus(レトラウイルス)と呼ばれていたのですが、それを少しもじって今のレトロウイルスとなっています。語源がわかればretraの方が適切な語かもしれませんが、一見してなんとなく(それが間違っていたとしても)イメージしやすくとっつきやすいのはretroの方ですね。
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(注)先に体を作るための源はDNAであると書いたがレトロウイルスが属するRNAウイルスはみな遺伝子がRNAである。
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さて、そんなレトロウイルスですが少し他のウイルスと違った増殖の仕方をします。一般的なRNAウイルス、およびDNAを遺伝子として持つDNAウイルスは細胞内に取り込まれると自分の遺伝子、RNAウイルスならRNAを、DNAウイルスならDNAを宿主の細胞を使って複製させてもらい、RNAからタンパク質(RNAからタンパク質を作るためのRNAを作ってもらうというややこしい種類もいますが)、DNAからRNA、RNAからタンパク質を作ってもらい増殖します。
やや煩雑な説明となってしまったのでRNAウイルスの増殖過程の一例を簡単に示します。
細胞に侵入→遺伝子であるRNAを宿主の細胞核内で複製してもらう→自分のRNAから自分の体を構成するためのタンパク質を作ってもらう→複製されたRNAがタンパク質の中に入り込み、体外へ出る。
さて、ではレトロウイルスの増殖過程を見てみましょう。
細胞に侵入→逆転写酵素によって自身のRNAをDNAに転写する自分のDNAを宿主のDNAに組み込む→宿主の体はウイルスのDNAが入ってるにも関わらず自分の体を複製するためにDNAをRNAに転写しRNAからタンパク質を作り出しウイルスのDNAから作られたRNAとタンパク質は新たなウイルスとなり、体外へ出る。
レトロウイルスは自身のRNAをDNAに転写した後、そのDNAを宿主のDNAの一部に加えてしまうのです。これは他のウイルスではほとんど起こらない現象です。そしてこれは結構、いや、かなり厄介な現象です。一度ウイルスのDNAが宿主の遺伝子に組み込まれてしまったら取り出すのが非常に難しいからです。ヒト免疫不全ウイルス、HIVはレトロウイルスの一つである、といえばレトロウイルスが如何に厄介で治療の難しいものであるかが理解していただけると思います。
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一応、レトロウイルス以外のウイルスが遺伝子に組み込まれる例は既に確認されている。ボルナウイルスというRNAウイルスは宿主の逆転写酵素を利用してDNAにRNAを転写し、宿主の遺伝子内に組み込まれる。レトロウイルスとの違いは大まかに言って自分が逆転写酵素を持っているか否かと捉えるといいだろう。
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内在性レトロウイルス

そんなわけでレトロウイルスがどのようなものかを理解したところで内在性レトロウイルスにいってみましょう。こちらは非常に簡単です。内在性レトロウイルスとは宿主の生殖細胞にレトロウイルスが感染したために親から子へ受け継がれ本当に宿主の遺伝子の一部になってしまったレトロウイルスです。さらに言うならばブタ内在性レトロウイルスはブタという種が持っている内在性レトロウイルスのことをいいます。
つまりブタは遺伝子の中にウイルス(正確にいえばレトロウイルスの遺伝子はRNAなのでDNAはその転写物でしかありませんが)を保有しているわけです。マジかよ、ブタ。と思われるかもしれませんが、この内在性レトロウイルス、ヒトも持っています。ヒトゲノム中の約8%がヒト内在性ウイルスであると言われています。結構多いですね。それはそれとして、私たちの体の中、それどころか遺伝子の中に既にウイルスがいるというのは少々考えづらい話です。普段生きていて常に病気に罹っているような不調を感じたりはしないですからね。
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みんなこんなに元気そうに見えるのにウィルスに罹ってるだなんて……。
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これは別に私たちが病気の状態なのが常だからその状態が健康であると勘違いしているわけではありません(もちろん、そういうこともある程度はあるかもしれませんが)。レトロウイルスは遺伝子に入りこんでも潜伏したまま機能しないものがほとんどで(HIVはその例外になります)、かつ、遺伝子に組み込まれた結果、宿主と共生関係になっているものもあるからです。たとえば哺乳類がみな持っている骨盤ですが、あの多種多様な形は内在性レトロウイルスによるものとわかっていますし、近年ではiPS細胞を作る際、つまり遺伝子の初期化(遺伝子は絶えずメチル化などの科学的な修飾を受けており、これによって細胞は万能性を失います。初期化はこの修飾を取り除く作業)に内在性レトロウイルスが大きく関わっていることがわかっています。

ブタの臓器を人間に移植する

と、ずいぶんと長くなりましたが内在性レトロウイルスについてわかったところで移植の問題に戻りましょう。
ブタ内在性レトロウイルスがヒトへも感染する可能性があることはヒトの細胞での実験で1999年の時点で既にわかっていました。ヒトがヒト内在性ウイルスを持っていても大して目に見える害がないように感じるのと同様にブタに大して害がなさそうなブタ内在性レトロウイルスがヒトに感染したとしても害がない、とは言い切れません。人に感染した途端に何かとんでもない悪さをする可能性があります。というかブタ固有の遺伝子(ウイルス)を自分の遺伝子にうっかり入れたくないですね。
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当然の話だが、ヒト細胞に感染することはわかっているがさすがにブタ内在性レトロウイルスに罹るか人体実験をして確かめるわけにはいいかない。
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恐らくこのブタ内在性レトロウイルスの感染の問題がネックになり計画は頓挫していたのでしょう。しかしそれから16年の月日が経った現在、科学技術は目を見張るばかりに発展し遺伝子編集技術もずいぶんと進み遺伝子情報を読み込むゲノム解析もずいぶんと進みました。そうして今回、CRISPR/Cas9という2013年に開発されたての技術を使いブタ内在性レトロウイルスの原因となる62個のDNAを不活性化することに成功したのです。
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CRISPR/Cas9
簡単に言うと任意の遺伝子配列を発見してそれを不活性化させたり切った部分に新しい遺伝子を入れる技術。昔からそのような技術はあったがそちらはタンパク質を利用していたのに対しCRISPR/Cas9はRNAで、作るのが格段に楽。
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これによってヒト細胞がブタ内在性レトロウイルスに感染する確率を1/1000まで下げることに成功しました。

残された問題

拒絶反応とブタ内在性レトロウイルス、双方の問題が解決されたことでこれでブタの臓器を人間に移植するのも秒読み、と言いたいところですが、まだ問題は残っているようです。1/1000というやや心許ない確率はもちろんですが、人体への実験はおこなわれていませんがブタの心臓をヒヒに移植する実験は既におこなわれており、それによればヒヒに移植したブタの心臓は移植後500日ほど機能したとのことで、一時的な移植ならともかく500日程度ではちょっと心許ない時間というのが正直な感想です。ブタの臓器を人間に移植するのはもう少し先になるかもしれません。
が、しかし、現在、東大教授らによりアメリカでiPS細胞を使いブタの体内に人間の膵臓を作り移植に利用する研究がおこなわれています。iPS細胞は拒絶反応がほとんど起こらないためブタの臓器をそのまま使うよりよほど長持ちすることが予測されます。iPS細胞もほんのつい先日発見されたものゆえ、実際にどの程度の時間がかかるかはわかりませんが、どちらかといえばブタの臓器よりはヒトの臓器の方が安心して利用できそうなので、こちらの方に期待してしまいます。

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