前回書いた通り、最近あのダイオキシンに「実はあまり大した毒性ではないのではないか」という説が浮上しています。ダイオキシンといえば言うまでもなく、多くの書物やニュースなどで「発ガン性・催奇形性・内分泌攪乱作用などあらゆる毒性を併せ持ち、12kgあれば日本人全員を殺せる史上最強の毒物」と騒がれていたはずの化合物です。果てはアトピーや「キレる子供」の原因といった根拠のない嫌疑までかけられており、おそらく現在最も嫌われ、恐れられている化合物といっても過言ではないでしょう。
ダイオキシンは農薬合成時などの不純物としてできる他、塩素を含む化合物を燃やすことによっても生成します。1999年、所沢近辺の産廃処理施設から発生するダイオキシンが付近の環境を汚染しているとして大きな騒ぎを起こしたのは記憶に新しいところです(これは後に判明した通り虚報でしたが)。さらに食塩と新聞紙を一緒に燃やすだけでもダイオキシンが発生することも実証され、近年では自宅での焚き火でさえ危険とされるようになってしまいました。
さてこれだけ騒がれてきたダイオキシンに、なぜ今になって「大した毒性ではない」という話が出てきたのか?一言で言えば、「動物実験では確かに強い毒性があった。だがダイオキシンで倒れた人間はほとんどいないではないか」ということです。
毒性と一口に言っても急性毒性、慢性毒性、発ガン性、生殖毒性、内分泌攪乱作用などさまざまな種類があります。このうち急性毒性は文字通り「どれだけ飲んだら死ぬか」という数値で、LD50という数値で表します。例えばある化合物のLD50が100mg/kgと言った場合、「体重1kgあたり100mg(60kgの人なら6g)の化合物を飲むと、その50%が死ぬ」ということになります。
ダイオキシンのモルモットでのLD50は0.6μg/kgとされます(μgは100万分の1グラム)。この数値を体重60kgの人間に当てはめれば致死量は36μg、つまり1gのダイオキシンは17000人分の致死量に相当することになります。多くの本に登場する「青酸カリの1万倍、サリンの17倍」という数値はこれが根拠と思われます。ただし、モルモットは化学物質に対し非常に敏感な動物であることが知られています。
というわけで他の動物でのデータを見ると、イヌのLD50は3000μg/kg、ハムスターでは5000μg/kgであり、これらの動物はモルモットより数千倍もダイオキシンに強いのです。ここまで種差の大きい化合物は非常に珍しく、これはなぜなのかまだわかっていません。というわけで単純にモルモットでの毒性を人間に当てはめるわけにはいかないのです。
人間でのLD50は当然測定するわけに行きませんが、人間はイヌやハムスターよりさらにダイオキシンに強いと考えられる根拠があります。今までに何度か事故などにより大量のダイオキシンがばらまかれたケースがありますが、これによる死者はほとんど出ていないのです。
最も顕著なケースは、北イタリアのセベソで起こった事故です。1976年7月、この町にある農薬工場で化学反応の暴走が起こり、推定130kgものダイオキシンが噴出しました。これは周辺数キロの範囲に飛び散って17000人がこれを浴び、しかもまずい対応のために避難が始まったのは事故から1週間が経過して、住民がたっぷりとダイオキシンを吸い込んでからになってしまいました。住民の血中ダイオキシン濃度は通常の2000~5000倍にもはね上がり、悲惨な事態を予見してイタリアのみならずヨーロッパ一円がパニックに陥りました。
ところが驚くべきことに、22億人分の致死量(モルモットでの数値)のダイオキシンが狭い範囲に降り注いだこの事故で、死者は一人も出ていません。奇形児の出産を恐れて中絶した妊婦もたくさん出ましたが、胎児にも特別な異常は見られなかったということです。出産に踏み切った女性たちの子供や直接ダイオキシンを浴びた住民たちはその後長い間追跡調査を受けていますが、体質によりクロロアクネ(吹き出物に似た数ヶ月で治る皮膚病)が出た人を除けば、病気の発生率・死亡率など特に異常は見られていません。
その他世界各地でこうした事故は何度か起こっていますが、ダイオキシンが原因で死亡した可能性があるのは1963年オランダでの事故で清掃作業にあたり、大量の残存ダイオキシンに触れた4人だけとされます。史上最強の毒物にしてはこれはあまりにおかしな話で、少なくともヒトでの急性毒性に関しては「サリンの17倍」うんぬんの議論は完全な間違いと断じてよさそうです。
(追記)
2004年12月、ウクライナ共和国の大統領候補であったユシチェンコ氏がダイオキシンを食事に盛られて倒れ、顔面に青黒い発疹ができて人相がすっかり変わってしまった、という事件がありました。氏はその後無事回復して大統領の座に就きましたが、その後の調査で彼は2mg程度のダイオキシンを食べさせられたと見積もられています。これはニュースで一時期騒がれた「高濃度ダイオキシン汚染キャベツ」を、一度に200万個程度食べた量に相当します。これだけのダイオキシンを一時に摂っても生命に別状がなかったわけですから、急性毒性に関してダイオキシンのリスクは全く取るに足りないことのよい証明になったともいえるでしょう。
ダイオキシンの発ガン性についても詳細な研究が行われています。詳しいデータは参考文献に譲りますが、動物実験の結果によればダイオキシンには発ガン性はなく、すでに発生したガンを増殖させる能力だけがあることがわかっています。後者の能力も強いものではなく、人間が日常取り入れている量の6万倍にあたる量のダイオキシンを投与して、ようやく10%の動物がガンを発生したというレベルにとどまっています。
ただしWHO(世界保健機構)の分類では、ダイオキシンはそれまで「発ガンの可能性あり」だったものが、1997年に「発ガン性物質」へと変更されています。これは各国の専門家から成る委員会での投票により、11対9で決まったとのことです。発ガン性があるかないかが投票で決められるというのも本来妙な話ですが、そうでもしないと決着しないほどに専門家の意見も割れたわけで、政治的要因も絡んだ苦渋の決断だったようです。どちらが正しいのかは筆者あたりに判定できることではありませんが、いずれにしろ発ガン性があるかないかは極めて微妙で、タバコの煙や焼き魚の焦げほどのようなはっきりしたリスクではなさそうです。
ダイオキシンには内分泌攪乱作用(いわゆる環境ホルモン作用)があることもわかっています。体内での作用メカニズムも明らかになりつつあり、ダイオキシンに問題があるとしたらこの作用であろうと現在では考えられています。環境ホルモンは精子数の減少、発ガン、子供の形態異常など極めて広範囲な影響を引き起こすと考えられている上、長期に渡って作用するのでその観察には注意を要します。
しかしこれも動物実験の結果によれば、人体に悪影響が出るには数十μgレベルのダイオキシンが必要と考えられます。これは大変な微量のように思えますが、TVなどで大きく報道された「高濃度汚染野菜」に含まれるダイオキシンは数pg(ピコグラム、1兆分の1グラム)のレベルで、両者には1000万倍、文字通りアリと小錦ほどの差があるのです。
仮に毎日100pgのダイオキシンを取り入れ、これが全て体内に蓄積されたとしても(実際には一定のペースでダイオキシンは体外に出ていきますが)、悪影響が出る数値に達するまでには2000年近くかかる計算になります。これは毎日バケツで1杯ずつ水を注ぎ(しかも水は少しずつ蒸発していく)、東京ドームを満タンにする作業に匹敵します。
皮肉なことですが、ダイオキシン騒ぎの一因はこうした分析機器の進歩にあったともいえます。現代の技術は1フェムトグラム(1000兆分の1グラム)のダイオキシンさえ検出を可能にしますが、これによって今まで「ゼロ」だと思っていた身の回りのダイオキシンが、「見えて」きてしまったのです(冷静に考えればこれは人体に害をなす量ではないのですが)。顕微鏡が発明され、細菌の存在を知ったことで身の回りのものが急に汚く感じられるようになってしまった――というのに似ているかもしれません。
もちろん、こうした実験結果や事故の調査結果をそのまま信じて鵜呑みにしてよいのかという問題はあります。政府がデータを隠している、大企業が圧力をかけている、という主張は数多くあり、ダイオキシン低毒説を唱える研究者を「御用学者」「安全宣言屋」として激しく糾弾する本も見かけます。実際、上記のWHOの決定には「セベソの事故には隠蔽されたデータが存在する」という風聞が大きく影響したと言われます。そんなデータがあるのかどうか筆者には知るよしもありませんが、筆者としては両論を読んだ上、低毒説の方に十分な科学的根拠があると判断してこの項を書いていることを申し添えておきます。最近広まってきた低毒説に対する有力な反論も、今のところどうやら出現していません。
実際、こうした問題の難しさは「疑うことは無限にできるが、誰もが納得できる『無害』の証明は事実上不可能」という点にあります。いくら実験データを積み重ねても「動物実験では本当のところはわからない」「未知の作用があるかもしれない」「他の物質と複合的に作用するかもしれない」など言いがかりのつけようはいくらでもあり、これを完全に否定することは大規模な人体実験でもしない限り不可能です。
いってみればこれはネス湖をいくら大規模に捜索したところで、「ネッシーはいない」という証明にはならないのと同じことです。どこかに隠れ潜んでいる可能性が0とはいえない以上、科学者としては「これだけ捜して骨一本見つからないのだから、いないと考えるのが妥当なのではないか」という程度のことしか言えません。「○○は存在する」という証明は証拠一つ挙げればいいから簡単ですが、「○○は存在しない」という証明は非常に難しく、これはダイオキシンに限らず自然科学全体につきまとう問題です。
ただひとつ確実に言えることは、日本のダイオキシン汚染は1970年ころをピークとして、以後順調に改善を続けているということです。当時の汚染の元凶であったある種の農薬も現在は禁止され、焼却炉の改善などによって環境中に放出されるダイオキシンは大幅に減少しています。前述の通り環境ホルモンは長期に渡って作用を及ぼすためリスク評価が難しいのですが、数十年前から今より多量のダイオキシンを浴びてきた日本人は長年世界一の長寿を保っています。これを見る限り、環境ホルモン作用についても一応安心といっていいのではないでしょうか。
ダイオキシンや環境ホルモン以外にも、人体に対する害を疑われる物質はたくさんあります。これらのうち人類に取り返しのつかない被害を与える可能性があるものは、グレーゾーンであってもきちんと対策を立て、害の有無についてできる限りの検討を行うべきであるのは当然のことです。とはいえあまりに化学物質の害に過敏になり、取るに足りないリスクに対して巨額の対策費用を投じ、有用な化合物を葬り去るようなこともまたあってはなりません。
気づかないうちに我々は一酸化炭素や青酸などの「猛毒」を空気や食事から摂取していますが、量がごく少ないので体はこれを問題なく処理し、何も目に見える害は起きません。逆に前項のアカネ色素のように、本来ほぼ無害な化合物でもあまりに非常識な量を長期に渡って食べ続ければ、何かしら問題が起きるのは当然のことです。これはビタミンやミネラルなど、一般に「体にいい」と言われている物質でも例外ではありません。
化合物が体によいか悪いかは「○か×か」といった単純なものではなく、それを体に取り入れる量によって決まる――。実に当たり前のことですが、その当たり前を我々がきちんと理解することができれば、化学物質をめぐる空虚な騒ぎはずいぶんと少なくなることと思います。そしてそれを伝えるメディアはこのことを十分に認識し、責任と誠意をもって報道に携わってもらいたいものだと思う次第です。
参考文献
「メス化する自然」 デボラ・キャドバリー著 集英社
「逆説・化学物質」「からだと化学物質」 ジョン・エムズリー著 丸善
「所沢ダイオキシン報道」 横田一著 緑風出版
「ダイオキシン情報の虚構」 林俊郎著 健友館
「化学物質のリスクとコミュニケーション」 安井至(「バイオサイエンスとインダストリー」2004年6月号)
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