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2018年に後継者不在で休業、廃業危機を迎えた老舗かまぼこ店を救ったのは、大学のゼミで起業論を学び、同社を支援していた若者でした。2022年、24歳で社長に就任すると恩師や多くの人に教えを乞いながら組織を変革していきます。そしてその中で1つ、学生時代とは180度意識が変わったことがあると言います。それは先輩経営者の一言で気付けた「経営者として前に進むための判断基準」。福岡県みやま市「吉開のかまぼこ」社長の林田茉優さんにお話を伺いました。
株式会社吉開のかまぼこ
代表取締役社長 林田 茉優(はやしだ まゆ)さん
2020年3月、福岡大学経済学部卒。阿比留正弘教授(2023年8月没)の「ベンチャー起業論」を受講したことをきっかけに事業承継問題に興味を持つ。廃業寸前だった福岡県みやま市の老舗「吉開のかまぼこ」の復活に向けて奔走し、引継先のマッチングに成功。2021年12月、指名されて自らが4代目社長に就任。
愚痴を諭されて気付けた、前に進むための判断基準
――学生時代から老舗の廃業を防ぐ活動をしていたら、まさかの社長就任要請。経営者になって気づけたことや、ご自身の変化を感じるものはありますか?
林田茉優さん(以下、林田): 私の根っこにあるのは「行動あるのみ」「いろいろな人に話を聞く」という姿勢なのですが、これは学生時代からずっと変わらないものだと思っています。
ただ、経営者の立場になって多くの方に話を聞き、また教えを請う中で『あ、これではダメなんだ。前に進めない』と、自分の中で「判断基準」を1つ追加したものがあります。
それは周囲から「せっかく復活したのだからもう絶対に潰せないね」というプレッシャーを受けたり、「そんなの無理」「うまくいかない」「やめたほうがいい」といった言葉を受けて 愚痴をこぼしていた時に、先輩経営者に投げかけられた一言で諭された ものです。
――何と言われたのでしょう?
林田: 「そんなもの気にするな。そもそも君がいなければ、吉開のかまぼこは終わっていたのだから。君は、誰の意見を聞くかをきちんと選びなさい」
多くの意見を聞くのは大事です。そして私は、学生時代からそれを貫いてきました。しかし私が「聞くこと」を通じて為すべきことは、学生時代と今とでは違います。
今、私は経営者として「会社を前に進めなければ」なりません。
同じ話を聞いたとしても「その意見は、誰が誰のために言っているものなのか?」「その発言者に責任は伴っているのか?」「その言葉を本当に信じてよいのか?」という、 自分が経営者としての判断を行うための『見極め』をすることが必要だと学びました。
ですので今、どんどんチャレンジしようとする私にとっては「チャレンジをした人、している人」の声こそ大事です。さらには、チャレンジに失敗した人の声ももちろん重視します。
しかし一方で「チャレンジしない人が発する声」は、今の私には優先順位が低い、という割り切りができるようになりました。
後継者問題に向き合うきっかけになった2人の師の教え
――あらためて、承継の当事者になられた経緯をお聞かせください。
林田: 吉開のかまぼことの出会いも、経営の世界に飛び込んだのも、福岡大学の「ベンチャー起業論」がきっかけです。そこで阿比留先生(故・阿比留正弘教授)の「足を使った行動をしろ」「直接見に行き、直接聞きに行け」「体験できるなら体験しろ」という指導を受けたことを、今でも本当にありがたく思っています。
大学3年の時に、阿比留先生がゼミで岡野工業(東京都墨田区)の話をされました。驚異的な細さの「痛くない注射針」で知られ、世界から注目される日本のものづくり企業だと。ところが次の週あたりに、岡野工業が後継者不在のため廃業するというニュースが出ました。
私は、これだけ称賛されるような会社に後継者がいないということがあるのか?それで会社を畳むということがあり得るのか?と疑問で、岡野工業に何度も電話しました。「福岡大学の学生の林田です。どうして廃業を決断されたか知りたいので社長に代わってください」と。そしてその度、マスメディアと疑われて電話を切られました。
「手紙を書いて送れば、一通り最後まで読んでもらえるんじゃないか」とアドバイスしてくれたのは阿比留先生です。そこで失礼を承知で、便箋3枚にお会いしたいという気持ちを込めました。手紙が着いた頃に電話してみると、社長が電話に出られ「君の手紙、面白かった。東京まで会いに来てくれるの?」と言っていただき、すぐに東京に向かいました。
岡野社長にお会いして「廃業に悔いはないのですか?」と聞くと、「そりゃ、悔しいよ」と返ってきました。「でも、ものを作る技術の承継は、どれだけいい人がいたとしても、どれだけお金があっても、一瞬で引き継げるものでない。時間をかけて一緒に取り組む中で、こういう時にこう考えるんだという発想や考え方を引き継ぐのが重要なんだ。それができなかったのは悔しい」と仰いました。
私は「今から人を育てればいいじゃないですか。私が若い人を連れてきます」と食い下がったのですが、岡野社長は85歳でご病気のある状況。「教えるとしても、もう現場に立つことはできない」と言われ、 自分の無力さを痛感しました。この時、技術の伝承が阻まれるという日本の後継者問題の深刻さを思い知りました。
――そこからどう「吉開のかまぼこ」につながるのでしょう?
林田: ベンチャー起業論でプロジェクトチームを組んで活動する中で、事業承継のためのM&Aを仲介する財団に教えを請うことがありました。そこで専門家の方から「今は休業してしまっているけれども、ぜひ残したいかまぼこ屋さんがある」と耳にしたのが、吉開のかまぼこです。
大学4年の夏、吉開のかまぼこ3代目の吉開喜代次さんを訪ねました。8年かけて完全無添加のかまぼこ「古式かまぼこ」を開発され、農林水産大臣賞など多数の受賞歴がありました。そして休業に対しては、再開を望む声が数多く寄せられていました。
直接お話をしていくうちに、私は自分のおじいちゃんのように親しみやすい吉開さんを応援すると決め、後継者探しやM&Aのサポートをするようになったのです。
リン酸塩や卵白・でん粉も使わない完全無添加の製品は、適温で一定時間寝かせてちょうどいい弾力の状態にして高温で蒸し上げる。
引継先が一度見つかるも、条件が難化し破談に
――出資者・後継者探し。実際にやってみていかがでしたか?
林田: 当時、そもそも吉開のかまぼこは休業していました。食品会社など60社以上にM&Aを提案するのですが、休業しているので、機械のメンテナンスや従業員不在による技術の伝承に不安があると話が進みません。さらには、かまぼこ業界の将来性にも疑問符がつくなど苦戦しました。
学生たちが後継者問題に取り組む奮闘ぶりは地元のメディアでも取り上げられるなどして、私が大学を卒業した2020年の終わりごろに、吉開のかまぼこを引き継ぎたいという会社が見つかりました。食品の会社で話は順調に進んでいったのですが、ご近所の方々から工場再開について反対の声があがってきました。
――復活が望まれていた一方で、反対というのは?
林田: すべての方が復活を望んでいるというわけではありませんし、工場の近隣では相応の事情があったようです。
かつては天ぷらも作っていたので、油の煙や魚のにおい、機械を動かす音が問題でした。以前は日常の光景だったのかもしれませんが、休業によって一度なくなってしまうと、もはや解決しなければならない問題に変わりました。
「もう工場の移転しかない」ということで移転先を探し、水の濾過機や機械類の検討まですると、今度は資金面のハードルが高くなります。引継先候補の会社と検討を重ねましたが、結局、破談となってしまいました。
ここが一番苦しい場面だったかもしれません。でも、これを乗り越えないと、今の吉開のかまぼこはありませんでした。
私が諦めモードになっているところに、吉開さんから「かまぼこを作りながら死にたい」「このままでは寂しい」と電話がありました。改めて自分にできるアクションは何か、そう考えると、これはもう今の工場を動かすしかない。ご近所の方に納得していただくしかありませんでした。会社の買い手探しは後回しにしてでも、まずは吉開さんの技術を伝承しなければならないと吹っ切れました。
私はこうした一連の活動を、大学を卒業後、一般企業に就職してからも続けていました。ずっとサポートしていただいたM&Aの財団と、理解を示していただいた就職先の会社には、本当に感謝しています。
相手の理解を得るために、一番大切なもの
――工場を動かし、近隣に納得していただく…。どう乗り切ったのでしょう?
林田: 私の住んでいる福岡市から往復3時間かけて、毎週、みやま市に通って対話を続けました。もともと私は、吉開のかまぼこが操業していた当時の様子を見ていません。ご近所の方は何がどのように気になったのか、具体的に教えてもらうことから始めました。
そして福岡市に戻ると、今度は問題を解決できる業者はないか情報を集めて回りました。そして次にご近所の方と話す時は、解決できるのはこの部分で、こちらはまだ分かりませんと進捗報告を繰り返しました。
すると最初は「家族でも社員でもないのに、なんだこの若者は?」といった反応だったものが、「あんた本気なんやね」と変わっていきました。
そしてご近所の方から親戚の業者を紹介してもらったり、一緒に解決策を考えていただいたりするようになり、「ご近所の方々も応援者の一人なんだ」と改めて認識しました。
まだ会社の買い手は見つからない状況でしたが、工場近隣の問題は一通り解決されて、「動かしてもいいですか?」とお伺いを立てた時には、ご近所のおばあちゃんに背中を叩かれました。
「あんた何しようとね!はよ、かまぼこ作らんね!」「吉開さんが元気なうちに!教えられる人がいないともう作れないでしょ!」と。
一連の経験の中でも、信頼関係の構築が1番大事だと感じました。泥臭く何回も通い、直接お話しして自分自身を信用していただく。行動の大切さを学びました。
――会社の引継ぎ先については?
林田: 工場を再開し、試作品のかまぼこを作れるようになったことで前に進みました。現在の親会社であるフロイデ株式会社の瀬戸口社長に食べてもらいました。美味しいかまぼこができたことで私も安心しましたし、やはり商品があると説得力が違います。フロイデはITの会社ですが、ものづくりの事業を持つことの相乗効果を考えて引き継ぐと言っていただけました。
2021年の12月、株式譲渡の調印の直前に瀬戸口社長から「林田さんが社長をやるべきだ」と言われました。驚きましたが「思いの強い人が真ん中にいないと、周りの人を巻き込むことができない」と説明されると、「確かにそうだ!」と腹落ちし、挑戦を決断しました。
製造工程を説明する林田社長
吉開のかまぼこの魅力をお客様目線で伝えるのが自分の仕事
――林田さんが社長だからこそ生まれた取り組みはありますか?
林田: ブランディングにもつながるのですが、 「言語化する」という部分が私の役割 だと思っています。吉開さんという職人の域では当たり前のことであっても、消費者にとってはとても魅力があることがあります。
私は職人としては素人です。そんな社長だからこそできるのは、お客様に近い立場に立って、職人の域で当たり前のことを、より分かりやすく、より魅力的に伝えるということだと気づきました。
例えば、「かまぼこ板」がかまぼこの品質にとっていかに大事なものかご存知ですか?当社は大分県日田市の高瀬文夫商店のかまぼこ板を使っているのですが、特許取得の乾燥技術で、臭い・ヤニ・アクが出ないものです。
最初は私も知らなかったのですが、吉開さんにとっては説明するまでもない当たり前のことだったようです。素材や製法についても、 お客様にとって価値あることを言葉にして、お客様目線で伝えることを一生懸命考えています。
ロゴやパッケージデザインはリブランディングされた。
――売上や収益などについてはいかがでしょうか?
林田: 収益の安定はまだまだ大きな課題ですね。
吉開のかまぼこは2018年に一度休業し、4年を経て復活したという経緯があるのですが、まずは主力商品である完全無添加のかまぼこ「古式かまぼこ」の製造再開に集中しました。以前は「ちくわ」「天ぷら」など多品種展開をしていたのですが、設備や原料、従業員の現状から、看板商品の復活を最優先にしました。
復活に合わせて価格の見直しや顧客拡大のマーケティングなど行っていますが、安定した収益のためには、やはり以前のように商品ラインナップの拡充は必要だと考えています。
「伝統的高級商材」と「安定収益が見込める商材」の二軸。この構造を早く作りたいですね。
後継者問題の教訓を組織づくりに生かす
――組織づくりで大切にしていることを教えてください。
林田: 今、先代が会長となり、会長と私以外に5人の従業員という体制ですが、誰でもある程度、どの業務にも対応できるようにすることを意識しています。少数精鋭なので、誰かが急に動けなくなっても現場が止まらないような体制が必要です。製造ではローテーションを組んだり、マニュアルを一緒に作ったり、対外的には取引先やパートナーの連絡先をリスト化したり。基本的なことですが、そういったことを徹底するのが大事だと思います。
実は昨年(2023年)11月、工場長が退職するということがありました。12月の最盛期の直前で、正直なところ私もかなり不安になりました。ところが社員もアルバイトスタッフも、みんなで何とかしようと前を向く姿勢に、私が励まされました。
また、大学時代から後継者問題に向き合って、私自身感じた部分もあります。吉開のかまぼこが休業に陥った、根っこの原因は跡継ぎがいなかったことです。それはつまり、技術面も経営面も、任せられる人がいない状況。いわゆるワンマン経営だったということになります。
私はワンマン経営であればあるほど、後継者問題に陥りやすいと考えています。これは学生時代から60社くらいを訪問して得た私なりの教訓です。
ですので当社もワンマン経営にならないよう、そして属人化しないようにすることが、組織づくりで大事なことだと感じています。もう二度と、吉開のかまぼこを途絶えさせたくはありませんので。
製造現場でも皆がどの業務も分かるように心がける。
経験したことがないことはやってみないと分からないし、腑に落ちない
――これからも挑戦が続きますね。
林田: そうですね。価格の見直しや、直営店を月に1回だけ開ける際など、従来と違う挑戦をする場合には、会長と意見を交わしながら進めてきました。時には衝突することもありますが、それによって会長の思いやこだわりを知り、またその都度、解決策を見出すことができてきました。
会長はいつも私たちの新しいチャレンジに「良かやんね。やってみらんね」「自分もこれまでたくさん失敗して成長してきたから、挑戦してみたらいい」と見守ってくれるのですが、一度「それは難しい…」と止められたことがありました。
私が、とある魚で「かまぼこを作ってみよう!」と言い出した時のことなのですが、会長は長年の経験からそのように判断されたのだと思いますし、きっと難しいことだったのでしょう。
ただ、会長のその一言で私が諦める判断をするかと言えば、それは違います。他の職人はどう考えているのか?別のかまぼこ屋も同じ認識なのか?もしかしたら、うまいやり方を知っているかもしれない…と、話を聞くべき方を探して知恵やアドバイスを求めて回りました。自分が納得いく形で、意思決定したいのです。
私の性格でもあるかもしれませんが、基本的に 経験したことがないことはやってみないと分からないし、腑に落ちない と思っています。
印象に残っているのは、恩師の阿比留先生が仰っていた「人生の経営者になる」という言葉。自分の人生において、経営者は自分であるということです。自分で意思決定する人であれば、失敗しても次はこうしようと前を向き続けられる。 自分で選択してそれを正解にできるようになってほしいと言われていました。これはずっと大事にしていきたいと思います。
余談ですが、そのかまぼこは現在、商品化に向けて進行中です。近々リリースする予定ですので、ぜひ期待していただければと思います。
――今後について教えてください。
林田: 私自身も、また会社としても成長していきたいですね。後継者がいなくて困っている企業が当社を見て「あんな小さなかまぼこ屋が、こんなにがんばっている」と勇気を持ってもらえるような、1つのロールモデルになれると嬉しいです。
私は今、誰もができるわけではない、本当に貴重な経験をさせてもらっていると思っています。私にとってのそれはかまぼこにあたるのですが、「本当にいいものを作っていることに幸せを感じる生き方、働き方」という価値観を体現する意味で、私と近い年代の若い方々のロールモデルにもなれたらいいなと思います。
(文:宮田 昌尚 撮影:土肥 ツネハル)
この記事についてコメント(22)
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林田さんの「本当にいいものを作っていることに幸せを感じる生き方、働き方」、まさに私の大事にしていることと同じですね!私は60歳で起業、現在84歳。自分が本当によいものと思っても、他の人に必ずしも評価されないことがあります。独善に陥っているのか、革新性が理解いされないのか、思い悩むことが多々あります。
2024年08月02日 1 -
記事を読ませて頂きとても胸が熱くなりました。 とにかく実行する、等忘れかけていた大切な事に たくさん今一度気付かせて頂きました。 自身も見習いたいと思います。 益々のご活躍をお祈り申し上げます。
2024年08月02日 1 -
30年ほど前に岡野雅行さんの講演会を聴いたことがあります。当時は娘婿が会社を継いでくれると嬉しそうに話されていました。林田さんにどのように言われたのか興味があります。岡野さんと話をされたのが羨ましいです。サラリーマンと経営者の考えは相容れないものです。サラリーマンの癖がつかないうちに経営者になるということが大切です。林田さんのように若い方がもっと出てきてくれればうれしいですね。
2024年08月01日 3 -
素晴らしい体験を有難うございました。 私も多くの社長を経験しましたが、今後大切なことは従業員と心を一つにしお客の繁盛のために何ができるかを常に考えられる集団となることと思っています。
2024年07月07日 5 -
素晴らしいしか言葉がない。 基本は実直なこと。ここに尽きる。 これだけ読んでも、何か支援したくなるので、当然現場ではより支援したくなるでしょうね。 この教授もとても立派だと思いました。
2024年07月05日 6 -
「現地現物現実」「発想力は移動距離に比例する」「属人化解消」「起業家精神」「熱い想い」列記したらきりがないですが、大変感銘を受けた50台後半の物流会社社長です。加えて同じマインドセットで社長業3年目に突入し四苦八苦しながらも、文中にもあった「誰の為に経営しているの?」⇒従業員ファースト=頑張った人が報われる会社に という想いのもとMVVを明確にして経営しています。別の方のコメントにもあった貴女の「言霊」は胸に刺さりました。涙が止まりません。若くて同じ想いをもった同志が自分の故郷である九州の老舗かまぼこ店を復活させようとしていることにエールを送りたいし、自分も負けてられないという想いになりました。貴重な記事ありがとうございました。
2024年07月04日 7 -
この方はお若いのに問題に気付き、行動された素晴らしい方だと思います。後継者がいなくて廃業の話はよく聞きます。行動のきっかけには問題の共有が必要でそれをどうしたら良いかと思います。 話は違いますが日本の農業についても同じような課題があるのではないでしょうか。 企業の1一般社員ですが私なりになにかこれからの日本の将来にむけた手助けができることを会社の中からだと思いますが探しできることからやっていきたいと思いました。
2024年07月04日 7 -
何度断られても電話や手紙を送ったり、 沢山の意見を選別する力、 人を巻き込む力、 社長就任。 尊敬することばかりです。 熱い想いが原動力となり、結果に結びついていると感じ 私も起業した時の熱を再度カッカと燃やそうと勇気が出ました!
2024年06月29日 9 -
参った。想いが自分を動かし、周りを動かす。想いを持って現在、プロジェクトを進めているつもりだったが、足元にも及ばない。実に恥ずかしい。この若者に勇気をもらった!仕切り直しだ。
2024年06月21日 12 -
今は大阪に住んでいますが、みやま市出身です。吉開かまぼこは、私の小さい時から引き出物等に使う高級品でした。味もさることながらぷりぷり感が他のかまぼことは全く違います。そんなかまぼこを行動ある一人の若者が継承してくださっていることを知り感謝です。応援しています。
2024年06月20日 12 -
とても勇気あるお話ですね。 休業状態から引き継ぐだけでもかなり大変なのに、さらに親族でもない20代の若者が日本の伝統食品「かまぼこ」の可能性を信じて再起を図る。とても夢があります。 後継者がいない会社は山のようにありますが、経営者の方は諦めず、魅力さえあれば引き継ぐ相手は見つかるんだ、という期待を持ち続けてもらいたいものです。そして、林田さんの努力がさらに実を結び、「吉開のかまぼこ」がもっと大きなブランドに成長することを期待します。
2024年06月17日 15 -
私の出身地:石川県珠洲市(今年元旦地震で半島全体で甚大な被災あり)は良質な珪藻土が産出され、それを原料として、瓦やコンロなど算出する工場・会社がありますが、同じように今、工場の復興とともに従業員の雇用も含めて会社継続に赤信号がともっています。この記事のような若者が全くといっていないのがなんとも歯がゆいです。石川県の大学生にこうした気骨のある若者がいないのかと思ってしまいます。
2024年06月16日 7 -
凄い話ですね。その行動力と周りが動かされていく姿に読んでて涙がでました。
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