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2019年9月15日日曜日

高速実証炉断念。「原発大国」フランスは曲がり角

 「原発大国」(58基)のフランスが、日本と共同研究中だった高速実証炉「アストリッド(ASTRID)」計画を経費高騰を理由に放棄した。建設中の第3世代の原子炉「欧州加圧水型原子炉(EPR)を「優先する」(ボルヌ環境相)というが、そのEPRにしても完成のメドは依然、たっていない。先に「夢の原子炉」と謳(うた)ってきた高速増殖炉「スーパーフェニックス」を断念しているフランス。「政治的支援の不在」も指摘されるマクロン政権の方針は不透明さを増す一方だ。

第4世代原子炉の発展は2050年以降

 フランス原子力庁(CEA)は8月30日、声明を発表してASTRID計画の放棄を確認。「現在のエネルギー状況下では、第4世代の原子炉の産業的発展は今世紀の後半前には実施しない」と述べ、計画再開は少なくとも2050年以降と表明した。『ルモンド』が同日、「ASTRID計画放棄の方針」「25人で構成の調整担当者もすでに解散された」と報じたからだ。
 ASTRID計画の開始は2006年1月、シラク大統領の時代だ。大統領の指令でCEAが“第4世代”の高速炉として2020年の稼働を目指して研究を開始。サルコジ政権(07~12年)でも継承された。
 サルコジは09年12月に、「フランスは10億ユーロを核開発、特に“第4世代の原子炉”のために計上する」と明言。10年には「未来への投資」として、ASTRID計画の「コンセプトの研究」に6億5160万ユーロの予算を計上した。
 社会党出身のオランド大統領(2012~17年)も計画を継承し、着任直後の12年6月には、CEAがフランス南部ガール県の核施設内での建設に向けて、仏建設大手ブイグをはじめ、原発大手アレバ、仏電力公社(EDF)、ロールスロイス・パワー・エンジニアリングなどと国際チームを形成、約500人が計画に経済的、技術的に関与した。

巨額の負担金からのがれた日本

 安倍首相は2014年5月5日のエリゼ宮(仏大統領府)での日仏首脳会談で、「安全性の高い新型原子炉ASTRIDを含む高速炉の技術開発協力に関する取り決め」で合意し、オランドと共に署名した。フランス政府はこの時、日本政府に対し、「もんじゅ」(当時は事故続きで無期限停止中、2016年12月に廃炉が決定)でASTRIDの可燃性燃料のテストをするために、「もんじゅ」の再起動を要請したという(日本外交筋)。
 フランス政府は16年10月には日本政府に対し、ASTRIDの経費分担も要請した。当時の総経費の予測は50億ユーロだった。日本は「経済成長においてはイノベーションが重要である」という「日仏合意」のもと、体よく巨額の負担金を課せられるところだったが、計画の放棄で助かったわけだ。

“金食い虫”の計画

 ASTRID 計画は日本への経費支援を仰いだころには、すでに“金食い虫”としてお荷物になり始めていた。CEAは18年初頭には、当初計画の出力600メガワットを100~200メガワットへの削減の検討を迫れていた。
 15年には、日本における福島の原発事故や環境重視の世界的趨勢の中でその「安全性」が問題になり、仏放射線防護原子力安全研究所(IRSN)による検査を実施するべきだとの意見も出された。18年6月には朝日新聞がASTRID計画に協力する日本政府に疑問を示す記事を掲載している。
 フランスの環境省は今回の計画放棄の理由として、経費高騰という経済的理由あげている。2019年8月現在、7億3800万ユーロをすでに費やし、このまま計画を遂行した場合は、50~100億ユーロが必要との試算もある。さらに、「ウランの価格が目下のところ安く、ストックも豊富」(ボルヌ環境相)なことも理由に挙げられている。CEAは計画開始当時、ASTRIDは「ウランなどの燃料のリサイクルが無限に可能」を利点に挙げていた。

「原発大国」の自負はないマクロン政権

 「ASTRIDは死んだ」(関係者)という放棄のニュースに対し、右派政党・共和党(LR)や極右政党・国民連合(RN)は「政治的支援の不在」を糾弾。「我々は研究や変革なしに、環境を保護することはできない」(ブルノ・ルテリュLR上院議員団長)と主張し、マクロン政権が本気で環境政策に取り組んでいないと非難した。目先の経済的理由で革新的技術の研究を放棄することは、クリーンなエネルギーを提供する新型原子炉を放棄することにつながり、環境そのものを悪化させるという論法だ。
 シラクが1995年に核実験を再開した時、「知識の伝達」という言葉が盛んに使用された。英国は核保有国だが、核爆弾は米国から買ったもので、自前で製造していない。フランスが「核の確実性、信頼性、安全性やシミュレーション実験移行への準備」として核実験にこだわったのは、核爆弾に関する物理的、数学的な知識はもとより、様々な技術、つまり核に関する重要な知識を若い世代に伝達するためという含意だ。
 こうした知識はいったん失われると、再度、獲得するのには膨大な時間と才能が必要になるというわけだ。屁理屈じみた理屈にも思えるが、兵器の製造という観点とはまったく異なる視点が、いかにもフランス的で興味深かった。
 その点、マクロン政権には「原発大国」との気負いや自負、熱気はない。「豪華晩餐会」を批判されて辞任したドルジ前国民議会議長は、国務相兼環境相時代に第3世代の原子炉ERPに関しても、疑問符をつけていた。「この手の原子炉が経済的観点から採算性があるのか、あらゆる教訓を検討すべきだ」と。

怨念を残した?「スーパーフェニックス」の廃炉

 ERPは1991年、ドイツのシーメンスとフランスのアレバによる新型原子炉として計画がスタートした。2004年10月には建設用地としてフランス北部ノルマンディー地方のフラマンビルが選定され、06年6月に工事が開始した。完成は当初、12年8月の予定だったが、いまだに完成していない。
 福島の原発事故や米国での同時テロを踏まえ、安全性について、ASN(仏原子力安全院)やIRSNからクレームが付き、なかなかゴーサインが出ないからだ。製造会社のアレバは、テロ攻撃や航空機の墜落事故などにも十分に対応できるように、原発の建屋を堅牢な分厚いコンクリートで遮蔽する計画だが、コンクリートの質などにクレームがついている。当然ながら、総工費は高騰中だ。
 フランスは高速増殖炉「スーパーフェニックス」を泣く泣く廃炉にした過去もある。1976年12月、「夢の原子炉」との鳴り物入りで、フランス中部リヨンに近いイーゼル地方で工事が始められ、10年後の1986年12月に運転を開始した。EDFをはじめ、西独(当時)、英国、イタリア、ベルギー、オランダの各電力会社が出資した大計画だったが、運転された期間よりも、事故で運転停止している期間の方がはるかに長いという印象が徐々に強くなる。
 当時のフランスはまだ、「原発大国」を誇り、国民もスーパーフェニックスの稼働と事故中止に一喜一憂した。1997年6月、ジョスパン首相(当時)が「放棄する」と発表し、98年12月30日に停止した。当時は、右派のシラク大統領の下に社会党のジョスパン首相がいるという「保革共存政権」の時代。シラクは98年7月14日の「革命記念日」に、スーパーフェニックスの「放棄」を非難している。シラクがASTRID計画を開始したのは、スーパーフェニックス放棄に対する怨念があったのかもしれない。

「大国の誇り」をかけて原発推進したが……

 シラクにとっても、フランスにとっても、ADTRIDは「フェニックス(不死鳥)」を蘇(よみがえ)らせる壮大な夢のプランだったはずだ。「ASTRID」という命名そのものにも、強い政治的意思がうかがえる。
 ヨーロッパでは、この名前は「神聖な美」を意味し、ベルギーや北欧の王室の王妃らの名前にしばしば登場する。近くはベルギーのアルフレッド3世の最初の后妃(自動車事故で死去)や、ベルギーの現フィリップ国王の妹の名前でもある。
 フランスは共和制とはいえ、中央集権的な国家だ。国家元首である大統領の意向はそのまま政策に反映されることが多い。シラクもサルコジもオランドも、その意味では党派を超えて、「大国フランスの誇り」をかけて、原発政策を推進させてきた。
 マクロン大統領はどうなのか。41歳の大統領にとって、会計検査院が早々にクレームをつけたASTRID計画の放棄は、さしたる痛痒(つうよう)もなく受け入れたのではなかろうか。
 英国もドイツもイタリアも国内政治が不安定な現状で、「大国フランスの誇り」という抽象的概念にすがるより、財政赤字を減らし、欧州連合(EU)内での主要国としての舵(かじ)取りをするか。スーパーフェニックスを廃棄し、ASTRIDを放棄したからには、ERPを何としても完成させ、「原発大国フランス」の誇りを保つのか。マクロンには、前者のほうがはるかに魅力がありそうに見えているのではないか。(敬称一部略)

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