3人で開発していたものではありませんが、1人のプログラマーがプロジェクトを救った伝説として、スーパーファミコン用ソフト『MOTHER2』の開発のエピソードを思い出しました。
日本を代表するコピーライターの糸井重里さんが企画・ゲームデザインしてカルト的なヒットとなった『MOTHER』。その続編として制作された『MOTHER2』ですが、優秀なスタッフを集めたにもかかわらず開発が難航してしまい、4年を費やしても完成は程遠くプロジェクトが頓挫しかかっていました。
その立て直しのために外部からの助っ人として招聘されたのが、HAL研究所の岩田聡社長でした。
岩田聡社長はご存知の通り、後に任天堂の代表取締役社長となりニンテンドーDSやWiiを誕生させたゲーム界のレジェンドの一人です。2015年に55歳というご年齢で惜しくも亡くなられました。
HAL研究所でも社長を務めながら現役のプログラマーとしてもバリバリに活躍していた岩田聡さんは、MOTHER2の開発状況を見てこう言ったそうです。
「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」
カッコ良すぎますよね。
そしてその言葉通り、半年で通しで遊べるように作り上げてしまい、さらに半年をかけてブラッシュアップして完成させてしまったのです。
開発5年のうち、4年を費やしても完成に至らなかったプロジェクトが、岩田聡さんが入って1年で完成させてしまうという偉業について、岩田さんのコメントがとても謙虚で素晴らしいんです。
でも、そういう意味でいうと、過去の4年間があればこそ、『MOTHER2』なんです。あの味は、1年で即席でつくったら出ないですよ。過去の4年が無駄だったわけではまったくなくて、悩んだ人たちの試行錯誤はぜんぶゲームのなかに活きてます。
つまり、ただの神です。
追記:
『MOTHER2』の開発に参加するにあたって岩田さんがメインプログラム以上に力を注いだのが、開発支援ツールだったそうです。
もともと『MOTHER2』には優秀なスタッフは集まっていたので、そのスタッフをいかに有効に動かすかということが重要だったのだと思います。
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