全国の自治体関係者が「奇跡の村」とまで呼ぶ、小さな山村に行ってきた。長野県下條村だ。これまで何度も訪れており、今回は4年ぶり。やっぱり、東京からは遠かった。
長野県最南端の下伊那郡の中央に位置する下條村の人口は、約4100人。飯田市から車で30分ほどだが、その飯田市まで新宿から高速バスで約4時間20分かかる。タクシーで村役場に向かうと、運転手さんが「ここは交通の便が悪く、本当に陸の孤島です」と、自嘲気味に語った。
下條村の約7割を山林が占め、平坦地は極めて少ない。宅地面積はわずか3%ほどで、天竜川右岸の河岸段丘の上に集落が散在する。傾斜地ばかりで農地も少なく、村の主産品は果樹やそばといったところだ。
村内に大きな企業や事業所があるわけでもなく、俳優の峰竜太さんの出身地として知られていることくらいだ。村の税収は乏しく、財政力指数0.218(2011年度)。つまり、様々な悪条件に苦しむ典型的な山村の1つである。
そんな下條村が「奇跡の村」と呼ばれるようになって、実は、久しい。村として早くから少子化対策に乗り出し、成果をあげてきたからだ。全国有数の高い出生率を誇り、それを維持し続けているのである。
たとえば、2011年の合計特殊出生率である。全国平均が1.39人なのに対し、下條村は1.92人(村試算)を記録している。
厚生労働省が公表した2040年時点での地域別将来推計人口でも、下條村の数値は際立っている。全国のほとんどの自治体が大幅な減少を推計された中で、小幅な減少率に留まったのである。2010年比でマイナス8.2%と、ハンディを乗り越えて大健闘していると言える。大都市圏のベッドタウンの自治体と、肩を並べる数値である。
こうしたことから、いつしか、人口減に苦しむ自治体関係者などが下條村を「奇跡の村」と呼ぶようになった。そして、その秘訣を学ぼうと、列をなして下條村に行政視察するようになったのである。今に始まった話ではなく、数年前から続く現象だ。
出生率は全国平均1.39人を上回る1.92人
高出生率はとるべき道を愚直に進んだ結果
だが、下條村はあっと驚くような奇策を編み出し、それによって子どもを増やすことに成功したのではなかった。
むしろその逆で、自治体のとるべき道を愚直に進んだ結果が高出生率に結びついたと言える。自治体として当たり前の施策を取り続けたことの結果である。国の補助制度などに安易に飛びつかず、地元の実情に合った施策を自らの創意工夫で編み出し、それを住民と共に汗を流して実行してきた。
その1つが、1992年から始まった資材支給事業である。これは、村道や農道、水路などの整備を住民自らが行い、村はその資材を支給するというユニークな事業だ。92年の村長選で初当選した伊藤喜平・村長が打ち出したもので、奇跡の村への第一歩となる重要施策であった。
もっとも、初めの一歩を踏み出すまでが大変だった。伊藤さんはもともとガソリンスタンドなどを経営する会社の社長さん。村と役場の現状に危機感を抱き、1975年に村議となった。当時から村に過疎化の波が押し寄せていたが、役場は国や県の顔色ばかりをうかがい、自ら積極的に動こうとはしなかった。
漫然と仕事をこなす職員ばかりで、やる気もコスト意識も感じられなかった。こうしたぬるま湯体質の役場を変えようと議員になったが、限界を感じて3期で引退。村長に転身したのである。
伊藤村長が最初に手がけたのが、職員の意識改革だった。全職員を民間企業に研修に出したのである。送り込んだ先は、直接顧客と接する物品販売の店頭。自分たちのペースでゆったりと仕事をこなす役所と正反対の職場であった。当時、公務員を民間企業で研修させるという事例はほとんどなく、物議を醸すことになった。
それでも、民間の厳しさを体験したことが、下條村職員の意識を変えることにつながった。職員はやる気やコスト意識、スピード感や効率といったものを身につけるようになり、役場全体の雰囲気も変わっていった。ぬるま湯に浸りきった「お役所仕事」が消えていったのである。
職員の意識改革が進むなかで打ち出されたのが、資材支給事業だった。かつての日本は、地域住民による助け合いがごく普通に行われていた。住民が互いに労力や資金を提供し合い、地域の水路や生活道路、堤防などの整備や補修を行っていたのである。「結い」や「普請」と呼ばれる地域共同体の助け合いの慣行である。
自分たちの地域の課題を自分たちが額に汗して改善する――。それがごく普通のことだった。
ところが、今は何もかも行政にお任せとなっている。それどころか、「我々は税金を払っているのだから、行政サービスを受けるのは当然だ」と考える人も多く、行政への要求はアレもコレもとエスカレートするばかりである。
こうした行政への過度の依存の流れを断ち切ろうというのが、資材支給事業であった。もちろん、行政コストの縮減につなげたいとの狙いもあったが、一番の肝はこちらだ。
それでも「村がコンクリートや骨材などの資材を提供するので、地域の小規模な土木工事は住民自らが額に汗してやってください」というお願いである。反発する村民もいて、実施に至るまで半年間ものスッタモンダがあった。
村に「助け合いの精神」を呼び戻す
住民自らが村道や水路を整備・補修
こうして始まった資材支給事業は現在も続けられており、住民自らが整備・補修した村道や水路などは1442ヵ所(2011年度末現在)に上る。累計総事業費は約2億8063万円。今では村内のそこかしこに住民施工の道路や水路などが生まれている。
下條村は下水道事業でも独自性を発揮していた。国や県が推進する公共下水や農業集落排水ではなく、合併浄化槽を選択したのである。ランニングコストなどを勘案し、後者の方が住民や村にとって良いと判断したからだ。いわば国策と一線を画す行動で、地方自治体の常識ではあり得ない選択だった。
下條村は1989年に下水道事業の検討に入った。約30億円を投じた上水道の整備がほぼ完了し、次は下水道となった。当時、国は公共下水道(建設省所管)や農業集落排水事業(農水省所管)を推進していた。いずれも終末処理場と管渠の敷設を要するため、事業費は巨額に上る。
このため、国は事業費の半分を補助金、残りの半分を起債で賄えるようにし、自治体に下水道整備を促した。国策として推進したのである。こうして全国各地で下水道の設置工事が始まった。元手なしで大規模公共事業が行えるとあって、飛びつく自治体ばかりとなったのである。
補助金をもらっても結局借金が残る
下水道ではなく合併浄化槽を選択
下條村は極めて冷静だった。下水道事業に最低でも43億円かかるとそろばんをはじいた。集落が山間部に散在する下條村は、事業の効率化が図りにくい悪条件下にある。管渠の敷設に1メートル約10万円かかるなどイニシャルコストは高額に上り、さらに、ランニングコストも未来永劫増え続けることが見込まれた。
国から補助金をもらっても、事業費の半分は村の借金となる。元利償還金とランニングコストが将来、小規模自治体の財政を揺るがすことになると危惧したのである。
こうして下條村は管を張り巡らす公共下水などではなく、村全体を合併浄化槽1本でいくことを決断した。合併浄化槽の場合、設置する各世帯に負担金と管理責任(水質検査や保守点検、清掃など)が生じるため、村は独自の補助制度を新設して支援することにした。
下條村の村内オール合併浄化槽の判断は奏功した。現在(2011年度末)、928基が設置されたが、総事業費は8億6851万円で、しかも村の実質的な負担は約2億5089万円にすぎない。後年度負担もなく、ランニングコストも軽微である。国が推進する施策を安易に採用せずに、身の丈に合った事業を展開させたことによるものだ。
こうした下條村独自の施策の上に少子化対策が加わった。一番の目玉は、若者定住促進住宅の建設だ。
若者定住を図る様々な施策で元気な村へ
ムダをトコトン削ればお金は捻出できる
下條村は1997年度から、若者向けの村営住宅の建設を開始した。国の補助金をあえて使わず、村の単独事業として実施した。入居条件をつけるためだ。家賃を格安(2LDKで3万3000円)にし、子持ちか結婚予定者、さらには村の行事への参加と消防団加入も条件とし、入居者を募ったのである。
同時に子育て環境の整備も進め、子どもの医療費無料化(2010年度からは高校卒業まで無料に拡充)や保育料の引き下げ(国基準の半分以下)、子育て応援基金の創設など創意工夫を凝らした。若者定住促進住宅は現在、178戸に達し、元気な下條村の土台となっている。また、2012年度からは新増改築への補助制度なども新設した。
「それにしてもなぜ」と思う方も多いだろう。小さな山村のどこに独自施策を展開する財源があるのかと疑問に思うはずだ。伊藤喜平村長は「行政のムダをトコトン削れば、投資的経費に充てるカネは捻出できます」と、内情を明かす。そして、「これは別に机上の話ではなく、下條村が実際にやってきたことです」と、笑みを浮かべた。
実際、下條村の行財政改革は半端ではない。職員1人1人の大幅な戦力アップを図り、人員を削減した。現在37人で、人口1000人当たり職員数(一般行政職)は7.84人。類似団体の平均の17.02人よりぐっと少ない。
11年度決算での経常収支比率は全国ベスト6位の64.7%で、実質公債費比率もマイナス3.5%で全国ベスト4位。12年度決算見込みでの借金残高は11億3726万円で、交付税措置分を差し引いた村の実質的な借金残高はわずかに8859万円である。一方、村の基金(貯金)残高は55億6974万円にまで達している。驚くべき健全堅実財政である。
1992年から下條村を牽引する伊藤喜平村長は、「全国の自治体が強固になれば、日本は強固になります。その自治体の体質を強くできるのは、住民であり、住民の責任でもあります。住民が自治に是々非々の姿勢で積極的に関わり、住民の力で自治体の力を引き出していかないといけないと思います」と、持論を語ってくれた。
日本の山奥に出現した「奇跡の村」は、1人の卓越したリーダーの力ではなく、住民の総力によってつくり上げられたものである。住民自らが動き出さない限り、どんなにリーダーが卓越した人物であっても「奇跡」は起こせない。
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