回答:Rem Ogaki さん。米国弁護士、法学博士。
美味しんぼの原作者の雁屋哲はドイツのビールの「本家」故に、ドイツのビールと同じ製法と原材料を使わない物は本物では無く、偽物であると言うロジックを展開します。
まあ、「改良」すると本物では無くなると言うロジックはさておき、
- ドイツがビールの本家、故にドイツビールが「本物」
- ビールは伝統的には麦芽、ホップ、酵母と水以外の材料を使わない
と言う前提で話を進めます。
この二つの前提に歴史的根拠はありません。
- ドイツはビールの発祥の地ではありません。
- ビールにホップが味付けに加えられたのは比較的に最近の事ですし、古代より麦以外の材料で作られていて、伝統的には様々な他の味付けが使われてきました。
「麦芽、ホップと酵母だけで作ったドイツ流ビールしか本物では無い」とする意見は根拠の無い偏見でしかありません。
ビール発祥の地はおそらく古代イランからメソポタミア文明に広がった物であり、本家の飲み方が「正しい」とするなら、果物や香辛料で味付けされ、ろ過されていない苦い固体が混ざりこんだビールをストローで飲むのが「本当のビールの飲み方」です。
ビールの歴史は大変に古く、世界最古の意図的に発酵されたビールの物証は現イランの遺跡があります。3500BC頃の事であり、ゴディンテペ遺跡より発掘されました。
ビールの形跡が発見された陶器の破片
ビールの製造は中東では5000年前から一般的になっていったと考えられていて、古代メソポタミア文明のシュメール文明やバビロニア帝国等でもかなり一般的に作られていた事が分かっています。
世界最古のビールのレシピは上記のシュメール文明より発見されました。詩的なビールのシュメールにおける製造方に加え、考古学者の研究よりのビールのおおよその原材料等も分析されていて、実際に「古代メソポタミア文明のビールの再現」等もアメリカで行われています。
考古学者の研究とメソポタミア文明の記録を元に再現された古代ビール、Great Lakes Brewing Company より:
見ただけで、現在の一般的なビールと全くに違う事が分かると思いますが、大麦と麦芽のベースに加え、味付けに果物(イチジク、ザクロ)や香辛料(コリアンダー、カルダモン)等が使用されました。ろ過する工程が無かったので、大変に苦い個体がビールに含まれ、当時はストローで飲むのが一般的でした。
えー「本家のビール」と言うなら、これが正真正銘の本家と言えます(^_^;)
ビールは文化的にも経済的にも非常に重要であり、シュメール文明のウルク市では労働者にはビールで給与が払われていたとする文書が残されています(恐らく物々交換で他の必要な品を手に入れたと思われます)。
その重要性の裏付けとして、例えばギルガメシュ叙事詩でも何度も登場します。
主人公のギルガメッシュは獣じみた「野生児」のエンキドゥと出会い、当初エンキドゥの野蛮さを表現する時に「ビールの飲み方も知らなかった」と文明・礼儀作法とビールの飲酒を同義にするほどに重要性を示します。
また、ギルガメッシュがエンキドゥと仲良くなる重要なシーンではギルガメッシュがエンキドゥに食事と初めてのビールを与えます。
「エンキドゥは満腹になるまで食べ、彼は7つのカラフェ分のビールを飲み干して、心が軽くなり、顔が輝き、歓喜の歌を歌い始めた」
と、再びビールの文化的な重要性が見て取れます。
ビール製造の文化は中東から地中海、ヨーロッパにも広がっていき、古代エジプト等でもビールが飲酒の主流となっていきました。
ギリシャやローマ文明ではワイン文化が主流でしたが、ビールはゲルマン民族等には大変に好まれ、古代より飲まれる様になって行ったことが分かっています。
その他にも、古代中国等でもビールの製造がおこなわれていた事が分かっていますし、世界中で様々な製法で作られていました。原材料の多々に渡り、大麦、ライ麦、小麦、米、ソルガム、ありとあらゆる穀類が利用されました。
ビールの製造は中世ヨーロッパでも続き、ヨーロッパ中で大変に一般的な飲料でした。西ヨーロッパでは「ビールは一般庶民の飲み物、ワインは上流階級の飲み物」の様な考え方がありました。古代ギリシャやローマ人がワインを好んだ影響が指摘されます。
しかし、現イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、北欧等とドイツに限らず北ヨーロッパでは非常に一般的でした。
ホップをビールの味付けに使う風習は中世ヨーロッパで開始されました。当初は「味」の問題では無く「防腐剤添加物」として加えられ始めたのが実情でした。
ホップを使用していないビールは比較的にすぐに味が劣化し、腐ってしまうので、自家製で作ってすぐに飲むのが一般的でした。
しかし、現ドイツのボヘミア地方で13世紀ごろには「ホップを混ぜ込んだビールは長持ちする」と言う事が発見され、ホップで味付けしたビール樽を輸出する商業が開始されました。さらに商業的にビールを作る場合「設定された大きさと重さの分量で作れば製造過程が安定する」と言う考えよりビールの製造を小規模の工業化に成功し、軌道に乗っていきました。
この「ボヘミア流」の製法がヨーロッパに広まっていったのが「ドイツ流ビール」の起源です。
とは言え、ヨーロッパのビールが全てドイツ流にまとめられたわけではありません。16世紀の英国では一般的に「ホップで味付けしたビール」と「味付けされていないエール」等と双方売り出されていた事が分かっていますし、味付けも材料も様々なドイツ流以外の製法が残りました。ドイツ流の技術を取り入れても、古くより伝わる他のビールが消失されたわけではありません。
あくまでも、「工業レベルでのビールの製法」をホップと言う防腐剤を加える事で商業化を可能としたと言う事が重要なドイツの貢献でした。そして、この製法がドイツや英国を通して世界中に広まった事により「ビールはドイツの物」の様な認識が生まれてしまいましたが、伝統的な製法や味付けはドイツ以外にも世界中にあり、多くの多種多様な伝統ビールがあります。
例えば、ベルギーの「ヴィット」と言う白ビールがあります。ベルギーの白ビールは中世ヨーロッパからのビールの伝統を守り、小麦をベースにオレンジ皮とコリアンダーで味付けされています。
ベルギーで「本物のビールは大麦麦芽、ホップ、酵母だけで作られるドイツ流のビールだけ」なんて言ったらぶっ飛ばされても文句を言えないと思います。
えー、つまり
ビールに米を加えてはいけない。
ビールにホップ以外の味付けをしてはいけない、またはホップを加えなければいけない。
ビールはドイツ流以外は本物では無い
とする意見に何の歴史的根拠もありません。ビールはドイツ起源ではないし、ビールは様々な穀物で何千年も作られてきたし、味付けも多種多様。
「麦芽、ホップと酵母だけで作ったドイツ流ビールしか本物では無い」とする意見は根拠の無い偏見でしかありません。
米を加えようが、トウモロコシを加えようが味の好みの云々はともかく、「本物のビールでなくなる」って人の主張はビールの歴史を知らないとしか言えないと思います。
もしこの様な歴史回答に興味のある方には私は自分の歴史回答だけを集めたスペースを運営しています。興味があったらフォローを検討していただけたらありがたいです!
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