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脳は質問に答える習性があるから。
自分のことを分かってくれてると感じた時、人は嬉しいと思うから。
例えば、「これやっといてくれる?」と「いつもありがとね、助かってるよ、これやっといてくれる?」では、聞き方が全然違います。
そして、後者のほうが「いつもの仕事を感謝してくれてる上で頼んでるんだな」と感じ、時と場合にもよるけど断る理由がありません。
質問者のきいている聞き方にもよりますが、本質に迫れる、が自分なりの答えです。
○○をやってくれないか、と聞かれたとしますね。
いわゆる、一を聞いて十を知る、としますと、○○が一と理解すると、仕事がぐっと楽になりますし、仕事を振り割った人からも、信頼を上げることができます。
それを理解したうえで、
わかりました、○○をするうえで、たぶん✖✖もやらなければならないとおもうのですが、同時にやってしまってもいいでしょうか?
これが、もしYesだったら、今の仕事は増えたかもしれませんが、全体的にみて、効率が上がったことになりますし、信頼も上がります。
Noだったら、別に仕事はかわりません。
あと、歩調をあわせることもできます。
今のところ仕事とは結局人と人のやり取りですから。
当然、仕事に私情を挟まない、公私混同しないというのは当たり前です。とは言え、どうしたって人と人が接する以上、印象とか伝達された内容とかで個人差が発生し、ある意味「感情的」な理由でやる気とかにも影響します。
例えば、Quoraでも文字数制限があるからと端的すぎるよく分からない質問と、コメント欄等で補足してくれる質問とでは答えたくなる気持ち、答えやすさが変わるし、そこまでしなくても、適切で要領を得た質問とそうでない質問では違いが出ます。まあ、Quoraの回答者の多くは仕事でも義務でもないので、私情を排して回答する義理もないと思いますけど。
質問者様のいう「聞き方」が何を想定しているか、仕事が劇的に良くなるのが自分か相手か存じませんが、相手の指示や依頼を理解していることを伝えたり、確認するのは必須ですし、そういうことをしない上に勝手な思い込みで動く人は無駄なことをしていると感じさせるでしょう。
私情を挟まないのは当然ですが、人間関係を無視して相手のことを思いやらない態度で接していると、相手も自分も人間ですからどうしてもパフォーマンスに影響は出ますし、それが一概に公私混同として批判されるべきとも思いません。また、正解は相手毎に変わるので、誰にでも同じように接するのがベストとも言い切れません。もちろん、個人の感情で対応をガラッと変えるのはいかがなものかとかあるので、難しいのですが。
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