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SACO最終報告の3案[編集]
3案の技術的な内容の出典は主に『日経コンストラクション』「普天間基地の代替移設問題 日米政府が海上ヘリポートで合意 施工法は「浮体桟橋工法」か「メガフロート」か」(1997年2月14日)による。
SACO最終報告に先立ち、日本政府は1996年10月に関係省庁の専門家で構成するグループ、および学識経験者を中心とするグループ、TAG(Technical Advisory Group 技術支援グループ)を設置し、施工法について研究を行った。TAGの座長は横浜国立大学教授だった合田良実であり、初会合は10月18日防衛庁で開催されている[29]。研究結果は最終報告に先立ち公表された[30]。海上ヘリポートに求められた土木的な条件は次のようなものであり、これを民間団体や企業に提示して技術提案を募り、その内容を検討した。
- 具体的な場所は想定しない(最終報告では沖縄本島東岸沖と曖昧にされた)
- 滑走路の長さは1500m
- 沖縄本島周辺の100年確率波浪などに対して安全性、耐久性を確保すること
- 想定水深は5m、25mの2案。
なお、いずれの案も水深が問題となるが、これは基地をどの程度沖合いに展開するか(或いは出来るか)と関係する。陸上から離れるメリットは騒音被害を極限化できる点にあり、関西国際空港などの海上空港が建設された目的のひとつは公害問題への対策にあった。
下記のような検討を経て、最終報告では杭打ち桟橋、ポンツーン方式メガフロート、セミサブ方式メガフロートの3案が現実的に実現可能として併記された。
なお、最終報告に基づき、続いての建設計画の作成は日米合同のFIG(Futenma Implementation Group 普天間実施委員会)にゆだねられた。FIGはSSC(Security Subcommittee 日米安全保障高級事務レベル協議)の監督下にあり、日米合同委員会(日米地位協定25条での設置機関)と共に、1997年12月までに計画を作成するように求められている[31]。
杭打ち桟橋工法(QIP工法)案[編集]
英称はQuick Installation Platformと言う。日本語ではこの当時、「浮体桟橋」と表現する記事が多かった。大手ゼネコンが参加する「沖縄海洋空間利用技術研究会」[注 8]が研究していた。『日経ビジネス』によれば同研究会は元々は那覇軍港の海上移設を検討する目的で1994年に発足したものであった[30]。海底に固定した鋼管杭により、滑走路や建築物の基礎となる上部工を支持する構造。Quickの名にあるように、急速施工を目指している。
施工はまず鋼板製のフローティングモジュールを工場等で製作し、次いで海上の設置場所まで曳航する。モジュールには予め支えにする鋼管杭の何割かを取り付けておき、設置場所でジャッキによりおろして海底に固定する。その後、今度は杭を更に伸ばしてモジュールを海面よりも上に持ち上げる。これらの作業が終わった後に残りの鋼管杭を取り付け、隣接するモジュールとの接続作業(当時は溶接を想定)を実施する。
本工法は当時既に実績が多く、アメリカラガーディア空港の拡張工事(19万平方メートル)で採用[注 9]。基本計画の作成から設計に1年半、施工には3年程度と見積もられた。費用は100万平方メートル規模で2000億円(想定水深25m)。陸上とは連絡橋を用いて行き来する。
日経ビジネスによれば、海上ヘリポートで使用を想定したユニットの大きさは70m×30mでメガフロートに比較すると小さい。最初に打ち付ける杭が13本、ユニットに予め装着し、最初の段階のジャッキアップに使用し最後に固定する杭が8本、ユニット当り計21本を使用する。研究で目標とした要求に応えるにはユニットは400個以上が必要となる。ユニットの厚さは1.8mで、格納庫は中に置かず、全て上部に建設する。研究会副会長の大内仁は「設計技術、安全基準の評価が進み、実用化が最も進んだ工法」と自賛している[30]。
当時指摘された建設面でのデメリットとしては杭が海底環境に与える影響があった。メガフロート派からもその点を突かれたが、研究会では杭は直径1~1.5mの鋼管であり、断面積は空港全体の0.7乃至1%程度であり、日経ビジネスでは「撤去時には振動を与えながら杭を抜くため、穴は砂で埋まってしまう」と説明している。
1996年10月には1995年に基本合意された那覇軍港の浦添移転計画に連動して、浦添沖での設置を検討していることが報じられた。防衛庁筋は「那覇空港を離着陸する民間機の本島西側の航空ルートに米軍空域は重ならない」「MOB(後述)に比べ安価」といったメリットを挙げていたが、アメリカ側は「攻撃に対する耐久度が脆い」と難色を示していた。その他、浦添沖にはアメリカ軍の訓練水域は無く、普天間返還の日米合意条件である「沖縄の他の米軍施設・区域にヘリポートを建設」から逸脱する内容でもあった。更に、浦添市が反対を明確にしているという事情もあった[33]。結局、浦添沖でのQIP案は放棄され、SACO最終報告で沖縄本島東岸沖となる。
メガフロート(ポンツーン方式)案[編集]
日本でポンツーン方式を初めて提案したのは1990年に設立された造船、鉄鋼、建設など96社で構成する「マリンフロート推進機構」であった。1995年4月には運輸省などの支援を受けて造船、鉄鋼など17社からなる「メガフロート技術研究組合」[34]が発足し、3ヵ年で本方式のメガフロートを実現するための研究に着手した矢先に、基地移設問題が出てきた。研究会はこの時既に神奈川県横須賀市沖に、長さ100m、幅20m、厚さ2mの鋼製の浮体ユニットを展開し実験を開始している。
海上ヘリポートとして提案した内容としては長さ1500、幅500m、厚さ15m。構造物の内部は居住区やヘリ格納庫などに使用する。設計には1年、施工には4年半かかると見積もられた。使用する鋼材は90万トン。1トン当たりの建設費は20万円であった。本方式の場合防波堤を併用するため強度はセミサブ式に比べて低いもので良い。防波堤は撤去可能な構造とするため内部に砂を充填したタイプ[注 10]とし、延長2000m程度とされている。防波堤の建設費は2000mの場合で水深1m当たり6000万~1億円。本案も連絡橋を用いる。日経ビジネスによれば、1ユニットのサイズは縦300m、横60m程度を想定し、これを40~50個程度接合してデッキとする。また、組合の追浜事務所長木下義隆が洋上でのユニット接合を「造船会社が得意とする厚板接合の応用」と説明したことを紹介している(なお、1997年7月に技術組合が実施していた横須賀沖での洋上接合実験は成功した)[30]。
日経コンストラクションによれば、当時指摘されたデメリットは水深の深い場所では防波堤の建設が困難になっていくことである[注 11]。また、日経ビジネスは鋼構造物は長期耐久性に配慮が必要であり、濡れた状態で空気に暴露されるため最も腐食が進行しやすいスプラッシュゾーン(飛沫帯。潮の満ち引きで海中に没したり、海面に出たりする部分)の防食対策として、チタンクラッド材を張る方法を開発していたことを紹介している[注 12]。
また、日経ビジネスによればQIP派より指摘された問題点として、
- 揺れの問題が大きく、居住性が損なわれる可能性がある
- メガフロートでは防波堤設置による海底、潮流への影響が心配される。
- 本体施設と海面に隙間がないので、下に日光が入りにくい。
などがあった。揺れの問題については米軍筋からも疑問が呈され、「いくら防波堤があるとは言え、台風が来れば海面は揺れるし、橋の通行が不能になれば軍事基地の用をなさない」と使用上の制約に難色を示している[37][注 13]。
これに対しては次のような反論が紹介されている[30]。
同様の問題について、メガフロート技術研究組合の支持母体、共同研究団体であるマリンフロート推進機構は2000年に出版した浮体構造物技術書の中で次のような内容を説明している。それによれば、横須賀沖で2段階のフェーズで実施したポンツーン式の実用実験では人が不快感として感知し、居住性を損なうような揺れは全く観測されず、動揺で研究が必要とされていたのは浮体の全長に匹敵するような超長周期波との共振や弾性変形による高周波微少振動などであったと言う。そして、「これらの研究・開発により、構造解析や挙動解析といった基本的な分野での研究はおおむね終了したものと考えられる。今後は浮体構造物の性能向上、例えば波浪動揺の減少や防波堤の簡易化など、コスト面で競争力のある浮体構造物の追求が検討の中心となる」と総括している[39]。
メガフロート(セミサブ式)案[編集]
本方式は関西国際空港1期工事の工法を検討していた1970年代後半に提案されたことがあるが、当時コストと耐久性についての技術的課題が未解決であったため棄却された経緯がある(別節で詳述)。「メガフロート技術研究組合」は海上ヘリポート提案に当たって本案も提案した。長さ、幅はポンツーン方式と同じで厚さは12m。内部の利用法もポンツーン方式と同じである。メガフロートとしてはポンツーン方式より先に考案されたが、波浪を防波堤で遮断しないため構造物の強度が必要になる。メリットとしては水深の深い場所でも建設が可能なことである。
コスト面ではポンツーン、QIPより割高で、両工法に比較して2倍以上とされている。また、陸上との連絡方式は船舶となる。スプラッシュゾーンの面積がポンツーン型に比して大きくなり、腐食、メンテナンスリスクが増大する。しかも、チタンクラッド材は高価なことが欠点であった。このため、研究組合に参加していた住友重機械工業は大型のセミサブ式メガフロートの長期耐久性を向上するため、上部デッキから海面に達するスカートを設け、内部の閉鎖空間に窒素ガスを充填することを考案し、特許も取得した[40]。
メガフロート全般に言えることとして、荒天時の波浪など外界の圧力により構造物が微妙に変形する際、繰り返し荷重を受けてクラッドが剥離に至る危険もあった。研究組合に参加していた新日鐵はこの問題の解決に努力し、2000年代に接着面に液体などを充填する旨の特許を出願している[41]。
その他の提案[編集]
SACO中間報告などを前提に日本政府でヘリポート検討が進められるのと並行して、民間からも様々な提案が行われた。
重力着底型プラットフォーム案[編集]
英略称SBSP。大林組により1996年10月、防衛庁に提案された。水深100mまで対応可能。コンクリート製の重力式基礎を海底に設置し、海面上に鋼製脚を伸ばしてデッキを上に載せ連結する。当時既に海底油田での施工実績があった。建設費は長さ900m、幅90mのヘリポートを想定した場合約1500億円(『財界人』1997年7月号では2000億円)とされた。本案の陸上との連絡方式も船舶である。メリットとしては大規模な基礎工事が不要であり、波の影響を受けにくく、コストや環境の面でも有利であり、メガフロートよりも安価に出来ると説明された。工事期間は2年から2年半で、波に強い特性から防波堤は不要である。
移動海上基地(MOB)案[編集]
英称はMobile Offshore Base。この当時既にアメリカ軍が研究を始めていた。1996年9月に橋本が海上ヘリポート案を示した際一気に世間の注目を浴び、一時は有力候補と目され、当時の海兵隊司令官であったクルラックなど、関係者が期待を示している。
しかし、1990年代になって必要性が従来より強く認識された理由として、下記が挙げられている。
- 1980年代後半頃から軍産官学各界で開発への機運が盛り上がった[43]。
- 湾岸戦争の際、海上兵站輸送に支障をきたした[注 14][44]。
- 湾岸戦争当時より「次の時には今回のようにトルコやサウジアラビアの基地提供が得られる保証はない」と言われていた。一般論として、アメリカが軍事力を行使する際、その場所や近傍に基地を確保出来る保証はないことも指摘されている[44]。
兵站上の理由が挙げられているが、朝日新聞はMOBが事前集積船隊の思想の延長にも当っていることを報じている[45]。 また、ジョージ・H・W・ブッシュ政権を通じて国防長官であったディック・チェイニーの署名による湾岸戦争を総括したレポートでは、当初1年が必要と見積もられた部隊展開を半年で達成したことや、その要因であるサウジアラビアへの基地建設投資、及び技術開発成果を自賛する一方、「砂漠の嵐作戦に基づく2つの取り組み」として技術革新と将来への備えを勧告している[46]。
このため、国防総省は1990年代初頭より「地域紛争対処型新兵器システム」として実用性の検討を開始し[48]、海軍の研究機関が中心となって要素技術の開発が進められた[39]。1991年にはハワイ大学で『International workshop of VLFS』(VLFS'91 第1回超大型浮体式海洋構造物に関する国際ワークショップ)が開催された。国防総省は1992年から翌年までの研究開発基金を生み出すことに成功した。その後、国防高等研究計画局は1993年から1996年まで「Maritime Platform technology」と題して研究を行った。クリントン政権にはチェイニーの後釜で新政権で最初の長官となったレス・アスピンのように、技術革新に強い関心を示した国防長官も居た。しかし、江畑によれば政権としては国防予算は減額傾向にあり、MOBに高い優先順位は与えられなかった。1996年より3000万ドルの予算で、MOBのような洋上プラットフォームの建造にどのような技術が必要であるかの研究を進めることとしたが、これは予算を少し消費しただけで中断した状態になった[44]。
1990年代末、普天間代替基地の候補と目されていた頃考えられていたMOBの構成について説明する。提案はアメリカの民間企業3社で検討されており、内ブラウン・アンド・ルート社の作成したMOBのパンフレットが最初に日本国内で出回り始めた[49][注 15]。
B&R案
B&R社は概念設計を請け負った。用語としてのMOBを生んだのもこの会社である。研究は再編されたばかりの研究機関、NSWCCD(Naval Surface Warfare Center、Carderock Division)のテーラー水槽にて1993年7月から1994年11月まで続けられた。同社は60分の1のスケールモデルを作成して各種の試験を行っている。
このMOBはそれぞれ独立したセミサブ式メガフロートであり6つのモジュールで構成される。モジュールはCommand Module(指揮管制モジュール)、RO-RO Module(兵站モジュール)、Warehouse Module(倉庫モジュール)、Thuruster Module(スラスターモジュール)の4種に分類できる[49]。6つのモジュールは同じサイズである。MOB両端部にはスラスターモジュールが設置され、同モジュールは出力1490kWのものが12基設置されており、移動、位置保持を行う。上構は3つのデッキからなり、一番上がフライトデッキ(飛行甲板)である。
『選択』誌によれば、各モジュールのサイズは長さ170m、幅100m、高さ70mとなっている。各モジュールは洋上で連結して完成する。10ノットで移動することも出来る。江畑謙介によれば各モジュールに分割し、曳航するタイプも検討されていたと言う[44]。発着が想定されているのは、ヘリの他、C-130や同機の給油機仕様のKC-130が考えられている。
下記に専門誌に掲載された主要目を示す[43]。
- 全長:152m(アッパーハル、6モジュール結合時914m)
- 幅:91m
- 高さ:65m
- 喫水:30.5m(満載)、12.8m(移動時)[注 16]
- 排水量:677122メートルトン(MT 満載)
- 搭載能力:
- ドライカーゴ148400MT(車両含)、使用スペース254000平方メートル(フライトデッキ除く)
- リキッドカーゴ49800MT(大半はlower hullに収蔵)
- 速力:
- 6.2ノット(at survival draft when fully assembled)
- 8.5ノット(transit draft)
- 耐用年数:40年
なお、『Journal of Marine Science and Technology』によればtransit draftとするには貨物の一部を降ろす必要がある。また、スラスターモジュールではなく、各モジュールにスラスターを分散させることがB&Rより提案され、合計出力35790kWでは位置保持に出力が不足していることが明らかとなった。
車両移動はSS3(Sea State、状況によりSS4でも可)、主要な荷役作業はSS4まで可能である。ただし、大半のRORO船が港湾での荷役を前提にしているため、モデル試験で挙動を定量化する際、やや主観的に決定した要素がある。コンテナのクレーン荷役は殆ど研究されなかった。実用化に際しては追加の研究を必要としていたと言う。
同社は橋本発言の直後、「開発は既に85%が終わっている」と述べていたが、上記のように実物サイズはまだ1基もない状態であった。費用は6モジュール合計で2000億円と見積もられたという。国防大学にも模型が飾られていたという[45]。
作戦運用上のデメリットについては、当局者のコメントとして下記が報じられている[50]。
- 大きさの制約から基本的には滑走路機能しか持てない
- 陸上との連絡は桟橋などに頼れず、兵員輸送にはヘリを使用するため、沖縄本島に支援のための大規模地上施設が必要
Mcdermott案
McMOBと呼ばれている。同社は舶用クレーンの分野で知られ、論文の中で三井造船が建造を担当したDERRICK BARGE No.102など過去の実績に触れているものもある[51]。同社は1995年11月から契約に基づき、概念研究を行った。研究ではB&R社の概念設計の教訓を取り入れている。設計に際してはC-17の運用を意識してサイズが決められている。大きさの等しい5つのサブベース(モジュール)から成る。ロワーハルはタンカーに類似した形状とされている。本案もNSWCCDのテーラー水槽にて60分の1のスケールモデルを作成して各種の試験を行っている。風洞、流体試験は1996年夏で終了し、予備設計も1997年夏で完了の予定であった。下記に専門誌に掲載された主要目を示す[43][51]。軍は1995年に要求仕様を示したが、McMOBは速力などで部分的に上回る仕様となっている。
- アッパーハル
- 全長:300m(5モジュール結合時1500m)
- 幅:153m
- 高さ:67m
- カラム:8本(4×2)、直径27m、横方向中心間隔92m、縦方向中心間隔72.3m
- ロワーハル:2基(ポンツーン)、中心間隔92m
- 全長:260m
- 幅:44m
- 深さ:14m
- 喫水:35m(Operational draft)、30m(Survival draft)
- 重心:基線より30m上方
- 連結ヒンジ数:8(自由度3)[52]
- 排水量(1モジュール当り)
- 190544MT(Transit draft 30000MTのドライ/リキッドカーゴを含む)
- 374 000 MT(Operational draft of 35m)[53]
- 搭載能力:
- 60000MT(Maximum payload、1モジュール当り、ドライ/リキッドカーゴ計)
- スラスター出力:50000kW(1モジュール当り、6250kW×8)
- 速力:
- 15ノット(10.8m transit draft、full payload)
- 14ノット(12.2m maximum payload)
モジュール間の連結はSS5まで可能で、SS7では切離す。模型実験の結果、SS4にて接舷する船舶は相対運動を抑制するように設計したものである必要が分かった。
Kværner Maritime/ボーイング案
柔軟性を持たせたトラス構造のアーチ状の長大橋で架橋する。論文ではFlexible Bridge MOBと紹介されている[42]。
- セミサブ全長:213m 3基
- 長大橋全長:457m 2基
ベクテル/レイセオン/Nautex案
Independent Module MOBと称される。全長500mのセミサブ式モジュール3基が縦に並んだものであるが、ヒンジや橋による連結は行わず、Dynamic positioningによって位置保持を行う[42]。
小型案、移設検討の中での議論
橋本は海上ヘリポートと述べただけだったが、アメリカの一部関係者はMOBに乗り気であった。1996年9月20日に開催された「2プラス2」後、国防次官補代理のキャンベルは、セミサブ式の油田掘削リグを例示しながら「日米両国はこれらの問題で大きな技術力を持っている」と移動式海上基地に対する期待を示した[54]。
クルラックも同様で、20日に開いた記者会見ではMOBへの移設可能性について語った。その中で「ある時にはフィリピン沖に係留して訓練をし、ハスの葉のように行ったり来たりする」とMOBの性格を説明している[55]。ただし、梅原季哉などによればクルラックは元々冷戦後の脅威が世界に拡散したことに対して海兵隊の分散配置と技術革新で応えようとする考えがあり、1996年にトム・クランシーが出版した『Marine: A Guided Tour of a Marine Expeditionary Unit』でもクルラックは事前集積とMOBの概念について応えている。また、当時海兵隊が纏めた「2010年の海上事前集積」という文書では従来型事前集積船、超高速輸送船、MOBの3本柱で構想が描かれていた。海兵隊本部の戦略構想部門からクルラック直属の戦闘実験室実験作戦部門長に異動したジェームズ・ラズウェル大佐はMOBの活用法について机上研究を繰り返したと言う[56]。9月30日には沖縄沖での導入を前提に、国防総省が近く米企業と新たな研究契約を結ぶと報じられた。研究には6~9ヶ月の期間を見込んでいる[57]。
しかし、10月に入るとMOBの規模を縮小し、移動も余り重視していないと報じられた。これは小規模なMOBで、実行可能性調査(feasibility study)も完了して技術的に可能と結論された[58]。浮体海上施設(FOF)と呼ばれ、300m四方の正方形であった。喫水は30m以上。兵員居住区、弾薬、燃料、格納庫等の設置が主目的となっている[59]。琉球新報は「訓練限定型」として報じており、技術的に未知数な点が多いこともあり、中間報告の段階でQIP等の日本側提案を受け入れたと述べている[60]。この時点で、11月下旬までの結論は困難との観測も流された。『日経コンストラクション』によれば、SACO最終報告を出すに当って日本政府が設置したTAGなどの研究グループは、本格的には検討の対象としなかったようである。なお、ラズウェルは小型MOBの検討について「オスプレイが発着できるだけの規模はぜひ必要」と述べている[56]。
ただし、大型のMOBが諦められた訳ではなかった。むしろ小型MOBは早期に報道されなくなり、日本側が示していた各案に匹敵するサイズである、B&R社案などが引き続き登場している。例えば『選択』誌はFIGの場にてアメリカ側がSACO最終報告の3方式に「難癖をつけ、落としどころとする可能性は捨てきれない」旨の観測も示している[49]。
MOBというシステムが持つネックとしては『世界週報』などにて下記が指摘されている。
- 小型のMOBであっても海上ヘリポートの2~3倍の建造費用がかかる[61]。
- 移動可能という空母のような性格を持つため、建造後日本が所有権を保持すれば攻撃用装備として論争を引き起こす可能性がある[61][62]。
- 移動可能という空母のような性格を持つため、アメリカ側に譲渡すれば、武器輸出三原則に抵触する[61]。
- 日本が貸与するにしても、事実上の管理権がアメリカにあるならば、アメリカ軍が必要と考えて日本以外のどこかに移動して作戦に投入する可能性がある[44]。
- 上記を懸念して普天間代替用と言う目的を貫徹し、沖縄近海以外の移動を禁じるのであれば、最初から高価な移動式にする必要がない[44]。
なお、SACO後に検討を再開するきっかけとなったのは1998年にイラク情勢が不穏となった際である。この年の2月、トルコ、サウジアラビア、バーレーンなどはイラク攻撃用航空機の発進場所として自国の基地使用を拒否するかのような態度を取ったため、一部には憂慮された事態が現実のものとなったと受け取られた[注 17]。
また、当時のアメリカ軍からは海軍や海兵隊ばかりでなく、陸軍や統合参謀本部から、特殊作戦部隊の発進基地、地上部隊と支援部隊の洋上基地、軍用装備と補給物資の貯蔵基地、病院など様々な用途への使用が構想されていた。当時、海兵隊は2010年以降の洋上事前配備計画の中でMOBの利用を研究しており、陸軍は2010年以後のあり方を決定する「Army After Next」研究計画で、陸軍大学で実施するシミュレーションにてMOBの使用をシナリオに組み込む予定であった[44]。
この少し後の2000年に日本造船学会主催で行われた学術報告によれば、要求設計条件は下記のように厳しい内容である[48]。
- SS 6までの波浪中での航空機の運用が可能であること
- SS 3までは艦船による貨物の荷役作業が可能であること
- 40年の耐用年数
- ハリケーンや台風のなかでの生き残り等
また、技術的課題としては、下記が挙げられている。
- 構造強度上の最も重要な問題の1つはモジュール間の結合/分離メカニズム
- 荷重や構造方式などで未解明の問題がある
- 縦曲げモーメントよりも、波や潮流による横曲げモーメントの方が過酷
- 極端に長い形状のために、通常の船や海洋構造物では起こらない問題が生じる
マリンフロート推進機構は専門書にて期近に実現の可能性が高い外洋形構造物が何かを想定する際、MOBを水深数百mの大水深域における浮体に区分し「一足飛びの1.5km浮体では実績に裏付けられた技術レベルからのジャンプ量が大きすぎると判断される」と評しており、日本の当面の開発目標として、外洋大水深域では数百m規模のサイズの浮体を開発目標にするよう提言している[39]。
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