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連載:第66回 成長企業 社長が考えていること
売上高は2億から27億。従業員数は10名から190名へ拡大。同族経営の小さな板金工場を、機械装置の開発や食品の製造販売など多角経営の成長企業に変貌させたのが、香川県にあるXEN GROUPの高畑洋輔社長です。外部の見学者からは「従業員がみんな、自分の仕事に責任を持っている」と評され、社員の定着率も高いそう。しかし、入社当時は大量退職や残業代未払い、長時間労働などにより雰囲気は最悪。経営も厳しかったそう。そんな中、「会社を変えたい」と行動を起こした高畑さん。きっかけは、盛和塾で受けたある気づきでした。詳しく伺います。
株式会社XEN GROUP
代表取締役 高畑 洋輔さん
1979年、香川県生まれ。大学卒業後、家業である有限会社高畑電機(現・XEN GROUP)へ入社。2年間工作機械メーカーに出向し、2004年24歳で戻る。2011年7月、31歳で代表取締役に就任。入社当時2億円だった売上を27億円まで伸ばし、従業員数は10名から190名(2023年6月現在)まで拡大。第22回盛和塾世界大会にて稲盛経営者賞受賞・製造部第三グループ第1位。第25回大会では経営体験発表にて敢闘賞受賞。2022年1月、社名を株式会社XEN GROUPへ変更。
「お前が従業員を苦しめている」強烈な叱責で目が覚めた
――高畑社長は、京セラの創業者である稲盛和夫氏が主宰していた経営塾「盛和塾」で学び、稲盛経営者賞を受賞されたこともおありなのだとか。
高畑洋輔さん(以下、高畑): はい、2014年の第22回盛和塾世界大会にて製造部第三グループで1位を受賞しました。2017年にも経営体験発表で敢闘賞をいただいています。ただ、優等生だったわけではないんですよ。盛和塾の中でたくさんの気づきを得て、今があります。
僕が盛和塾に入塾したのは2007年、28歳のときでした。取引先の社長からの紹介で、盛和塾の存在は知っていたものの「なんとなく」入ってみた…というのが正直なところで。なので、最初はお恥ずかしながら幽霊部員だったんです。
そんなある日、「たまには顔を出したら?」と言われ久しぶりに参加したのが、稲盛さんの経営12カ条にある「燃える闘魂」をテーマにした例会でした。 「経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要」 という意味の言葉で、それについて参加しているメンバーが一人ずつコメントしていくのです。
例会にはあまり参加していなかった僕ですが、これについては自信をもって語れるものがありました。そこで実体験も踏まえた上で、僕が考える「経営における燃える闘魂」を語ったのですが…
そこでまさかの叱責を受けました。 「燃える闘魂はそんなことじゃない。君がそんなだから、従業員が幸せになれないんだ」 と言われてしまったんです…。
――どういうことでしょうか?
高畑: もともと僕は、2年間の出向を経て24歳で家業である当社へ入社しました。当時は14名ほどの会社だったのですが、僕が入社してすぐに、会社の売上を支えていた主要メンバー3名が辞めてしまったのです。おそらく、会社や仕事内容に不満があったんでしょう。後継ぎである僕が帰ってきたので、「それならお前がやれ」と半ば押し付けられてしまった形です。経営自体も、僕が入社する前からずっと厳しかったようで、残業代は支払われていなかったし、ボーナスを出すために銀行から借金するくらいで……。過大な設備投資をしたにもかかわらず売上が伸びておらず、会社を圧迫していたんです。
また、社長である父の言葉の影響力は大きく、当時専務だった僕が考えて決めたことでも、父がちょっと反対すれば鶴の一声でそちらに決まってしまうような、いわゆる圧倒的なトップダウン型の組織でした。
残業をしてもその分の給料がでない、社長の言うことは絶対という環境では、とてもモチベーションは上がらないですよね。正直「会社としての体を成してない」と感じてしまうくらいの状況で、僕は毎日「逃げたい」と思っていました。
ところがそんな中でも、従業員たちは毎日遅くまで働いてくれていたんですよ。そんな彼らの姿を見て、「僕が居なくなれば、この会社は本当に終わるかもしれない。なんとか踏ん張らなくては…!」と気持ちが変化していきました。そして誰よりもたくさん働いて、仕事をこなして、少しでも従業員たちに楽をしてもらえたら…と。
だからこそ、 「僕自身が、残業もバリバリして夜も寝ずに働いている」これこそが、僕の「燃える闘魂」なのだ と考え、発表したのです。
しかしその先は、先ほどお伝えした通り。先輩経営者から叱責を受けたというわけです。
――それはどういう意味だったのでしょう?
高畑: 「君が頑張って、残業して朝まで仕事したって、従業員を幸せにすることはできない。むしろ、苦しめている。あなた自身が、そういう環境を作っているんだ」と。
経営側の人間である僕の本当にすべきことは、自分が現場で誰よりも働くことではなく、従業員が夜中まで働かなくてもいい仕組みを作ること。しかし、 僕は自分が誰よりも働くことで “従業員を守っているつもり”になっていただけだった んです。むしろ、上の人がそれだけ働いているのを見たら、従業員も「もっと働かないと…」と思ってしまう可能性も高い。
つまり、 従業員が楽になるどころか、苦しくなる環境すら作ってしまっていた… そのことを指摘されて、頭をガツンと打たれたような気持ちになりました。
高畑: さらにもうひとつ「値決め」の問題もありました。稲盛さんの言葉にも「値決めは経営」とありますが、当時は下請けだったので、取引先の言い値に逆らえない状況になっていて……。僕はというと、文句を言いつつも結局社長に言われたまま進め、それを従業員にも指示していた。
従業員の幸せを考えるのであれば、社長や取引先と交渉をすべきだった。それをしてこなかったのは自分。当時、 役職は実質「ナンバー2」である専務だったものの、やっていることは雇われている従業員と同じだった のです。
成功している人をとことん“真似る”。それが一番の近道だった
高畑: 京セラというあんなに大きな会社でさえ、たくさんの努力をして作り上げていったのに、うちみたいな小さな会社が何もしないで文句ばっかり言っていて良くなるはずがないと気付きました。それで、まず「稲盛さんのモノマネをしよう」と考え、盛和塾に積極的に参加していくようになりました。経営って算数みたいな正解はないですよね。それなら、 すでに成功した人をお手本に「真似る」ことが一番の近道だろう と考えたんです。
中でも、自分自身の在り方に大きな影響を与えてくれたのが、 「事業を成長させ、従業員を幸せにすることが経営者の使命」 という稲盛さんの教えです。聞いた時「これだ!」と思いました。自分の目指すべき道が、言語化された瞬間だと感じました。
当社には、組織表も賃金体系も経営理念さえなかった。まずは経営12カ条の第1条「事業の目的、意義を明確にする」に倣って会社のベースをイチから作ろうと考え、経営理念「幸せをつくる場所」を掲げました。
そして、書籍「京セラフィロソフィ」を従業員全員に配布し、読み合わせを始めました。考え方や価値観は人それぞれだけど、ベクトルを合わせることを目的とした取り組みです。当社の「正しいこと」の基準はこの本、何か困った時はここに立ちかえろうと、従業員たちに伝えました。
そして、とにかく「数字を伸ばすこと」に注力しました。これが経営を安定させる一番の特効薬だろうと。最初に指摘された値決めについては、僕がすべて見積りをするようにして、とにかく収益をあげられる体制を作っていこうと動きました。
経営理念を掲げて、フィロソフィーを浸透させていった結果、成果がでたら、従業員たちも「この人の言っていることを信じてよさそう」となってくれます。そして「みんなで勝ち取った成果です」と語り、事業が伸びていっていることを全員で実感することを大事にしました。
従業員からは、 「盛和塾に入ってから言葉がブレなくなりましたね」 って言われました。めっちゃ、上から目線でしょ(笑)。でも、本当にそうだと思いますね。
「会社はトップの器以上にならない」稲盛氏の教えで改革に乗り出す
高畑: そして盛和塾での教えに基づき、もうひとつ大きな決断をすることになります。
――どんな決断だったのか、教えてください。
高畑: 稲盛さんの言葉に「会社は、トップの器以上にはならない」というものがあります。要は 「良い会社にしたいなら、まずトップが心を高め、経営を伸ばせ」 ということ。
先ほどもお話ししましたが当社は超トップダウンの会社で、父である社長が絶大な影響力を発揮していましたし、専務である僕がいろいろな改革を進めていくも、 会社の根底にあるのは「経営者の雰囲気」 なんですよね。そこを変えないと、本当の意味で会社は変わらない。「幸せをつくる場所」を実現していくためには、今のままではダメだと考えました。
そこで父に、僕が読んで感銘を受けた稲盛さんの書籍を勧めたりもしてみたのですが…あまり興味はなかったようで。父としては、なんとか会社経営を続けられているし、何かを変える必要がないと考えていたのではないかと。
会社の未来を背負っていくのは僕です。もっと収益を伸ばしていきたい、より経営を安定させたい、従業員の給料を上げていきたい、みんなが誇れる会社にしたい。そんな未来を実現するためにも、当社は変化していくべきだと考えていました。しかし、父が現状のまま変わらないのであれば、トップにいる人間を変えるしかない。
だから父に、 「社長を代わってほしい」 と言いました。
――お父様の反応はいかがでしたか?
高畑: 「お前にはまだ早い」と、認めてもらえませんでした。当時、僕は30歳でしたから。それでも諦めきれず、半年間父を説得し続けました。
あまりに熱心だったので、それを見かねた母が「息子が代わると言っている時に代わらないと、今後任せられなくなるよ」と言ってくれたんです。それで父は渋々承諾し、僕は晴れて社長に就任しました。それが2011年、31歳の時です。
――社長に就任されて約12年が経ちましたが、現在の会社の状況はいかがですか?
高畑: 僕が会社に戻ってきた時は、配電盤・分電盤の筐体の板金加工と塗装をメインとした下請けで、売上は2億円ほど。経営もいい状態ではありませんでした。そして2023年度の売上高は27億円。現在は、機械装置の開発・製造や、豆腐など食品の製造販売、農業など幅広い事業を展開。従業員数も、190名まで拡大しています。
徹底して「社長が直接話す」ことで組織が変化
――会社の成長に合わせ、組織はどう変化していったのでしょうか?
高畑: 昔はどちらかというと、誰かの指示を待って仕事をするといった、受け身の従業員が多かったんです。今は、みんな会社の進むべき道を理解し、それぞれ行動してくれるようになりました。その変化が一番嬉しいです。会社の雰囲気も良いと思います。うちの従業員は、思いやりや協調性のある人材が多いし、基本的にみんな優しいです。この人手不足のなか、若い人材を雇用するためにも「雰囲気」って大切ですよね。
社内にある社員食堂の様子
高畑: 他の企業の方々が見学に来られる事も多いのですが 「皆さん、自分の仕事に責任感をもって作業されてますね」とか「雰囲気が良いですね」とか言われる機会がすごく増えました。 それは僕自身がすごく嬉しいことで、逐一従業員にも報告しています。本当に、当時からだと想像できない状態です(笑)。
僕の入社当時にあったような、一気に人が辞めてしまうようなことはなくなりましたし、離職率も低いです。社長就任時は50名程度だった従業員が、現在は200名弱まで増えていますが、組織が拡大する段階で「退職者がすごく増えた」というような、いわゆる「組織の壁」を感じる時期もありませんでした。
――それはなぜだったのでしょう?
高畑: 経営理念やフィロソフィーをはじめとした、 僕の大切にしたい考えや想いが社内に浸透されていたから だと思います。
そもそも、専務時代からずっと採用は僕がやっているんですよ。今190名ほどいる中で、僕ではなく父親が採用したのは4~5名ほど。それ以外は、僕が採用した人たち。つまり、僕の想いに共感してくれて、関係性が構築できている従業員が多かったんです。だからこそ僕がトップになった際も、辞めることなくついてきてくれました。
もうひとつ。事業が成長していくのに合わせて、会社の方針は変化します。僕は 組織が拡大していっても、一人ひとりにこれから起こることを自分の言葉で伝えたいし、従業員の声も直接聴きたい と思ったんです。それで始めたのが、半年に一度の「従業員全員との面談」です。もう10年以上やっています。
今は人数がかなり増えたので、10日間くらいかかりますし、正直キツイ部分もありますが(笑)。人によって数分程度で終わる人もいれば、じっくり話す人もいます。大事なのは一人ひとりと向き合って話すことで、これを続けているからこそ、従業員たちの中で会社の進むべき方向性がブレないし、そこを理解して行動してくれるように変わっていったと思います。しんどくてもやらなくては…と思いますね。
工場内の様子。とてもきれいに整備されている
――「働き方」についていかがでしょうか?
高畑: 僕が入社した当時は、毎月100時間くらい残業していました。でも今は、繁忙期でも40時間程度です。定時で帰れる部署もありますよ。正直、「暇なの?」と不安になるくらいで(笑)。
これは、業務効率化を徹底したことが大きいです。 中でもこだわっているのが「誰でもできる工程づくり」 です。
僕が会社に戻ってきた当時、完全に作業が属人化していて、色んな物が統一されていなかったんです。たとえば、金属加工の設計をするCADのソフト。全員バラバラのものを使っていました。そうすると、それを機械に取り込む際、変換する作業が必要になります。だから、まずは「CADを揃えましょう」というところから始め、上流からすべてを整理していきました。
そして、属人化しないような仕組みづくりを進めることで、「誰でもできる工程」が完成しました。だから、当社の新人は全員が「初心者」でいい。それでも、ある程度できるように仕組み化されているからです。だから、誰かが抜けたとしても、ちゃんと穴を埋められるような体制もできています。 人手不足が叫ばれていますが、「人材を失う怖さ」みたいなのは、あまりないですね。
2億から27億への「勝ち筋」とは?
――売上が10倍以上アップし、組織も大幅に拡大している貴社ですが、ずばりその「勝ち筋」とは?
高畑: まだまだ「勝ち筋」と言えるのかわかりませんが…ただ、意識してきたことは2つあります。それは 「行動すること」そして「飛び石を打たないこと」 です。
まずひとつめ。世の中には頭で考え過ぎて行動しない人が圧倒的に多いと思います。僕はとりあえず行動してみる。結局、 綿密な計画を立てたところで、実際やってみたら違うことってたくさんある ので。
――先ほどお話いただいた「社長交代」も「行動」のひとつですよね。
高畑: たしかに。ただ、交代した瞬間「やばい…」って思いましたけどね(笑)。専務の時とはまったく違う。50名ほどいる従業員を、自分が責任もって守らないといけない。「どえらいことになってもうた!」と頭を抱えましたが、それでも「常に明るく前向きに」を意識して、何とかここまで来ることができました。
豆腐事業もそうでした。もともと、ある企業から豆腐製造機械の修理の依頼を引き受け、何とか機械を組み上げたところ、先方の都合で納品が出来ず、費用回収ができなくなってしまったんです。途方にくれましたが、何とかしないといけない!と考え方を切り換え、「いっそ、自分たちで豆腐を作ろう」と行動したのがFOOD事業の始まりです。2016年からスタートしましたが、今や8億円の売上を叩き出す事業に成長しています。
そしてもうひとつの「飛び石を打たないこと」について。
豆腐を作る工程では、副産物として「おから」が大量に産出されますが、そのほとんどが産業廃棄物として捨てられてしまいます。栄養価が高く、まだ商品価値のあるおからをアップサイクルするために開発したのが、食材乾燥機です。しかし、そもそもフードロスを出さないことが重要だと考え、開発をスタートさせたのが、食品の鮮度を保つ「食品熱交換装置」です。 一見バラバラな「飛び石」に見えるかもしれませんが、目の前の問題を一つひとつ解決する為に行ってきた事業はすべて繋がっています。
自分たちが困っていることはみんな困っているに違いないと思うんです。当社の循環型社会を目指したビジネスモデルや自社製品をもとに、お客様が抱えている問題を一緒に解決していく事業を構築出来たことが、勝ち筋に繋がったのではないかと考えています。
――ありがとうございます。最後に、高畑社長の今後のビジョンを教えてください。
高畑: 当社は2022年1月に、株式会社タカハタからXEN GROUPに社名変更しました。これは、会社を次のステージに進めるため。近年は「MOTTAINAIエンジニアリング」と銘打って、先ほどご紹介した食材乾燥機や食品熱交換装置などの開発・製造・販売を通じてSDGsの1stミッションとしてフードロス削減に注力しています。2019年にはミャンマーに初の海外拠点を作り、グローバル生産体制を構築しました。目指しているのは、世界のあらゆる問題を日本の「モノづくり」で解決することです。
社名を変更したのには、もう一つ理由があります。それは「同族経営」からの脱却。 みんなで育ててきた会社、みんなで未来に繋げる会社 という思いを込め、親族でなくても重要な職に就くことができると示しました。
実はもう会社の基盤である「本社工場」の管理や運営は、ほぼ常務に任せているんです。だから、僕は新規事業の方に力を注ぐことができています。あとは、年2回の全員面談を誰か代わってくれたらいいんですが(笑)。それは、もう少し先かなあ……。
(文:三神 早耶 撮影:鈴木トヲル(soulnote) 編集:櫛田 優子)
この記事についてコメント(6)
会社は従業員全員のものであるという認識の下で、半年に一度は従業員全員と1対1で話し合っていることがこの会社の成功の秘訣のひとつだと感じました。社長が雲の上ではだめだと思います。
2023年12月11日 2従業員と経営者は同じ方向は向かないといけませんが、同じ視座で動いてはいけないのだと感じました。経営者はその立場持ち場で、どうすれば業績を上げれるか、経費(手間)を下げれるかを考えることが必要なんだなと改めて考える良い事例です。
2023年07月19日 7ボクも九州で親の会社を引き継いだ者です。行動力が大事だと改めて感じました。 ボクも代表になって15年。未だに続けている事は、給与日の給与袋にお手紙を入れる事と、ボーナスの日は全員と面談してお話を聞くようにしています。
2023年07月18日 8全員との面談は続けられたほうがいいと思います。 トップと直接話せることで従業員のかたのモチベーションも全然違います。最初は相手もおっかなびっくりでしたが続けることによって本音も出てきます。いいか悪いかは自分が判断すればいい。私は以前の会社で統合した後に着任しましたが本音が出てくるようになったのは2回目以降。続けることで本気度を感じてくれたようでした。
2023年07月03日 11高畑社長は盛和塾の先輩企業様で、あるプレゼンコンテストでご一緒させていただき、盛和塾時代のお話も伺いました!稲盛氏の経営哲学を大切にされ、日々の自分に反省をし、自分を変えたからこそ社風も変わったのだと思います。私も同じ考えなのですが、周囲を替えようというよりも自分を見つめなおし、自分が変わる方が圧倒的に社内は変わりますね!塾長の教えをこれからも実践し続け、共に成長していきましょう!刺激をいただきました!ありがとうございました!
2023年06月28日 11
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