2018年8月13日月曜日

原発汚染水問題で販路失った水産業者の苦境 生業の再建を阻まれ、被害の立証も難しい

勉強の為に転載しました。
https://toyokeizai.net/articles/-/110240

宮城県石巻の漁港や漁船は復旧が進み、ワカメの採り入れと出荷は最盛期を迎えている
黒潮と親潮がぶつかり合う、世界有数の漁場、三陸沖。宮城県牡鹿半島の高台からホヤの養殖棚を眺める、石巻市の水産会社会長、佐藤秋義さん(67)の表情がみるみる険しくなった。
「2年半にわたってホヤの出荷ができないことで被った損害は2億円以上。今年も同じ状況が続くようだと、倒産に追い込まれかねない」
漁港や漁船の復旧が進み、ワカメの収穫でにぎわう浜にあって、佐藤さんは独り東京電力・福島第一原子力発電所事故の被害に頭を抱える。

韓国政府の輸入禁止措置で、経営が暗転

タンクや地下貯水槽からの相次ぐ漏洩で汚染水問題が深刻化していた2013年9月9日、韓国は福島県や宮城県を含む東日本8県のすべての水産物を対象に、輸入禁止措置を発動。東北地方どころか全国でも随一の規模でホヤ養殖を展開していた佐藤さんは販路を失ってしまった。
それから2年半が経過した現在も、輸入禁止措置は解除される兆しがない。日本政府は事態を打開すべく、韓国を相手に世界貿易機関(WTO)のパネル(紛争解決小委員会)に解決を委ねたが、長期化は避けられない見通しだ。
「これほどまで解決が遅れるとは想像もしていなかった。韓国の業者も一日も早い取引再開を願っているのに、なすすべもない」。佐藤さんは焦燥感を募らせている。
もともと国内での消費が主だったホヤが韓国に向けて本格的に輸出されるようになったのは今から8~9年前。特に三陸産のホヤは鮮度や品質がよいことから生食用として人気を博し、宮城県で採れたホヤの7~8割が韓国に輸出されていた。そうした中でも佐藤さんは大規模な養殖で市場を開拓してきた。
東日本大震災直前の2010年、日本から韓国には7000トン余りのホヤが輸出されており、そのうち佐藤さんの会社だけで1000トン以上も出荷していた。だが、津波被害で、養殖棚は全滅した。
それでも佐藤さんはあきらめなかった。ホヤは売り物になるまでに3年かかる。佐藤さんは友人知人や同業者からも資金をかき集め、復旧へと立ち上がり、震災前に匹敵する養殖の規模に回復させた。
「宮城産のホヤが待ち望まれている。廃業する養殖業者が続出する中で、自分が頑張るしかない」。佐藤さんはこう確信していたという。
ところが、収穫を翌年に控えた2013年9月に、思いもよらぬ輸入禁止措置に直面する。当時、ホヤから放射性物質は検出されていなかったが、韓国は宮城県など8県の水産物輸入を一律に禁止したのだ。
その結果、2014~2015年の2年にわたり、韓国への輸出はすべてストップ。佐藤さんは出荷先のほとんどを失った。

汚染水によるイメージダウンでやむなく廃業も

石巻市渡波地区で水産加工業を営んでいた阿部晃治さん(61)は、原発事故に起因する売れ行き不振が主因で事実上の廃業に追い込まれた。震災直後から、浸水被害を受けた工場の復旧に力を注いできたが、2年後の2013年3月に力尽きた。現在は工場跡地の売り先を探している。
「原発事故がなければ事業を継続できていたと思う」
阿部さんはつぶやく。
クジラの皮やワカメの加工販売などで10人の社員を雇っていた阿部さんが風評被害の存在をはっきりと感じるようになったのは震災の翌年あたりからだったという。
震災の年こそ、復興支援の需要があったものの、翌2012年になると売り上げがガタッと落ちた。最初は関西方面から、次いで関東でも売れ行きが悪くなった。仲買人や取引先に聞くと、原発事故による風評で、消費者が石巻の水産物を受け付けないという。
「汚染水の報道があるたびに状況は悪くなっていった。値段も下がる一方で、このまま事業を続けていてもどうにもならない、と思うようになった」(阿部さん)
当時、宮城県内で水揚げされた魚介のうち、マダラやスズキから基準を上回る放射性物質が検出されていた。これによるイメージダウンが現地主力産品のカキやワカメにも波及。復旧途上の水産業者に大きなダメージを与えた。
3000万円ほどあった借入金が返せなくなったことで、阿部さんの債務は銀行から信用保証協会へと引き継がれ、返済の督促が来るようになった。自宅も担保に入っているため、80代の父母を養う阿部さんは、不安にさいなまれているという。
復興のための工事があちこちで進む被災地だが、取り残された被災者は少なくない。中でも原発事故による影響は広範囲に及び、生業の再建を阻んでいる。佐藤さんや阿部さんの苦境はその象徴だ。

津波で資料が失われ、被害の立証が難しい

原発事故の被害者に、政府が救済の手だてとして用意したのが、裁判外紛争解決手続き(原発事故ADR)だ。「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解仲裁手続きを申し立てることで、裁判よりも迅速に解決を図ることを目的とした仕組みである。
東電はセンターによる和解仲介案について、「尊重するとともに手続きの迅速化に引き続き取り組む」と、「3つの誓い」の中で述べている。
しかし、被災者にとって、損害賠償を勝ち取るための被害の立証は容易ではない。前出の佐藤さんは津波被害で、ホヤの出荷に関する書類の多くを失った。そのため、被害の正確な立証が難しいという。また、「震災後に増産に転じた理由が(東電から)なかなか理解されずに、自己都合によるものだと思われている」(佐藤さん)。
原発事故から5年が経った現在でも、知られざる被害は続いている。
「週刊東洋経済」2016年3月26日号<22日発売>「核心リポート04」を転載)

0 コメント:

コメントを投稿