ある機会で、みんなで落書きしようという事になりまして。その場にいたアニメータさんが鉛筆を自分で削って、さっと線を引いたんです。その瞬間、衝撃を受けました。その線はただの線じゃない、と感じました。
何万回、何十万回……いやおそらく数え切れない程、絵を描くために鉛筆を走らせた、その線をさっと引くまでの背景の一端を感じました。
「鉛筆は自分で削らないと、線に感情を込められない。師匠の教えです」
と彼は言っていました。
そう、たかが鉛筆一振りで、線に感情が入るかどうか。宮崎駿があるアニメの地平線として横に線を1本描くのに1日半かかったという逸話がありますが、絵に本気で取り組んで、努力に努力を重ねた人は、線そのものに感情が入れられるんですよ。そして、そのたかが1本の線にものすごく意味がある。実際に目の辺りにして、これは自分のいたずら書きとは次元が違う、と思いました。
よくネットで「自分には絵の才能がない」という人がいるのですが、彼を見ると「才能なんてたかが最初のスタートダッシュで差が出るかどうかでしかない。彼の鉛筆の線を見れば判る。努力の前では、才能の差なんてほんの少しの誤差でしか無い」と思います。
俺の先生だな、オペラの世界の大名跡の一つだったのだが、おれが誰の録音も聴いていないと言うと「じゃ、録音しとけ、見本を歌ってやる」と言って本気で歌いだした、機械が壊れるかと思ったぜ。今までのでさえ、物が違うと思ったものだが、それは何だったんだと思った。30年以上も前のイタリアでの話。
毎日3000mを走ることを自分に課していた時代にマラソンの選手と出会いまして、話の都合上ついて行くことになりました。これから3000m走るのに彼の速度は当方が100mを全力で走るスピードでした。
コンピュータを作ったフォン・ノイマンが8歳のとき微積を理解しゲーテについて父親と語った話や16歳でプリンストン大学に入学し後に数学の超難問だったABC予想を証明した望月教授の話を聞いたときそう思いました。
ある友人Aはアスペルガー症候群という障害者なのですが、その音感・リズム感の優れていることですね。
私もある楽器をいじっているのですが、楽譜もやっと読める程度で、リズム感も凄く悪いのです。ところがAは、音感は絶対音感があり、一音聞いただけで「中音のド♯」などと、完璧に言い当てます。リズム感で言えば、歌謡曲など一度聴けば大体覚えてしまいますし、3度も聞けば完璧らしいです。
この間、沢田知加子さんの「空を見上げてごらん」という曲の楽譜を探していたのですが、どうしても見当たりませんでした。そこでAにドレミ譜を作ってくれと頼んだところ、ものの15分程度で仕上げてきました。しかも私は原曲よりも2度上げて演奏したかったので、その旨もお願いしたのでした。
ただ、歌詞を覚えるのは苦手のようで、彼の楽譜は、楽譜なしの歌詞カードのみです。リズム譜は不要なのです。
でも、音楽のプロから見ると、恥ずかしい話なのかもしれません。上を見れば切りがないのでしょう。
物忘れの多い友人と話しをしていたときのことです。
友人が、言いたい単語が喉元まで出かかっているのになかなか出てこないようで、「ほら、あれだよ、あれ!むかしからあるアニメでさ、ほら、未来からきてさ!」
私はなんとなく察しがついたのですが、こういうものは自力で思い出したほうが気分がよろしかろうと思いまして、友人が思いだすまで待ってみることにしました。
「あの〜、なんだっけな〜、未来からきたネコ型ロボットの〜、あ!ドラえもんだ!」
ようやく答えに近づいたみたいで、私はホッとしました。
「それでさ、そのドラえもんが持ってる何でも出るポケットの名前、なんだっけ‥? あっ!思い出したよ!2次元ポケット!」
次元が違うわ。と思いました。
「出来ません」と言ったら
「取りに行くから」と返されました。
「いや、無理です」で
「もう出る」でした。
そのうちに
「着いたから」と言われ
他を全て放り出して一点全力対応して
「出来たじゃねえか」と帰りました。
やれやれ、と一週間後、電話です。
「先週出来たやつ、もう一回」だって。
日本の確かな工業技術はこの様に作られています。
テストの点数で、
『俺らヤバいね。6◯点とかwww』何て言う話を数人で話していた。
その後で、ふと別グループの友人が、
『俺、テストの点数ヤバかったんだけど』と言ってきた。
『大丈夫だよ。俺とか他の友達も60点台だったからw』
と、安心させようとした。
しかし、顔は更に曇った。
『俺、一桁』
この1回だけなら何とも思わなかったが、ずっとこの調子だという。
なんとなく、彼は次元が違うなと感じました。
最近、たまたま下記の動画を見て
次元が違う・・・と感心しました。
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