https://news.yahoo.co.jp/articles/ec0b7ece6474bdc3cb07e9ed2b3a88d9741f3449
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2011年の東京電力福島第1原発事故をきっかけに首相官邸前で毎週金曜日の夜に行われてきた「反原発」を訴えるデモが、26日の400回目で最後となった。ピーク時は主催者発表で約20万人が集まったが、最近は数十人程度まで減少し、参加者らの寄付が頼りだった活動費の捻出が難しくなったという。 【福島第1原発】汚染水処理の流れ 「原発やめろ!」「福島守れ!」。26日午後6時半、東京・永田町の首相官邸前で、最後の抗議活動に参加した約200人が、シュプレヒコールを上げた。 活動を主催する「首都圏反原発連合」は、エネルギー問題に取り組む市民団体などが集まって11年9月に発足した。政権幹部に直接声を届けようと、12年3月から官邸前で活動を始めた。同年6月には、主催者発表で約20万人が詰めかけたとされる。 中心メンバーの元イラストレーター、ミサオ・レッドウルフさんは「普通の人が意見表明できる場をつくろうと思った」と振り返る。労働団体名を記したのぼり旗など、反原発と関係のない文言を掲げないよう呼び掛け、「一部の限られた人が行うもの」という従来の抗議活動のイメージの払拭(ふっしょく)に努めた。音楽を演奏して自由な雰囲気を演出し、過激派や宗教団体による勧誘に注意を払ったという。 13年ごろからほぼ毎週参加してきたという東京都杉並区の無職、三村正次さん(60)は「あれだけの事故が起きて何か声を上げなければいけないと思った。それまでは国にもの申すことはいけない気がしてデモに参加したことはなかったが、意見を言いやすい雰囲気で参加することへの抵抗感はなかった」と話す。 東日本大震災後の社会運動について研究する一橋大の佐藤圭一講師(社会学)は「毎週同じ時間、同じ場所で開催していたため、都合がつく時に行けばよく、デモ未経験者にとって参加のハードルが下がった」と分析。15年の安全保障関連法への反対運動などを挙げ「デモ経験者が増え、その後の社会運動が活発になるきっかけになった」と指摘した。 13年以降は年々、参加者が減り、最近は多くても約200人で、数十人程度のことが多くなっていた。ミサオさんは「毎週集まるのは労力がいる。時間の経過の中で人が減るのは自然なことだと思う」と話す。参加者からの寄付は激減し、ステージや大型スピーカーなどを保管する倉庫の賃借料などが賄えなくなってきたことから、事故から10年が経過した21年3月いっぱいでの活動休止を決めた。 福島の事故後、全基が運転を停止した国内の原発は現在、建設中を含む全60基のうち、24基の廃炉が決まった一方、9基が再稼働した。ミサオさんは「脱原発を達成していない中での休止は残念だが、政府に世論を伝え続けた意味はあった。解散はせず、今後も何かあれば活動できるように準備をしていく」と話している。当面は、インターネットを通じた情報発信を続けるという。【斎藤文太郎】
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