います、います、沢山います。歴史ある「日本音楽コンクール」(毎日新聞・NHK協賛)はクラシック音楽のコンクールであり(下記動画の20秒辺りでそう明言)、オケを使った作曲部門が存在します。
下記は、第90回(2021年)大会の作曲部門第1位に輝いた福丸光詩氏作曲「土の器」 Ⅱ Cor. 4:7 室内楽のためにの部分に合わせてあります。
最初の数十秒だけでも良いので、試しに聴いてみてください。
びっくりしました? 「これって現代音楽じゃん!」「クラシックじゃないじゃん!」と思われる方もいるでしょう。
でも、この手の現代音楽も、立派にクラシック音楽の範疇に入るんです。下記クラシック音楽年表をご覧あれ。
(クラシックの作曲家 )
注:専門家によって多少のバラ付きがあります。ドビュッシーやラヴェルを「印象派」という区分けにしたり、現代の前に「近代」をビシっと分ける人も居ます。
ということで、オケを使った現代音楽も「クラシック音楽」の仲間なんです。
年表の一番下にあるジョン・ケージなんか、くちアングリ! チョー有名な『4分33秒』という作品の「演奏」例では(↓)、ピアニストが一切打鍵していません(作曲家の意図については上記 Wiki リンクを参照のこと)。
君は音楽界のマルセル・デュシャンか?(←便器を『泉』と名付けて出品(しようと)した芸術家)
ここで何が言いたいかというと、クラシック音楽も他の音楽ジャンル同様、歴史と共に進化している、ということです。
音符数の少ないモーツァルト(↓)が
ベートーベンの楽譜(↓)を見たらビックリし「スフォルツァンド(青枠)やスビートピアノ(赤: フォルテピアノ)ばっか使いやがって! こんなんクラシック音楽じゃねぇ!」と思ったかも。
このように「一拍目にアクセント」という大前提を無視したい時、スフォルツァンドを重用したベトベンですが、もぅバルトークに至っては、各小節で拍子を変えちゃうという裏技が好きでした。これをベトベンが見たら「こんなんクラシック音楽じゃねぇ!」と怒るかも。
下図はバルトーク作曲『IM FREIEN (Out Doors)』の部分:
考えてみれば、現在のロック・ミュージシャンで、50年代のプレスリー調ロックンロールを作曲する人は余り多くありません。
とはいえ、ポップ界の売れっ子、ブルーノ・マーズは80年代の匂いがする曲を作っても若者達に大ウケなので、原点回帰やレトロ復刻もアリですよね♪
最後に、クラシック作曲家の中で現存する巨匠の一人、ハンス・ジマーのデューンを。こりゃー本当に名曲だ💓 アカデミー作曲賞を獲得したのもうなずけます。
あとは、ベルトリッチ監督のお気に入り坂本龍一(「シェルタリング・スカイ」「ラスト・エンペラー」他)、ジョン・ウィリアムズ(「スターウォーズ」「スーパーマン」他)、ジブリ作品のおかげでアメリカでも知名度が高い久石譲も立派なクラシック音楽作曲家だと思います。
何がクラシックかという問題は私にはよくわかりませんが、オーケストラ向けの交響曲やピアノ曲、弦楽四重奏向けの曲を書いている作曲家はいます。歌曲も手掛けていてポピュラー音楽でヒットする方も多数。
新垣 隆氏はどうでしょうか。佐村河内守のゴーストライターとして有名になりましたが、作品はもっと評価されてもいいかなと。
映画音楽やミュージカルの楽曲、ゲーム音楽、行進曲を書いている作曲家たちがいますね。
映画音楽ならバート・バカラック氏やスターウオーズのテーマを書いたジョン・ウィリアムズ氏、映画「ジョーカー」の音楽を手掛けたヒドゥル・グドナドッティル氏。
ゲーム音楽では、昨年亡くなられた故すぎやまこういち氏とか。もちろんJRAのファンファーレなども。
スポーツとの絡みでは、FIFAアンセムを書いたフランツ・ランベルト氏。オリンピックでは毎回違うテーマ曲が作られていています。
クラシックの作曲だけではなかなか食べていけないので、他分野の作曲を手掛けたり、演奏家として活動したりという方も多数おられるようです。
哲学的な質問のような感じがして回答を書いてみました。
日本人に近しい形で質問を変えると民謡の作家はいますか?とか雅楽の作家はいますか?が近いと思います。
私はクラシックの作曲家はいないと思います。ただし、クラシックの技法にのっとったクラシック風の作曲者はいると思います。
というのもほとんどのクラシックが作曲された時にはクラシックには分類されていないからです。今ではオペラ系も音楽もクラシックと同一視されていますがクラシックから派生した大衆演劇用の音楽だったわけです。
というのも何10年もたってから、本当の意味でのクラシックになるので作りたくてもクラシックの曲を作れない説を提示したいと思います。
クラシックのカテゴリーが定義出来ないのですが,それっぽくて私の好きなものでは。
マイケル・ナイマン ピアノ協奏曲
マイケル・ナイマン if
ハンス・ジマー Interstellar
リアルタイムでその後残っていく作曲家を確定するのは、難しいのと、現代は西洋式の音楽の中心がクラシックではない。。。つまり、現代を代表する音楽はクラシックではないのです。
ご質問を拝見し、まず浮かんだ音楽が
なので、たぶん私はバッハを連想したようです。
そのあとで、もういっぺんご質問を読み返して、あえて最初の”?”マークまでの7文字を考えて浮かんだのが
フジTVのエグゼクティブPのダーイシさんのお気に入りソングですね。その昔恐竜展のテーマとされた曲です。どうも視覚的に漢字の『作曲家』に引っ張られて日本を強くイメージしたようです。
なので、もういっぺん考えたら、高見沢さんですね。
そういいつつ、やはり頭にはクインシー・ジョーンズが浮かんでいて
がズ~っとかかっております。
とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。
一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。
作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。
その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。
20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。
が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。
第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。
ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。
何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。
悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。
要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。
さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。
対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。
一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。
戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。
それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。
それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。
クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。
が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
クラシックという定義は別にして、現代を20世紀含ませて頂ければ、
バーンスタインさんもその一人だと思います。
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キャンディードはミュージカルですが、序曲と最後の合唱曲は人気があり頻繁に演奏されています。もちろん、「ウェスト・サイド・ストーリー」が有名ですけど。
「キャンディード」はビデオを含め複数のバージョンを持っていて、愛聴していました。
亡くなっていますので、「現代」活躍している方ではないのですが。
ジョン・ウィリアムズさんなど、映画のサウンド・トラックで有名な方も様々な作曲されています。
いやあ…
バッハくらい対位法をがっつり極めた人も、
モーツァルトくらい自由闊達に様々な動機や主題を絡み合わせられる人も、
ベートーヴェンくらい単純な動機を磨き上げて立派な作品に仕立てられる人も、
ショパンみたいなメロディメーカーも、リストみたいな名即興者も、
ワーグナーみたいな誇大妄想的ファンタジーに浸れる人も、
ドビュッシーみたいな独自の和声法の構築ができた人も、
ストラヴィンスキーみたいにカメレオン並みにくるくると様式感を切り替えられる人も、
たぶんいないんじゃないですかね。
「俺、少なくともショパンには勝てるよ!」とガチで言う人がいたら、結構正気を疑うかもしれません。
主な理由として二つあるかと思います。
クラシック音楽はグレゴリオ聖歌から進化していったヨーロッパの伝統音楽です。
まず一つには文化的な男女差別の関係があります。
どうしても貴族などに向けた知的活動であったクラシック音楽ではそのような差別が影響していたと考えられます。
もう一つは論理的思考と感情的な感性のジレンマ、そしてこれらの生物学的な男女の差に因果関係があると一部で言われています。評論家や音楽家などの間では論理的要素が重要視されることが多々あるので当時の女性には向かなかった可能性があります。
これら二点のなごりでしばらく女性の作曲家が認知されなかったのではないかと思います。
個人的な意見になりますが20世紀近くになるとリリー ブーランジェなど、男女関係なく素晴らしい作曲ができることがより明確になったかと思います。
フランツリストはお友達(ショパンやシューマンやメンデルスゾーンなどですね)の曲をすぐ自分向けに編曲して披露するもんですから、メンデルスゾーンなどは辟易していたと聞いています。
それから、ロシアの5人組のムソルグスキーは作曲の天才でしたが、音楽については素人だったので、ちゃんと音楽教育を受けてきたリムスキーコルサコフが編曲して仕上げたのが「展覧会の絵」なのだそうです。
19世紀まではピアニストたちも楽譜通りに弾くのではなく、自由にアレンジを加えていました。
その片鱗がホロヴィッツのリストの曲の演奏を聴けばわかります。
ベストというよりは(たぶん)最もよく聴いている作曲家をお答えします
・バッハ
・ラヴェル
・メシアン
メシアンは現代(といっても70年ほどまえ)フランスの作曲家で、繰り返しが多くドスンドスンという低音ピアノもあり、ロックしています。というよりこんな音楽環境が元にあってロックなどの西洋音楽ができてきたのだな、と感じられました。
ニコロ・パガニーニです。
独創的な旋律が強烈な個性でもあり、惹かれます。
他の作家になりますが、ラフマニノフがパガニーニの主題を変奏曲にしたパガニーニの主題による狂詩曲 18番変奏が1番好みです。
落ち着いた流れの中に人生のフィルムがドラマチックに描かれているようでとてもすきです。
簡単に図式化できそうなのはこのくらいですね。
ポピュラーの作曲とは、あくまで「メロディをつくる」ことです。だからどんな伴奏で演奏しようがその曲に違いはない、というスタンスであり、アレンジが複数ある場合もありますし、CDとライブとTV番組でアレンジが違うのはむしろ当たり前ですし、わざわざそれを問題にする人は珍しいでしょう。
クラシックの作曲とは、使用される楽器全てのために楽譜を書くことです。オーケストラが100人いたら、100人のために楽譜を書くことになります。多くの場合弦楽器群は5パートくらいにしか分かれていませんが、中には弦楽器もほぼ一人一人別というところまで分割した曲もあり、その場合はそれだけ細かく楽譜を書くことになります。楽譜はR.シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」のごく一部ですが、弦楽合奏団がものすごく細かく分割されています。
実際に音にしたものがこちら。このゴージャスなサウンドは、作曲家のこれほどの段数の楽譜を書く執念によって成り立っています。
これは大変極端な例ですが、もっと簡素なものであっても、クラシックは音の組み合わせ・楽器の音域などにものすごく気を使っています。
モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの冒頭です。
これの5~6小節と9~10小節を、大譜表にまとめると以下のようになります。
黒がVnI、赤がVnII、青がVa、緑がVcとCbです。コードネーム表記も付記しました。
コードネームで書けば、これ以上の表記は不要で、もう充分ですが、クラシックの場合は音がどのように配置・組み合わせされているかもとても重要です。
5~6小節目、CbとVcはオクターブでG音を重ね、安定した低音域をつくります。VnIIとVaはVcのオクターブ上のG音との間を埋めるように和音をつくり(密集配置と言います)、VnIとの間を敢えてあけることでVnIの音を目立たせるような配置になっています。7小節目の後半ではVaが若干高い音に行くことで単なる伴奏から少し突出して目立つようになっています。
9~10小節目ではVnIIが一瞬VnIにだいぶ近い高さまで寄ってVnIとのハモリを強調しつつ若干目立ち、すぐに下降してVnIが単独で目立つ流れに持っていきます。
どの場合でも、それぞれの和音の中で重複する優先順位(主音→第5音→第3音)はほぼ完ぺきに守られています。VcとCbの重複は理論上重複とは数えませんが、そうすると5小節目のGの和音で重複しているのは主音のGがメインで第3音のHは一瞬、6小節目のD7/Gでは基本的に重複する音はほぼ発生しないように配慮され(第7音のCが2回だけ重複する)、9~10小節も出来るだけ重複がないように配慮されています。
ポピュラー系だと、ここまで音の重複だのパート間の距離だのに配慮することはまずありません。クラシックの和声学は、こうした工夫を重ねることによって、瞬間瞬間も最高の響きがするようにしています。
ポピュラー系を貶めるものではありませんが、クラシックのこうした奥深さはもう少し知られてもいいのではと思います。
私の場合は
ベートーベンがNo.1です。作曲家の中の作曲家。ロック魂を感じます。
以下
バッハ
ブラームス
と続きます。
いわゆる3Bですね。もう一人追加して良いならブルックナーを入れて4Bです。
クラシック界ではG.A.ロッシーニが代表格ではないでしょうか。彼は得意のオペラで財を成し、44歳で実質引退。年金暮らしで悠々自適の生活を送り76歳まで生きました。また美食家で「トゥールヌド・ロッシーニ」(ヒレステーキにフォワグラとトリュフのソテーを添えた)という料理を編み出しました(こんな贅沢料理誰が喰うんだ)。
意外とこれ、難問だと思います。
が、そもそもクラシックという言葉の中に、「まじめに聴くべきオーケストラ曲」という含意があり、オペラやサロン音楽や舞曲はクラシックの本流ではないという暗黙の了解があります。ところが、この「まじめに聴くべきオーケストラ曲」という観念自体が、ドイツ語圏で発達してきたものに見えます。イタリアはオペラ一辺倒、フランスは舞曲やクラブサンが中心で、イギリスはそもそも清教徒革命時にクロムウェルが音楽を禁じて以降、音楽の単なる消費地に成り下がっていました。スペインは大航海時代に大いに国力を伸ばしたように見えましたが、せっかくの植民地からの利益をあぶく銭として使い果たすだけの消費国家としての振る舞いしかできず、音楽に関してはほぼ何も貢献がありません。
ドイツ語圏は小国に分かれていましたが、それぞれに宮廷があって宮廷楽団を持っており、それぞれに音楽的な伝統もあったようで、実質パリだけのフランスとは大きく違いました。マクシミリアン1世がブルゴーニュ公国の女公マリーと結婚し、ネーデルラントの進んだ音楽文化に衝撃を受け、自身の移動宮廷に楽団を同行させるようになり、後にはウィーンの王宮礼拝堂に聖歌隊を創設してそこに楽団員を参加させ、これがウィーン少年合唱団の前身となった。概ね1500年頃のことです。ハプスブルク家の音楽びいきはこの辺りから始まるものと思います。プロテスタントは礼拝に参加した公衆自身が讃美歌を歌い、主体的に祈りに参加します。思索的で深い情緒を歌うドイツリートの伝統もあります。まじめで思索的な音楽に向かっていくのは、ある意味当然でしょう。
トピックに「クラシック音楽」などが並んでいるので、ご質問文を
クラシック音楽はいつからクラシック音楽と呼ばれる様になった
のか?という風に読み替えて回答します。
おおむね「1829年か、その少し前くらい」とお考えください。以下に推定の根拠を示します。
語義については Shigeki Hodozuka さんが、また、語の初出については User-11304546563828435213 さんが、それぞれ言及してくださっているので、私からは
演奏行為として「クラシック音楽」が意識され始めたキッカケとなる出来事
を一つだけご紹介しましょう。
有名な古典派音楽家であるヨハン・セバスティアン・バッハの音楽は概ね、ヨハン・セバスチャン本人が亡くなってからは殆ど演奏されなくなってしまいました。
別に彼が特別に嫌われ者だったのではありません。19世紀前半までの作曲家の作品は、おおむね、そんな扱いを受けていました。生きているうちが華だったのです。
むろん、ヨハン・セバスチャンの優れた足跡を楽譜から学ぶことは行われていました。ただし、現代のように音楽大学や教会で教育されたのではなく、直接の師弟関係や親族関係へ、その自筆譜が細々と相続され、一部の好事家がそれを蒐集したり、ときおり熱心な研究者がそれを写譜しに来る、といったものでした。
これを覆し、1750年に亡くなってから初めて、その「マタイ受難曲」を復刻上演したのが、フェリックス・メンデルスゾーンその人でした。
この蘇演が行われたのが1829年です。
OED(オクスフォード英語辞典)に「Classical Music」の語が初めて収録されたのも、ちょうどこの1829年前後だったとのことです
。ここで改めてご質問の
クラシック音楽はいつからクラシック音楽と呼ばれる様になった
のか?という点に立ち戻ると。
ある言葉が人々の口に上るようになってから、辞書に収録されるまでには少なくとも数年、長ければ十数年、数十年を要します。
同様に、ある試み(亡くなった作曲家の、100年近く昔に作曲された音楽を、再演してみよう、という試み)が、誰かによって着想されてから、実行に移されるまでにも時間がかかります。
先ほどメンデルスゾーンが大バッハの音楽を再演したと書きましたが、これは当然、彼一人の膂力にかなう相手ではありませんでした。メンデルスゾーンの師、カール・フリードリヒ・ツェルターが、弟子のフェリックスにバッハの偉大さを教え、その再演を後援したのです。
整理すると、1829年前後という時期に向けて、過去の優れた音楽を、体系的に研究し、発展的に吟味しよう、という機運が高まっていったゆえに、そのポイントにおいて
- 1727年に初演された「マタイ受難曲」が約100年後に再演され復活したこと
- ドイツやイタリアのみならず英語圏においても「Classical Music」という言い回しが充分にポピュラーになり、ゆえに辞書に収録されたこと
が成就した、と言えるでしょう。
ということで、ザックリまとめると「クラシック音楽と呼ばれるようになったのは、1829年か、それより少し前くらいから」という説明を結論とします。
なお、文学における「クラシック(=古典)」の尊重に関する議論は、音楽よりもザッと丸100年くらい早く交わされ終えています
。ご参考まで。
(追記 @三上 佑介 (Yusuke Mikami) さん、ご指摘ありがとうございました。100年単位で誤記してしまっておりました。)
脚注
勝手に質問拾います。
クラシックをヒーリングミュージックだと思っている人は、クラシックをあまり聴いていないぜーーーんぜん分かっていない人なんだろうと断定してしまう私です。
ベートーベンの情動的な音楽を聴いて癒されますか?バッハのロジカルで哲学的な音楽は知的な快感はあるけど癒しと言えるの?ワーグナーだと精神が昂り過ぎて快感だけどおかしくなりそうだよ?
比較的新しいから厳密なクラシックじゃないのかもしれないけど、シュニトケだと混乱と不安を呼び起こされて、むしろ怖いよ、癒しの正反対だよ?
怖いといえば、バルトークも不気味で怖いよ?癒されないよ?
私が好きなマックス・ブルッフのコル・二ドライなんか、深く悲しい感情に包まれるよ??泣けるよ?
他にも延々と続けられますが、この辺で。
クラシック=癒し と思っている方のご意見には、全く、全ーーーく、賛成しません。
いま、われわれが聴いているクラシックは、クラシックだからこそ、その作曲者が皆、他界してしまっていますが、作曲された当時は、作曲者自ら指揮をしておりました。
なので、演奏者かつ作曲者、というのは当然ですし、現代音楽でも作曲者が演奏者という形態はありえます。
(映画Amadeus (1984)から自曲を指揮をするモーツァルト)
有名処ではF.P.シューベルトの歌曲「魔王」ですかね。馬に乗って家に急ぐ父親の腕に抱かれた幼い息子が、最後は魔王に連れ去られてしまうというJ.W.V.ゲーテの詩をリートにしたものです。父の腕の中で子は息絶えていた(das kind war tot.)と歌われ、伴奏のピアノがその結末を叩きつけるように表現します。日本語の訳詞で「おとうさん、おとうさん」と叫ぶアレです(笑)。
この詩は北欧の民話を元に作られたという説があります。中学校一年生の音楽教材なので、毎年教えてきました(笑)。
さて――
L.H.ベルリオーズの「幻想交響曲」の第4楽章は断頭台への行進の音楽で、最後は主人公の首が落とされます。
R.G.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」も最後は主人公が断頭台に消えます。
この二つは前者が幻想の世界で後者はこれも民話です。
B.スメタナの連作交響詩「我が祖国」の第3曲「シャルカ」は、オトコに恨みを持つシャルカ率いる女性軍を討伐するつもりの男性軍が、逆に罠にはまって皆殺しになってしまうシーンで終わります。
これはチェコの伝説が題材。
僕が一番残酷で鳥肌が立つ思いがするのはO.レスピーギの交響詩「ローマの祭」の第1部「チルチェンセス」です。
暴君ネロが執り行っていた祭で、闘技場に手足を縛られたキリスト教徒たちが転がされ、そこに猛獣を放ち食い殺させるという場面を描いています
… (もっと読む)一人では不可能でしょう。たぶん、ということで、何人か挙げさせていただきます。
デュファイ。イギリスの3度和声とフランスのリズムとイタリアの旋律性を統合し、国際的な音楽様式をつくり上げた人です。彼の曲は、中世の音楽を聴いた後で聴くととても「普通」に聴こえますが、まさにその「普通」ということが、画期的なことだったのです。中世のぎこちなさを打ち破った人と言えるでしょう。
モンテヴェルディ。最初期のオペラをつくり上げた一人ですが、そのために因習と戦い、第二作法とか言い出してソプラノとバスの対比に重点を置く作法を擁護します。オペラ「オルフェオ」は、すでに生き生きした劇となっていて、驚嘆します。
ベートーヴェン。単純明快簡潔明瞭明朗理性的論理的、と言う路線に行っていた古典派音楽の前提を崩さないまま、貴族的な上品さを取り去り、代わりにフランス革命に起因するような市民社会の活力や蛮性を作品に入れました。市民社会における共通財産としての音楽というモデルを作った人とも言えそうです。
ヴァーグナー。彼の半音階技法を、無視できた人は誰もおらず、彼以降の作曲家は結局そことの対決や、態度の構築が求められました。フランスの国民音楽協会など、ヴァーグナーのネガを追求しただけじゃねえか…と言ってしまうときつ過ぎなのですが、そう言われても仕方がない部分があります。
シェーンベルク。ガチで無調に踏み出し、12音音楽をつくって、ア
… (もっと読む)あの、「ゴジラ」のテーマですね。
実は、このテーマ、このテーマの作曲家でもある、伊福部昭の「バイオリン協奏曲第1番」の1節から、取られているのです。
そのバイオリン協奏曲の実際の演奏をお聞きください。
9分12秒あたりに「ゴジラのテーマ」そのものが出てきます。
このバイオリン協奏曲は1948年に作られ、1952年にジェノヴァ国際作曲コンクール(イタリアの作曲コンクール)で入選しています。(映画ゴジラは1955年)つまり、ゴジラのテーマは、クラシック作品としてイタリア人が初めて耳にした可能性がとっても高いのです!!
ルドヴィコ・エイナウディが好きです!
一般的にクラシック音楽と呼ばれるのが古典からドイツ・ロマン派前後で、今でもモーツアルトやベートーベンをありがたく推し頂く人々が後を絶たないからでしょう。
20世紀に新しい表現を求めて音楽会が北欧へ目を向けた時にフィンランドが文化政策として現代音楽をバックアップし、注目株だったカレビ・アホはエストニアを聴けと宣いました。北欧圏の音楽はドイツに習いながらも、割合ドラマチックな葛藤の少ないストレスフリーな作品が多く、その分、平坦にも感じられるのに対し、エストニアはソ連辺境という位置づけで、内部葛藤が盛りだくさんな時代だったのでしょう。現在は旧ソ連辺境地域の音楽はヒーリング系と見なされがちになりつつあります。
で肝心の英国音楽がなぜクラシック音楽界で印象が薄いのかというと、王室付きの作曲家以外は、いわゆる日曜作曲家(アマチュア)扱いされてきたからで、特色のある人たちは伝統的な英国人でなかったりするからです。ヘンデルだって帰化したドイツ人。ただようやく1970年代後半くらいから対岸のデンマークで大きめの室内楽が流行った時に英国内にも飛び火して、その後も、なかなか聞きごたえのある作品が現れています。
なので、日本での理解に時間が掛かるため、のようです。
作曲というのは「音の編集作業」であり、決して「0から作り上げる」ものではないんですよね。
好きで聴いてきた音楽、沢山あると思います。それらが頭にストックされておりますよね。そこにヒントがあります。
「天才はどんどんメロディのアイデアが湯水のように沸いてくるのに、自分はそうではない。何故?」
と思わないでください。いわゆる天才は、頭にストックされている音楽の量が膨大で、それの編集作業が上手いだけです。
そこには及ばないとしても、訓練次第で近づくことは出来ますよ。
和声、楽曲形式、対位法などの音楽理論を完璧に身につけて手足のように使いこなせるようになると、鬼に金棒です。そこを目指すのもアリですね。
感動的な音、感傷的な音、元気いっぱいの音・・・全て「そういう表現方法の型」があるのです。やみくもに音を並べている訳ではありません。
こちらもよろしければどうぞ。
表現が相応しくないことを承知で言います。
J.S.バッハは「対位法の鬼」です(笑)。
クラシックの作曲技法の双璧は「和声法」と「対位法」です。
「対位法」とは、複数のメロディを同時にならす時、うまく絡み合うようにするテクニックです。「複数のメロディを同時に」とは、単に別々のメロディの絡み合わせるだけでなく、同じメロディをずらして重ねる、その片方のメロディを倍の長さの音符にして重ねる、メロディを上下逆さまにしたり、後ろから逆奏させたりして重ねる、二つではなく三つ、四つのメロディを組み合わせるなど、非常に多くのテクニックのヴァリエーションがあります。それが音楽を創る上で必要不可欠な「和声法」(和音の進み方のきまり)の土台の上に、およそ考えられる全てのありとあらゆる手法を使って、ほぼ完璧なカタチで構築されていく、というとても人間業とは思えないような音楽をJ.S.バッハは創り、遺しました。
言葉を訂正します。J.S.バッハは「対位法の神」です。
我々作曲家はJ.S.バッハの音楽に難癖をつけることなどとても考えられません。
武満徹、伊福部昭辺りでしょうか。根拠はないんですけど。
90年代、メジャー所属時代に担当Pから言われたことですが、ヒット曲の必須条件は、最初のサビが出てくるまで30秒以上かからないこと!とのことでした。それを超えると人は待ちきれなくなって、もうその曲は聞かない…と。
クラシックって、有名な曲でも、誰もが聞いたことのある、サビのパート…クラシックにサビって表現が適切かどうかは別として…がでてくるまでやたらと時間がかかる曲が多いことに加えて、そこに辿り着くまでビート感のある曲も少ないですから、おそらくそのせいでしょうね。
たとえば、クラシックでも、エルガーの「威風堂々」みたいなビート感のある曲を退屈に思う人はいないでしょうし、クラシックのオーケストラと同じような楽器編成で演奏される「スターウォーズのテーマ」が退屈な人もおそらくいないでしょ?
いくらでもあります。
成田為三や山田耕筰、信時潔、武満徹、伊福部昭、芥川也寸志、黛敏郎、すぎやまこういち、外山雄三など、将来はクラシック音楽の作曲家辞典に名を連ねる方たちだと思います。
またオーケストラ用の映画音楽(スターウォーズとか)も、100年後にはクラシックに入れられているでしょう(もう既にCDはクラシック売り場に並んでいますね)。
しかし「クラシック」とは「古典」という意味で、できたばかりの曲が古典のワケがないですね。(懐メロも同様です)
↑こちらは私が好きな曲(1984年の大河ドラマ「山河燃ゆ」のテーマ曲)ですが、何の予備知識もなく聞くと、クラシック音楽と言っても違和感ないですね。
作曲者は存命していますし、作曲されてから30年ちょっとしか経っていないので、クラシック音楽とは呼びませんが・・・
また新たにCDなどで世に出されるクラシック音楽の分類としては、”古楽”が挙げられます。
古楽とは・・・一般的には、バッハ(1685~1750)以前の16世紀、15世紀、14世紀、13世紀頃にヨーロッパで作られた曲を指します。
「なんでそんな大昔の曲が新曲なの?」と思われますが、古楽の作品の中には作曲者不明のものが多く、著作権の問題もあって、作曲者が判明しないと、もしくは作曲者不明と確定しないと世に出せません。
古楽だし作曲者不明のようだから・・・と、演奏したCDを安易に発売したら、実は最近作られた曲
… (もっと読む)ドラマ音楽は、素敵なものが多くて、3人には、絞りきれないし、ドラマ音楽作曲家という括りからは外れてしまうのですが、
ミッキー吉野さん 「男たちの旅路」他多数
大野雄二さん「大追跡」他多数 (もちろんルパン3世も)
SHOGUN 「探偵物語」「俺たちは天使だ」他
後はね〜 って 本当に絞り切れない〜。
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