


今回の電解セルスタックでもアノードの役割はPEM形水電解と同じである。ただ、カソードでこのプロトンに加えて、水、及び触媒に配位した窒素原子Nなどをまとめて還元することでアンモニアを合成する。
世界をリードする2つのブレークスルー
この開発では大きく2つのブレークスルーがあった。1つは、常温常圧の下で窒素分子の3重結合を切るための触媒の開発だ。これは東京大学 大学院 工学系研究科 教授の西林仁昭氏の研究チームが開発したモリブデン(Mo)を基にした触媒(図3)である。空気中の窒素を固定する根粒菌が持つ酵素「ニトロゲナーゼ」についての研究が端緒になっている。
Moが3重結合の電子を静かに奪う
窒素分子は、2つのN原子が3つの電子を共有する3重結合でつながっており、通常の環境下では非常に安定だ。HB法ではこの3重結合を切るために約セ氏500度の高温と数百気圧の高圧を必要とする。それが、このMo触媒であれば常温常圧でできる。この触媒2分子がN2の両側に配位し、それぞれのMoが3重結合に使われている電子を1つずつ奪うからだ。するとN間の結合は1重となり、容易に切れて、N原子が取り出される。
出光興産は、「今回の高いアンモニア生成速度を実現できたのは、この触媒の寄与が大きい」とする。ただし、今回の成果に直接つながったのはもう1つのブレークスルーがあったからだ。それは、カソードで用いる還元剤を刷新したことである。
“再生可能”な還元剤で連続合成が実現
出光興産などはこれまで、還元剤としてヨウ化サマリウム(SmI2)を用いていた。SmI2の還元性能は高いものの、自らが酸化されたまま一部が沈殿して元に戻らなくなる課題があった。つまり、SmI2は消費される一方だったため、連続的にアンモニアを合成することが難しかった。
今回、その組成などは明らかにしていないものの、新しい還元剤“A”を用いると、還元反応によって、すなわち自らは酸化されるものの、沈殿はせず、アノードから来たプロトンと電子によって再還元される(図4)。つまり、還元剤として再生する。還元剤があたかも触媒であるかのように使えるわけだ。結果として、連続的なアンモニアの電解合成が可能になったという。
出光興産によれば、「これまでの光合成の研究などで、プロトンと電子が同時かつ豊富にあることで触媒自体の活性が高まる『Proton Coupled Electron Transfer(PCET)』という現象が知られているが、今回もその効果がある」という。
目標生産コストは34円/Nm3
この方式であれば、水素の生産や調達が不要で、電力と水と空気からアンモニアを直接合成できるため、合成時に二酸化炭素を排出しないアンモニアの生産コストを大きく下げられる可能性がある。出光興産は「アンモニアの生産コストとして34円/Nm3の実現が目標」だとする。
ちなみに、これは水素換算では20円/Nm3で、日本政府が設定する、2050年時点のグリーン水素の価格目標値と同じになる。ただし、仮にグリーン水素を直接生産するコストが20円/Nm3でも、それを貯蔵や運搬するために高圧で圧縮したりアンモニアに変換したりするコストが加算されるため、利用時の価格は割高になってしまう。貯蔵や運搬が比較的容易なアンモニアを直接生産できれば、水素の利用コストは実質的に下がる。
ただし、現時点でのこの方式でのアンモニアを、従来方式に対抗できるほどに量産するには「生成速度をあと20~30倍高める必要がある」(出光興産)。ただ同社は、それをゆくゆくは実現可能だと考えているようだ。
サプライチェーンはブルーアンモニア向けを利用へ
記事冒頭で触れたように、出光興産は2032年度にこの方式で1000トン/年のアンモニアを生産する計画。一方で、同社は従来方式での生産ながら、生産時に排出される二酸化炭素を回収した「ブルーアンモニア」を100万トン/年規模でアラブ首長国連邦(UAE)などから輸入する計画で、同社の徳山事業所を拠点として付近の各種工場などに供給するサプライチェーンを構築しつつある。「新方式で生産したアンモニアも、このサプライチェーンを利用して流通させていく」(同社)という。
--------------------------------------------------------------------------アンモニア合成に大変革、東大などが空気と太陽光のみで実現へ
2023.01.27
このH2を得る手法は、これまで天然ガスや石炭などの化石燃料を改質する手法がほとんどで、この際にCO2を大量に排出してしまう。こうした水素は、「グレー水素」と呼ばれる。
H2生産時にCO2を回収するプロセスを導入した「ブルー水素」、再生可能エネルギーの電力だけで水(H2O)を電気分解して得る「グリーン水素」も注目を浴びているが、現状ではコストの壁がある。
さらに、生産したH2はそのままでは体積が大きくて効率的な運搬が難しい。また、液体水素の維持には少なくない電力が必要だが、それでも容器から漏れ出しやすいため、長期保存も難しい。それらを解決する手段の1つが、NH3だが、その生産にはH2が必要であり、「ニワトリが先か卵が先か」といった課題のループになってしまう。
運搬や保管問題に対する出口の1つはH2とNH3の生産を1カ所で進めるコンビナート方式だが、ここに、もう1つの課題が出てくる。ハーバーボッシュ法が温度にしてセ氏400~600度、圧力にして100~300気圧といった高温高圧の反応環境を必要とする点だ。これは、N2のN同士を結合させている3重結合が非常に強固で、それを切り離すのにエネルギーが必要であることに起因する。
合成に必要となるエネルギーは反応熱を生かすことで多くをまかなえるが、高圧への耐性を確保し、しかも熱損失を低減するためにはプラントを大型化する必要がある。このため、ハーバーボッシュ法のプラントは非常に大型である。
改良技術でもH2は生産できず
最近、NH3の新しい生産技術が数多く提案されているが、その多くは、ハーバーボッシュ法の触媒を改良し、より低い温度と圧力でもNH3を生産できるようにするものだ。とはいえ、現状では実用的なNH3の収率を考えるとセ氏200度以上かつ10気圧以上の反応条件が必要な技術がほとんどで、常温常圧でできる技術は出てきていない。加えて、H2はどこからか調達しなければならない。システムはやや小型化できるものの、NH3をその消費地に近い場所で生産する場合、H2の運搬や保管問題が再燃する。
水電解装置を用いてH2を現地生産することは可能だが、それに用いる電力の大半が再生可能エネルギー由来でなければ、CO2の問題は免れない。仮に再生可能エネルギー100%だとしても、複数種類のプラントを同時に稼働するミニコンビナートのようになり、システムの大幅な小型化につながるかどうかは不透明だ。
住宅の屋根でNH3を生産可能に
これに対して、今回の東京大学らの技術は、H2の生産が不要で、かつ常温常圧でNH3を生産できる可能性がある点で、ハーバーボッシュ法の改良技術とは一線を画する。
この技術の開発を以前から進めている東京大学 大学院 工学系研究科 応用化学専攻 教授の西林仁昭(よしあき)氏(図2)は、「中国の仙人が霞(かすみ)を食べるように、N2とH2O、そして太陽光でNH3を生産し、家の屋根で燃料を生産できるようにするのが目標」とする(図1(b))。

これが実用化できれば、H2の生産システムや運搬、そして保管が不要になる。湿度の高い地域であれば、H2Oでさえも空気から得られるため、外部からの材料調達なしに文字通り“かすみ”からNH3などを生産できるようになる。
今後、ハーバーボッシュ法の改良技術で必要な温度や圧力がさらに大幅に低減できたとしても、H2を生産したり運んだりするコストが不要になる点は、まねができない。これが、今回の技術の大きな長所になりそうだ。
植物ではない、あの生物の機能がヒント
ところで、植物の光合成をヒントにした技術、具体的には、太陽光のエネルギーとH2Oなどを基にH2を生産、さらにはそのH2とCO2を基に有用な有機材料に変換する技術は一般に「人工光合成」と呼ばれる(図3)。今回の技術も一見、そのカテゴリーに入りそうに思える。太陽光とH2Oを使う点は同じだからだ。
しかし、決定的な違いがある。今回の技術の最大のポイントである空気中のN2をNH3に変換することは、植物にはできない点だ。このため、植物の多くは、土中のNH3(正確にはアンモニウムイオンNH4+)を根から取り入れて、それを基にアミノ酸などを合成する。ほとんどの植物の栽培に窒素肥料が必要なのもこうした理由による。
ただし、このセオリーに一見、当てはまらない植物もある。それが、大豆などマメ科の植物やサツマイモなどだ。これらの植物は、やせた土地でもよく育成する。良かれと思って他の植物並みに窒素肥料を与えるとかえって収量が低下する。
理由は、これらの作物が、常温常圧の条件でも空気中のN2をNH3に変換する空中窒素固定細菌を茎や根の周辺に“飼って”いるからだ。マメ科植物の場合は、根粒菌と呼ばれる。畑の肉ともいえるほどタンパク質を多く含む大豆が育つのは、この根粒菌が空気中のN2をNH3にせっせと変換し、大豆に供給するおかげである。
空中窒素固定菌を利用して成長する動物もいる。クワガタやカブトムシなどの甲虫の幼虫である。甲虫の固い外皮は、まさに空中窒素固定菌が作り出した、キチン質と呼ばれる窒素を含む固い多糖類でできていると考えられている。
今回の技術は、植物だけではなく、これら空中窒素固定菌の機能をヒントにした技術といえる。
そのままの再現にメリットは小さい
このうち根粒菌については、これまで農業系の研究者を中心にした数十年の研究実績があり、「ニトロゲナーゼ」と呼ばれる、複雑なタンパク質から成る酵素がその空中窒素固定機能を有していることが分かっている(図4)。
ただし、その機能が詳しく分かってきたのは、比較的最近だ。ニトロゲナーゼの一部の分子が触媒活性を持つことが知られるようになったのが1992年。それが、鉄(Fe)とモリブデン(Mo)と硫黄(S)が組み合わさった「FeMo補因子(FeMo cofactor:FeMoco)」と呼ばれる分子などであることが確定的になったのが2011年という具合である1)。
現時点では、このFeMocoが、特にN2の3重結合を切る役割を果たしていることや、生体内の“エネルギー通貨”ともいわれる「ATP(アデノシン三リン酸)」をエネルギー源にして、NH3を合成していることも分かっている。
ただし、それらの知見が得られるにつれて、生体内での空中窒素固定機能をそのまま再現してもハーバーボッシュ法に代わるような、NH3の工業的な生産技術にはなり得ないことも分かってきた。
その理由は大きく3つある。(1)複雑なニトロゲナーゼ全体の合成が困難、(2)FeMocoが空気中の酸素に非常に弱い、(3)NH3分子1個当たり8個のATPが必要と非常に“高額”で、エネルギーを浪費する――である。
(3)について補足すると、反応自体は常温常圧で進むものの、熱損失以外のエネルギー損失が、ハーバーボッシュ法での損失をはるかに超えて大きい。植物の光合成が太陽光の波長帯の一部しか利用していないことや、足を使った移動が、車輪よりもはるかにエネルギー効率が低いことと同様、生物の仕組みが常に最適解とは限らないことの例になっている。
触媒の耐性は8回から6万回に
この(1)の複雑さは回避しながら、(2)や(3)の課題を解決してハーバーボッシュ法に代わる、常温常圧でのNH3生産の実現に取り組む研究で世界をけん引しているのが東京大学の西林氏の研究室だ。
同研究室はまず、FeMocoに代わる、繰り返し耐性の高い分子触媒を化学的に合成する研究を始めた。2003年に米Massachusetts Institute of Technology(MIT)が発表した触媒は8回しか繰り返し利用できなかった。一方、西林研は2011年にFeMocoと同様、Moを含む分子触媒を独自に開発し、12回利用できることを確認した。
その後の研究で、西林氏の研究室は2017年に開発した触媒で、利用可能回数を230回と大きく伸ばした2)。さらに2019年には、わずかな組成の変更で最大4350回と飛躍的に伸ばした3)。これは「それまでの触媒の10倍で、工業的に使える水準」(西林氏)だったという。しかも、N2とH2Oから、常温常圧でNH3を合成することに成功した。
さらに西林研究室はごく最近、この触媒の誘導体で、6万回の繰り返し利用が可能なことを確認したとする。近く、論文として発表するもようだ。こうした触媒の性能の高さは、研究開発の競争相手にも評価されてきており、「最近は、ライバルが我々の触媒を使って実験を始め出した」(西林氏)。誇らしい半面、ライバルに次々と成果を出される可能性があり、のんびりしていられなくなったという。
N2の分離にエネルギー供給は不要
ではなぜ、この触媒では常温常圧で反応が進むのか。西林研究室とこの共同研究を進める九州大学 先導物質化学研究所 教授の吉澤一成氏の研究室は、この触媒の機能を第一原理計算(密度汎関数理論、DFT)を用いて検証した。その結果、2つの触媒中の各MoがN2を挟み込むように配位し、N2の3重結合を構成している電子をMo側に移動させ、最後にはN2の結合を切ってしまうことが分かってきたという(図5)。
この反応の中間状態のエネルギー、つまり活性化エネルギーは12k~35kcal/molで、触媒なしに高温環境下でN2の3重結合を切るエネルギー約220kcal/molより大幅に小さい。しかも、反応の最終生成物のエネルギーが低いため、全体としては外部からエネルギーを供給しなくても、発エルゴン反応†で自然に反応が進むようだ。
空気と水と電力でもNH3を生産
西林研究室の2019年時点の成果には、エネルギー源とその利用効率という点で課題が残っている。具体的には、この反応では、N2の分離自体は常温常圧で進むものの、H2Oを還元してHを取り出すエネルギー源としてヨウ化サマリウム(SmI2)を用いる点だ。
このSmI2は、現時点では触媒ではなく、反応で消費されてしまう。つまり、NH3を量産する前に、このSmI2を量産する必要がある。加えて、ATPの場合ほどではないものの、反応の前後でのエネルギー損失が大きい。
「現在、SmI2の反応生成物を電力でSmI2に戻す触媒の研究開発を進めている」(西林氏)。これが成功すれば、N2とH2Oと電力でNH3を生産することができるようになる注1)。
可視光で水を直接還元へ
一方、西林研究室では、再生可能エネルギーの有効活用という観点から、光のエネルギーをH2Oの還元に直接用いる研究も進めている。その成果が今回の技術だ。N2の結合を切る触媒は2019年時点のものとほぼ同じながら、光のエネルギーで強い還元力を持つ光触媒を加えることで実現した(図6)4)。根粒菌の機能の再現を超えた、世界で初めての技術といえる。
この成果のポイントは単に還元のエネルギー源が光というだけではない。反応の前後でエネルギーが失われないという点も大きな優位点になる。太陽光のエネルギーを損失なくNH3に変換できるわけで、ハーバーボッシュ法を含む競合技術に対する大きな強みになる。
ただし、この技術にもまだ“注釈”が必要だ。現時点では還元するのはH2Oではなく、ジヒドロアクリジン(acrH2)という物質である点だ。とはいえ、西林氏は、「これをH2Oにするのは、光触媒の改良などでできることが分かっている」とし、H2Oを還元する光触媒の近い将来の開発に自信を示す。
今後の伸びしろは大きい
実際、今回の光触媒はイリジウム(Ir)錯体の一種で、有機EL技術では比較的初期に使われた燐(りん)光発光材料である。現時点の光エネルギーからNH3生成までの量子収率は0.7%と低いが、これも最近の有機EL素子や有機薄膜太陽電池についての知見を使うことで、今後飛躍的に改善することはほぼ確実といえる。
参考文献
1)Spatzal,T. et al.,"Evidence for interstitial carbon in nitrogenase FeMo cofactor,"Science,vol.334,p.940, Nov. 2011.
2)Eizawa,A. et al.,"Remarkable catalytic activity of dinitrogen-bridged dimolybdenum complexes bearing NHC-based PCP-pincer ligands toward nitrogen fixation,"Nature Comm.,vol.8,Article number:14874,April 2017.
3)Ashida,Y. et al.,"Molybdenum-catalysed ammonia production with samarium diiodide and alcohols or water,"Nature,vol.568,pp.536-540,April 2019.
4)Ashida,Y. et al.,"Catalytic nitorogen fixation using visible light energy,"Nature Comm.,vol.13,Article number:7263,Dec. 2022.
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