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2019年9月28日土曜日

現在の仏教の正体はキリスト教(執筆中 未完成) (勉強の為にシェアしました。)  

https://w.atwiki.jp/scarboroughfair/pages/48.html
勉強の為に転載しました。

戒名は仏教によって導入された概念かと思われがちだが、
実際はそうではない。
これについては仏教史にまつわる長い説明が必要になる。

仏教とは紀元前5世紀頃に誕生した ゴータマ・シッダールタを開祖とし
バラモン教やヒンドゥー教の土台の上に醸成された宗教である。
しかしシッダールタこと釈迦が生前に説いた教えは
様々な意味において今の仏教と大きく異なり、かけ離れた教義であった。

当時のインド人は生についてこれを意識ある限りの苦しみの連鎖と捕らえ、
たとえ死によってひとつの人生が終わっても、生前の業に従って
また別のものに生まれ変わり(サンサーラ)、
永遠にこの苦しみが続くと考えていた。
六道輪廻で言うところの「天界」に転生しても、天人の寿命には限りがあり、
再び輪廻は繰り返され、永遠に続く苦しみの連環に戻される。
原始仏教はそうした苦しみの連鎖からの脱却(解脱)を目指して作られたものだった。

原始仏教が目指した究極の寂の境地である涅槃
(ニルヴァーナ=サンスクリット語で「吹き熄される」の意)とは
生まれ変わりも無く、魂も意識もなく、従って苦しみも悲しみも無い完全なる「無」の境地である。
涅槃の境地については、数々の仏典に記されている。

 「二度とこの世に生を受けない者」 (法華経)
 問い「涅槃に入って滅びた人は存在しないのでしょうか。
 あるいは永遠であって、損なわれないのでしょうか」
 釈迦「彼にはそれを測る基準が存在しない。彼を論ずるよすがが彼には存在しない。
     あらゆる事柄がすっかり絶やされているからだ」 (スッタニパータ)
 「聖者(仏)には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わることがない。
  聖者の身体は輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。
  いまや再びのちの生存に入ることがない」(長老の詩)

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この涅槃について概念的に最も近いところを言えば、
現代の唯物論者が普通に言うところの『死』である。
原始仏教の目指すところは極楽往生などではなく、永劫の消滅なのだ。
原始仏教とは自身の存在を消し去り、それより二度と生まれ変わり、
生を送る事がない事を願い、そのために励む宗教だったのである。

しかし現在の仏教は大きく様変わりした。
仏教はむしろ発祥地のインドでは廃れ、他国で大きく隆盛した宗教であるが、
輪廻転生という概念について信じ込まれる土壌が無い他国にあっては、
こうした「輪廻からの脱却を目指す」という目的がいまひとつピンと来なかったのと、
最終目的である涅槃=「永遠の消滅」という概念が、
あまりにも味気なさ過ぎて受け容れられなかったためである。

そのため仏教は死後の世界については「極楽」を説き、
また「涅槃」についても、「浄土」や「仏国土」などの言葉と結びつき、
そこには歓喜、幸福、永遠の生命があるといった、
極楽に近いニュアンスで語られるようになった。
(主に大乗仏教はこの思想に立脚している)
そうする事で他国において多くの信徒を獲得する事に成功した。

しかし、これはシャカが説いた原始仏教とは明らかに異なる教えである。
なぜこのように変わってしまったのだろうか。

実は教義が時代によって作り変えられ、本来の教えから歪められ、
異質なものに窯変するのは仏教という宗教にとっては珍しい事ではない。
仏教は長い歴史の中、いくつかの時期において、何度も大きな変容を遂げてきたのだ。
それについて簡単に見ていくとしよう。

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シャカの思想は彼の死後500年ほどは大きな変化は見られなかった。
しかし紀元1世紀後半頃から次第に「永遠の仏」という思想が
涅槃文学において説かれるようになり、
特に2~3世紀頃に最初の劇的な変容を迎える事となる。
これはインドにおける「ある宗教」との、信者を巡る布教合戦によっての事である。

この時期、イエスの十二使徒のトマスとバルトロマイ(ナサナエル)
が西暦52年にインドに渡り、
建築家として名を成して大手スポンサーを得た後、各地でイエスの教えを説いた。
彼の説いた教義は以下の7つに要約される。

 ① はるか西方の国にイエス・キリストという救い主が降臨した事
 ② キリストは永遠の光であり、永遠の命である事
 ③ 人は誰でも罪人であり、この罪は自分の力では決して救われない事
 ④ キリストは神から人々を救うために遣わされた事
 ⑤ キリストは人々の原罪を贖うため、十字架に架けられた事
 ⑥ キリストは正しい人を救うためではなく、罪人を救うためにこそ来たのだという事
 ⑦ 「救い」とはキリストの名を呼び、これを信仰する事

そしてこの画期的な教えはインド中に広まった。
(なお、トマスはインド南西部のマラバル地方に7つの教会を建て、
そこを拠点として活動した。
 その後中国方面に伝道に行き、再びインドに戻ってそこで没した。
 現在もその教会は残っており、所在地のケララは今でも住人の25%はキリスト教徒で、
 彼らは「トマス・クリスチャン」と自称している)

そして、トマスによって齎されたキリスト教はやがて
インドに広まっていた仏教とバッティングし、多くの信徒を生む事となる。
仏教徒は異国の教えに信徒を取られ、自らの勢力が衰えていく事態に恐れを感じ、
キリスト教と熾烈な論争を繰り広げた。

だが結局のところ穴だらけの既存の教義では論戦に対抗できないものと認め
これに対抗するため、仏教徒はキリストに匹敵する新しいシンボルの創造と、
教義の大幅な見直しと合理化を進めざるを得なくなった。
これが第1回目の変容である。

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この時期新たに「創られた」教義は多々あるが
中でも有名なのが、1世紀後半~2世紀半頃にインドで生まれた
『阿弥陀如来』信仰だ。
これについて7つの特徴を見ていこう。

まず最初に、この新たに作られたシンボルの持つ『阿弥陀』という名であるが、
これはサンスクリット語で「アミターバ=無量光(永遠の光)」、
「アミタユース=無量寿(永遠の命)」を由来としている。
対するイエスは聖書において ②「永遠の光」「永遠の命」と呼ばれている。
要するに同じ意味の称号を冠している。

次に「極楽の主」である阿弥陀仏が住んでいる場所について。

極楽とは経典によると「西方十万億土」とある。
つまりそれは一般にイメージされているような天上界ではなく、
「地上」の遥か「西方」にある世界である。
対するイエスは ①インドから見て遥か西、パレスチナで生まれ、
昇天した後は天国で神の右の玉座に即く事となった。
いわば遥かな距離を隔てた西方で生まれた天界のあるじである。
イエスと阿弥陀は生まれた場所も住む場所についても、奇妙に一致しているのだ。

3つ目。
阿弥陀如来にはバックストーリーがある。
阿弥陀は元々ある国の王だったが、「世自在王仏」
(=世界に自らの力で存在し、全てを自在に操る王である仏の意) の下で、
それまでの地位を全て捨てて修行者となり、
苦しむ人々を救うための誓いを立てた──というのがそれだ。

対するイエスは ④元々天の国の王だが、それまでの地位を全て捨てて
全能の神ヤハウェ(=「私は自ら存在するものである」という意味の名)
によって地上に遣わされ、そこで修行を行い、
苦しむ人々を救うための布教を行った──とされている。
はっきり言って同じストーリーである。

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4つ目。
人は誰もが苦や煩悩に悩まされ続けており、
そのままでは決して正しい悟りには至れない存在である──というのが仏教の教えだが、
キリスト教もまた、③人は生まれつき原罪を背負っている事、
正しい者は1人もいない、それ故にそのままでは
天国に至ることはできない──という教義を有している。
構造的に見て論旨が極めて似ているのだ。

5つ目。
阿弥陀仏は人々の「身代わり」の修行をした。
そして身代わりになる事で、人々がその名を唱えるだけで救われるほどの
偉大な存在となったと説かれている。
(ちなみに「南無阿弥陀仏」とは「アミダ様を信じます、帰依します」という意味である)

対するキリスト教のシンボル・イエスもまた
人々の罪の「身代わり」となって死んだ存在であり、
「主(イエス)の名を呼ぶ者は、みな救われる」(使徒2章21節)
と聖書に記されている。
「あがない主」の名を唱えるだけでその信徒が救われる──というのは
数ある宗教の中でも、阿弥陀信仰とキリスト教に共通する特異な要素である。

6つ目。
阿弥陀信仰では救いの対象は善人ではなく悪人である。
「悪人正機」といい、後世日本で作られた「歎異抄」でもその件が述べられている。
対するイエスも「医者を必要とするのは健康な者ではなく病人だ。
私は正しい者を招くためではなく罪人を招くために来た」(マルコ2章17節)と言っており
やはり ⑥救いの対象は悪人、罪人である。

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7つ目。
阿弥陀仏はそれまでのものとは異なり、数々の苦しい修行を積むのではなく、
「口に御名を唱え、心に信じる事で救われる」とした。
キリスト教もまた、
⑦「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ10章10節)と
同様の教義を有している。

…と、宗教固有の特徴を並べて比較していくと、
何から何まで不自然なほどソックリである。

というのも、実は阿弥陀仏とは、
当時の仏教徒がそのままイエスを取り込んで作り上げた存在であり、
起源においてイエスと同一の存在であるからなのだ。

唱えている人間は全く知らない場合が多いが、
実は「南無阿弥陀仏」とは、「イエス様を信じます」の意味なのである。

仏教の第一回目の変容とは、即ちこの時代に「原始仏教」なるものが
キリスト教の教義を取り込み、キリスト教との混合宗教「仏教」として作り変えられた
大規模アップデートの事なのだ。

『キリストの使徒トマスの福音に対抗して、
シャカを聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である』
(宗教学者 アーマンド・シャー)
『阿弥陀仏の教義はインドでつくられたものではない。
 当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する』
(仏教史学者 アルティ)

なお、当時のインドにはペルシアからゾロアスター教が入ってきており、
その「永遠の光輝の神」の思想もこれらの変容に影響を与えたものとみられる。
しかし仏教の経典を見る限り、より顕著に影響を与えたのはキリスト教の方のようだ。

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仏教によって最も重要と言われる経典『法華経』。
日本仏教においてはバイブルのようなものとして、
古くから宗派の別なく仏教徒の間で読み継がれてきた。

この経典もちょうどこの仏教変容期にあたる西暦50年~150年において
複数の人物によって著されたものであり、
その後時代が下るにつれて次々に増補されていった。

(ちなみに後世になるに従ってどんどん内容が大袈裟なものに改訂されていった。
 冒頭、釈迦が1200人の僧とともにいるサンクスクリット語のシーンは、
 漢訳されるに辺り、僧の数が12000人に増やされたりしている)

実はその起源もまた当時のキリスト教にあるという説がある。
これについて両者の特徴を見ていこう。

法華経は①『一乗妙法』 ②『久遠実成の仏』 ③『菩薩行道』という
            . . . . . .
それまでの時代に存在しなかった新しい教えを説いて当時の仏教界に革命を起こした。

まず1つ目、『一乗妙法』。
これは「この教えは全ての人々を平等に成仏させられる唯一の教えだ」という意味である。
時代背景を鑑みるに、キリスト教やミゾロアスター教に押され、
特定の人間だけを対象としていたがため影響力が衰退していた当時の仏教の、
再度の見直しと権威付けのために作られたものと解釈される。

対するキリスト教も「この方以外には、誰によっても救いはありません」(徒伝4章12節)
「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(コリント5章17節)とあり、
「この教えは全ての人間を救う唯一の教義である」というのが基本的なスタンスだ。

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2つ目、『久遠実成の仏』。
これは教祖シャカの生涯を大幅見直ししたもので、
「実はシャカは29歳で出家し、35歳で悟りを開いたが、
それは仮の姿に過ぎず、実は遥かなる昔に
既に仏となっていた永遠の存在なのだ」という教えである。

対するキリスト教も「実はイエスは30歳で出家し、33歳で悟りを開いたが、
実は遥かなる昔から既に天界にあった神の子であり、永遠の存在なのだ」
と、仏教に先んじて説いている。

ちなみに法華経の「寿量品」には
仏陀「私は遥か以前から永遠の仏であった」
弟子「そんな馬鹿な。たとえば若者が100歳の老人を指して
「これはわが子だ」と言ったところで誰が信じるのですか。
あなたが出家して悟りを得てからまだ40年にしかならないのに、
永遠の昔に悟りを開いた仏だと言われてもピンときません」
というエピソードが載っている。

対するキリスト教の新約聖書にも
ユダヤ人「あなたはまだ50歳にもなっていないのに
(太古の人物である)アブラハムを見たのですか」
イエス「アブラハムが生まれる前から“私はある”。
(=私は永遠の神ヤハウェである)」(ヨハネ8章48~59節)
「御子は万物よりも先に存在し、
万物は御子によって成り立っていまます」(コロサイ1章17節)
と、同様のエピソードが掲載されている。

ぶっちゃけた話「久遠実成の仏」とは、
外来宗教の強力なシンボルであるキリストに対抗するため、
その設定をそのまま模倣して教祖釈迦の箔付けにした、
キリスト教の影響を強く受けて行われた後付け設定であると思われる。

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3つ目、『菩薩行道』。
成仏するために守らねばならない「6つの行」のほかに、
法華経の「宣教」こそが最も重要な行である、という教えである。

実のところキリスト教もこの「6つの行」と同様の訓戒を守っている上に、
福音の宣教を「第一の義務」としている。
この教えにしても当時仏教がキリスト教の影響を受けて、
信徒拓大のために導入したものと見られている。
今なお法華経系の教団やキリスト教系の教団が、
しつこいぐらい宗教の勧誘を行ってくるのも
おそらく古来から同一の教義を有しているからではなかろうか。

なお「南無妙法蓮華経」とは
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(法華経の正式題名)に帰依します、
というのが表の意味だが、
その法華経自体が聖書の教えを色濃く受けた経典である事から
「私は聖書に帰依します」というのが裏の意味であるのだ。

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ちなみにこんにち伝えられている釈迦像も、実は本来の姿ではなく、
2世紀にインドの仏教僧・馬鳴(アシュバゴーシャ)によって作られたものである。
これにもまた、シッダールタ本人の伝道の歴史を核として、
キリスト教の教えが多分に混入している。

ダビデ王の血筋から生まれたイエス。
浄飯王の血筋から生まれた釈迦。

天使のお告げの後にマリヤ(原語マーヤム)から処女懐胎で生まれたイエス。
天のお告げの後にマーヤーから処女懐胎で生まれた釈迦。

偉大なる王であり偉大なる救い主になるだろうと、幼少に女性に預言されたイエス。
偉大なる王か偉大なる宗教指導者になるだろうと、幼少に女性に予言された釈迦。

少年期に沢山の祭司たちを相手に驚嘆させる才能を示したイエス。
少年期に沢山のバラモンたちを相手に驚嘆させる才能を示した釈迦。

30歳まで何をしていたのか定かでなく、その後出家してヨルダン川で洗礼を受けたイエス。
29歳まで何をしていたのか定かでなく、その後出家してニレンゼン川で洗身を受けた釈迦。

荒野において40日間悪魔の3つの誘惑(マタイ4章1~11節)に耐えて修行を積み、
自らの教義を確立したイエス。
菩提樹の下において49日間悪魔(マーラー)の3つの誘惑に耐えて修行を積み、
自らの教義を確立した釈迦。

塵の中から2枚のレプタ硬貨を神に捧げた、貧しいやもめを賞賛したイエス。
塵の中から掘り出した2枚の銅貨を自分に捧げた、貧しい少女を賞賛したシャカ。


偉大なる牛飼いシャカと、偉大なる羊飼いイエスは
その他経典に見られる様々なエピソードに至るまで異様なまでに似ている。
成立年代を見るとキリスト教の方が先である事から、
恐らくイエス伝の側がオリジナルである。

要は仏教徒の多くは、本来の釈迦の伝記だけではなく、
実は後世付与されたキリストの物語を、釈迦の伝記だと思い込んで
古来から有難がってきたというのが真相なのである。

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ちなみに仏教において信仰される弥勒菩薩(マイトレーヤ)について。
マイトレーヤという名はミスラ神の語源である「mitra」(契約)にあると思われ
この二つの存在は明確な関連性があると見られる。

しかし反面ミスラ神には「遥か長い後に再び戻ってきて、
民衆を救済する」といった特徴は無い。
ミスラには光輝神や契約や豊穣の神という属性があるが、
これをもって弥勒の起源にするのには無理がある。
ただひとつ言えるのは、弥勒についての思想は、
ゾロアスター教とキリスト教、そして仏教という3つの宗教が混淆し合った
特殊な環境下のインドで醸成されたものだと言う事だ。

恐らくこれもキリスト教の、「遥か長い後に再び戻ってきて、民衆を救済する」神
キリストの影響を受けて創られた存在であるのだろう。

「弥勒の原語であるインドのマイトレーヤは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、
 これはヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」
 (仏教史学者 エリザベス・ゴードン)

(なお、原始キリスト教と比較して大きく変容した現在のキリスト教は、 
 ローマ帝国領内において、ミスラを主神とする
ミトラス教と混淆して作られたものである。
 有名なところではクリスマスやプレゼントの交換がある。
 ヨーロッパに伝道後、キリスト教はミトラス教と覇権を競っていたが、
 西暦382年、グラティアヌス帝がミトラス教の禁止令を出し、ついで392年に
 テオドシウスⅠ世がキリスト教を国教化した事でこの競争に決着がつく。

 しかし依然領内にはミトラス教の信徒や習慣は多く、
 全てを捨て去る事はできなかった事と、
 統治側も両者の信徒の支持を取りつける意味と、統治を円満にする意味から
 無駄に対立を煽らず、混淆を許容した結果が今日のキリスト教なのであろう)

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その後仏教は多民族国家の中国に伝来し、
ここでも異文化を取り込んで2度目の変容を遂げる。
いや、そうせざるを得なかった

当時の仏教は「出家主義」であり、葬式や葬儀を禁じていた。
「出家」とは今言われている、単に頭を丸めさえすれば済むような
生易しいものではなく、本来は家族や親族との関わりを完全に絶って
新しく生まれ変わった別人として修行に入る事であり、
ゆえに親族や先祖に関心を持つ事は禁じられた。

だからこそ「葬儀」もまた禁じられており、シャカ自身も死者には全く無関心だった。
彼は「戒名」だの「回忌法要」だのといった教えも全く説かなかった。
自分の葬式にしても僧侶にはさせず在家の者に執り行わせた。
つまり、葬儀は僧侶の仕事ではないと見做していたのだ。
これが元々の仏教のスタンスである。

ところが仏教が中国に伝わった際、外来宗教である仏教は
先祖を敬い、葬儀を鄭重に執り行う儒教や道教により、この点を執拗に叩かれた。
こうした教えは元来祖先信仰の強い中国にはあまり馴染まなかった。
これを打破するため、仏教は「葬儀」を重視するよう新たに教義を創り出し、
様々な祭礼を整え、現地に合わせて生まれ変わらざるを得なかった。

中でも有名なのが、「仏説盂蘭盆会」なる有難い経典に由来する、
祖先を敬うインドの祭──“お盆”の創設である。

ところが、長い年月に渡り広く行われてきたこの“お盆”であるが
実はかなり前から根底よりその観念が引っ繰り返された事態となっている。
まずこのウラボンとはサンスクリット語のウランバナ(逆さ吊り)が起源だ、
と一時期学者によって唱えられていたが
実はこれは「一切経音義」によって学者が作り出した語にすぎず、
元の文献には存在しない誤りであった。

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さらに研究が進むにつれ、この「盂蘭盆会」というイベントは
「仏説盂蘭盆会」という経典をソースにしていると長年伝えられてきたのだが、
この経典からして、サンスクリット文献に一切存在しない捏造資料であり、
長年根拠としてきた事がそもそも嘘である事がわかってしまったのだ。

実はお盆の起源とは、
「収穫の季節に、あの世から戻ってきた祖先の霊を家に迎え、供え物をする」という
当時中国に進出していたペルシア系のソグド人の祭
「ウルバン(死者の霊魂の意)」をそっくりそのままいただいたもので、
これが道教において、死者を弔うために経典を読む日
「中元」と結びついて出来たのが、お盆の本当の起源なのである。

「菩薩行道」──宣教こそが最大の使命だという教え、
そのためなら多少の嘘など何でもないという仏教界の決断によって
経典ごと捏造して作られたイベントというのが正直なところなのだ。

ともあれ、これによってそれまで中国で他宗教に忌避され、
批判されていた仏教は融和を見、上から下に至るまで広く中国に浸透する事となる。

こんにち日本で毎年たくさんのご老人が仏教のものだと思い込んで
「お盆」の行事を行っているが、実際はあれらは仏教とは本来全く関係が無い、
別の宗教の祭りなのである。
(ちなみに盆踊りもペルシア起源らしい)

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なお、当時の中国にはキリスト教が伝道され、多くの寺院が建立されていた。
431年、エペソ宗教会議で、コンスタンティノポリス総主教ネストリウスが
「異端」として追放された。
当時のローマ・カトリックは既に当初のキリスト教から大きく逸脱した風習に染まり、
ただの人間に過ぎないイエスの母マリアに神性を持たせていた。
こうした教義に反発したのがネストリウスで、
彼が遺した『ヘラクレデスのバザール』から、
彼が異端的教えが無い事がわかっている。

ネストリウスの追放後、彼と信仰をともにするキリスト教徒らは
シルクロードを通じて東方へ伝道を開始した。
キリスト教ネストリウス派、いわゆる『景教』(「景」とは「光り輝く」の意)である。

景教は西暦635年、唐の太宗・李世民の時代、
ペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられた。
太宗は彼らを迎えて宮中に通し、キリスト教に帰依し、
西暦637年7月に詔を発し、領内での布教を認めた。
(『大秦景教流行中国碑』より)

そして奇しくもインドのみならず、遠く離れたここ中国においても、
再び仏教とキリスト教が領内においてバッティングする事になる。
ここでも仏教はキリスト教の祭礼を取り入れる事により、
金儲けや箔付けに役に立つ、こんにちの仏教に見られる多くのシステムを整備していく。


「戒名」
インドにもタイにもスリランカにもなく、後発地の中国で作り出されたもの。
当時の中国で活動を行っていた景教が、
信徒に授けていた「洗礼名」を輸入したシステムである。
(もちろん洗礼名を授かるのは無料であった)。
なお、日本人はこれがさも世界仏教では“当たり前”の風習のように
思い込んでいる節があり、人が死ぬたびに莫大な「戒名費」を取られている。


「位牌」
インドにも世界一の仏教国タイにも存在しないアイテム。
景教徒が死者を弔う際に、洗礼名と亡くなった日付を書いた
二つ折りの位牌が由来である。


「線香」「焼香」
景教の寺院の祭礼から取り入れた風習。寺院に蝋燭を立てる風習も同様らしい。
いまや仏教寺院のシンボルのように馴染んでいるが、実のところ仏教起源ではない。

「数珠」
キリスト教のロザリオ(コンボスキニオン)を取り込んで、
隋唐時代の僧・道綽が作り出したもの。
仏教の祖である釈迦が蘇ってこれを見たのなら、
何なのかわからず首を傾げていた事だろう。
元来仏教とは何の関係もない異教のアイテムだからだ。


「病気平癒の加持祈祷」
仏教には元々そんなものは存在しない。
釈迦も病気で寝込んだ時、弟子に按摩をしてもらったくらいのものである。
この起源は景教徒が病人の病を癒してくれるよう神に祈っているのを
当時の中国仏教が取り入れたものらしい。


「卍」マーク
トマス教団がインドで活動していた頃、
十字架の変形としてシンボルマークに掲げていたガンマテ十字(gammadiom)を、
スワスティカとして当時の仏教が取り込んだもの。


…こうしてインドと中国とにおける二度のキリスト教との習合を経て、
本来の形と大きくかけ離れて作られたのが今日伝えられる仏教である。
いまやそれは世界各地に広まっている。
その教義や祭儀の多くがキリスト教起源である事は、
海外では盛んに議論されているのだが、
国内では仏教徒の反発や人々の無関心さからか、
ほとんど知られていないのが実態である。

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