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2021年08月06日 10:32 朝日新聞デジタル
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写真 自らの胎内被爆を語る的山ケイ子さん=2021年7月21日、千葉県我孫子市 |
【千葉】長崎の原爆で胎内被爆した千葉県我孫子市の的山ケイ子さん(75)は今夏、1人での語り部活動を始めた。語り部活動を続けていた同市原爆被爆者の会は、高齢化で戦後75年の昨年度、活動に区切りをつけた。1人でも続けるのは「原爆と戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えるために生き残らされている」と感じているからだ。
今年7月。的山さんは我孫子市役所で中学生と向き合った。
長崎に原爆が落とされた1945年8月9日、爆心地から約2・4キロ離れた自宅にいた母トシ子さん(当時23歳)のおなかの中にいた、と自己紹介。翌9月24日に生まれたが、生後約1週間で首から上が紫色に腫れ上がったという。
「おっぱいは魔法の薬、神秘の液体とも言われるが、私の場合は『悪魔の毒薬』だった」。中学生にはこう語りかけた。
聞き手の中学生は、市の被爆地派遣事業のメンバーだ。今年は12人が8月9日から広島に行く。その1人、同市立湖北中2年の植田ひなたさん(13)は、熱心にメモを取り、「とても大変な思いをしながら一生懸命に生きてこられたんだとわかった」と話した。
◇
的山さんが自らの被爆を知ったのは、小学校5年生の時だ。米国の原爆傷害調査委員会(現・放射線影響研究所)の調査を受けた時、母から聞いた。「クラスに同じような子がいないか、周りの動きを気にしていた」という。
63歳で小学校教師をやめた後、市原爆被爆者の会に参加。しかし、約160人いた会員は高齢化で21人に減った。昨年度、最年少の的山さんが最後の会長となり、会の活動に区切りをつけた。
両親はがんで死去し、自身もがんの手術を受けた。被爆者の会の前会長は白血病で亡くなった。「自分も同じようになるんじゃないか。みんな同じ不安を抱えて生きている」
胎内で被爆した的山さんには原爆そのものの記憶はない。それでも、「被爆した最後の世代。語り継ぐ使命がある」と話す。(大久保泰)
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