新型コロナウイルス感染拡大の陰で、政府の働き方改革関連法の柱である「残業時間の上限規制」が4月から本格施行されました。一方、現場では、部下の働き過ぎを防ぐ使命と減らない仕事との間で板挟みになり、かわりに仕事を抱えて働き過ぎに陥る中間管理職の姿も。過労死を懸念する声も上がっています。(榊原謙)

拡大する写真・図版残業時間の上限規制などのスタートを契機に、約30年勤めたホテルを退職した男性=榊原謙撮影

退職理由は「働き方改革

 「働き方改革が怖い」

 関西地方のホテルで中間管理職だった男性(55)は昨年春、30年以上勤めたホテルを退職した。残業時間の上限規制などを盛り込み、昨年4月から順次施行された「働き方改革関連法」が理由だ。

 24時間サービスを提供する宿泊業は、ただでさえ長時間労働に陥りやすい。男性は、5年ほど前に課長になると「管理職」だとして労働組合員の対象から外れ、労働時間は一気に増えた。

 「あいつを帰らせろ」

 上司から、会社と労組が合意した残業時間の上限を超えそうな部下は、早く帰らせるように指示された。「じゃあ、残りの仕事は誰が……」。部下の指導をしながら、自分が終電まで残業して職場を回す日々。それなのに「管理職」だからと残業代は出なかった。

「一般社員に戻してほしい」

 その後、ギフトを百貨店などに外販する部署に移ると、立場は引き続き「管理職」だが、部下もおらず仕事は全て自分でこなす「名ばかり管理職」に近い状態になった。外回りの営業や商品発送、苦情処理など何でもやった。忙しい年末年始は、泊まり込みも含めて2週間出ずっぱり。「正月に休むという発想すらなかった」

 連日12時間ほど働いてヘトヘトになった上、扱う金額が大きい分だけ責任ものしかかり、心身が限界に達した。「管理職は続けられない、一般社員に戻してほしい」。会社にそう掛け合ったが、取り合ってもらえなかった。

しわ寄せは中間管理職に……

 休日に何かをする気力も消え、記憶が飛ぶようになり、心療内科に通い始めた。そんな折、残業時間の上限規制などの「働き方改革」が19年春から始まると聞き、そら恐ろしくなった。「仕事が減るわけじゃない。しわ寄せは必ず中間管理職にやってくる」。退職の意思を伝えると、周囲からは「定年までもうすぐじゃないか」と慰留された。だが「それまで体が無事にもつとは思えなかった」という。

 男性は今、ある工場で契約社員として働く。残業も休日出勤もない。昨年は、これまで休んだことがないお盆などの時期に休みをもらい「夢のよう」だった。月収は約4割減ったが「給料が安くても文句はない」と話す。

残業上限規制、4月から中小企業にも

 残業時間の上限規制は、上限を原則として月45時間・年360時間と定めており、今年4月からは中小企業にも適用された。違反すれば罰則もある。男性は「目指すべき理想は分かるが、大半の中小企業の従業員には絵空事に映るだろう。一般社員の残業を減らしても、職場が回らなければ、結局は管理職の負担が大きくなる」と心配する。

拡大する写真・図版関西のホテルの管理職だった男性は、多忙でほとんど旅行にも行けなかった。退職後は休みが増え、旅先でユニークな絵柄のマンホールを撮影するのが楽しみだ=群馬・水上温泉、男性提供

管理職の過労死「加速しかねない」

 人材派遣大手のリクルートスタッフィングが昨年、大企業で残業時間の上限規制が始まった昨春以降の残業時間を中間管理職に尋ねたところ、約6割が「変わらない」で、「増えた」も1割以上あった。部下の残業削減の影響を尋ねると、3割超が「仕事量の増加を感じる」と答えた。同社は「メンバーの業務負荷の一部を、管理職が負担していると推察される」とみる。

 「管理職の過労死が一層、加速しかねない」。労働問題に詳しい笠置裕亮弁護士は、残業時間の上限規制の負の側面を、こう指摘する。

 日本の中間管理職は、自分の現場業務を抱えながら部下の面倒もみる「プレイングマネジャー」型が多いとされ、ただでさえ働き過ぎに陥りやすい構図がある。笠置氏によると、残業規制の影響で部下に長時間労働をさせれば自身の評価に響くようになり、やむなく部下の仕事をかぶるケースも増えている。もともと脳や心臓の疾患による過労死は40代以上の管理職に多く、この傾向に拍車がかかりかねないという。

専門家「経営側は業務量調整を」

 管理職にしわ寄せがいきがちな背景の一つには、経営者と一体的な立場にある労働基準法上の「管理監督者」であれば、働き方に裁量があるとして労働時間規制が緩められており、残業規制の対象からも外れてしまうことがある。そのため働き方改革関連法の施行に伴い、管理監督者であっても、労働時間は客観的な方法で把握しておくことが事業主に義務づけられた。働き過ぎを防ぐためだ。

 だが、実際は「大企業でさえ、管理職はおざなりな記録しかないことも多い」(笠置氏)のが実情という。また、管理監督者とは言えないような「名ばかり管理職」が、管理職の名のもとに残業をかぶるなど厳しい働き方を強いられている場合も多い。笠置氏は「管理職の命を守るためにも、経営側は全ての働き手の労働時間をしっかりと把握したうえで、過重な負担を抱えている場合は速やかに業務量を調整するべきだ」と話す。