https://www.chem-station.com/blog/2024/04/marcus.html
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化学者のつぶやき
[Co(bpy)3]3+誘導体はMarcusの逆転領域において励起状態から基底状態へ遷移することが実証された。さらに本錯体は、C–N結合形成反応における光触媒として利用可能である。
光触媒とMarcus理論
光触媒は、温和な条件でラジカル種を生成できるため、多様な変換反応に利用される。中でもIrやRuを用いた光触媒は、光触媒に重要な要素である、大きな励起状態と基底状態のエネルギー差|DG°|と長い励起寿命をもつことから、特に頻用され、光反応の発展に貢献してきた。加えて、これらの光触媒は、|DG°|や励起寿命を配位子の選択により調節できる点で汎用性が高い。一方最近では、レアメタルであるIrやRuから、より豊富に存在する第一遷移元素を用いた光触媒への代替が望まれている。しかし、第一遷移元素は第二、第三遷移元素に比べて配位子場分裂が小さく、MC状態がMLCT状態よりも低いエネルギー準位に位置するため、|DG°|が小さく励起寿命が短い、という課題がある。
ここで、DG°と励起寿命の関係はMarcus理論により理解でき、特に|DG°|の値によって二通りの挙動を示す(図1B)[1,2]。まず、|DG°|が再配向エネルギーlよりも小さい場合、|DG°|を大きくした際には励起寿命は短くなる(Marcusの正常領域)。これは、|DG°|が大きくなることで、励起状態から基底状態へ遷移する活性化エネルギーDG‡が小さくなることに起因する。一方、|DG°|がlよりも大きい場合には、|DG°|を大きくすると励起寿命が長期化する(Marcusの逆転領域)。そのため、Marcusの逆転領域の特性をもつ第一遷移元素は、上述の課題を克服した光触媒となりうる。
ミシガン州立大学のMcCuskerとプリンストン大学のMacMillanらは、第一遷移元素の中でも特に配位子場分裂|DG°|が大きいCo3+に着目した。Co(acac)3と[Co(en)3]3+では、|DG°|の大きい[Co(en)3]3+の方が励起寿命が長い[3]。このようにCo3+はMarcusの逆転領域のような性質を示すものの、その関連は明らかにされていない(図1C)。今回著者らは、配位子場により強く影響するビピリジン配位子を検討し、|DG°|の大きさと励起寿命の関係を求めることで、Co3+とMarcusの逆転領域との関連を解明できると考えた。また、|DG°|が大きく励起寿命の長いCo3+錯体は光触媒として利用可能だと期待した。
“Exploiting the Marcus Inverted Region for First-Row Transition Metal–Based Photoredox Catalysis”
Chan, A. Y.; Ghosh, A.; Yarranton, J. T.; Twilton, J.; Jin, J.; Arias-Rotondo, D. M.; Sakai, H. A.; McCusker, J. K.; MacMillan, D. W. C. Science 2023, 382, 191–197.
DOI: 10.1126/science.adj0612
論文著者の紹介
研究者の経歴:
1987 B.S., Bucknell University, USA
1987 M.S., Bucknell University, USA (Prof. Charles A. Root)
1992 Ph.D., University of Illinois at Urbana-Champaign, USA (Prof. David N. Hendrickson)
1992–1994 Postdoc, University of North Carolina at Chapel Hill, USA (Prof. Thomas J.Meyer)
1994–2001 Assistant Professor of Chemistry, University of California at Berkeley, USA
2001–2008 Associate Professor of Chemistry, Michigan State University, USA
2008–2017 Professor of Chemistry, Michigan State University, USA
2011–2013 Associate Chair for Research, Michigan State University, USA
2013–2017 Director, Center of Research Excellence in Complex Materials (CORE-CM), Michigan State University, USA
2017– Michigan State University Foundation Professor in Chemistry
研究内容:遷移金属の励起種の超高速動力学、交換結合化合物の光物理学および光化学、電子・エネルギー移動力学における電子効果
研究者:David W. C. MacMillan
研究者の経歴:
1991 B.S., University of Glasgow, USA
1996 Ph.D., University of California, Irvine, USA (Prof. Larry E. Overman)
1996–1998 Postdoc, Harvard University, USA (Prof. David A. Evans)
1998–2000 Assistant Professor, University of California, Berkeley, USA
2000–2004 Associate Professor, California Institute of Technology, USA
2004–2006 Earle C. Anthony Professor of Chemistry, California Institute of Technology, USA
2006–2011 A. Barton Hepburn Professor of Chemistry, Princeton University, USA
2006– Director of the Merck Center for Catalysis, Princeton University, USA
2011– James S. McDonnell Distinguished University Professor of Chemistry, Princeton University, USA
研究内容:有機触媒を用いた不斉反応の開発、可視光レドックス触媒を利用した反応開発
論文の概要
まず著者らは、ビピリジル配位子上に種々の置換基をもつCo3+錯体とMarcusの逆転領域との関連を調査した。すなわち、電子吸収スペクトルおよび過渡吸収スペクトルの測定により[Co(bpy)3]3+誘導体の|DG°|および励起寿命を算出した。その結果、|DG°|が大きくなるに従って励起寿命は長期化することが確認された(図2A)。さらに、これらの結果から無放射過程の反応速度定数knrと|DG°|の関係(Marcus plot)を図示した[4]。得られたMarcus plotから[Co(bpy)3]3+誘導体は、再配向エネルギーlが0.55 eV程度であり、|DG°|がlよりも大きいMarcusの逆転領域において励起状態から基底状態に遷移することが分かった。加えて、本錯体は可視光を吸収すること、酸化還元電位はEred* = 1.65 V (vs. SCE)程度であることから、本錯体が光触媒として働く可能性が示された。
そこで著者らは、実際に本Co3+錯体の光触媒としての活性を、C–N結合形成反応に応用することで確認した(図2B)。その結果、Co(acac)3と4,4′-Br2bpy存在下、アセトアニリド誘導体と芳香族ボロン酸に対し、K2S2O8を加え可視光を照射したところ、望みのアリール化体が良好な収率で得られた。詳細は論文を参照されたいが、Stern–Volmer実験ならびにラジカルクロック実験から、励起したCo触媒とアセトアニリドが反応し、アミジルラジカルを経由して、反応が進行することが示唆されている。
以上、[Co(bpy)3]3+誘導体は配位子の選択によりDG°を大きくすると、より励起寿命が長期化することが明らかにされた。また、本錯体は励起寿命が長く、かつ酸化力が高いことから、光触媒としてC–N結合形成反応にも応用できた。本錯体では酸化反応に注目しているが、Marcusの逆転領域を利用した還元力の高い光触媒の開発、応用にも期待したい。
参考文献
- (a) Marcus, R. A. On the Theory of Oxidation‐Reduction Reactions Involving Electron Transfer. I. Chem. Phys. 1956, 24, 966–978. DOI: 10.1063/1.1742723 (b) Marcus, R. A. Theoretical Relations among Rate Constants, Barriers, and Brønsted Slopes of Chemical Reactions. J. Phys. Chem.1968, 72, 891–899. DOI: 10.1021/j100849a019 (c) Marcus, R. A.; Sutin, N. Electron Transfers in Chemistry and Biology. Biochim. Biophys. Acta Rev. Bioenerg. 1985, 811, 265–322. DOI: 10.1016/0304-4173(85)90014-X
- マーカス理論(Marcus theory): 電子移動の反応速度を記述する理論。電子移動反応は、反応前後で溶媒和の仕方が大きく異なるため、溶媒の再配向エネルギーlを考慮しなければならない点で、いわゆる”化学反応”と異なる。lは始原系の最安定核配置から反応を起こさずに生成系の最安定核配置まで移動させるのに必要なエネルギー。DG‡は、(DG°+l)2/4lで表される。
- (a) Ferrari, L.; Satta, M.; Palma, A.; Mario, L. D.; Catone, D.; O’Keeffe, P.; Zema, N.; Prosperi, T.; Turchini, S. A Fast Transient Absorption Study of Co(AcAc)3. Chem. 2019, 7, 348. DOI: 10.3389/fchem.2019.00348 (b) McCusker, J. K.; Walda, K. N.; Magde, D.; Hendrickson, D. N. Picosecond Excited-State Dynamics in Octahedral Cobalt(III) Complexes: Intersystem Crossing versus Internal Conversion. Inorg. Chem. 1993, 32, 394–399. DOI: 10.1021/ic00056a010 (c) Langford, C. H.; Malkhasian, A. Y. S.; Sharma, D. K. Subnanosecond Transients in the Spectra of Cobalt(III) Amine Complexes. J. Am. Chem. Soc. 1984, 106, 2727–2728. DOI: 10.1021/ja00321a057
- Marcus plot: 縦軸に電子移動の速度定数knrの自然対数、横軸に電子移動の駆動力– DG°をとった図。一般に、Marcusの正常領域ではDG°が大きくなるほど反応速度が大きくなり、逆転領域ではDG°が大きくなるほど速度定数が小さくなる。本論文においては、ln(knr)=ln(A)–[( DG°+l)2/4kBTl]で表される。knr: 無放射過程の速度定数、A: 頻度因子、kB: ボルツマン定数、T: 絶対温度
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