配信
神戸の医療機関に勤める若手の医師が自殺した。そのキーワードとなるのが『自己研鑽』という言葉。医師の勉強時間は勤務なのか否か。そして若手医師の過酷な長時間勤務の実態について、同じ病院に勤務していた医師が証言した。 【写真を見る】亡くなる前に母親と交わしていたというメール『ほんまに一回休養せな全て壊れるかもしらん』そして遺書に残した言葉は
母が悔やむ息子の死 26歳で命を絶った若手医師
2022年5月、26歳の若い医師が自宅で命を絶った。 【遺書より】「おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど、限界です」 このように両親へ書き残した髙島晨伍さん(当時26)。医師の家系に生まれ、父や兄の背中を追って医学部へ進学。3年前から神戸市東灘区にある「甲南医療センター」で研修医として働き始め、2022年4月からは消化器内科で専門的な研修を受ける専攻医として勤務していた。 (母・淳子さん)「卒業記念として作ったと思うんですけれども。これを本人がすごく気に入っていて、こうやってくたびれて黒くなるまでこれを使っていたので」 母の高島淳子さん。4月から1人で患者を担当し始めた息子の異変を感じ取っていた。 (母・淳子さん)「ゴールデンウィークの後くらいからやっぱりちょっと不満とか、拘束時間が長いと言っていたんですけど」 徐々に晨伍さんの漏らす不満は強まっていった。亡くなる前に淳子さんと交わしていたというメールが残っている。 【晨伍さんからのメールより】「せなあかんことおおすぎてしにそう ざつようばかり」「もうたおれる」「ほんまに一回休養せな全て壊れるかもしらん」 ただならぬ様子を感じ、淳子さんは亡くなる前の週から晨伍さんが一人暮らしをしていた家に毎晩通い休職を提案した。 (母・淳子さん)「もう休職しよう、もうお父さん、お母さんが(病院に)言ってあげるって言ったんですけど、もうそんなことしたら、専攻医1年目なんかで逃げられないって言いました」 そして5月17日。夜に淳子さんが家を訪ねると、部屋ですでに亡くなっていた晨伍さんの姿を見つけた。テーブルの上には大量の医学書と共に遺書が残されていた。 【遺書より】「知らぬ間に一段ずつ階段を昇っていたみたいです。病院スタッフの皆様 少し無理をするのに限界があったみたいです。何も貢献できていないのにさらに仕事を増やし、ご迷惑をおかけしてすいません」 淳子さんに対して何度も感謝の気持ちが綴られていた。 【遺書より】「お母さんへ。最後まで本当にありがとう。もっといい選択肢はあると思うけど選べなかった。自責の念は持たないで。大好きです」 (母・淳子さん)「やっぱり私が精神的におかしくなってしまうのを一番心配したと思います。そんな亡くなる前まで私のことを心配してくれて本当に申し訳ないです。本当にぼんくらな親でした。本当に申し訳ないと思っています。もっと無理やりにでも力ずくでも連れ帰ったらよかったと思いました」
- 628
- 1,184
- 492
0 コメント:
コメントを投稿