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かつて日本一の原油の産地として栄えた新潟市秋葉区で、夏から一部地区で原油の異常な湧出が続き、池に流れ込むなどしている。市は緊急の対策費として市議会9月定例会に2000万円を追加する補正予算案を提出。区の担当者は「回収した原油は使い道がない。正直対応に困っている」と話す。 【写真】「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」にちなんだ「そこらへんの草天丼」連日完売
同区朝日の山あいにある沈砂池では今月上旬、山の斜面からにじみ出た真っ黒な原油が水面いっぱいに広がり、油のにおいが一帯に立ちこめていた。川をつたって下流に流れ込まないよう、オイルフェンスが設置されている。
同区建設課などによると、この場所で原油が出始めたのは約4年前。かつて池にはコイなどの魚がいたが、全滅した。区は油を回収・処分する費用として、2018年度から毎年約1600万~2000万円を予算計上してきた。
「今年は例年よりも原油の量が多い」
現場で油の回収作業をしている委託業者から連絡があったのは夏頃。因果関係は不明だが、7月頃には信濃川にまで油が流れ込んでいるとの情報もあった。
市は今年度当初予算に約1600万円を計上したが、異常湧出を受け、2000万円を追加する補正予算案を9月市議会に提出した。24日に開かれた市議会環境建設常任委員会では、区の担当者が池に大型ポンプを設置し、油を吸い上げるなどの対応について説明。市議からは「全国的にも珍しい事例。国の支援策は?」「川の水質への影響は?」と質問や懸念の声が上がった。
同区にはかつて、日本一の産油量を誇った新津油田があった。古くから原油は臭い水という意味で「くそうず」と呼ばれ、書物に「草水」などと記されており、現在も区内には草水町という地名が残る。
新津油田は、明治から大正期にかけて石油王と呼ばれた中野貫一らによって開発され、最盛期の1917年(大正6年)には年間12万キロ・リットルの産油量を誇った。
区内にあった旧金津村は、大正、昭和初期には石油事業で税収が多く、「金持村」と呼ばれた。だが大正以降、産油量は減少し、30年には最盛期の約5分の1に減った。
その後も新津油田では採掘が続いたが、採算が合わなくなり、96年(平成8年)に業者が完全に撤退。採油の動力源「ポンピングパワー」などが現存する「新津油田金津鉱場跡」は2018年に国史跡に登録された。一帯は「石油の里公園」として整備され、現在は観光資源として活用されている。
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地域の繁栄を支えた原油だが、近年は湧出・流出による被害がたびたび起きている。
2011年には同区鎌倉で原油が噴出、13年にも同区滝谷町の住宅地で湧出が続いた。現在、対策として水と油を分ける「分離槽」が設置されている箇所は区内に12か所あるという。
区建設課によると、今回の異常湧出の原因は、自然湧出のほか、地殻変動、過去に採掘した業者などが油井の十分な封鎖処理をしていなかったことなどが考えられるという。
市は今後、現地調査をする予定だが、池周辺は複数の私有地にまたがり、調査範囲も広大なため、原因が明確に突き止められるかは不透明という。
市の毎年の対策費の負担も大きくなっており、国などに財政支援を受けられないか相談しているが、補助金などはなく、見通しは立っていない。同課は「油の湧出状況を注視しながら、より効率的な対応を検討したい」としている。
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