2023年12月30日土曜日

人が辞めない組織に生まれ変わった町工場。キーエンスで学んだ「会社づくりの極意」とは

連載:第27回 慣習に囚われない 改革の舞台裏

人が辞めない組織に生まれ変わった町工場。キーエンスで学んだ「会社づくりの極意」とは

BizHint 編集部2023年10月19日(木)掲載

「人が辞めない組織」をつくるにはどうすればよいか、経営者の多くが抱える悩みではないでしょうか。石川県にある株式会社旭ウエルテックも「人材が短期間で辞めてしまう」ことに課題をもっていました。2代目として2014年に家業へ入社した山田 裕樹社長は、前職であるキーエンスで学んだ「あること」を土台に改革に取り組み、結果、社員の意見が活発に飛び交う人が辞めない組織に生まれ変わりました。その過程について、詳しく伺いました。

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株式会社旭ウエルテック
代表取締役社長 山田 裕樹さん

石川県白山市出身、東京工業大学院卒業。2010年、株式会社キーエンスに入社。営業担当として全国の顧客の技術課題解決に携わる。2014年、父の創業した旭ウエルテックに入社。2019年10月に代表取締役社長に就任。業績拡大により、2025年には投資額約15億円の新工場が稼働予定。


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入社1か月で連絡がとれなくなる従業員も…。そんな企業が「人が辞めない組織」に変わった理由

――貴社は、山田社長がご入社された2014年以降、売上高・従業員数共に成長を続けていらっしゃるそうですね。

山田 裕樹さん(以下、山田): そうですね。とくに従業員数は倍になりました。私が入社した2015年当時は15人ほど。社長に就任したのが2019年でその頃30名を超え、現在は38名となっています。

ただ、私が入社する前までは、人の入れ替わりが多かったようで…。

――それは何か理由があったのですか?

山田: 以前は、いわゆる「職人の世界」だったことが大きいと思います。先代社長である父も優秀な職人で、基本的には「見て覚えろ」でうまくいっていた時代でした。

しかし時代が変わり、「見て覚えろ」だけでは通用しなくなってしまった。ベテランの職人たちも、若手に教えてあげたい気持ちはあるものの、自分たちがそうやって育てられていないから、やり方がわからないんです。一方で、入社したばかりの若手社員は、先輩に何を質問したらいいかもわからない。お互いすれ違っているような状況で、結果的に仕事ができるようにならず、成長も感じられないことで、入社1か月ほどで辞めてしまう、突然連絡がとれなくなってしまう…なんてことも、頻繁にあったようです。

私が社長に就任してしばらくしてから、従業員から「そういえば、社長が入社してからは人が全然辞めないですね」と言われたんです。実際、私が入社してからは25名採用していますが、そのなかで退職された方はたったの2人。その2人も最終日に「この会社で働けてよかった」と言ってくれるくらい、良好な関係でした。

――「職人気質で人の入れ替わりの激しい組織」から、そのような「人が辞めない組織」に変化した理由は、どんな点にあると考えられますか?

この記事についてコメント(4)

  • 普通は自分の知識を相手に植え付けてやらせようとするのですが、
    自分で実行したことが大きいと思います。
    言うだけの者でないし、自分にはない能力を認めてもらうと、
    自然と人は付いていくものかと思います。
    キーエンスは、常に前に向かうために、今何をすべきかを徹底している会社だと感じています。
    それが活かされているというか、それを4年で植え付けれるキーエンスはやはり素晴らしい会社だと思います。
    2023年12月01日
  • 今までの自分の経験を基に説明されています。とても共感できる内容です。現在、私が経営している会社内でいつも気を付けていることとほとんど一致します。若いのによくここまで会社を成長させられたと感心しております。これからも更なる会社の発展、成長を祈念いたします。
    2023年11月30日
  • 気づき・止める・変化などとてもいいスローガンですね。キーエンスも同様のスローガンで意識づけしてました。とてもなつかしく初心にかえりました。ありがとうございました。
    2023年11月04日
  • 虎穴に入らずとも、虎の巻を得られるわけですね・・・
    2023年10月23日

「どうせ潰れる、お前がとどめを刺す勢いで」の檄で目が覚めた。ダメ水族館をV字回復させた「7つの当たり前」

BizHint 編集部2023年8月29日(火)掲載

客がまったく入らず「日本一ショボい水族館」と嘲笑され閉館も検討されていた愛知県蒲郡市の竹島水族館。「お客様がいないほうがいい」「人間より魚と接していたい」などの飼育員の潜在意識を逆手にとった組織づくりが奏功しV字回復につながりました。主導したのは現館長の小林龍二さん。「どうせ潰れるんだから、とどめを刺す勢いで」という檄で始まった経営改革と、それを支えた右腕、そして飼育員の意識改革について聞きました。

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蒲郡市竹島水族館
館長 小林 龍二 さん

1981年蒲郡市生まれ。北里大学を卒業後、Uターン就職で竹島水族館の飼育員に。市営から民間委託に移行した2015年に運営を引き継ぎ、館長に就任。過去最低だった入場者数は12万人から約47万人に。人間環境大学客員教授、専門学校ルネサンスペットアカデミー講師。主な著書に『竹島水族館の本』(風媒社)、『へんなおさかな竹島水族館の魚歴書』(あさ出版)がある。


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飼育員は「お客様がいないほうがうれしい」。上層部の意向が絶対の組織

――今では「行列のできる水族館」となっていますが、以前の水族館はどのような状況だったのでしょうか?

小林龍二さん(以下、小林): まず、お客様はまったくいませんでしたね。いたとしても、外回りのサラリーマンが昼寝をしていたり…。

飼育員は普通に魚の世話をしていたのですが、水槽の掃除や魚の移動にあたっては、むしろお客様がいないほうがやりやすいんですよね。だから 「お客様がいないほうがうれしい」という空気すらありました。

また、水槽の手入れを楽にすることが先に来て、水槽内にある岩などの装飾を取り払ってしまったり…。「自分が魚の世話、水槽の手入れをしやすいこと」が最優先。 市営で、そして赤字でもずっと続いてきたので、危機感のようなものはありませんでした。

――飼育員の方は、成功している水族館を参考にされたりはしなかったのでしょうか?

小林: いろいろな水族館を見て回っていましたし、もちろん知っていました。

でもそこで抱く思いは「羨ましいな」「こんなふうにしなきゃいけないな」というのが2~3割ぐらい。あとの7~8割は「うちとは規模も財力も違う」「どうしようもない。考えるだけムダ」という、諦めや開き直りのほうが大きかったですね。

――小林さんは新卒で入館されましたが、そのような状況をどう見ていたのでしょうか?

小林: 「これはおかしい」という問題意識を持つ一方、個人としては好きな魚を飼って給料ももらえるから、まあこれでいいのかな…っていうのが半々でした。

ヒエラルキーが強い組織で、若手にとって上層部の言うことは絶対でしたし、自分が組織についてどうこう思っても、何も変わらない。

私を含め、水族館の飼育員はみんな魚が大好きで、魚を飼いたくて水族館の飼育員になるんです。 組織や人間関係の難しいことを考えるより、「今、魚に向き合っていられる幸せ」を考えると、それで納得できてしまうんですよね。

中堅クラスの人たちも「なんとかしなきゃ」とは思っていたようでした。しかし小さな組織でしたし、 上層部に意見すれば自身にダイレクトに跳ね返ってくる…結局は、何も変わりませんでした。

もちろん、竹島水族館の状況を憂う気持ちはあるのです。でも、何もできない…。

旭山動物園に足を運んだ時のことはよく覚えています。本当に羨ましくて、そして悔しくて、涙を流してしまいました。翌日、竹島水族館に来て現実に戻った時の無常感は忘れられません…。 (なんなんだ、ここは…)と。いっそ、潰れてしまったほうがいいんじゃないか? とさえ思いました。

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「ダメな部分とその改善案」を出すほど、マイナス思考になっていく

――市営で赤字、「つぶれたほうがいい」とまで議論され民間委託に。小林さんが責任者になりましたが、何を思い、どこから手を付けていったのでしょう?

小林: 最初は心機一転、「お客様でぎゅうぎゅうの満員にしてやろう!」そんなことを漠然と思っていましたね。

そうしてまず「何がダメなのか」を全員で洗い出しました。ダメな部分を一つずつ改善していけば、絶対に良くなるはずですので。

しかし竹島水族館で…この手法は失敗でした。 むしろ悪い方向に進んでしまいました。

――なぜでしょうか?

この記事についてコメント(14)

  • 独立経営に変わったことがきっかけになったとはいえ、閉塞感の中からヒントを見つけ改革していった話に勇気をもらいました。「どねんかせんと。」と思う反面「○○だし仕方ない。」と言い訳している「官公庁甘え」の自分がいると反省。自分もスッタフも毎日の仕事を経営の感覚を持ち、意気に感じてできるようもう一度みんなで考え直してみようと思います。
    (その前に竹島水族館一度行きまーす(^^))
    2023年11月23日
  • とても爽やかな気分になりました。
    この水族館は昔は存在しているだけでしたが今はいつ行っても行列ができています。
    アッパレな皆さん。頭が下がります。
    2023年11月04日
  • 魚を愛でる楽しさを御客様と分かち合うことが
    出来るようになったからなのかな、と感じました。
    それは”逃げる”≒”他にも道がある”であるけれども、
    ”逃げる”までは懸命にやるから”他の道”に気付くことが出来る。
    その道を歩き始めことが出来るとその楽しさで、
    各自に自主的な経営責任が生まれる。
    勉強になりました、ありがとうございました。
    2023年10月09日
  • とても良い記事でした。巻き込み型のリーダーは大事ですね。そこに巻き込まれて活躍してくれるスタッフの存在も大事。
    2023年10月08日
  • 面白くて参考になる良い記事でした。竹島水族館スタッフブログを覗いてみましたが、超絶面白くておすすめです。スタッフさんにフアンが付くのも納得です。近々訪問してみたいです。
    2023年10月06日
  • 非常に面白い記事でした。魚好きな人のモチベーションアップの方法がユニークで、それがお客様を呼び込めるようなところや、専門家が独立して知識や技を競いながら、お互いリスペクトシテ情報共有するところなど、中々、色々試行錯誤してたどり着いたのだなと思いました。
    2023年10月05日
  • 面白い記事でした。京都からですが、蒲郡に行ってみたくなりました。
    2023年09月26日
  • 従業員も自分の店なんだという意識を持って売上や経費に関心をもってもらうことは大切だと思います。ただ売ればいい、稼げばいいということはなく、出ていくお金を出来るだけ抑えて会社をおおきくしようという経営者の目線で働いてくれれば力強いですね。
    2023年09月17日
  • 私は7人くらいの会社を経営しています。業種はIT系ですが、パソコンの修理もやるので、飼育員さんの気持ちはよくわかります。
    うちの社員はさしずめ「パソコン・ネット大好き!」な人たちなので、自分の知識がお客様の役に立ちお金をいただいているのに、お客様から「ありがとう!」とお礼をいわれると、それだけでモチベーションは上がりますよね。(^^♪
    当社も同じように権限を与え、ある程度の範囲内でお金は自由に使わせています。自主性のある社員=権限を持った社員なので、権限を与えず、主体的な社員を育てようというのはちょっと無理な話だと思いますね。(#^.^#)
    2023年09月16日
  • とても素晴らしく感動いたしました。そして我が社のことも考えさせられました。旭山動物園のようになるのも時間の問題かもしれません。どうぞ引き続きご尽力ください。
    2023年09月11日
  • とても参考になりました。職員は頑張っているが、現状維持が精いっぱいのようで、困っているので、楽になるための提案をしても、何か疲れることはもうやりたくないという空気を出します。話だけでももっと前向きにポジティブになってほしいと、いつも頭を悩ませています。小林さんも同じような悩みを通られたことが、あきらめないでやり続けようという気持ちにさせていただきました。ありがとうございます。
    2023年09月09日
  • 子供が小さい頃は結構行ってました。館長さんには申し訳ないですけど、当時は人が少なくてのんびり見れて楽しかったし、子供が小さい時は大きくないのが逆に良かった。竹島水族館は学術的にレベルが高いと昔どこかで読んだ記憶があります。
    
    それにしても色々な苦労がおありだったんですね。今は入れないほどの盛況ぶりで何よりです。
    2023年09月02日
  • 凄い!当たり前が凄さに!
    2023年08月30日
  • 担当の水槽が他の担当者にとられるかもしれない、というのは面白いですね。
    
    2023年08月29日

連載:第22回 老舗を 継ぐということ

「うなぎパイ以外赤字だった」老舗企業を変革したリーダーに聞く、組織づくりの本質

BizHint 編集部2023年10月13日(金)掲載

静岡県浜松市のお土産の代表格である「うなぎパイ」。“夜のお菓子”というキャッチフレーズとともに、全国のお土産の中でもトップクラスの知名度を誇ります。製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」には、工場見学の先駆けともいわれ、年間で最大70万人が訪れたそう。堅実な経営をしているようにみえる同社ですが、4代目・山崎貴裕社長は「ある危機感」を覚え、10年以上の歳月をかけて社内改革を進めています。その危機感の正体とは?100年以上の歴史をもつ老舗企業の変革の過程を伺いました。

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有限会社春華堂/株式会社うなぎパイ本舗
代表取締役社長 山崎 貴裕 さん

1974年静岡県浜松市生まれ。1998年国士舘大学政経学部卒業。在学中より節句人形の老舗卸売りメーカー有限会社人形の甲世で修業に入る。2001年、春華堂入社。企画室長を経て2017年、同社代表取締役社長に就任。


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「うなぎパイ」右肩上がりの成長の裏に生まれた“弊害”

山崎貴裕さん(以下、山崎): 当社は、創業者である山崎芳蔵が和菓子店として設立したのが起源です。うなぎパイは、二代目社長だった私の祖父(山崎幸一氏)が、浜松ならではのお菓子を作ろうと考案した商品となります。1961年(昭和36年)に売り出して以来、高度経済成長期とともに出張者の手土産として全国に広まっていきました。

そして、この波に乗り遅れるなとばかりに営業を拡大。高速道路のパーキングエリアや電車の駅の売店など、様々なお土産ショップに一気に営業をかけていった経緯があります。そうして会社も文字通り“うなぎのぼり”で成長してきたんです。

昭和36年の発売より、一つひとつ丁寧に作り上げているそう。バターと厳選された原料に、うなぎエキス、ガーリックなどの調味料をブレンドした銘菓

山崎: 私が当社に入社したのは2001年。うなぎパイの売り上げは40億ほどで右肩上がりでした。2005年には、うなぎパイの製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」をオープン。初年度は、来場予想の3倍にも上る年間30万人のお客様がご来場くださり、工場見学施設の中でも異例の「収益が出せる施設」としても評価をいただきました。

しかしこのプロジェクトを進めるにあたって、ある違和感を覚えたんです。それが 「会社には思っている以上にお金がない」 こと。「会社から出せるキャッシュはこれくらいなので、あとは銀行から借り入れしてください」といった具合で、売り上げは伸びているのに、想定より社内にキャッシュがないことが引っかかりました。ただ、周りを見ても、そこに課題感を覚えている人がいなかった…。

だから、周りから少しずつ情報を集めながら、原因を調べていったんです。そこでわかったことがありました。

それが、うなぎパイ以外の和菓子事業と洋菓子事業(和洋菓子部門)が足を引っ張っている原因であること。当時は今よりも簡素な決算書で、細かい数字を見ていくことができなかったので、自分の信頼する右腕と、会計事務所の力も借りながらあらためて整理していったところ…。和洋菓子部門であわせて毎年4~5億の赤字をだしていたことが判明したのです。 ほとんど採算のとれていない状態が、もう何年も放置されてしまっていた。

――そのような状態が、なぜ何年も放置されていたのでしょうか?

山崎: 一言で言えば「うなぎパイは売れていたから」。最初に申し上げた通り、うなぎパイはまさにうなぎのぼりの成長でした。それは、もっと売るための営業活動に注力していたからこそ。当時はそれでよかったんだと思います。しかし、管理体制が変わることなく会社が大きくなったことで、他部門の状況に気づけないような体質になってしまった。

当時、すごく驚いたことがあるんですよ。新商品のお菓子の販売価格を「これは100円でしか売れないよね」「こっちは150円くらいかな」などと、 “感覚”で決めていたのです。原価計算もだいぶずさんだったり、明らかに人件費が入っていない価格で値決めされていることもあったり。こういうことの積み重ねで、やればやるほど赤字になってしまったというわけです。

――和洋菓子部門から撤退し、うなぎパイ事業に絞るといった選択と集中は検討されなかったのでしょうか?

山崎: よく驚かれますが、そのつもりは毛頭ありませんでした。それは、当社がお菓子屋としてこの地域で育ててもらった会社ですし、和菓子・洋菓子で合計30名もの職人が在籍しており、その人財を活用したかったからです。ですから、 和洋菓子部門の赤字を解消して復活させるしか選択肢はありませんでした。

そしてもうひとつ。 「より強固な会社にしたい」 と考えていました。もしうなぎパイという大きな柱が倒れてしまっても崩れないよう、第二、第三の柱を作りたい。その役割を担うのが、和洋菓子部門だと。

うなぎパイに頼らなくても、お菓子屋として愛される企業になる。そして、旧来の組織体制から脱却して、時代が変わっても生き残れる会社になろう。安定経営の会社を自分たちで作りあげることが、4代目を担う私の役目だ、と。そんな覚悟を持ちました。

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「なんとなくの経営」から「数字管理」と「遊び」両輪の経営に

山崎: とにかく必要だったのは、 「なんとなくの経営」からの脱却 です。赤字部門を解消するためのコスト管理はもちろん、改善すべき点はほかにもありました。

当時の運営としては、営業は売りたいだけ売ってきて、製造部門は生産計画もなしに作れるだけ作るような状況。そうではなく、お互いがきちんと連携をとり、生産管理や販売計画を立てる。売上予測がわかるようになればコスト削減に繋がりますし、従業員の働きやすい環境もつくれるはず。だからこそ、 「なんとなく」ではなく「数字管理」の経営にシフトしていくことが必須 だと考えました。

しかし、うなぎパイのおかげで売り上げは伸びているため、現場には危機感がありません。ある日突然「数字で管理しましょう」と言っても聞き入れてもらえないでしょう。だからこそ、従業員一人ひとりの意識改革をセットで進める必要があったのです。

それが顕著だったのが製造現場ですね。彼らは「美味しいものを一生懸命作る」が最優先で、儲かっているかどうかは自分たちが考慮すべき点ではないと考えていた気がします。「いい原材料を使いたいです!」とよく言われましたが、コストに見合っているかは検討していなかったようですね…。

今までの状況を考えたら仕方なかったのかもしれません。しかしこれからは、自分たちの給料の源泉は何であって、会社の売り上げ目標はいくらなのか。その目標を実現するために、自分たちは何をすべきなのかを考える。 そうした発想を持てるよう変えていくことが、会社の責任 だと思いました。

山崎: 一方で、絶対に忘れてはいけないものがあるとも考えました。それが 「遊び心」 です。

――「遊び心」ですか。それはなぜでしょう?

山崎: 春華堂は「お菓子屋」だからです。お菓子は人を笑顔にするべきものであり、当社では創業当時から、お菓子を通して関わる人すべてに幸せを感じてもらいたいという想いがあります。

数字で管理していくことはもちろん大切です。しかしこの遊び心を忘れてしまっては、きっと多くの方に愛されるお菓子作りを続けていくことは難しいでしょう。 仮に採算が合わなかったとしても、そこに「意味」や「志」を見出せる施策であれば実行する。そんな遊び心を忘れない企業でありたいのです。

だからこそ「数字管理」と「遊び心」、両輪の経営を目指したいと考えました。

自律型人材が育つ組織へアップデートするには?

老舗企業を変革に導いた「3つの仕掛け」

――では、具体的な施策内容について教えてください。

山崎: はい。私が進めた社内改革は、大別するとこの3つに集約できます。

  1. 組織の刷新、責任所在の明確化
  2. 方向性の共有
  3. “横のつながり”の醸成

1. 組織の刷新、責任所在の明確化

山崎: 私が入社した当時、トップダウンの組織というわけではなかったのですが、当時の社長、専務、常務、工場長の四つ巴状態になっていました。役員同士が顔を合わせるのは月に一度の月例会のみ。製販の連携がまったく取れておらず、それぞれがよかれと思ったことを進めている状況でした。また、うなぎパイの製造部長が3人いたこともありまして…正規の部長が3人横並びという、不思議な組織図だったんです。 組織のピラミッドが中途半端では、誰の指示を仰げばいいのかわかりませんし、現場従業員が混乱します。

そこで、組織のトップは「社長」ということを打ち出し、指揮命令系統をはっきりさせるという意味で役職ごとの権限を明確化しました。

そして、社内の活動を経営数字に結びつけるためには、経営の意思がスムーズに伝わる組織体制が必要です。月例会のほかに製販一体型の会議をもう1本増やし、自分のもとに製造部を置きました。そして企画部門を新設して、そこで値段と商品をコントロールできるようにすることで、赤字の原因を少しずつなくしていく体制を整えました。

2. 方向性の共有

山崎: 組織の動かし方について学んだのは、日本青年会議所(JC)の浜松支部で理事長の役を拝命したときです。

JCは、さまざまな企業から集まった若手のリーダー層で構成されています。自分の今置かれている立場や価値観の異なるメンバー同士ではありますが、毎年スローガンを掲げて共通認識をもち、その方向に向かって行動計画を作成し、社会奉仕活動を行います。

当社に所属している従業員は、製造から営業、店舗のオペレーションまで職種が多岐に渡ります。高卒から大院卒、経験者まで、従業員のバックグラウンドもさまざまです。しかし、会社の方向性や方針を明確にする・共有する機会はありませんでした。

JCのやり方を当社にも活かすことで、組織全体の意識改革に寄与するのではないかと考え、 会社の方向性の共有として、毎年「スローガン」を掲げることにしました。 これは新年会の場で発表しています。

一人ひとりが変れば会社は変わるというメッセージを込めて、初年度のスローガンは 「変革」 としました。「変革」の第一歩として「全従業員が社内においても挨拶できるようにすること」を目指したのですが、それを達成するのに3年もかかってしまい… 何かを変えていくには、それだけ時間がかかることを学びました。 だからこそ、翌年は「連・変革」とし、もう一度「変革」を掲げています。「連」には、もう一回続けようという意味と、横のつながり・従業員同士の手と手のつながりといった意味も込めました。

春華堂が毎年掲げているスローガンの一覧。毎年少しずつブラッシュアップを重ねているのだとか

山崎: また、「スローガン」として会社としての思いや方向性を打ち出すだけでなく、 それに沿った事業計画を各部署に作成してもらっています。 最初は営業部と製造部からはじめて、2014年頃には全部署に展開し、全社のスローガンから落とし込んだ各事業部の経営方針を発表する機会を設けるようになりました。

――各事業部で事業計画を作るということですが、最初からすぐに対応できたのでしょうか?

山崎: それまで当社には、昨年度の結果を振り返ったり、年度の計画を立てたりする機会がなかったんです。だから、事業計画を立てるのは大変だったと思いますよ。言われたからとりあえず作ってみた…という意識もあったかと。「何のためにその数字を掲げたのか」「意味のある目標なのか」「その計画内容は本当に正しいのか」などと伝え続けていく中で、徐々に現場の意識も変わっていきました。 目標をクリアすることに貪欲になったり、周りに迷惑をかけないよう、より綿密な計画を考えたりといった、行動の変化がみられるようになった のです。

そのうち、数字だけでなく、どういう商品を開発してどういう販売戦略を練り、どんな人材育成をすればよいかなど、 経営層や所属長たちと一緒になって部門ごとの事業計画を考える風土ができてきました。 部門ごとに戦略部分を考え、社長が最終決断する。こうした組織になってきてから、各部門の取り組みが1つの線でつながり、足し算になって積み重なるようになりました。

大打撃を受けたコロナ禍においても、どういった形で会社を存続させていくのが最善か、各部署が即時にシミュレーションを行って提出してくれたことで、迅速な判断ができました。過去と比べて、本当に強い組織になったと感じています。

3. “横のつながり”の醸成

山崎: また、部門間を超えた連携の強化として、横断的なプロジェクトを立ち上げ、さまざまな部署の従業員が関われるようにしています。これは派閥を作らないという目的もあって、普段なかなか話す機会のない人とコミュニケーションが活性化されますし、 自分たちの部署だけでなく他の部署も含めて幸せになる「全体最適」を目指した取り組み です。

――具体的には、どんなプロジェクトが発足したのでしょうか?

山崎: ここ近年の一番大きなプロジェクトが 「SWEETS BANK(スイーツバンク)」の設立 です。スイーツバンクとは、当社の本社機能のほか、直営店であるSHOP春華堂があります。うなぎパイ以外の和洋菓子も豊富に取り揃えており、ほかにもカフェ&ベーカリーやコミュニティスペースも設置された、地域のシンボルとなる文化的価値創造拠点です。

家族団らんの象徴であるダイニングテーブルを13倍にスケールアウトし、非日常の空間へいざなう複合施設となっている

山崎: このスイーツバンクは、先ほど申し上げた「遊び心」の集大成ともいえます。本施設は、外観のみに留まらず、内装の細かい部分にまで強いこだわりを持って作られています。正直、数字だけを突き詰めたら、本社施設にそこまで力を入れなくてもよかったかもしれません。しかし私は「足を運んでくれた人にガッカリしてほしくない」と思うのです。 「来てよかった」「楽しかった」そんな気持ちを感じてもらうために、遊び心をとことん詰め込みました。

立ち上げには、デザイナーやシェフはもちろん工場の現場従業員など、階層に関わらずさまざまな部門からメンバーが参加しました。やる気のある若手従業員がいたら、入ってもらうようにもしています。他業種や地域を巻き込むプロジェクトを推進するなかで、マネジメント能力も磨かれていきますので。

今では、こんなにやらなくてもいいんじゃないかと思うくらい(笑)、毎年、新たな企画が生まれ続けています。そうして事業が増えていき、従業員数も500名近くに。先ほどお伝えしたようにさまざまなレンジの従業員がいますので、共通した言葉が必要だということで評価制度も刷新しました。外部の講師をお呼びして、役員と所属長と課長クラスの実務者と……何か月もホテルに缶詰めで作ったのですが、こうした時間も横のつながり作りに活きています。

――社内の改善に取り組んできて、和洋菓子事業の状況はどのように変わりましたか?

山崎: 2013年から5年で赤字を解消しようと目標を立てて取り組んだのですが、 結果的に4年で黒字化できました。 和洋菓子のブランドを1つずつ立ち上げ、東京にも拠点を持つなどして、うなぎパイ以外の事業がどんどん拡大しています。

今はまだうなぎパイの売り上げが事業全体の8割を占めますが、今後はうなぎパイの売り上げは落とさず、その他の事業の売り上げ比率を高めていき、10年後には半々になるようにしていく計画です。

よりよい状態でのれんを渡せるように、ブレずに言い続けることがリーダーの役目

――会社が良い状況に向かっていることがわかりますね。

山崎: そうですね。ただ一方で、新しい課題も生まれていて…。和洋菓子部門の拡大はじめ、幅広い事業を行っていくためには、経営陣に近い感覚を持った人材が必要不可欠です。だからこそ、 今後の組織を牽引するリーダーやマネジメントを担える人材の育成・獲得に注力していくべき だと考えました。

ありがたいことに当社は、自社サイトだけの告知で70~80人の応募が来ます。それはうなぎパイや春華堂のブランドがあってこそなのですが、どちらかというと安全志向の人が多い印象がありました。しかし今必要だと考えているのは「安全志向」より「チャレンジ志向」の人材。「老舗」「安定経営」といった従来の強みでは、こういった人材は当社に来てくれません。

そこで2022年に採用サイトを一新。「本気」や「個性」といったキーワードを前面に押し出し、経営者マインドを持って自ら取り組めるような人に刺さるようなメッセージにしました。2023年の4月には、実際に採用候補者の中に経営学部の人が増えました。面接の場などでマネジメントやマーケティングといったフレーズを聞くようになり、一定の成果を感じています。

引用:春華堂リクルート

――最後に、山崎社長が考える「リーダーの役割」についてお聞かせください。

山崎: 思い起こせば私の大学時代。老舗の人形屋で修業したことで、春華堂の4代目になる覚悟を持てました。商売について教えてもらい、家業を継ぐ意味を教えてもらい、「あぁ、私は先代からのれんを預かっているのだ。少しでも高い位置に掲げて、5代目へ渡せるようにしよう」と思えるようになったのです。

会社を守り抜くため、変えなければいけないことがたくさんありました。家業に戻ったころは、陰口を叩かれたことも一度や二度ではなかった。それでも、どういう方向に変わっていくべきかを、社長は自分の言葉で従業員に説明しなければいけません。

もちろん、翌日すぐに変わるわけでもありませんから、 1年、2年とかかったとしても言い続けること。ビジョンを掲げ続けること。そうしてブレずにいることが、この激動の時代を生きるリーダーの役目ではないか と思います。

(取材・文:菅原岬(浜松PR) 撮影:市川瑛士(GRAPHYS) 編集:櫛田優子)

この記事についてコメント(4)

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  • 学生時代、高速道路のサービスエリアの売店でアルバイトをしていました。もっとも売れたのば「うなぎパイ」でした。それ以来、夜のお菓子が気になっていましたが、ここ数年で、工場見学、ニコエなど身近に感じられる春華堂になってきたのは、社長の経営改革にあったのだなと納得しました。最近、ひょんなことから春華堂社員の方と知り合いになりみなさん、ほんとに活き活きと仕事を楽しんでおられる姿を拝見し、社員のやる気を引き出すことに成功されているなと思いました。鯉のぼりのような、空を泳ぐ「うなぎのぼり」を作っていただき、売り出したら、あやかりたいと売れるのではないでしょうか。
    2023年11月02日
  • 変革と言いながら、言葉だけで実質が伴わない中で、よく改革されたと思います。うなぎパイ以外の赤字部門が自立できて立派ですね。
    2023年10月27日
  • 方向性が正しいこと、そこにブレないが大事ですね。あと、赤字を切るではなく、改善したところはここにこれからの成長のノウハウ・自信に繋がると思います。
    2023年10月13日

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