競合は着々キャッチアップ
収益化へスピード維持が課題
それに対し、デジタルアニーラのチップは複雑な問題に適用しやすい構造になっていた。
その特長を示すキーワードが“全結合”だ。例えば、複数の都市を回る営業担当者が、どの順番で巡回するのが効率的かを算出する問題で、全都市の経路がつながる前提で計算できる。これはデジタルアニーラ内の全メモリー同士が自由に信号をやりとりできる全結合型だからだ。
ところが、競合するコンピューターは、東京は横浜とつながっていても、大阪とはつながっていないといった制約があり、一口で言えば使いづらいのだ。
人工知能(AI)に匹敵する柱に育つかもしれない──。1QBitから想定外の評価をもらい、東は技術者としての興奮を覚えていた。と同時に、焦燥感もあった。
ハードウエアはできたが、顧客に使ってもらうためのソフトの開発は東の双肩にかかっていた。「本物の量子コンピューターの産業界への適用には10~20年かかる」とみていたが、競合他社は日本の金融機関と実証を始めるなど着々と歩を進めていた。デジタルアニーラの成功にはスピードが不可欠だった。
富士通にとってもデジタルアニーラの事業化は急務だった。長らく海外事業が低迷していた同社は世界に打って出るための目玉技術を喉から手が出るほど欲していた。
役員からねじを巻かれた東は、1QBitとソフトウエアの共同開発に向けた覚書の締結を実質2週間でやってのけた。相手先から「大企業にあるまじきスピードだ」と驚かれるほどだった。
東の部下は、1QBitから出された合意文の修正案を検討する会議に、東が難解な英文を全て理解して臨んできたことに驚いた。「指揮官は部下から報告を受けて理解するのが通常のやり方。この人のスピード感は他とは違う」と息をのんだ。
東は覚書の締結から4カ月後には一部顧客へのサービス開始にこぎ着けた。顧客がネット上でプログラムを書き、デジタルアニーラを動かせるクラウドサービスを始動させたのだ。
こてこての“スーパーマン”が
チーム力で顧客を開拓する
そもそも東は“スーパーマン”と呼ばれた天才肌の技術者だ。
サーバー用のOSを開発していたころは、トラブル対応の“最後のとりで”だった。顧客対応の現場技術者が匙を投げたトラブルでも諦めなかった。同様に、「部下に対しても突き放さず、他人のレベルまで下りて指導する」(富士通社員)ことで人望を得てきた。
東には意外な側面もある。実は、たこ焼き屋が夢で、ビジネスプランまで持っている“こてこて”の大阪人なのだ。さらに世話好きの大阪人らしさも備える。元部下の男性社員は10年前に風邪で会社を休んだ際、東から電話で「食料を買っていくぞ」と言われ、そのウエットな一面に驚いたという。
現在、東が指揮するAIサービス事業本部は社の未来を左右するデジタルアニーラやAIなどを統括する。精鋭の技術者ら240人から成る同本部は競争が激しく、さぞ潤いのない職場かと思いきや、そうでもないらしい。
その要因として、東が気遣い屋だからということもあるようだ。毎朝、オフィスの自席に行く道順を変え、できるだけ多くの社員にあいさつしたり、飲み会で全席を回って話を聞いたりする。そのためか「東のチームはベクトルが合えばとてつもない力を出す」といわれる。
目下のところ、最重要のミッションはデジタルアニーラの活用事例を増やすことだ。
富士通グループの工場でデジタルアニーラを使い、倉庫で部品を集める手順などを最適化したところ、作業員の移動距離を45%短縮できた。こうした事例を武器に他社に売り込みを掛ける。
顧客となる金融機関は分散投資における最適な銘柄の組み合わせを知るために、製薬会社は創薬のヒントとなる医薬品と似た分子構造を持つ物質を探すために、デジタルアニーラに期待する。
顧客と話していると、金融工学などの専門知識を求められ四苦八苦することも多いが、東は「他分野の知見がある人も加えて、事業化をやり遂げられるチームをつくる」と自信を見せる。
事業拡大フェーズで失速すれば努力が水泡に帰す。たこ焼き屋の夢がかなうことは当分なさそうだ。(敬称略)
(「週刊ダイヤモンド」編集部 千本木啓文)
【開発メモ】新型コンピューター「デジタルアニーラ」
量子コンピューターによる高速計算を可能にする“量子の振る舞い”を、既存技術であるデジタル回路で実現したプロセッサー。従来のコンピューターは情報を「0」か「1」に置き換え、逐次処理するが、デジタルアニーラは量子コンピューターのように、「0」でもあり「1」でもあるという状態を可能にし、並列的に情報を処理できる。
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