https://wired.jp/article/camera-inspi
生物の網膜から着想を得て開発された「イベントカメラ」という技術がある。輝度の変化を検知して座標、極性、時間からなるイベントとしてデータを出力できるカメラで、高時間分解能と低消費電力が特長だ。その特性ゆえに動く物体の追跡に優れている反面、動作が多くなるにつれ鮮明な映像の撮影が難しくなるとされている。こうした欠点は、カメラからの視覚情報を基に状況の変化に対応するロボットや自律走行車にとって死活問題になりうる。
この課題を克服するためにメリーランド大学の研究チームが考案したのが、人間の眼球のメカニズムを模倣した新たなカメラの仕組みだ。「人間や動物はどうやって動くものを目で追っているのか。そこにヒントがあると考えました」と、博士課程でコンピューター科学を研究するフー・ボータオ(何博涛)は説明している。
フーらの研究チームは、人間の眼球が視点を固定するために高速で跳躍的に動く原理を応用して、物体をブレることなく鮮明に撮影できる「人工マイクロサッケード強化イベントカメラ(AMI-EV)」を開発した。この新たなメカニズムは、カメラからの視覚情報に依存する多くの技術に革新をもたらす可能性が期待されている。
眼球の不随意運動を人工的に再現
マイクロサッケードとは、人間が物体を注視した際に起きる眼球の不随意運動(本人の意思とは無関係に起きる動き)の一種を指す。対象物に視線を固定している際の固視微動と呼ばれる眼球運動のうち、高速かつ跳躍的な動きをマイクロサッケード、もしくはフリックと呼ぶ。こうした微小な運動を繰り返すことで、人間の目は色彩や深度、陰影といった視覚情報に焦点を合わせた状態を維持している。
今回、研究者たちはカメラの内部に回転するプリズム機構を組み込み、マイクロサッケードを人工的に再現することに成功した。レンズから入ってくる光線を回転し続けるプリズムに反射させることで人間の自然な眼球運動を再現し、カメラが被写体のイメージを安定して捉えることを可能にしている。
研究チームによると、初期のテスト段階で人間の脈拍を検出したり、高速で動く物体の形状を認識したりと、さまざまな場面でAMI-EVが動体を捉える精度を十分に実証できたという。一般に販売されているカメラは平均で30fpsから1,000fpsのフレームレートでしか撮影できないが、AMI-EVは毎秒数万フレームの頻度で滑らかな映像を撮影できるとしている。
この発明はロボット工学における視覚技術を飛躍的に発展させる可能性を秘めている。「人間が視覚情報を通して世界を認識するのと同じように、ロボットはカメラからの情報をコンピュータで処理することで世界を認識します。カメラの性能はロボットの認識や反応の精度に直結します」と、メリーランド大学教授のイアンニス・アロイモノスは期待を寄せる。
より精密な画像の撮影や形状の検出を可能にする技術は、ロボット工学以外の分野にも革新をもたらすかもしれない。例えば、拡張現実(AR)技術の開発における没入感や、監視カメラによるセキュリティの信頼性、望遠鏡を通した天体写真の撮影能力など、カメラの性能が重要な役割を果たす分野は多岐にわたる。
なかでもAMI-EVの利点を最大限に生かせる分野のひとつとして研究チームが注目しているのが、ユーザーの動作情報を高速かつ正確に処理する性能が求められるスマートウェアラブル端末の開発だ。研究者のコーネリア・フェルミュラーによると、AMI-EVは従来のカメラより極端な照明条件での撮影能力に優れており、低遅延で消費電力も少ない。シームレスな体験を追求する仮想現実のアプリケーションに理想的な性能を備えている。
多くの分野においてカメラの性能向上は尽きることのない課題だ。例えば、自律走行車が道路上の人間を確実に認識できるかどうかは、極めて重要な問題である。AMI-EVは既存の問題を解決する鍵となるだけでなく、より高度なシステム開発への道を切り拓くきっかけとなるだろうと、アロイモノスは信じている。
(Edited by Daisuke Takimoto)
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