他人に移植しても拒絶反応を起こしにくい特殊なiPS細胞を使って、重い目の病気の患者を治療する「他家移植」と呼ばれるタイプの世界初の臨床研究の実施を、厚生労働省の審査委員会が了承しました。特殊なiPS細胞は、京都大学の山中伸弥教授のグループが作ったもので、培養によって増やし、多くの患者に使えることから、成功すれば数千万円かかっていた治療コストを大幅に引き下げ、再生医療の普及につながると期待されます。
この臨床研究は、他人に移植しても拒絶反応を起こしにくい特殊なiPS細胞を使って、「加齢黄斑変性」という重い目の病気の網膜の組織を再生しようという他家移植と呼ばれるタイプのもので、神戸市にある理化学研究所や、神戸市立医療センター中央市民病院、それに京都大学と大阪大学のチームが去年10月、厚生労働省に実施を申請していました。
厚生労働省の審査委員会は1日、2回目の審議を行い、倫理面や技術面から、計画の内容は法律が定める再生医療の基準に適合するとして、臨床研究の実施を了承しました。
これで国による実質的な審査は終了し、研究チームは今後、厚生労働大臣の了承を得て、臨床研究に参加する患者を選ぶ作業に入ります。そして早ければ、ことし前半にも世界初となる手術が行われる見通しです。
iPS細胞をめぐっては、3年前に重い目の病気の患者本人からiPS細胞を作り、網膜の組織を再生させる「自家移植」と呼ばれるタイプの手術が行われましたが、患者ごとにiPS細胞を作ると、半年以上の期間と数千万円に上る費用がかかり、普及に向けた課題になっていました。
今回の臨床研究で使われるiPS細胞は、京都大学の山中伸弥教授のグループが特殊な免疫のタイプを持つ人から細胞を提供してもらい作ったもので、細胞は自在に増やせ、多くの患者に使えるため、成功すれば、コストや手術までの期間の大幅な削減が可能で、iPS細胞を使った医療の普及につながると期待されています。
加齢黄斑変性とは
加齢黄斑変性は目の網膜が傷つく難病で、国内の患者は、およそ70万人と推計され、多くが進行の早いタイプだとされています。
目の網膜組織が傷ついて、働きが低下し、視野がゆがんだり狭くなったりして、症状が進行すると視力が失われます。
患者に対しては、これまで、薬剤を注射するなどの治療が行われてきました。しかし、症状が進むのを抑えることはできても、傷ついた部分を修復する効果はあまり期待できず、根本的な治療法にはなっていません。
了承された臨床研究の内容は
今回、了承されたのは他人のiPS細胞を使って、加齢黄斑変性の治療を行う世界初の臨床研究です。
理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーなどのグループは3年前、加齢黄斑変性の患者本人からiPS細胞を作り、網膜の組織に変化させて移植する臨床研究を行い、これまでのところ、安全性に問題はなく、症状の悪化も抑えられているとしています。
しかし、患者一人一人からiPS細胞を作るには半年以上の期間と数千万円にのぼる費用がかかるうえ、計画されていた2例目の手術は作製されたiPS細胞に遺伝子の変異が複数見つかって中止となるなど、課題も残されていました。
今回の計画では、京都大学iPS細胞研究所が健康な提供者の細胞から、あらかじめ作って保管しているiPS細胞を使って行う、世界で初めての他家移植となります。
あらかじめ作って保管しているiPS細胞を活用することで、これまでの自家移植では移植手術まで11か月あった待機時間が、3か月から5か月程度に短縮されるほか、費用も大幅に抑えられると期待されています。
また、他人に移植しても拒絶反応が起きにくい特殊なタイプの免疫を持った人から提供された細胞を使っているため、拒絶反応は少なく抑えることができるということです。
計画では、細胞が含まれた液体を目に注入する方法で移植が行われ、安全性や効果を調べることにしています。
手術は神戸市の中央市民病院と大阪大学附属病院で行われる予定で、グループでは、ことし前半の手術の実施を目指すということです。
加齢黄斑変性の患者は
大阪市に住む堀部和子さん(70)は30歳のころ、右目で見る景色がゆがみ、視野も狭くなりました。
病院に行きましたが、当時は加齢黄斑変性とはわからず、十分な治療が受けられないまま、10年余り前、50代の時に左目にも症状が出て、初めて加齢黄斑変性と診断されました。
それ以降は目に薬を注射をするなどの治療を続けてきましたが、症状の悪化は止まらず、視野が狭くなり、視力も下がり続けました。
新聞は拡大鏡を使って、ひと文字ずつしか読むことができず、段差や案内板などがよく見えないため、慣れない土地に1人で出かけるのは難しいということです。
堀部さんは今回の他人のiPS細胞を使った臨床研究が成功し、移植にかかる時間や費用が大幅に抑えることにつながれば、多くの人が救われると期待を寄せています。
堀部さんは「山中先生がノーベル賞を受賞したときに加齢黄斑変性の治療の研究が進められていることを知りました。自分の病気も、いつか治るかもしれないと、まさに朗報でした。万能細胞と呼ばれるiPS細胞の移植によって将来的にどんな病気でも治せるようにしてほしいです」と話していました。
iPS細胞 ほかの研究でも
今回のように特殊なiPS細胞を使って、病気などで傷ついた体の機能を再生させようという臨床研究は、ほかにも、さまざまなグループが計画を進めています。
大阪大学の西田幸二教授らのグループは、目の角膜の組織を再生し、失われた視力の回復を目指す臨床研究を、また、同じ大阪大学の澤芳樹教授らのグループは心筋梗塞などで傷ついた心臓の筋肉を再生させる臨床研究などの実施を目指しています。
京都大学iPS細胞研究所の江藤浩之教授のグループは、iPS細胞から血液の成分の血小板を大量に作る技術を開発していて、血液の病気の患者に輸血する臨床研究や治験を行う計画を進めています。
さらに京都大学iPS細胞研究所の高橋淳教授のグループはパーキンソン病の患者を対象に、脳の神経細胞を再生させる治療法の開発を目指した研究を計画しています。
iPS細胞を保存するプロジェクトも
京都大学は、他人に移植しても拒絶反応をおこしにくい特殊なiPS細胞を作り出し、必要な患者がいつでも使えるように保存しておく「iPS細胞ストック」と呼ばれるプロジェクトを4年前から始めています。
こうしたiPS細胞は、日本人の中に、ごくわずかにいる特定のタイプの免疫を持つ人に細胞を提供してもらい作るもので、実際に人に移植されるのは、今回が初めてとなります。
iPS細胞は、いったん作り出せば、自在に増やすことができるため、患者一人一人から、そのつど、iPS細胞を作る自家移植に比べ、今回の他家移植は移植までの待機期間や、治療コストを大幅に抑えることができると期待されています。
現在、ストックに保存されているiPS細胞は1種類ですが、日本人のおよそ17%に移植できるということで、京都大学では今後、保存する細胞の種類を増やし、日本人の大半の人をカバーできるようにしたいとしています。
iPS細胞ストックをめぐっては先月、保存していた2種類のiPS細胞のうち1種類で、作製の過程で誤った試薬を使った可能性があることがわかり、この細胞の研究機関への提供が停止される事態が起きました。
このため、大阪大学などが進めている角膜を移植する臨床研究が1年程度、遅れる可能性があるほか、京都大学が進めている輸血用の血小板の臨床研究も遅れが出るおそれがあるということです。
ただ、今回使われるのは残された、もう1種類のiPS細胞で、今後の臨床計画の実施に影響はないということです。
専門家「再生医療発展への大きな一歩」
日本再生医療学会の理事長で、自身も他人のiPS細胞から作った心臓の筋肉の細胞を患者に移植する研究を進めている大阪大学の澤芳樹教授は「他人のiPS細胞を使った臨床研究のスタートは今後、再生医療が発展していくための大きな一歩だ」と話しています。
そのうえで、「今後、研究者らが議論を続け、安全性についての情報を共有し、患者にとって最もよい有効性と安全性のバランスを考えていく必要がある。より迅速に患者の元に新しい再生医療を届けられるよう、われわれも続いていきたい」と話しています。
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