純白のエノキタケは人びとに浸透しているが、これも研究開発の成果によるもの。(写真提供:ホクト)

 日本人に深い縁があり、近年は身近になった食材「きのこ」に光を当てている。前篇では、シイタケ、エノキタケ、ヒラタケを取り上げ、栽培法の発展を中心に歴史を追った。古くからきのこの生える場所となる「榾木(ほたき)」を用いた「原木栽培」が営まれてきた中、昭和初期に技術革新が起こり、榾木を使わない「菌床栽培」も行われるようになった。きのこが本格的に日常的な食材となったのは、昭和40年代になってからという。
 後篇では、きのこの歩みの最先端を見てみたい。「きのこ総合企業グループ」を謳うホクトの「きのこ総合研究所」(長野市)を訪ね、研究開発の方法や、その成果について聞いた。

研究所を1983年に設立、菌種開発を本格化

ホクトの「きのこ総合研究所」。(写真提供:ホクト)

 ホクトの創業は1964(昭和39)年。包装資材を販売する会社だったが、1968(昭和43)年から、きのこ栽培用のポリプロピレン瓶を製造しはじめた。背景には、1964年の新潟地震でエノキタケ栽培農家のガラス瓶が割れ、大きな被害が出たことがある。その後、瓶だけでなく、きのこの栽培施設と菌種の販売、さらに自社生産する各種きのこの販売へと事業を発展させていった。
「きのこ総合研究所」が建てられたのは1983(昭和58)年12月。数年前から長野市内の本社に栽培施設を設け、シイタケやナメコなどの研究をしてきたが、研究所の設立で菌種の開発が本格化した。

ついにシイタケの事業、始動へ

 今年8月、きのこ業界のみならず、消費者にも関心を抱かせるニュースがあった。同社が「シイタケきのこセンター」を長野県小諸市に建設することを発表したのだ。約74億円を投じて、年間2000トンのシイタケを生産する。ホクトの商品ラインナップに、初めてシイタケが加わることになる。
 きのこ総合研究所は、2012年3月より、シイタケの量産化に向けた栽培技術の研究に着手してきた。きのこ総合研究所所長の稲冨聡氏が経緯を説明する。
「シイタケは中国から相当な量が安く輸入され、採算の取りづらい品種でした。傘が大きくなるので瓶栽培には適さず、間引きも必要なので、コストもかかります。しかし、お客さまなどから『ホクトにシイタケを手がけてほしい』とご要望を多く受けていました。そこで、機械化を進めて量産すべく、研究に取り組むことにしたのです」
稲冨聡(いなとみ・さとし)氏。ホクト取締役きのこ総合研究所所長。栽培技術部長も兼務。1985年、ホクト産業(現ホクト)に入社。きのこ総合研究所開発研究室長を経て、2012年より同研究所所長。純白エノキタケなど、数多くの新製品開発に携わる。工学博士。弁理士。

 稲冨氏の率いる研究所が目指したのは、「人の手をできるだけ使わず、機械によってシイタケを栽培すること」、そして「できるかぎり生産効率を高めること」だ。
「他の品種に比べると生産効率が悪いのは確かです。でも、お客さまのご要望もあるし、会社の歴史もある。きのこの総合企業として、シイタケの量産化は取り組まなければならない事業です」
 スーパーマーケットなどの小売店は、同一ブランドのシイタケをまとまった量で確保しづらいという課題を抱えている。ホクトによる量産化が実現すれば、均質のシイタケを揃えられる。味わいあるシイタケを安心して食べたいという消費者の期待も膨らむ。初収穫は2018年9月の予定だ。「ホクトのシイタケ」が店先に並ぶ日も遠くない。

黄色くならないエノキタケに多くの利点

 いま「エノキタケ」といえば、誰もが純白のものを思い浮かべる。これは、ホクトの研究により実現したものだ。
 前篇で紹介した通り、昭和初期にエノキタケの瓶栽培法や紙巻き法が開発され、人工栽培が盛んになった。作られたのは白くて細いエノキタケだ。だが、店先で2~3日も経てば、光を受けて傘や柄に黄褐色が付いてしまっていた。
「黄色くなったエノキタケを買う方はいませんでした。小売店は捨てなければならない。光を当てても色が付かない純白のエノキタケを実現することは、業界の大きな課題でした」(稲冨氏)
 きのこ総合研究所は、エノキタケの栽培を続けてきた。結果、いくつかの特徴を持った系統ができた。これらを親株とする交配を行い、光を当てても純白のままの品種を開発しようとした。
「色が付くのを打ち消す遺伝子が発現します。色が付いても薄い色にとどまるような親株を何度か交配して、その中からとりわけ白い菌株を選び出すような作業を繰り返して、新品種を開発しました」(同)
黄色く着色する在来品種(左)と、純白なままの「ホクトM-50」。(写真提供:ホクト)

 こうして1988(昭和63)年、純白を保つ新品種「ホクトM-50」が誕生した。見た目のよさが保たれただけではない。「エノキタケは、光を当てると糖度が増します。以前のエノキタケは色が付いてしまうので光を当てませんでした。でも『ホクトM-50』は光を当てても色が付かないので、糖度を上げることが可能となりました。また、湿気の多い暗室でなく、少し明るい蛍光灯の下で栽培できるようにもなりました」(同)。
 純白のエノキタケは、またたく間に生産者たちに広がった。いま、市販されているエノキタケのほぼすべてが純白系品種だ。「エノキタケは白い」というきのこの新常識が、研究開発により打ち立てられたことになる。

常識ではありえないヒラタケとエリンギの交配を実現

 前篇ではヒラタケの歴史も紹介した。同社はヒラタケの“復活”にも一役買おうとしている。
 ヒラタケの国内生産量は1989(平成元)年には約3万5000トンでピークを迎えた。だが、1991(平成3)年には、形も似たライバルのブナシメジに生産量で抜かれ、以降は生産量が減り続けている。
「私どもは、ブナシメジについても、苦味を抑えた『ホクト8号菌』や、アミノ酸成分を増やして旨味を増やした『ホクト18号菌』を開発し、改良を加えてきました。一方、ヒラタケは国内生産量が下がっていきました。でも、ヒラタケには味があって美味しいし、このままではもったいない。そこで“味はヒラタケ、歯ごたえはエリンギ”という、これまでにないヒラタケの開発に着手したのです」
 ホクトはエリンギの新品種を開発し、国内でエリンギを定着させたことでも知られている。歯ごたえのよさから、エリンギを何度も買う客がいることが市場調査で分かっていた。
 ヒラタケもエリンギも、ヒラタケ科ヒラタケ属だ。だが、研究者たちの間では「ヒラタケとエリンギは交配しない」というのが常識だった。ありえない交配に、研究所に入りたての女性社員が挑んだという。「育種技術でお世話になっていた大学の研究室を卒業した石川真梨子が入社し、5年をかけてヒラタケの新品種開発に取り組みました」。
(上)従来のヒラタケと新品種「HOX 1号」。(下)新品種を商品化した「霜降りひらたけ」。肉厚で日持ちもよく、収量性にも優れる(写真提供:ホクト)。

 それは、ヒラタケとエリンギなどの系統間の、果てしない交配の繰り返しだったという。その結果、国内種のヒラタケと、外国種のネブロデンシス、バイリング、フェルラといった種が交配可能であることを見出した。さらに、その交配株とエリンギを交配することにより、ついにエリンギの形態的特徴を持たせた新品種「HOX 1号」の開発に成功したのである。
「やってもやってもなかなかできず、彼女も相当に苦労した末に実現しました」
 2013年、ホクトはこの新品種を「霜降りひらたけ」と名付け、販売を開始した。従来のヒラタケに比べて傘はエリンギのように肉厚で、傘の割れも生じにくい。「霜降り」の名をつけたのは、傘の表面に霜降り状の模様が見られるからだ。
「研究により、とても美味しいきのこを実現することができたと思っています」と稲冨氏は自信を覗かせる。

日常食になりながらも値打ちは高まる

 今回は栽培法や新品種開発に焦点を絞って紹介したが、同社の研究などにより、きのこの健康面での価値の高さなども解明されている。
 多種多様なきのこが店先に並び、きのこを日常的に買えるようになったのは、昭和の後半からだ。嗜好品だったきのこを日常品として味わえる。それが健康にもつながる。長い歴史を考えれば、ありがたい時代を迎えたものだ。
 これから、日本のきのこはどのような道を歩むのか。稲冨氏はこう抱負を話す。
「皆さんに広く食べてもらう方向に向かっているので、一般受けするような味わいのきのこを作っていくことを考えています。旨味成分が入っていて、癖のないきのこを大勢の人に食べていただきたい」
 大手企業の研究開発が、きのこの日常食化を推し進める。その過程では、新たな味わいのきのこが開発される。身近になりつつも、きのこの値打ちは高まっている。
筆者:漆原 次郎