引用元URL:https://globe.asahi.com/feature/110515/04_1.html
[Part1] 「安全性と高品質」をアピール
小寺浩之氏撮影
「手をこまねいていると、中国の思い通りになる可能性がある」
2009年夏、東京でのシンポジウムで、元厚生労働省官僚の医師、清谷哲朗は訴えた。
清谷はISO(国際標準化機構)に助言する専門家の一人。ISOの場で中国が中医学の国際標準化の手を打ってくることに焦りを覚えていた。
会場にいた漢方医らの反応は鈍かった。当時、日本東洋医学会の会長に就任して間もなかった元千葉大教授の寺澤捷年も「学術的な争いで済むだろう」と、楽観視していたという。
寺澤は16世紀の韓医学を描いて人気を呼んだ韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の医学監修を務めたことでも知られる。
だが、1年もしないうちに寺澤の見方は一変した。10年6月に北京で開かれた中医学に関するISOの専門委員会に参加したところ、幹事国の中国が議事を仕切り、日本から委員会の議長に立候補しようとしても事実上無視されたという。
議長は中国の立場に近いオーストラリアに決定。
「議決には、挙手も投票もなかった」
この問題についての厚労省研究班長を務める金沢医科大教授(腫瘍内科)の元雄良治も「中国側は中医専門の医師の養成や、生薬の処方の仕方、はり治療の道具など、あらゆる範囲で産業化をにらみ、意見を通そうとした」と振り返る。
日本の漢方は、中国の伝統医療が源流だが、1000年以上の経験を重ね、独自の進化をした。
例えば、日本の漢方は治療方針を決めるときに腹部の診察を重視するが、中医学ではさほど重んじない。かぜ症状に用いる葛根湯も、中国と日本では構成する生薬が微妙に異なる。韓医学も中医学と様々な違いがある。
小寺浩之氏撮影
中医学が「正統」と認定されれば、日本の漢方や、韓医学は、国際的には「傍流」とされかねない──というのが寺澤らの持つ危機感だ。
中医師がISOの規格となれば、日本の医師免許制度や医学教育にも混乱が生じ、「医療の質が保てなくなる」とも懸念する。
ただ、国際的な議論の場では、「当事者」の日、中、韓以外の関心は薄い。日本の委員らは会議の場で、欧州の参加国から「中医学も、漢方も、我々には区別がつかない」と言われたことがある。
寺澤が議長を務める日本東洋医学サミット会議(JLOM)は今年1月、緊急の国際フォーラムを東京で開いた。
目的は5月のISO専門委員会に向けた根回し。日本漢方生薬製剤協会などメーカーを巻き込み、費用の約1000万円を捻出した。
招きに応じたのは、中国、韓国のほか、米国やオランダなど、六つの国・地域。それぞれの伝統医療の実情を発表してもらい、国ごとの多様性の大切さを印象づける作戦だった。漢方製剤の工場に各代表を案内し、日本の製品の安全性と品質の高さもアピールした。
「手応えはあった」と寺澤はいうが、委員会の投票権を持つ国・地域には華僑の影響力が強いところもある。「多数決になれば、負けるかもしれない」
もっとも、国内の漢方関係者の中には、「中国脅威論」に距離を置く見方も少なくない。
「中医学が国際標準になっても、日本国内の日常の診療には影響ない」「中国に対抗してまで漢方をグローバル化する必要はない」といった指摘だ。
ツムラのある幹部は「新薬の承認は各国で1品目ごとに必要だ。中薬が標準化されても日本で自由に売れるわけではない。他の工業製品とは違う」と話す。
ただ、中韓と比べたときに、日本の漢方には人材不足と、政府なども含めた国内体制の弱さが目立つという声もある。
明治以後、西洋医学が医師教育の主流になり漢方は民間医療に位置づけられた。見直されたのは、薬害問題で合成医薬品への不安が広がった1970年代以後。医学教育のモデルカリキュラムに漢方が盛り込まれたのは2001年からだ。
民主党政権になって、厚労省内に、漢方などの統合医療を検討するプロジェクトチームが立ち上がり、関連予算も従来の約10倍にあたる約10億円に増えてはいる。それでも、国際会議への出席は、大学教授などの臨床医らが診察の合間を縫ってこなしているのが実情だ。
中国が進めようとしている国際標準化にどう対応するのか。日本での議論は、まだ深まっていない。
(権敬淑、都留悦史)
(文中敬称略)
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