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2017年2月7日火曜日

結局、借金大国日本は財政破綻を迎えるのか 戦後のハイパーインフレと預金封鎖を検証


2015年12月28日
1945年10月に幣原内閣が発足、1946年2月に預金封鎖が行われた(写真:近現代PL/PIXSTA)
2013年6月、日本の借金は1000兆円を突破し、日本の債務残高は名目国内総生産(GDP)に対して233.8%まで膨れあがった(2015年)。ちなみに、2010年に財政破綻したギリシャの債務残高は、対GDP比で約170%。先進国で2番目に債務残高が多いイタリアでも同150%程度。貿易収支や貯蓄率など状況が異なるので単純に比べることはできないが、日本の債務残高が最悪水準であることは間違いない。
このまま借金が増え続けると、近い将来、日本経済はどうなるのか。「財政破綻する」「ハイパーインフレが起こる」と危惧する人もいれば、「日本が破綻するわけがない」と楽観視する人も。要するに、誰にも分からないのである。ただ一つ確実に言えることは、状況は悪化し続けているということ。そこで、これから2回にわけて、『ビジネスを「先読み」する人の日本経済史の読み方』(KADOKAWA)の著者で経営コンサルタントの小宮一慶氏が、歴史から日本経済の未来を解く。

 

日本経済は本当に破綻するのか。その場合、どの時点で破綻を迎えるのか。私は、終戦直後からの経済史がヒントになると考えました。

なぜでしょうか。2015年の債務残高は対GDP比233.8%まで膨らんでいますが、太平洋戦争中の1944年度にも同比200%強あり、その後、敗戦を経てすさまじいインフレや預金封鎖を経験したからです。つまり、財政破綻と言ってもいい状況まで行ったというわけです。

どの時点で財政破綻や預金封鎖が起こるかというと、結論から言えば、日本政府やわが国の金融システムに対する「信用」がなくなったときです。政府が、資金繰りに窮して国債の利払いや償還ができず、日本円に対する信認がなくなれば、財政破綻へ一直線です。

財政赤字がハイパーインフレの引き金に

そのときには、ほぼ同時に金融システムへの信頼も失われていますから、預金が一気に引き出され、金融システムが維持できなくなります。そのためには預金封鎖や戦後すぐに行ったような「新円切り替え」のようなドラスティックな政策が必要となるのです。

それでは、戦後のハイパーインフレはなぜ起こり、いつ預金封鎖が起こったのか、終戦直後の日本経済を振り返ってみましょう。

ポツダム宣言を受諾し、事実上太平洋戦争が終わった1945年8月15日。戦争によって損失した国富(=国民全体が保有する資産から負債を差し引いたもの)は653億円、現在価値にして約800兆円にも上ると言われています。ここで最も深刻な問題となったのは、すさまじいインフレでした。小売物価指数の推移を見てみますと、1945年後半から急速に上昇していますね。1934〜36年の平均と比べると、1946年8月には21倍、1948年6月には172倍に達しています。まさにハイパーインフレです。

その理由は、いくつかあります。一つは「生産力の低下」。空襲によって工場や工業機械、船舶などの設備がほとんど焼失し、軍事産業もなくなったことから、国内の生産力が一気に落ち込んでしまったのです。二つめは、「凶作による食糧不足」です。1945年は、天候不良と肥料の不足が相まってまれに見る凶作となりました。さらに、敗戦により外地に赴いていた日本人が帰還して需要が急増したことで、供給量より需要量の方がはるかに上回り、物価がどんどん上昇していきました。

しかし、重要なのは次の理由です。単に需給のアンバランスが生じただけでは、インフレは起こりますがハイパーインフレには至りません。引き金となったのは、「財政の悪化」でした。

戦時中、日銀が大量のおカネを供給

戦争には、多額のお金が必要です。太平洋戦争(日中戦争を含む)に投入された戦費の総額は、当時の金額で1935億円。日中戦争開戦当時のGDPは約228億円ですから、その8.5倍にも上ります。現在の状況に当てはめると、2015年の名目GDPの推計値は約500兆円ですから、約4250兆円の国費を使ったことになります。この戦費を税金だけではとても賄いきれませんから、国債で調達しました。

もう一つ、財政赤字が膨らんだ要因は「復興」です。終戦後、日本にGHQ(連合国軍総司令部)がやってきてさまざまな経済政策を行いました。そのうちの一つに「傾斜生産方式」という産業政策があります。

復興には、あらゆる資材の中でも、石炭や鉄鋼、電力などの基礎材料やエネルギーが必要です。そういった基礎材料を扱う業種に、資金や人材、資材などを集中投入して、インフラや工業の基板を一刻も早く復興させようとしたのです。

ただし、当然ですが、これらの政策もタダではできません。多額の復興債(復興金融債権)を発行して、資金を確保する必要がありました。その結果、当時の政府債務残高は名目GDP比で200%を超える水準まで膨らんでしまい、ハイパーインフレが起こってしまったというわけです。

太平洋戦争の最中、巨額の戦費のかなりの部分は、国の中央銀行である日本銀行が国債を直接引き受けることで調達していました。もう少し具体的に説明しましょう。政府が発行した大量の国債は、日銀が直接引き受ける形で購入します。その購入代金はどこから出ているかというと、日銀がお金を「作り出す」のです。中央銀行には、日銀券や日銀当座預金を作り出すことができるのです。

この仕組みは、現在のアベノミクスの「異次元緩和」と同じです。違いといえば、発行された国債を直接引き受けるか、いったん民間銀行が引き受けて、それを日銀が購入するかという点だけです。日銀がこれだけ大量のお金を供給すれば、当然、通貨(日本円)の価値は急落します。通貨の価値が下がれば、相対的に物価が上昇します。

こうして円安が進むと、海外からモノを輸入するときに輸入額が膨らんでしまいます。すると輸入インフレが起こり、さらに通貨の価値が下がるという悪循環に陥ってしまい、余計にインフレが進んでしまうのです。戦時中の統制経済の下では、それはそれほど顕在化しませんでしたが、戦後の経済混乱気に一気にそれが露呈したわけです。また、敗戦により、日本円や日本国債の信任も大きく落ちていたことも原因です。

ハイパーインフレを抑えるため、ついに預金封鎖へ

戦後のハイパーインフレを一刻も早く抑え込むため、政府はいくつかの大胆な対策を打ち出しました。1946年2月16日、当時の幣原喜重郎内閣が突然、「インフレ対策として3月3日をもって従来の紙幣の流通を停止し、新しい紙幣を発行する」と発表しました。新円に切り替えるというのです。

どのようにしたのでしょうか。原則的には、いったん旧円をすべて預金口座に入れさせて、それを引き出すときに新円に切り替えるのです。ただし、それだけではありません。切り替えの際に「預金封鎖」をして、毎月引き出せる金額を1世帯あたり500円に制限したのです。こうして市中に流通する貨幣量を減らし、インフレを抑えようとしました。

さらに、現預金、債券、不動産などの資産に「財産税」を課しました。税率は財産に応じて25〜90%に設定され、富裕層はほとんどの資産を国に納めなければならなくなったのです。これは、インフレ抑制のためだけではありません。政府は、戦時中に発行された大量の国債や、復興のための復興債を償還しなければなりませんでした。償還できなければ、債務不履行(デフォルト)になってしまいますからね。

そこで償還のための原資を調達するため、財産税を課すことで国内の富裕層から資産を没収したというわけです。ところが、これだけ大胆な施策を行っても、インフレはまったく収まりませんでした。GHQは最後の策として「ドッジ・ライン」という金融政策を行います。

中でも功を奏したのは、「緊縮財政」です。緊縮財政とは、国の借金を減らすため、歳入を増やし歳出をできるだけ減らすこと。特に、当時行われた緊縮財政は、「歳入に見合った歳出しかしない」という厳しい内容でした。ここでようやくハイパーインフレが抑えられたのです。

日本が今のところ破綻しない大きな理由

『ビジネスを「先読み」する人の日本経済史の読み方』(上の書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

戦後の日本経済を振り返ると、財政赤字だけ見れば対GDP比200%を超えた時点で預金封鎖が起こっていたことが分かります。繰り返しになりますが、今はそれをはるかに上回る水準です。それでもなお、今の日本が財政破綻しないのはなぜでしょうか。一つは、日本国債の9割強が国内で消化されていること。もう一つは、経常収支が黒字だからです。

要するに「国民の預金で賄っている上に、海外から稼いでいるから、巨額の財政赤字を抱えていても破綻はしないだろう」という信用があるからです。これが日本国債の価値(格付け)を支えています(現状の日本国債の格付けはおおむね「A1」で、上から5番目です)。

現在の日本が戦後の混乱期と大きく異なるのは、当時の日本は経常赤字に苦しんでいたということです。しかし、このところ経常黒字は稼いでいるものの、貿易赤字が続いていることに加え、高齢化の影響で貯蓄率はマイナスとなっています。さらには財政赤字額が増加しつつあり、いつまでその大半を国内で賄えるかは不明です。

後編では、日本でいつ財政破綻の危機がやってくるのか、ハイパーインフレの目安となる指標について解説します。

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