https://bizhint.jp/report/843491
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静岡県浜松市のお土産の代表格である「うなぎパイ」。“夜のお菓子”というキャッチフレーズとともに、全国のお土産の中でもトップクラスの知名度を誇ります。製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」には、工場見学の先駆けともいわれ、年間で最大70万人が訪れたそう。堅実な経営をしているようにみえる同社ですが、4代目・山崎貴裕社長は「ある危機感」を覚え、10年以上の歳月をかけて社内改革を進めています。その危機感の正体とは?100年以上の歴史をもつ老舗企業の変革の過程を伺いました。
有限会社春華堂/株式会社うなぎパイ本舗
代表取締役社長 山崎 貴裕 さん
1974年静岡県浜松市生まれ。1998年国士舘大学政経学部卒業。在学中より節句人形の老舗卸売りメーカー有限会社人形の甲世で修業に入る。2001年、春華堂入社。企画室長を経て2017年、同社代表取締役社長に就任。
「うなぎパイ」右肩上がりの成長の裏に生まれた“弊害”
山崎貴裕さん(以下、山崎): 当社は、創業者である山崎芳蔵が和菓子店として設立したのが起源です。うなぎパイは、二代目社長だった私の祖父(山崎幸一氏)が、浜松ならではのお菓子を作ろうと考案した商品となります。1961年(昭和36年)に売り出して以来、高度経済成長期とともに出張者の手土産として全国に広まっていきました。
そして、この波に乗り遅れるなとばかりに営業を拡大。高速道路のパーキングエリアや電車の駅の売店など、様々なお土産ショップに一気に営業をかけていった経緯があります。そうして会社も文字通り“うなぎのぼり”で成長してきたんです。
昭和36年の発売より、一つひとつ丁寧に作り上げているそう。バターと厳選された原料に、うなぎエキス、ガーリックなどの調味料をブレンドした銘菓
山崎: 私が当社に入社したのは2001年。うなぎパイの売り上げは40億ほどで右肩上がりでした。2005年には、うなぎパイの製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」をオープン。初年度は、来場予想の3倍にも上る年間30万人のお客様がご来場くださり、工場見学施設の中でも異例の「収益が出せる施設」としても評価をいただきました。
しかしこのプロジェクトを進めるにあたって、ある違和感を覚えたんです。それが 「会社には思っている以上にお金がない」 こと。「会社から出せるキャッシュはこれくらいなので、あとは銀行から借り入れしてください」といった具合で、売り上げは伸びているのに、想定より社内にキャッシュがないことが引っかかりました。ただ、周りを見ても、そこに課題感を覚えている人がいなかった…。
だから、周りから少しずつ情報を集めながら、原因を調べていったんです。そこでわかったことがありました。
それが、うなぎパイ以外の和菓子事業と洋菓子事業(和洋菓子部門)が足を引っ張っている原因であること。当時は今よりも簡素な決算書で、細かい数字を見ていくことができなかったので、自分の信頼する右腕と、会計事務所の力も借りながらあらためて整理していったところ…。和洋菓子部門であわせて毎年4~5億の赤字をだしていたことが判明したのです。 ほとんど採算のとれていない状態が、もう何年も放置されてしまっていた。
――そのような状態が、なぜ何年も放置されていたのでしょうか?
山崎: 一言で言えば「うなぎパイは売れていたから」。最初に申し上げた通り、うなぎパイはまさにうなぎのぼりの成長でした。それは、もっと売るための営業活動に注力していたからこそ。当時はそれでよかったんだと思います。しかし、管理体制が変わることなく会社が大きくなったことで、他部門の状況に気づけないような体質になってしまった。
当時、すごく驚いたことがあるんですよ。新商品のお菓子の販売価格を「これは100円でしか売れないよね」「こっちは150円くらいかな」などと、 “感覚”で決めていたのです。原価計算もだいぶずさんだったり、明らかに人件費が入っていない価格で値決めされていることもあったり。こういうことの積み重ねで、やればやるほど赤字になってしまったというわけです。
――和洋菓子部門から撤退し、うなぎパイ事業に絞るといった選択と集中は検討されなかったのでしょうか?
山崎: よく驚かれますが、そのつもりは毛頭ありませんでした。それは、当社がお菓子屋としてこの地域で育ててもらった会社ですし、和菓子・洋菓子で合計30名もの職人が在籍しており、その人財を活用したかったからです。ですから、 和洋菓子部門の赤字を解消して復活させるしか選択肢はありませんでした。
そしてもうひとつ。 「より強固な会社にしたい」 と考えていました。もしうなぎパイという大きな柱が倒れてしまっても崩れないよう、第二、第三の柱を作りたい。その役割を担うのが、和洋菓子部門だと。
うなぎパイに頼らなくても、お菓子屋として愛される企業になる。そして、旧来の組織体制から脱却して、時代が変わっても生き残れる会社になろう。安定経営の会社を自分たちで作りあげることが、4代目を担う私の役目だ、と。そんな覚悟を持ちました。
「なんとなくの経営」から「数字管理」と「遊び」両輪の経営に
山崎: とにかく必要だったのは、 「なんとなくの経営」からの脱却 です。赤字部門を解消するためのコスト管理はもちろん、改善すべき点はほかにもありました。
当時の運営としては、営業は売りたいだけ売ってきて、製造部門は生産計画もなしに作れるだけ作るような状況。そうではなく、お互いがきちんと連携をとり、生産管理や販売計画を立てる。売上予測がわかるようになればコスト削減に繋がりますし、従業員の働きやすい環境もつくれるはず。だからこそ、 「なんとなく」ではなく「数字管理」の経営にシフトしていくことが必須 だと考えました。
しかし、うなぎパイのおかげで売り上げは伸びているため、現場には危機感がありません。ある日突然「数字で管理しましょう」と言っても聞き入れてもらえないでしょう。だからこそ、従業員一人ひとりの意識改革をセットで進める必要があったのです。
それが顕著だったのが製造現場ですね。彼らは「美味しいものを一生懸命作る」が最優先で、儲かっているかどうかは自分たちが考慮すべき点ではないと考えていた気がします。「いい原材料を使いたいです!」とよく言われましたが、コストに見合っているかは検討していなかったようですね…。
今までの状況を考えたら仕方なかったのかもしれません。しかしこれからは、自分たちの給料の源泉は何であって、会社の売り上げ目標はいくらなのか。その目標を実現するために、自分たちは何をすべきなのかを考える。 そうした発想を持てるよう変えていくことが、会社の責任 だと思いました。
山崎: 一方で、絶対に忘れてはいけないものがあるとも考えました。それが 「遊び心」 です。
――「遊び心」ですか。それはなぜでしょう?
山崎: 春華堂は「お菓子屋」だからです。お菓子は人を笑顔にするべきものであり、当社では創業当時から、お菓子を通して関わる人すべてに幸せを感じてもらいたいという想いがあります。
数字で管理していくことはもちろん大切です。しかしこの遊び心を忘れてしまっては、きっと多くの方に愛されるお菓子作りを続けていくことは難しいでしょう。 仮に採算が合わなかったとしても、そこに「意味」や「志」を見出せる施策であれば実行する。そんな遊び心を忘れない企業でありたいのです。
だからこそ「数字管理」と「遊び心」、両輪の経営を目指したいと考えました。
老舗企業を変革に導いた「3つの仕掛け」
――では、具体的な施策内容について教えてください。
山崎: はい。私が進めた社内改革は、大別するとこの3つに集約できます。
- 組織の刷新、責任所在の明確化
- 方向性の共有
- “横のつながり”の醸成
1. 組織の刷新、責任所在の明確化
山崎: 私が入社した当時、トップダウンの組織というわけではなかったのですが、当時の社長、専務、常務、工場長の四つ巴状態になっていました。役員同士が顔を合わせるのは月に一度の月例会のみ。製販の連携がまったく取れておらず、それぞれがよかれと思ったことを進めている状況でした。また、うなぎパイの製造部長が3人いたこともありまして…正規の部長が3人横並びという、不思議な組織図だったんです。 組織のピラミッドが中途半端では、誰の指示を仰げばいいのかわかりませんし、現場従業員が混乱します。
そこで、組織のトップは「社長」ということを打ち出し、指揮命令系統をはっきりさせるという意味で役職ごとの権限を明確化しました。
そして、社内の活動を経営数字に結びつけるためには、経営の意思がスムーズに伝わる組織体制が必要です。月例会のほかに製販一体型の会議をもう1本増やし、自分のもとに製造部を置きました。そして企画部門を新設して、そこで値段と商品をコントロールできるようにすることで、赤字の原因を少しずつなくしていく体制を整えました。
2. 方向性の共有
山崎: 組織の動かし方について学んだのは、日本青年会議所(JC)の浜松支部で理事長の役を拝命したときです。
JCは、さまざまな企業から集まった若手のリーダー層で構成されています。自分の今置かれている立場や価値観の異なるメンバー同士ではありますが、毎年スローガンを掲げて共通認識をもち、その方向に向かって行動計画を作成し、社会奉仕活動を行います。
当社に所属している従業員は、製造から営業、店舗のオペレーションまで職種が多岐に渡ります。高卒から大院卒、経験者まで、従業員のバックグラウンドもさまざまです。しかし、会社の方向性や方針を明確にする・共有する機会はありませんでした。
JCのやり方を当社にも活かすことで、組織全体の意識改革に寄与するのではないかと考え、 会社の方向性の共有として、毎年「スローガン」を掲げることにしました。 これは新年会の場で発表しています。
一人ひとりが変れば会社は変わるというメッセージを込めて、初年度のスローガンは 「変革」 としました。「変革」の第一歩として「全従業員が社内においても挨拶できるようにすること」を目指したのですが、それを達成するのに3年もかかってしまい… 何かを変えていくには、それだけ時間がかかることを学びました。 だからこそ、翌年は「連・変革」とし、もう一度「変革」を掲げています。「連」には、もう一回続けようという意味と、横のつながり・従業員同士の手と手のつながりといった意味も込めました。
春華堂が毎年掲げているスローガンの一覧。毎年少しずつブラッシュアップを重ねているのだとか
山崎: また、「スローガン」として会社としての思いや方向性を打ち出すだけでなく、 それに沿った事業計画を各部署に作成してもらっています。 最初は営業部と製造部からはじめて、2014年頃には全部署に展開し、全社のスローガンから落とし込んだ各事業部の経営方針を発表する機会を設けるようになりました。
――各事業部で事業計画を作るということですが、最初からすぐに対応できたのでしょうか?
山崎: それまで当社には、昨年度の結果を振り返ったり、年度の計画を立てたりする機会がなかったんです。だから、事業計画を立てるのは大変だったと思いますよ。言われたからとりあえず作ってみた…という意識もあったかと。「何のためにその数字を掲げたのか」「意味のある目標なのか」「その計画内容は本当に正しいのか」などと伝え続けていく中で、徐々に現場の意識も変わっていきました。 目標をクリアすることに貪欲になったり、周りに迷惑をかけないよう、より綿密な計画を考えたりといった、行動の変化がみられるようになった のです。
そのうち、数字だけでなく、どういう商品を開発してどういう販売戦略を練り、どんな人材育成をすればよいかなど、 経営層や所属長たちと一緒になって部門ごとの事業計画を考える風土ができてきました。 部門ごとに戦略部分を考え、社長が最終決断する。こうした組織になってきてから、各部門の取り組みが1つの線でつながり、足し算になって積み重なるようになりました。
大打撃を受けたコロナ禍においても、どういった形で会社を存続させていくのが最善か、各部署が即時にシミュレーションを行って提出してくれたことで、迅速な判断ができました。過去と比べて、本当に強い組織になったと感じています。
3. “横のつながり”の醸成
山崎: また、部門間を超えた連携の強化として、横断的なプロジェクトを立ち上げ、さまざまな部署の従業員が関われるようにしています。これは派閥を作らないという目的もあって、普段なかなか話す機会のない人とコミュニケーションが活性化されますし、 自分たちの部署だけでなく他の部署も含めて幸せになる「全体最適」を目指した取り組み です。
――具体的には、どんなプロジェクトが発足したのでしょうか?
山崎: ここ近年の一番大きなプロジェクトが 「SWEETS BANK(スイーツバンク)」の設立 です。スイーツバンクとは、当社の本社機能のほか、直営店であるSHOP春華堂があります。うなぎパイ以外の和洋菓子も豊富に取り揃えており、ほかにもカフェ&ベーカリーやコミュニティスペースも設置された、地域のシンボルとなる文化的価値創造拠点です。
家族団らんの象徴であるダイニングテーブルを13倍にスケールアウトし、非日常の空間へいざなう複合施設となっている
山崎: このスイーツバンクは、先ほど申し上げた「遊び心」の集大成ともいえます。本施設は、外観のみに留まらず、内装の細かい部分にまで強いこだわりを持って作られています。正直、数字だけを突き詰めたら、本社施設にそこまで力を入れなくてもよかったかもしれません。しかし私は「足を運んでくれた人にガッカリしてほしくない」と思うのです。 「来てよかった」「楽しかった」そんな気持ちを感じてもらうために、遊び心をとことん詰め込みました。
立ち上げには、デザイナーやシェフはもちろん工場の現場従業員など、階層に関わらずさまざまな部門からメンバーが参加しました。やる気のある若手従業員がいたら、入ってもらうようにもしています。他業種や地域を巻き込むプロジェクトを推進するなかで、マネジメント能力も磨かれていきますので。
今では、こんなにやらなくてもいいんじゃないかと思うくらい(笑)、毎年、新たな企画が生まれ続けています。そうして事業が増えていき、従業員数も500名近くに。先ほどお伝えしたようにさまざまなレンジの従業員がいますので、共通した言葉が必要だということで評価制度も刷新しました。外部の講師をお呼びして、役員と所属長と課長クラスの実務者と……何か月もホテルに缶詰めで作ったのですが、こうした時間も横のつながり作りに活きています。
――社内の改善に取り組んできて、和洋菓子事業の状況はどのように変わりましたか?
山崎: 2013年から5年で赤字を解消しようと目標を立てて取り組んだのですが、 結果的に4年で黒字化できました。 和洋菓子のブランドを1つずつ立ち上げ、東京にも拠点を持つなどして、うなぎパイ以外の事業がどんどん拡大しています。
今はまだうなぎパイの売り上げが事業全体の8割を占めますが、今後はうなぎパイの売り上げは落とさず、その他の事業の売り上げ比率を高めていき、10年後には半々になるようにしていく計画です。
よりよい状態でのれんを渡せるように、ブレずに言い続けることがリーダーの役目
――会社が良い状況に向かっていることがわかりますね。
山崎: そうですね。ただ一方で、新しい課題も生まれていて…。和洋菓子部門の拡大はじめ、幅広い事業を行っていくためには、経営陣に近い感覚を持った人材が必要不可欠です。だからこそ、 今後の組織を牽引するリーダーやマネジメントを担える人材の育成・獲得に注力していくべき だと考えました。
ありがたいことに当社は、自社サイトだけの告知で70~80人の応募が来ます。それはうなぎパイや春華堂のブランドがあってこそなのですが、どちらかというと安全志向の人が多い印象がありました。しかし今必要だと考えているのは「安全志向」より「チャレンジ志向」の人材。「老舗」「安定経営」といった従来の強みでは、こういった人材は当社に来てくれません。
そこで2022年に採用サイトを一新。「本気」や「個性」といったキーワードを前面に押し出し、経営者マインドを持って自ら取り組めるような人に刺さるようなメッセージにしました。2023年の4月には、実際に採用候補者の中に経営学部の人が増えました。面接の場などでマネジメントやマーケティングといったフレーズを聞くようになり、一定の成果を感じています。
引用:春華堂リクルート
――最後に、山崎社長が考える「リーダーの役割」についてお聞かせください。
山崎: 思い起こせば私の大学時代。老舗の人形屋で修業したことで、春華堂の4代目になる覚悟を持てました。商売について教えてもらい、家業を継ぐ意味を教えてもらい、「あぁ、私は先代からのれんを預かっているのだ。少しでも高い位置に掲げて、5代目へ渡せるようにしよう」と思えるようになったのです。
会社を守り抜くため、変えなければいけないことがたくさんありました。家業に戻ったころは、陰口を叩かれたことも一度や二度ではなかった。それでも、どういう方向に変わっていくべきかを、社長は自分の言葉で従業員に説明しなければいけません。
もちろん、翌日すぐに変わるわけでもありませんから、 1年、2年とかかったとしても言い続けること。ビジョンを掲げ続けること。そうしてブレずにいることが、この激動の時代を生きるリーダーの役目ではないか と思います。
(取材・文:菅原岬(浜松PR) 撮影:市川瑛士(GRAPHYS) 編集:櫛田優子)
この記事についてコメント(5)
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大東亜戦争の直後からの浜松の住民ですが、「ふるさと」とともに「うなぎパイ」も親しい地場特産品でした。が、うなぎパイの長さが時代を下るにつれてどんどん短くなっていった事は気になる所です。数字の上での値上げを回避するために量目を減らしたのかと忖度、やや寂しい思いもします。
2024年01月16日 4 -
学生時代、高速道路のサービスエリアの売店でアルバイトをしていました。もっとも売れたのば「うなぎパイ」でした。それ以来、夜のお菓子が気になっていましたが、ここ数年で、工場見学、ニコエなど身近に感じられる春華堂になってきたのは、社長の経営改革にあったのだなと納得しました。最近、ひょんなことから春華堂社員の方と知り合いになりみなさん、ほんとに活き活きと仕事を楽しんでおられる姿を拝見し、社員のやる気を引き出すことに成功されているなと思いました。鯉のぼりのような、空を泳ぐ「うなぎのぼり」を作っていただき、売り出したら、あやかりたいと売れるのではないでしょうか。
2023年11月02日 7
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