1973~1985年に渡り、映画『007』シリーズの主人公であるジェームズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアさんが、5月23日、療養先のスイスにて逝去。
この訃報に触れて…せり (@cerriiee)さんが、とあるラジオ番組で語られた素敵なエピソードを翻訳し、Twitter上に紹介しました。
※以下、せりさんがアップした画像内文章の書き起こしです
1983年、まだ空港にファーストクラス用のラウンジというものが存在しなかった時代。
僕はたった今ジェームス・ボンドを見たこと、一緒にサインをもらいに行ってほしいことを祖父に伝えた。
「孫が、あなたは有名人だって言うんです。これにサインしてくれませんかね?」
僕は有頂天になったが、自分たちの席に戻りながらふとサインを見たときのこと。
祖父は「ロジャー・ムーア」ではないかと半ば読み解き--それ誰だか皆目見当がつかなかった僕の心は沈んだ。
自分の席に座りながら、祖父の言葉が聞こえてきたのを覚えている。
事を理解したロジャー・ムーアの目尻に皺が寄り、彼は僕を呼び寄せた。
「私は『ロジャー・ムーア』という名前でサインをしなければならないんだ。さもないと…ブロフェルドに私の居場所がバレてしまうかもしれない」
彼はジェームズ・ボンドを見かけたことを誰にも言わないでほしいと僕にお願いし、秘密を守る僕に礼をした。
それから長い年月が経ち、UNICEF関連の撮影で脚本家として仕事をしたときのこと。ロジャー・ムーアが国連大使としてカメラに向かってセリフを言うことになっていた。
「まあ、私は記憶にないんだが、君がジェームズ・ボンドと会えたことを喜ばしく思うよ」
ところが、彼はとんでもないことをやってくれた。
「もちろん、ニースでの君との出会いは覚えていたさ。だが私が何も言わなかったのは、あのカメラマンたち--彼らの中の誰かが、ブロフェルドの部下とも限らないからね」
7歳の時に負けず劣らず、30歳の僕は有頂天になった。
当時7歳だった僕が祖父とニース空港にいたとき、出発ゲート付近に座って新聞を読むロジャー・ムーアを目にした。
僕はたった今ジェームス・ボンドを見たこと、一緒にサインをもらいに行ってほしいことを祖父に伝えた。
ジェームス・ボンドもロジャー・ムーアも全く知らなかった祖父は、ふたりで歩いていくと、ロジャー・ムーアの前にひょいと僕を突き出してこう言った。
「孫が、あなたは有名人だって言うんです。これにサインしてくれませんかね?」
期待を裏切らない人当たりの良さでロジャーは僕の名前を訊ね、航空券の裏にしかるべくサインをし、仰々しいほどのメッセージを添えてくれた。
僕は有頂天になったが、自分たちの席に戻りながらふとサインを見たときのこと。
判読しづらかったものの、そのサインが「ジェームズ・ボンド」でないのは明らかだった。
祖父は「ロジャー・ムーア」ではないかと半ば読み解き--それ誰だか皆目見当がつかなかった僕の心は沈んだ。
僕は彼のサインが間違っていること、別の誰かの名前を書いていることを祖父に話した。
そこでロジャー・ムーアがサインしたばかりの航空券を手に、祖父は彼の元へ引き返した。
自分の席に座りながら、祖父の言葉が聞こえてきたのを覚えている。
「あの子が言うには、サインした名前が間違っているそうで。あなたの名前はジェームズ・ボンドだって言うんですよ」
事を理解したロジャー・ムーアの目尻に皺が寄り、彼は僕を呼び寄せた。
僕が彼の膝元まで行くと、彼は身を屈めて左右に視線を走らせ、眉を持ち上げて、ヒソヒソ声で僕にこう言ったのだ。
「私は『ロジャー・ムーア』という名前でサインをしなければならないんだ。さもないと…ブロフェルドに私の居場所がバレてしまうかもしれない」
彼はジェームズ・ボンドを見かけたことを誰にも言わないでほしいと僕にお願いし、秘密を守る僕に礼をした。
席に戻る僕の心臓は、喜びのあまりばくばくと音を立てた。
祖父は「ジェームズ・ボンド」のサインをもらったかと僕に訊ねた。ううん、と僕は答えた。
間違っていたのは僕だった。今や僕は、ジェームズ・ボンドと一緒の任務に就いたのだ。
それから長い年月が経ち、UNICEF関連の撮影で脚本家として仕事をしたときのこと。ロジャー・ムーアが国連大使としてカメラに向かってセリフを言うことになっていた。
彼はとても素敵な人で、カメラマンが機材の準備中、僕はぽろりとニース空港で会った時のことを彼に話した。それを聞いた彼は喜び、笑ってこう言った。
「まあ、私は記憶にないんだが、君がジェームズ・ボンドと会えたことを喜ばしく思うよ」
素敵な体験だった。
ところが、彼はとんでもないことをやってくれた。
撮影後、自分の車に向かう彼が僕の脇をすり抜け--僕と並んだところで立ち止まり、左右に視線を走らせ、眉を持ち上げて、ヒソヒソ声で僕にこう言った。
「もちろん、ニースでの君との出会いは覚えていたさ。だが私が何も言わなかったのは、あのカメラマンたち--彼らの中の誰かが、ブロフェルドの部下とも限らないからね」
7歳の時に負けず劣らず、30歳の僕は有頂天になった。
なんて人だろう。なんという、とてつもない人なんだろう。
スクリーンの前の観客だけではなく、その人柄に触れた方すべてを魅了し続けたロジャーさん。
彼の透き通るような眼差しと柔らかな笑顔は…いつまでも、我々の心に残り続けることでしょう。
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