人事考課の作成に関わった経験のある者から、海外( USAだけでは ありません )と日本の違いを説明します。
日本の生産性を下げてる 根本的な原因は、雇用流動性が極端に低くなるよう、法規制がかかっているためです。お若い方が聴くと驚かれますが、雇用の流動( 採用と解雇の頻度 )が低くなると、総ぐるみで給与が下がって行く原因になります。( 何故なら、儲からない生産を止められなくなるから。)
日本だけが 軍隊のような 4月の新卒一括雇用などということをしています。中国やロシアのような社会主義国でも 驚きの習慣です。( 日本の人事部が、体育会系の新卒者が お好みなのは、右を向けと命じたら、一日中でも右を向いたままの人物が良い、というからです。何故なら、自分がそうだから。)採用したい人が、どんなことが得意な人なのか、どんな考え方が身上なのか、そういうことが具体的に引き出すことはなく、イメージ主体の色眼鏡で 判定しがちです。
人の評価は、予め決められた行動規準・望ましい行動結果を明記して、社員の能力と結果を評価するのが海外です。( マレーシアやタイでも、そういう手法がとられています。さすがに上手く行ってませんが。)
海外の会社の行動規準では、‟数字以外” の行動目標を掲げ「 どんな行動をして、こんな成果を上げて下さい 」と、会社の経営層は 社員に具体的に命じます。その通り行動すれば、社員には それ以上の責任は ありません。至極当たり前のことです。数字の結果責任は リーダーがとります。
ところが日本の経営者は「 売上を上げて下さい 」という、突飛なことを発言します。何でも良いから売上が増えたら成果だと言うんですね。つまり、売上=目的なんです。これは一般的に「 拝金主義 」と言われ、嫌われるのですが、自分が経営すると拝金主義者になるのです。
日本の企業ではよくあることですが、全く畑違いの部門・部署に異動させたり、出向させたりするのも大変問題です。何しろ 営業職員が 経理や総務へ異動したり、機械設計者を 医療関連のポストにしたりと、海外のビジネスパーソンが聴くと ひっくり返るほど驚きます。何でこうなるかと言いますと、(1)上長は部下の成長に怯えるので、序列が狂わないように時間の調節をする、(2)人を解雇できないので、パズルのようなポスト異動をしないといけなくなる、というのが主な理由でしょう。
雇用が流動せず、社内は閉塞して 社外に関心がなく、どんな行動をすれば良いのか、判断もできず、極端に失敗を恐れ、みんな平等で 変化を嫌う ‟病巣” になっているのが、日本の標準的な企業観です。
ちなみに、こんな状況になったのは、昭和14~15年頃の太平洋戦争の始まる前、当時の革新官僚と言われた岸信介 以下 4人が行った制度改革による結果です。このときに創られた戦時向けの社会構造を、2023年になっても いまだに続けているのです。それ以前の日本では、雇用流動性は 比較的健全に保たれていたようです。
まずは、人が解雇できる環境を法整備から始めること、止めるべき仕事をやめれるようになること、あくまで能力と結果で評価すること、この3つを急ピッチで実現しなければなりません。
直接の回答じゃないけどそのアメリカ人の上から目線は民族ヘイトには当たらないのかしら?🤔
その人だって世界を牽引するビジネスマンってわけでもあるまいに(そうならアメリカを誇る前に自分を誇るはず)
それはともかく、最近は多少改善しつつあれど一昔前までは「長くいるやつほど頑張っている」って風潮はあったので確かに反省すべき部分はあるでしょう。耳の痛いお話です。
極端に言ってしまえばこれって戦後復興の価値観なんですよね。世の中がやることが山積み過ぎて、効率とか考えずやればやるほど結果が出た時代の考え方です。
お掃除でも筋トレでも初期の状態は何やっても結果が出ます。むしろぐじゃぐじゃ考えるより動いたもん勝ちで、多少乱暴でも素早く強引に動くヤツほど評価をされました。原始の世界は何でも体力と根性勝負です。
そのため、かつての日本のサラリーマンたちは休日献上・残業上等で頑張ってくれて、そのおかげで今の日本があるのは間違いありません。貧しい時代を経て豊かな時代に生んでもらった身としては頭が下がる限りです。
ただ、ある程度結果が出て落ち着いてくると今度は効率とかやり方とかバランス感覚が必要になってくるんですよね。上記のお掃除や筋トレで例えるならある程度結果が出てからの停滞期が訪れるわけです。
そんな時に相変わらずブルトーザーのように動き回っても無駄しかありません。
それでも我々は(特に旧世代は)、今も血と汗と根性こそ尊いって価値観に染まっちゃっているんですよね。参加することに意義があるし、手伝おうって気持ちだけで嬉しいし、ウサギより亀さんの方がもっと好きなのです。
となると、優れた上司は誰よりも早く出社するし、やる気を見せるには苦労をいとわないことが大事だし、何よりもオフィスに一緒にいて真面目にコツコツやることが評価に繋がります。戦後なんて随分昔な感じもしますが、今の偉い人たちはみんな戦後復興でガムシャラに働いていた人にビジネスのいろはを教わったんですからまだまだ根強くその気質は残っているでしょう。
だいたい、実際のところ本腰を入れて過労死だの超過勤務だのに対策始めたのってここ10年の話ですからね。”過労死”や”うつ病”自体はバブル期頃から世間に認知されるようになりましたが、その際はどちらかと言えば働く側の管理であり選択肢という認識の方が強い印象でした。自分の身は自分で守れ、嫌なら辞めろというわけです。
それが某代理店の若手の自殺を契機に、過労死や超過勤務は経営者の責任としてやっと国と社会が半ば強引に真っ当に取り組むようになり空気が変わってきました。すぐそばにいて「残業150時間とかこっちはサビ残200時間じゃい!」とか言って毒されていた僕が言うんだから間違いありません。
ぶっちゃけ、その頃はまだ「残業できないと仕事にならんし余計なことしてくれた」とか言っていたのです。本当なら残業しなきゃ売り上げが出せないような仕事の取り方が間違っていたんですけどね。
ということで少し話が脇道にそれましたが、『日本人は長時間オフィスにいるのに何も生み出していない』というのは戦後復興で死ぬほど頑張った後遺症みたいなものであり、日本は今やっと効率よく豊かな人生を歩む方法を模索しはじめたヨチヨチ状態なので仕方ないのです。第二次文明開化って感じですね。
それだって過渡期に過ぎませんから、今もまだ実力主義よりも努力が報われる方が美しいって思う人は少なくないはずです。それに、能力に関わらず頑張りが評価されるってのは優しい社会でもあります。
戦勝国たちはそりゃそんな頑張りも必要とせず、負ける恐怖を知らないので堂々とやってきました。全部とは言いませんが、外資の大手ほど実力主義・結果主義が浸透しているのは内輪で競争する余裕があるからでしょう。向こうの人と話すとみんな「自分はやることやって結果は出すから、会社側も責任をはたせ」みたいな、自立主義というか会社自体を仲間とか家族ってより取引相手と見ているような人が多い印象です。もちろん帰属意識が薄かろうが実際にビジネス的な付き合いなので何も間違っちゃいないんですが。
一方の日本については、今は燃え尽き症候群的に停滞気味な感じもありますが落ち着いたらまた何か新しい遊びを見つけて勝手に盛り上がって勝手に変な発明とか始めると思いますのでそこまで悲観することもないでしょう。我々は我々で自分たちにとって一番落ち着くやり方を探していけばいいのです。
だいたい燃やし尽くしたアメリカ人がそれを言うのはどうなのよって思うところがないでもないですが、まあ喧嘩しても仕方ないので「そうですねへっへっへ兄さん見習って頑張ります」と調子合せとけばいいんじゃないでしょうか。
そもそも成功者が栄光を手に入れることと取りこぼしが生まれるのはまた別の話なので、実状としてはアメリカ兄さんの方が格差が進んでやべえ気がしますけどね。
一番の違いは管理方法です。
アメリカではトップダウンの一方向で物事が決まるため、下に何をすべきかを説明しやらせ評価するのが上司です。軍隊方式でわかりやすい。
日本はボトムアップで、現場の意見を上層部にあげることによって仕事内容を決めるため、現場が個々の判断で仕事をしているケースが非常に多い。あちこちで会議をし、あちこちで根回して調整することを現場判断で行っています。上司命令にさくっと従うアメリカ人から見ると、上司にリーダーシップがなく勝手に仕事して右往左往している現場は非常に効率が悪く思えます。
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