Pages - Menu

Pages - Menu

Pages

2021年7月23日金曜日

3人で開発していた炎上中の案件に1人のプログラマーが参画したところ全て1人で作ってしまいスケジュール通りになりました。こういうことってよくあることですか?また他の3人は何をしてたのでしょうか?

3人で開発していたものではありませんが、1人のプログラマーがプロジェクトを救った伝説として、スーパーファミコン用ソフト『MOTHER2』の開発のエピソードを思い出しました。

『MOTHER2』ふっかつ記念対談 はじめてのひとも、もういちどのひとも。 - ほぼ日刊イトイ新聞
── えー、このたび、 Wii U のバーチャルコンソールで 『MOTHER2』が配信されることとなりました! つきましては‥‥。 糸井 永田くん。 ── はい、なんでしょう。 糸井 「ほぼ日」を読んでる人には、 バーチャルなんとか、みたいなことを言っても よくわからないかもしれないよ? ── ああ、失礼しました。きちんと説明します。 ちなみに、糸井さんはわかってますよね? 糸井 失礼な、わかってるよ! ‥‥だいたいは。 岩田 ははははは。 ── ええとですね、去年の年末に発売された 任天堂の最新ゲーム機、Wii Uには、 「Wii U バーチャルコンソール」という機能があります。 これは、ファミコン、スーパーファミコンといった、 過去の任天堂のハードでリリースされた名作ソフトを ダウンロード購入できるというサービスなんです。 ‥‥ということですよね、岩田さん? 岩田 はい、そのとおりです。 ちなみにWii Uでは、 ゲームボーイアドバンス用ソフトについても 配信を準備しています。 糸井 ふむ。 ── で、奇しくも今年はファミコン生誕30周年です。 そのお祝いも兼ねて、 「Wii U バーチャルコンソール」で過去の名作7本を、 なんと、「30円」で購入できるという 体験キャンペーンがはじまっているのです。 糸井 安すぎるっ!(ドンッ!) ── お茶がこぼれますから、 ほんとに机を叩かないでください。 糸井 ティッシュ、ティッシュ。 岩田 ちなみに、今回の体験キャンペーンは 「Wii U バーチャルコンソール」の正式配信に さきがけた先行販売という位置づけです。 「30円」での購入は30日間限定です。 ── はい。ということで。 糸井 ということで? ── かの、スーパーファミコンの名作、 『MOTHER2 ギーグの逆襲』が、 体験キャンペーン第3弾として、 3月20日より、4月18日まで、 配信されることになりましたー! パチパチパチパチ! 糸井 よかったです。 岩田 よかったですね。 WiiでもDSでも3DSでも、 『MOTHER2』は遊べなかったですからね。 ── しかも、のちほど説明いたしますが、 「Miiverse(ミーバース)」という Wii Uのなかにあるネットワークサービスに 糸井重里本人が登場して、 みなさんとコミュニケーションする、予定! パチパチパチパチ! 糸井 なんだか、よくわかってないけど、 よかったです。 ── えー、本日は、その、 「『MOTHER2』ふっかつさい」開催の お祝いと告知を兼ねまして、 本日は、このゲームにたいへん縁の深い、 糸井重里さんと岩田聡さんにお越しいただきました。 糸井 縁は深いねぇ。そうとう深い。 岩田 でも、「ほぼ日」の読者のなかには、 そのあたりのことを、ご存じない方も多いですかね。 ── そうですね。 岩田さんは、任天堂の社長になられる以前、 黎明期の「ほぼ日」の起ち上げに ご協力くださっているんですが、 そもそも、糸井重里と出会ったきっかけが、 この『MOTHER2』というゲームで。 岩田 そうですね。 『MOTHER』の話というのは、同時に、 私と糸井さんの出会いの物語でもあるので。 ── はい。じゃあ、そのあたりの経緯から 軽くふり返っていただければと。 糸井 ‥‥‥‥。 ── ‥‥糸井さん? 糸井 うん? ── そのあたりの経緯から ふり返っていただければと。 糸井 そのへんはさぁ、永田くんが しゃべっておけばいいんじゃないの? ── えーー。 岩田 ははははは。 糸井 だってさぁ、そんな、3人が知ってる話を わざわざもう一回くり返さなくても。 ── そうはおっしゃられましても‥‥。 糸井 永田くんがまとめて書いておいて、 それを、さも俺と岩田さんが話したように まとめておいてくれてもいいよ。 ── えーー。 岩田 ははははは。 糸井 そのあたりのことを永田がまとめます。 さぁ、どうぞ! ── ええーっと、1989年、糸井重里のつくった 『MOTHER』というRPGがファミコンで発売されました。 その続編である『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、 スーパーファミコン用のソフトとして 開発されていたのですが、 ま、簡単にいうと、それが頓挫しかかったと。 糸井 うん。 ── そのとき、難航していた『MOTHER2』の開発を 立て直すべく現場に現れたのが、 岩田聡さん、その人でありました。 ちなみにそのときは、HAL研究所という ソフト開発会社の社長兼プログラマーという立場ですか? 岩田 そうです。 糸井 そのとき岩田さんが言った 有名なセリフがあるだろう? ── いま言おうと思ってたんですよ! ええと、現場でそれまでできたものを チェックした岩田さんは、 糸井重里に向かってこう言ったそうです。 これをこのまま‥‥。 糸井 「これをこのままつくるなら2年かかります」 ── しゃべるならぜんぶしゃべってくださいよ。 岩田 ええとね、私の記憶によると、 とりあえず、その時点では 完成する流れになってなかったんですね。 で、まず「このままではできないと思います」 って糸井さんに断言したんです。 ── うわぁ。 岩田 「よければお手伝いしますが、 つきましては2つ方法があります」と。 そこで、そのことばになるんですね。 「いまあるものを活かしながら 手直ししていく方法だと2年かかります。 イチからつくり直していいのであれば、 半年でやります」と。 糸井 かっこいいだろう? ── 糸井さんは、それを聞いてどうでした? 糸井 もう、「お願いします!」なんだけど、 正直いって、そのときはまだよくわかってないんだよ。 岩田 で、私は、 「とりあえずちょっと動かしてみます」ということで そのときにできていたデータを持ち帰るんですね。 それで、たしか1ヵ月後ぐらいに、 マップがスクロールして動くようなところまで組んで 糸井さんたちに見せたんです。 そしたら、みんな、ものすごく驚いてくれたんですよ。 糸井 もう、びっくりしちゃった。 「う、動いてるぅっ!」って。 ── それくらい行き詰まってたんですね、開発が。 岩田 みなさんが異常なテンションで驚かれるもんですから、 私は逆にものすごく不思議なわけです。 いや、ふつうのことしただけなんだけどな、って。 糸井 その「ふつう」が、ずっとできてなかったんだよ。 おそろしいところにいたねぇ、いま思えば。 そこからは、みんなが岩田さんを頼りにしてね。 実際に半年でぜんぶ動くようになったんだよ。 ── 『MOTHER2』の開発期間って ぜんぶでどのくらいなんですか? 糸井 どのくらい‥‥でしたっけ? 岩田 えーっと、開発をはじめてから丸5年くらいですね。 ── 岩田さんがいなかったところも含めて。 岩田 そう、ぜんぶで5年です。 私がいない4年間があって、 最後の1年だけ、お手伝いしたんです。 ── んん? いま、あらためて気づきましたけど、 岩田さんが入ってからは1年なんですね。 糸井 そうだよ。速かったよ。 岩田 でも、個々の要素はできてましたから。 グラフィックもできてたし、 シナリオもサウンドもある程

日本を代表するコピーライターの糸井重里さんが企画・ゲームデザインしてカルト的なヒットとなった『MOTHER』。その続編として制作された『MOTHER2』ですが、優秀なスタッフを集めたにもかかわらず開発が難航してしまい、4年を費やしても完成は程遠くプロジェクトが頓挫しかかっていました。

その立て直しのために外部からの助っ人として招聘されたのが、HAL研究所の岩田聡社長でした。

岩田聡社長はご存知の通り、後に任天堂の代表取締役社長となりニンテンドーDSやWiiを誕生させたゲーム界のレジェンドの一人です。2015年に55歳というご年齢で惜しくも亡くなられました。

なぜ、任天堂元社長・岩田聡は革命を起こせたのか? 実践していた“面談術”とは
1889年創業の老舗企業ながら業界をけん引し続ける任天堂。コロナ禍の巣ごもり需要の追い風を受け、家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」、ゲームソフト「あつまれどうぶつの森」「桃太郎電鉄」などを筆頭に業績を伸ばしています。同社には、その成長を語るうえで欠かせない人物がいます。その人物こそ、今から20年余り前、同社がソニーとのゲーム機戦争で苦戦していた時期に社長に就任した岩田 聡氏です。岩田氏とはどんな人物であり、任天堂やゲーム業界をいかにして変えていったのでしょうか。同氏が大切にした面談術から、その人柄と組織改革の本質が見えてきました。

HAL研究所でも社長を務めながら現役のプログラマーとしてもバリバリに活躍していた岩田聡さんは、MOTHER2の開発状況を見てこう言ったそうです。

「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」

カッコ良すぎますよね。

そしてその言葉通り、半年で通しで遊べるように作り上げてしまい、さらに半年をかけてブラッシュアップして完成させてしまったのです。

開発5年のうち、4年を費やしても完成に至らなかったプロジェクトが、岩田聡さんが入って1年で完成させてしまうという偉業について、岩田さんのコメントがとても謙虚で素晴らしいんです。

でも、そういう意味でいうと、過去の4年間があればこそ、『MOTHER2』なんです。あの味は、1年で即席でつくったら出ないですよ。過去の4年が無駄だったわけではまったくなくて、悩んだ人たちの試行錯誤はぜんぶゲームのなかに活きてます。

つまり、ただの神です。


追記:

『MOTHER2』の開発に参加するにあたって岩田さんがメインプログラム以上に力を注いだのが、開発支援ツールだったそうです。

【田中圭一連載『MOTHER』編】任天堂を動かした、糸井重里の熱意「なぜ俺はゲームを作ってない!」――本職の「言葉」、岩田聡の「突破力」が生んだ、後世語り継がれる傑作
1980〜1990年代というゲーム業界の「青春期」に大奮闘したゲームクリエイターたちの、熱くて、若くて、いきすぎた思い出を田中圭一先生がたずねる『若ゲのいたり〜ゲームクリエイターの青春〜』。第五回は、80年代のファミコンを代表する傑作RPGの1つ『MOTHER』の生みの親・糸井重里さんをゲストにお迎えしました。現在「ほぼ日」でさまざまなコンテンツを生み出している糸井さんが、コピーライターとして精力的に活動していた80年代後半、ゲームを作ろうと思い立ったきっかけとはなんだったのか? そして、ゲームを通じて出会った人々と、どんな日々を過ごしたのか……?ボクらの心を熱くした名作ができるまで──田中先生を前に糸井さん自らが明かしたエピソードを、16ページの大ボリュームでお届けします!

もともと『MOTHER2』には優秀なスタッフは集まっていたので、そのスタッフをいかに有効に動かすかということが重要だったのだと思います。 

0 件のコメント:

コメントを投稿