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結婚式場の運営などを手掛けていた小野写真館(茨城県ひたちなか市)は、コロナ禍で大きなダメージを受けました。事業の見直しを迫られる中、伊豆半島の高級旅館「桐のかほり 咲楽(さくら)」をM&Aで取得し、新たな相乗効果を生み出すことに成功します。小野写真館2代目の小野哲人さん(46)、旅館のオーナーだった萩原良文さん(71)に話を聞きました。
写真より起業家にあこがれ
――家業にはどんなイメージを持っていましたか。 子供のころは仕事場と自宅が一緒で、フィルムを現像する暗室が身近にありました。現像液は臭いし、悪いことをすると真っ暗な暗室で反省させられたので、家業にはとてもマイナスイメージを持っていたのが本音です。長男でしたが、両親から家業を強制されることはなく、継ぐ気は全くありませんでした。私自身は起業家へのあこがれがあり、大学卒業後しばらくは外資系の金融会社で働いていました。 ――その後、小野写真館に入社し、2010年に社長に就任しました。 26歳ぐらいのころ、母がふと、自分の前で涙をぽろっと流しながら「このままいったら写真館はだれも継ぐ人がいないし、どうなっちゃうんだろうね」とこぼしたことがありました。 私に継がせようというつもりはなかったと思いますが、「これもやっぱり縁なのか」と継ぐことを決めました。
倒産寸前の家業に入社
――05年に入社したころの経営状況はどうでしたか。 客観的にみて倒産寸前でした。赤字が続いて債務超過で、売り上げの倍の借金があり、いきなり事業再生みたいなことに取り組みました。当時の小野写真館は、七五三や成人式に結婚式、学校の卒業アルバムの撮影と、写真の総合デパートみたいに何でもやっていました。はたから見ると、何が特色で強みなのかわからない。これが良くなかった。 価格競争に陥り、お客さんはたくさん来ているのに赤字でした。
下請けから川上の事業へ
――そこからどう立て直したのか教えてください。 当時はカメラがフィルムからデジタルに変わる過渡期でしたが、小野写真館は早い段階でデジタル化に踏み切りました。フィルム代と現像のコストがなくなり、かなり利益が増えた。これは運にも助けられた部分です。同時に下請けの仕事をやめて、自分で価格決定ができる「川上」の事業をやろうと決めました。結婚式の写真撮影も当時からやっていましたが、下請けとしてホテルでの挙式に組み込まれていて、うちがどれだけ写真を撮りたいといっても受注が増やせない状態でした。そこで我々が川上にたって、自分たちで結婚式の事業を作ろうとなりました。 土地を担保になんとか銀行からお金を借り入れ、06年に結婚式から衣装レンタル、写真撮影まで一括で提供するサービスを「アンシャンテ」というブランドで始めました。当時、写真スタジオだけだと市場規模は多く見積もっても1千億円でしたが、ブライダル業界は2兆円と言われていました。 小野写真館の中で小さくやっていたブライダルフォトを抜き取ってブランド化し、隣接するブライダル業界に参入することで、大きく事業を拡大できると考えたんです。 結婚式場の取得も進め、東京や神奈川にも店舗を展開し、ブライダル事業は成長して経営の柱となりました。会社全体の年間売上高は、私が入社してから約15年で8倍ほどに増え、19年9月期は約16億円となりました。
コロナ禍で事業が「総崩れ」に
――コロナ禍ではどんな影響を受けましたか。 それまでは、写真館とブライダル、振り袖のレンタルという三つの事業を主にやっていました。伸びている事業があればその余力で他の事業に投資したり、調子悪い事業を他でカバーしたりして、結果的には10年連続で成長を遂げていました。 世の中で何かあっても、三つの事業のうちどれかは稼げるから、自分としてはいいポートフォリオだと思っていたのです。でもそれが、コロナ禍では総崩れしました。 20年の4~5月は、結婚式がほぼ全組、延期か中止になりました。フォトスタジオや振り袖の事業も、緊急事態宣言を受けて店舗を閉めました。この時期の売り上げは前年比で8割減です。ここまでの影響が出ると、会社をゼロから作り直さなければ、本当にまずいという危機感を覚えました。
生き残りのためM&Aを決意
――業績回復の見通しはあったのでしょうか。 フォトスタジオは、店舗が開ければ売り上げが戻ると思いました。ただ、人が集まって密になる結婚式への影響は、思った以上に長引くのでは、と感じました。 なので、新しい売り上げを生み出す事業を作らないといけない、と早い段階で考えました。ただ、それをゼロから作るのは難しいし、時間もない。そこで2020年6月ごろ、M&Aに踏み切ることを決めました。 ――思い切った決断にも見えます。 最初はコロナを恨んで、悶々としていました。振り返ると、20年春の売り上げが2~3割くらいの落ち込みだったら、何とかなると思って、大きな決断はしなかったかもしれない。ただ実際は8割減という、見たくもない数字を見るしかなく、何もしないまま時間が過ぎたら、本当に会社がつぶれるという恐怖もありました。そこまで突きつけられて落ち込んだことでふっきれて、社長の自分しか会社を変えられない、と覚悟を決めました。
M&Aサイトを見てひらめく
――2020年10月に、静岡県河津町の高級温泉旅館「桐のかほり 咲楽(さくら)」をM&Aで取得しました。どのようにして見つけたのでしょうか。 M&Aをしようと決めたものの、最初から旅館に対象をしぼるつもりはありませんでした。まずはM&Aの仲介サイトを見ながら、小野写真館と組み合わせて新しい事業に昇華できるところがないか、広く探していました。すると「4部屋しかない静岡県の高級旅館」といった趣旨のキャッチコピーが目に止まったのです。コロナ禍で世の中が変わる中、自然豊かな伊豆半島の小規模旅館は非常にプラスになると、見た瞬間に思いました。 4部屋だけなら、旅館を親族だけで貸し切って小規模な結婚式ができます。還暦祝いや七五三など、3世代で宿泊する需要も作り出せます。ウィズコロナの時代にあわせた、祝いのアップデートができるとひらめきました。仲介サイトには毎日何百という情報が流れてきますが、この旅館は運命的な感じがして、直接見たいとすぐコンタクトをとり、7月初めに足を運びました。 ――実際に訪れてみての印象はいかがでしたか。 旅館は海沿いの国道からすこし上がった高台に位置していますが、敷地に入ってまず気持ちが高ぶりました。ちょうど庭みたいなスペースがあり、まさに10~20人くらいのガーデン挙式にぴったりでした。そのあとオーナーの萩原さん夫妻とも話をして、とてもすてきなお二人だったので、絶対この旅館を事業にしたいという最終結論が、このときには出ていました。コロナを受けて、政府系金融機関から多めの資金調達をしていたので、すぐM&Aに踏み切れるだけのキャッシュもありました。
後継ぎ不在で譲渡先を模索
――ここからは、旅館のオーナーだった萩原良文さんにも伺います。どのような経緯で咲楽を始めたんでしょうか。 元々は会社員でしたが、安定した事業を次の世代に残せればと思い、55歳で退職して06年に地元で咲楽を始めました。建物は企業の保養所として使われていたものを取得。当時はすでに団体旅行が減っていたので、個人旅行向けに改装しました。客室数を10から4に減らし、部屋には海が見える露天風呂をつけました。たった4室でも、質が高くゆったりしてもらえる旅館を目指しました。多くの人に気に入ってもらえ、お客さんの3割くらいはリピーターでした。 ――なぜ事業譲渡を考えるようになったのでしょうか。 当初は開業から10年が過ぎたら、宿の運営を息子たちに引き継ぎたいと思っていました。でも、家族経営の旅館というのは、世間が休みの時に仕事をしなければならず、朝から晩まで非常に忙しい。息子たちからは「自分の子供との時間を大切にしたい」と言われ、引き継ぎは断念しました。苦渋の選択でしたが、息子たちの人生を尊重したかった。 その後は悩みながら営業を続け、一時は廃業も考えました。でも支えてくれているリピーターのことも考え、私たちの意思を継いでくれる人に事業を譲りたいと思い、銀行や不動産屋に相談していくなかで、M&Aの仲介会社に出会い、サイトで情報を発信するようになりました。
旅館を託すことを決めた理由
――小野写真館の他には、どんな引き手があったのでしょうか。 当時は他に3件のオファーがありました。全国で旅館業を手がけている専門の会社、旅館をテレワークの拠点にしたいという物流会社、脱サラした若い夫婦からでした。小野社長が来たときは、「どうして写真館が宿を使いたいんだろう」と不思議でした。すると、写真と宿泊を掛け合わせた「祝いの宿」として活用したいと提案されました。 咲楽では以前から、家族の還暦祝いなどで使ってもらえる機会がしばしばあり、小野社長なら、咲楽をうまく活用して発展させてくれると思いました。コロナ禍のなか、スピード感をもって前向きに挑戦する熱意に打たれ、咲楽を託すと決めました。旅館の従業員6人は引き続き雇用してもらい、私は運営から退きました。 ――譲渡をした後の感想はいかがですか。 21年2月に、咲楽の庭で最初の貸し切り結婚式が開かれました。新郎新婦とその親族の計10人が2泊3日で滞在し、親族だけの会食や写真撮影を楽しまれました。一生に一度の場面にこの地が選ばれ、みなさんが喜んでいる様子を見て、本当に感激しました。最初に譲渡を考えたときは、4室だけという小さな規模は不利な条件ではないか、と心配でした。でも小野社長には「その規模感がちょうどいい」と言ってもらい、観光だけでないプラスアルファの価値が加わりました。マイナスだと思っていたことが実は逆で、こうして活用してもらえているので、譲渡をして本当によかったと思います。
写真×旅館で新たな収益
――再び小野写真館の小野社長に伺います。咲楽の取得によって経営上どんな手応えがあったと考えていますか。 20年10月に旅館の営業を始め、滑り出しは好調でしたが、21年の年明けからは、また緊急事態宣言になって多くのキャンセルが出ました。旅館業だけで見ると、まだ赤字の月があるのが現実です。ですが、咲楽を拠点に始めた「アンシャンテ伊豆」というフォトウェディング事業の売り上げを合わせると、黒字化が見込めています。 伊豆半島のこのエリアは河津桜や海などの自然に恵まれ、フォトウェディングには絶好のロケーション。競合他社もいません。フォトウェディングを担当していた従業員3人を現地に派遣し、咲楽の中でメイクや衣装の着替えができる環境を整えました。旅館を一日貸し切り、伊豆半島の自然をめぐって撮影する日帰りのプランを打ち出したところ、横浜など他の店舗でも紹介したおかげもあり、売り上げが思った以上に伸びています。コロナ禍の最低の時期でも収益を生む形が作れたので、旅館の宿泊がもう少し戻ってくれば、非常にいい形で収益を上げていけると思います。
中小企業のスピード感を武器に
――21年6月にはさらなるM&Aを実施しました。 ウェブメディア運営などを手がけるポーラスタァ(東京都港区)から、「BABY365」と「UCHINOKO Diary」という二つのアプリ事業を取得し、運営できるようにしました。赤ちゃんやペットの写真をユーザーが日々記録しておくと、1年分の写真が高品質なフォトブックに製本できるというサービスのアプリです。これは、小野写真館が店舗でやっていた事業モデルが、非接触のオンラインに変わったものと言えます。それまで小野写真館のグループの売り上げはすべて店舗からで、接触型のビジネスモデルが100%でした。 それゆえに、コロナ禍では売り上げ8割減という事態を招いてしまいました。今後に備え、非接触でも自動的に上がってくる売り上げを増やし、会社がどうなっても雇用を守っていけるようにしたい、というのがM&Aの狙いです。 ――いずれものM&Aも、非常にスピード感がある印象です。 トップが判断して1秒後には行動に移せるのが、我々のような中小企業の良さです。リスクはありますが、今はコロナで世の中のルールが大きく変わって再起動するような状況です。何かを変えきって本当に会社を成長させるには、これ以上ないチャンスだと思います。ご縁があって「これだ」という情報がまたあれば、すぐ次のM&Aに動きたいですね。
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