https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02277/030700014/

 

窒化ガリウム(GaN)ベースのパワーデバイス発展版を搭載するコンセプトカー「All GaN Vehicle(AGV)」の開発進捗状況を、開発を指揮する名古屋大学 特任教授の塩崎宏司氏に聞いた。AGVの開発は、環境省の「革新的な省CO2実現のための部材や素材の社会実装・普及展開加速化事業」の枠組みの中で、高品質なGaN結晶や、それを使った縦型GaNデバイスを開発するパナソニックホールディングス、豊田合成、大阪大学と共同で取り組んでいる。

 AGVは、GaNが本来秘めているパワーデバイス向け材料としての高い潜在能力を引き出すことによる、より環境性能の高い電気自動車(EV)の実現可能性と、GaNパワーデバイスの有効な適用先と活用法を見定めるために開発されているコンセプトカーである。環境省プロジェクトとして2014年から2021年に掛けて実施された「GaN技術による脱炭素社会・ライフスタイル先導イノベーション事業」の中で初号機を開発。世界で初めて開発されたAGVは、2019年10月に開催された「東京モーターショー」で披露された(図1)。

図1 展示された「All GaN Vehicle(AGV)」
図1 展示された「All GaN Vehicle(AGV)」
(左)2019年10月の「東京モーターショー」に展示された「All GaN Vehicle(AGV)」。EVの動力を生み出すモーターを駆動するトラクションインバーター、DC-DCコンバーター、車載充電器(OBC)、レーザーハイビームなど主要な車載パワーエレクトロニクス回路を、GaNデバイスを基に新規開発して搭載した。(右)2023年12月の「SEMICON Japan 2023」に展示されたもの。出所:名古屋大学
[画像のクリックで拡大表示]

発展版AGVの開発は順調、2025年には縦型デバイスを利用した走行の実現を目指す

 現在開発されている発展版AGVは、2022年から実施されている環境省プロジェクト「革新的な省CO2 実現のための部材や素材の社会実装・普及展開加速化事業」の枠組みの中で、名古屋大学、大阪大学、パナソニックホールディングス、豊田合成などが実施機関となり、研究機関と企業のオープンイノベーション体制の下で研究開発が進められている。開発の目的は、初号機では引き出し切れていなかったGaNの潜在能力を具現化し、炭化シリコン(SiC)ベースのパワーデバイスを利用した場合との利害得失を見極めて、GaNデバイスの最適な適用先を定めることである。

 発展版AGVでは、「懸案だった高耐圧・大出力の車載パワーエレクトロニクス回路への適用に欠かせない縦型GaNデバイスと、その導入を前提として回路構成や冷却の仕組みなどを最適化したトラクションインバーターなどを開発。その導入効果を検証している。

 縦型GaNデバイスとして、高速動作が期待できるジャンクションFET(JFET)と、信頼性向上が期待できるトレンチMOSFETとの2種類を試作。それぞれを搭載したインバーターの開発を進めている。デバイス試作とインバーター開発共に計画通りに順調に進んでおり、既にモーターを駆動できることを確認できている」という。

 2025年には、縦型GaNデバイスを利用した出力50kWのGaNインバーターを搭載した発展版AGVを完成させる予定だとする。

車載インバーターでのGaNとSiCの勝負付けは縦型GaNが実現してから

 自動車業界では、2025年頃には、世界中の多くの自動車メーカーからSiCをベースにした電力利用効率の高いパワーデバイスを搭載したEVが続々と市場投入されるとみられている。これらは、現行のシリコン(Si)ベースのIGBTを利用したインバーターを搭載するEVに比べて電力効率が大幅に向上し、インバーターのサイズも小型化する見込みである。

 ただし、Siデバイスに比べれば高効率なSiCデバイスだが、半導体材料としての物性面からパワーデバイスへの適性を見ると、GaNがSiCを上回り、さらなる小型・軽量化や電力効率の向上が実現する可能性があることがわかっている。それでも実際にはGaNデバイスではなく、SiCデバイスの適用が想定されている背景には、大電力を扱うために不可欠な縦型デバイスをGaNベースでは実現できていなかったからだ。

 こうした背景から、2019年時点でのAGVに搭載されたインバーターを構成するためのGaNデバイスは、比較的耐圧と出力が低い、基板の面方向に電流を流す横型GaNデバイスを並列に並べ、回路面での工夫を加えて負荷分散させて作成していた。

 横型GaNデバイスは、高速スイッチングが可能というメリットはあるが、耐圧に上限があり適用可能なクルマのサイズが限定されること、チップ自体が大型になり、また多数のデバイスを並列に使って回路を構成することからパワーエレクトロニクス回路が大型化すること、などに課題があった。これらはクルマの重量増や居室空間の狭小化、さらにはコスト増大の要因となる可能性がある。

縦型GaNの特性を精査し、三相GaNインバーターを最適設計

 名古屋大学は、パナソニックから定格電流が10Aの縦型JFETを、豊田合成からは同10A、20A、30Aの縦型トレンチMOSFETの供給を受け(表1)、デバイス単体での基本特性を解析。「既にそれぞれの縦型GaNデバイスに最適化したインバーターの設計指針を見出して、インバーター開発を開始している」という。

表1 供給を受けたデバイスと試作モジュール
出所:「令和4年度 革新的な省CO2実現のための部材や素材の社会実装・普及展開加速化事業(超低抵抗ウエハを用いた高効率インバータの開発・検証) 成果報告書」
表1 供給を受けたデバイスと試作モジュール
[画像のクリックで拡大表示]

 具体的には、縦型GaNデバイスは横型GaNデバイスに比べて端子間容量が大きく、特にゲート電位変動に影響がある帰還容量が大きいため、インピーダンスの最適設計などゲートサージを制御するゲート駆動回路の設計が重要になることが判明した。また入力容量も大きいため、これらにも適合したゲートドライブ回路が必要となる。

 さらに今回提供を受けたデバイスを利用してインバーターを構成する場合、横型GaNデバイスほどではないが、並列構成の回路を組む必要がある。その際、並列動作時に各デバイスを流れる電流が不均一になる現象から、システム全体の性能が特定のデバイスの最大温度で制限されるため、低インダクタンス性能と低損失性能を両立するパワーモジュールの放熱設計と冷却機構の設計が鍵になる。

 インバータシステムに縦型GaN デバイスを適用するには、制御の誤動作や負荷短絡によるデバイス破壊を防ぐための短絡耐量が要求される。豊田合成製の縦型GaNデバイス(耐圧600V)の短絡耐量を図2に示す。デバイス耐圧の2/3以上の450Vを印加した状態で、短絡時間10μs以上を確認している。横型GaN HEMTは短絡耐量が小さいことが報告されており(1μs以下などで破壊)、短絡耐量試験の前後での特性変化はあるものの破壊に至らないことから、縦型GaNデバイスに短絡耐量の観点で優位性があることがわかった。

図2 豊田合成製の縦型GaNデバイスの短絡耐量

図2 豊田合成製の縦型GaNデバイスの短絡耐量

出所:「令和4年度 革新的な省CO2実現のための部材や素材の社会実装・普及展開加速化事業(超低抵抗ウエハを用いた高効率インバータの開発・検証) 成果報告書」

[画像のクリックで拡大表示]

 こうした縦型GaNデバイス固有の現象に基づいて最適設計した、縦型GaNデバイスを2並列構成で利用した3.1kW出力のパワーモジュールユニットを3個、ゲート駆動回路、冷却器で構成した5kWの三相GaNインバーターを試作(図3)。そして、実際にモーター駆動が可能なことを確認している。

図3 縦型GaNデバイスを搭載した三相インバーター、モーター駆動可能なことを確認済豊田合成製の縦型GaN 10Aモジュールを使って実現した例。
図3 縦型GaNデバイスを搭載した三相インバーター、モーター駆動可能なことを確認済豊田合成製の縦型GaN 10Aモジュールを使って実現した例。
出所:「令和4年度 革新的な省CO2実現のための部材や素材の社会実装・普及展開加速化事業(超低抵抗ウエハを用いた高効率インバータの開発・検証) 成果報告書」
[画像のクリックで拡大表示]

 名古屋大学では、さらに高出力、高効率なインバーターを開発していく予定である。さらなる性能向上に向けて、「モーターとインバーターを一体開発して、両者を擦り合わせながら仕様を最適化することの重要性が改めて明らかになった」という。

 電動車のモーターでは、コイルの小型・軽量化、大電流化に向けて高占積化が可能な平角線構造の採用が主流となっている。平角線構造のモーターの損失解析を実施したところ、渦電流損による中高回転領域でのトルク低下が課題になることが判明し、GaNインバーターの高周波制御による渦電流損の低減、中高回転領域でのトルクを改善するための方策が必要になってくる。

クルマへのGaNの応用、様々なデバイスで比較検討

 GaNは、日本の赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏が2014年にノーベル物理学賞を受賞した青色発光ダイオードの研究開発の対象となった物質であり、日本に豊富な知見と技術の蓄積が存在する材料である。そうした歴史的背景を持つGaNが日本の基幹産業のひとつである自動車産業の強みになれば、国際競争力の高い産業のサプライチェーンとエコシステムを構築できる。このため、環境省事業に参画している研究機関や企業の関係者は、その社会実装に大きな期待と強い意志を持って取り組んでいる。

 しかし、トヨタ自動車をはじめとする大手自動車メーカーは、どのような有力技術であっても複数ある選択肢のうちの1つと見る冷静かつ中立なスタンスである点は変わらない。縦型GaNデバイスの開発とその応用に注力している名古屋大学も同様に、GaNの利用形態と応用先を、決め打ちして取り組んでいるわけではない。実際、横型GaNデバイスを適用した3レベルの800V対応インバーターも開発し、その効果も検証している。

 「パワーデバイスの領域で、Siが新しい半導体材料に変わっていくことは必然。ただし、変わる先がSiCになるのか、GaNになるのか。GaNならば縦型なのか、横型なのかは、キッチリとデータを蓄積して客観的に比較してみる必要がある。これまでのところ、縦型GaNデバイスの適用によってSiCデバイスよりも性能が向上する期待を感じている。ただし、現時点では研究開発ラインで作った試作チップを利用している状態であり、品質管理の行き届いた量産ラインで製造したチップでメリットが際立ってくるのか、それとも僅差のままコストでの比較になるのか、判断できる材料を揃えたい」と塩崎氏は語る。