https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00021/102900003/
マンモグラフィ(乳房X線)や超音波エコーなど現行の乳がん検査装置が抱える課題の解決を目指した、いわゆる“次世代乳がん検査”の技術開発が活発になっている。例えば、スタートアップのLily MedTechは、360度あらゆる方向から超音波を放出・反射、受信し、技師のスキルに依存せず高精度な超音波画像を取得しようとする「リングエコー」の開発を進めている(関連記事)。一方、そもそもX線や超音波を使わずに乳がん組織を映像化しようとする技術の開発を、神戸大学発スタートアップのIntegral Geometry Scienceが進めている。
2019年9月、Integral Geometry Science(以下、IGS)は記者会見を開催し、協力関係にある凸版印刷など8社・1個人と資本提携し、計20億円を調達したと発表した。電子レンジなどにも使うマイクロ波を活用した、「マイクロ波マンモグラフィ」と呼ぶ開発装置の実用化にめどが立ったことから、新たな資金を得て製品化と普及を一気に加速する。早ければ2年後の2021年にも登場する見込みだ。
IGSが手掛けるマイクロ波マンモグラフィとはいかなるものなのか。その特徴を見ていく上で、まずは、現行の乳がん検査装置について触れていこう。
現行の乳がん検査装置の課題とは…
現在、乳がん検査に用いられている画像診断装置には、マンモグラフィ、超音波エコー、MRI、PETなどがある。検診にはマンモグラフィと超音波エコーが主に用いられる。
マンモグラフィは、X線を乳房に照射して透過像をフィルムやデジタルセンサーで画像化する。現在のところ、検診による死亡率の減少効果が科学的に確かめられた唯一の検査法だ。医師が目で見たり手で触れたりすることでしこりやがんによる変形を判別する視触診に代わり、世界中で乳がん検診の標準検査法となっている。
整形外科で骨折などを調べるX線装置は透過力が高く、筋肉や脂肪など柔らかい組織の検査には向いていない。このため、マンモグラフィでは透過力の低いX線を用いる。この場合、脂肪は透過しやすいので黒く、乳腺、繊維組織などは透過しにくいので白く写る。がん組織も乳腺などとほぼ透過度が同じで白く写る。
ところが乳腺が多い乳房では大部分が白く写ってしまう。放射線診断分野では、白い部分の多さによって乳房を4段階に分類しており、上位2段階を「高濃度乳房(デンスブレスト)」に分類している。高濃度乳房は若い人に多く、また白人に比べるとアジア系で多い。65歳以上の白人では高濃度乳房は35%だが、35-49歳のアジア系では実に79%を占めるという研究報告もある。
マンモグラフィが乳がん検診の要であることに変わりはないが、日本人女性の場合、この検査だけではかなりの比率でがんの発見が難しい人がいることになる。また、被曝と検査時の痛みという問題点もある。マンモグラフィの検査時には乳房を圧迫し、薄く延ばす。これは乳腺の重なりを減らし、病変を見つけやすくするのと、厚みを減らすことでX線量を減らすのが主な目的だが、強い痛みを訴える人が少なくない。
一方、乳がん検診には超音波エコーも用いられる。超音波エコーはプローブと呼ばれる送受信アンテナを乳房に当てて超音波を発信し、跳ね返ってくる超音波を受信して映像化する。超音波は脂肪、嚢胞、筋肉など組織によって音の伝わり方が異なり、組織の境界で強く反射する性質がある。この性質を利用して病変を見つけることができる。
周波数が高いほど空間分解能が高くなり、微小ながんでも発見できるが、周波数が高くなると減衰度が高くなるため、深い部分の小さながんを見つけるのは難しい。また、プローブの当て方など技師のスキルによって画像が大きく変化し、画像の再現が難しいという課題がある。
第1のブレークスルーは「散乱の逆問題の解法とその画像化」
これに対してIGSのマイクロ波マンモグラフィは、乳房に微弱なマイクロ波を照射することでがんの有無や形を画像化するもの。マンモグラフィが不得意とする高濃度乳房でもがん組織を明瞭に描き出せるのが最大の特徴だ。被曝などの不利益も少なく、検査時の痛みもないという。
マイクロ波マンモグラフィでは「誘電率」の違いでがんを識別する。誘電率とは電気エネルギーを蓄積する物質の電気物理学的な性質のこと。乳房内の大部分を占める脂肪組織の誘電率が8-10程度であるのに対して、がん組織は50程度と高い。このように大きく性質の異なる物質の境界面にマイクロ波が当たると鏡に当たったように反射して散乱する。光が水面で反射するのと似た現象だ。
もし広がった散乱波からがん組織の位置や形を再現できれば、乳がんの新たな検査手段となる。このような分析は物理現象を逆方向にたどるので「逆問題(逆解析)」と呼ばれる。しかし、乳房の表面のような曲面で発信/受信したマイクロ波から乳房内の反射点を見つけるには、従来の方法ではスーパーコンピュータでも数百時間かかり、医療に応用するのは事実上不可能とされてきた。
しかし神戸大学数理データサイエンスセンター教授の木村建次郎氏らは、散乱現象そのものを記述する方程式を探し続け、2013年になって、3次元空間内の1点から発した波動が散乱して様々な経路で別の1点に届くとき、その値が5次元空間における方程式の解になることを発見した。
送信アンテナと受信アンテナを組み込んだプローブで乳房表面をなぞり、その位置と受信データから方程式を解くと、がん組織の画像が得られる。木村氏は「これがマイクロ波マンモグラフィ完成への第1のブレークスルーになった」と語る。
装置は臨床研究段階、350人超で検査の有用性を確認
マイクロ波マンモグラフィを実現するためのもう1つのブレークスルーは、超高速の半導体技術だった。
乳房内をマイクロ波が伝わる距離はたかだか数cm。往復10cmとしても3ナノ秒(10億分の3秒)しかかからない。こうした超高速の信号処理が可能な半導体を容易に入手できるようになったことで臨床応用が可能なコストで装置を作ることができた。
本機(試作機)による検査では、胸の表面に専用のシールを貼る。シールはIGSと凸版印刷が共同開発したもので「乳房表面座標シール」と呼ばれる。表面に縦横のラインが印刷されていて、マイクロ波による計測で得られた3次元画像と実際の乳房の位置を対応させる参照用として用いる。
また、体表面にあるホクロやしみなどの位置を座標上に記録して乳房内の正確な位置関係を把握できる。これにより、がんの進行や抗がん剤による縮小などを画像の差分として比較できるという。
IGSでは実際の患者で検査が可能な試作機を作り、これまでに神戸大学医学部附属病院など計6施設で350人以上を対象に臨床研究を実施してきた。この結果をもとに2019年内には量産体制を整え、2020年には治験(医療品医療機器等法に基づく承認申請を目的とした臨床試験)に進む計画だ。
既に2019年4月には厚生労働省から「先駆け審査指定制度」の対象品目に指定済みで、承認審査期間が通常の1年から半年に短縮される。木村氏は「最短で2021年秋、遅くても2022年には上市し、乳がんの早期発見にいち早く貢献したい」と意欲を示す。
装置の価格見通しは3000万円から5000万円。主要メーカー製マンモグラフィ装置が数千万円から2億円なので、ローエンド機に近い低めの価格設定となる。木村氏は「データを蓄積し、いち早く臨床現場での有用性を確立するため、クリニックの導入も可能な価格レンジで販売し、普及を目指したい」という。
ビッグデータを数年内に蓄積、標準検査法の座を目指す
がん検診には、市町村などが費用を一部負担して行う住民検診のような対策型検診と人間ドックなどで行われる任意型検診がある。乳がんの対策型検診に採用されている検査法は、検診による死亡率減少効果が確認されているマンモグラフィのみだ。マイクロ波マンモグラフィもまずは任意型検診で用いることになる。
マイクロ波マンモグラフィが対策型検診に採用される可能性について木村氏は、「対策型検診への採用にはエビデンスを確立するためのビッグデータが必要。このため、導入してくれる医師に画像データのシェアを呼びかけて、従来は10年を要したビッグデータの集積を数年で蓄積して死亡率低減効果を立証したい」と意欲を見せる。
木村氏らの研究成果の核心である「散乱の逆問題の解法とその画像化」の応用分野はマイクロ波マンモグラフィに限らない。実際、IGSでは、インフラ構造物の劣化を非接触で検知する装置や、リチウムイオン電池内部の異状電流を検知する装置などを実用化している。
臨床分野における新たな応用としては、胎児の検査装置を検討しているという。ビームを当てた部分だけ画像化する超音波エコーとは異なり、全方向にわたって一気に画像化できる。医療以外の分野を含め、今後さまざまな分野で応用が広がりそうだ。
(タイトル部のImage:ekb -stock.adobe.com)
記事初出時、「Integral Geometry Science」の社名表記の一部に誤りがありました。お詫びして訂正します。記事は修正済みです。
0 コメント:
コメントを投稿