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この数カ月、イランへの注目度が増している。2024年4月14日、イスラエルによるクッズ部隊幹部暗殺への報復として、イランは史上初めてイスラエルへの直接攻撃に踏み切った(「ガザめぐりイスラエルとイランが戦い合う理由」参照)。
それから1カ月が経過した5月19日、イランのライシ大統領がヘリコプター墜落事故により死去した。この速報に接したとき、イスラエルによる報復暗殺かと緊張が走ったが、すぐに荒天が原因の事故であることが判明した。
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保守強硬派3人vs改革派1人
これにより6月28日、イランでは大統領選挙が実施された。候補者4人のうち3人はいわゆる「保守強硬派」と呼ばれ、残りの1人は「改革派」だった。
立候補するには、イスラム法学者などで構成される監督者評議会の審査で選出されなければ出馬すらできない。改革派が1人紛れているのは、民主的な選挙が行われたと現政権が主張するためのものだろうと目されていた。
ところが7月5日の決選投票の結果、改革派のマスード・ペゼシュキアン氏が勝利したのである。
ペゼシュキアン氏は7月30日に宣誓を行い、正式にイラン大統領へ就任する予定である。今後イランがどのような舵取りをするのか注目されるが、イランの最高指導者がハメネイ師であることに変わりはなく、劇的な変化は望まれないというのが大勢の見方である。
ペゼシュキアン氏が選挙で掲げた公約の1つは、経済制裁解除を目指して世界と友好関係を結ぶことだった。ただし、それは「イスラエルを除く」という条件付きである。
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イランはなぜイスラエルをここまで敵視するのか。その始まりは1979年のイラン・イスラム革命に遡る。1925年に誕生したパーレビ朝は親米路線で、ソ連の赤の脅威への防波堤としてアメリカの支援を受け、軍事・経済面で西欧的な近代化を進めていった。
1948年にイスラエルが建国された際、イランは中東のイスラム諸国の中でいち早く、トルコに続いて1953年にイスラエルと国交を結んでいる。そして1959年には、エルアル・イスラエル航空が直行便を就航させ、テルアビブとテヘランを毎日結ぶようになった。
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いち早くイスラエルと国交を結んだイラン
多くのイスラエル人が観光でイランを訪れ、多くのイスラエル企業がイランに進出し、両国は経済的な結びつきを強めていった。イスラエル最大の建設会社がテヘランの高級ホテル、空港、橋、海軍の基地、居住区などの建設を担った。当時の建物の多くは今も残されているという。
軍事面では、両国が共同で兵器開発を行った。中でも「フラワー・プロジェクト」と呼ばれたミサイル開発プロジェクトは、イスラエルのエリコ・ミサイルをベースとした新型地対地ミサイルの共同開発で、両国の強い結びつきを象徴するものだった。
1967年に勃発した第3次中東戦争の後、イランはイスラエルとの合弁会社を通じて、イスラエルへ石油の供給を開始した。その見返りとしてイランは、農業・水道システムの支援をイスラエルから受けた。
1973年のオイルショックでは、アラブ諸国がイスラエル支援国家への石油禁輸を発表したが、イランはこれに同調しなかった。
イスラエルの政府関係者も頻繁にイランを訪問した。イスラエル歴代首相の中では、1966年にレヴィ・エシュコル首相、1972年にゴルダ・メイール首相が公式訪問し、軍高官、モサド長官などの要人も多数訪れている。
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かつてイランには、30万人を擁するユダヤ人コミュニティが存在した。この地域がペルシアと呼ばれた時代からユダヤ人とはゆかりの深い土地だった。
今から2500年以上前、バビロンに捕囚されていたユダヤ人を紀元前538年に解放したのは、ペルシア帝国のキュロス王である。
それ以来、ペルシアの地にはユダヤ人コミュニティが存続し、良好な関係を保ってきた歴史がある。そのユダヤ人との長い友好の歴史を断ち切ったのが、1979年のイラン・イスラム革命だった。
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『イランの地下世界』
期せずして2024年5月に興味深い本が上梓された。『イランの地下世界』(角川新書)である。著者は長年イランに住む日本人の若宮總氏。といっても仮名なので、正体不明の謎の人物である。
著者は学者でもジャーナリストでもないが、ペルシア語に精通し、二十数年にわたってイランに住み、イラン庶民の中で暮らしてきた。現イラン体制の暗部を忖度なしに暴露できるよう、ペンネームを余儀なくされたという。
それだけに、にわかには信じがたいようなイラン国民の本音と現実があぶり出されている。
詳しくは本書をお読みいただきたいが、少し引用させていただく。
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イラン人はかなりシビアに自国の体制を認識しているというのが現実のようである。そして、イラン現政権が目の敵にするイスラエルについても、次のように述べられている。
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2022年の反政府デモ
経済制裁の煽りを受け、現政権を嫌悪するイラン国民の本音は、政府の政策とはかなり乖離しているようである。自国から1000キロメートル以上離れた遠い土地の問題よりも、貧困にあえぐ自国民の救済を考えてほしいという訴えはもっともだろう。
本書は2022年の反体制デモから話が始まる。在イランのクルド人女性マフサ・アミニさん(22)が、頭髪を覆うベールを適切に着けていなかったとしてイランの風紀警察に逮捕され、その後死亡したという事件が発端のデモである。
これがきっかけで、ベールの自由化を求めて各地でデモが起きた。今も女性のベール着用義務がなくなったわけではないが、「なし崩し的な自由化の波はもはや食い止められない、というのが大方の見方」(23ページ)であるという。
こうした反体制の民意が今回のイラン大統領選に反映されたのだろうか。そうであれば、イスラムからの自由化の動きが現政権に影響を与えるのだろうか。それはまったくの甘い幻想なのだろうか。
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若宮氏は、今後10年のうちにイラン政治に起こりうるのは、次の3つのシナリオであるとする。
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今後10年、3つのシナリオ
②イスラム体制を維持したままでの民主化
③イスラム体制による一層の締めつけ強化(274ページ)
今後10年というのは、85歳である最高指導者ハメネイ師の死がターニングポイントになると考えられるからである。本書はライシ大統領が急逝する前に発刊されているので、こうした変化が早まる可能性は否定できない。
最後に1つのエピソードを紹介したい。2005年、教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去に伴い、バチカン市国で行われた葬儀での出来事である。
世界80カ国の国家元首が参列する中で、イスラエルからはモシェ・カツァブ大統領が参列した。カツァブ大統領はイラン生まれで、6歳の頃にイスラエルに帰還したユダヤ人である。
カツァブ大統領の近くに座ったのが、イランのモハンマド・ハタミ大統領だった。2人は同じイランのヤズド県出身であり、ペルシア語で談笑したという。地元話に花を咲かせたのだろうか。
イランとしては、自国の元首が敵国の元首と言葉を交わしたのだから大問題である。イラン政府はこの事実を否定したが、2人が笑顔で会話するシーンは世界に放映された。
この話に象徴されるとおり、イスラエルには多数のイラン系ユダヤ人がいる。ガザのハマスやレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派を陰で支援し続けてきたイラン政府が、40年以上続けてきた対イスラエル政策を易々と変更することはないだろう。
それでもなお、賢明なイラン国民がこの先、イスラエルとの関係において、破壊ではなくかつての繁栄の道を選択することを期待したい。
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戦時内閣からガンツ氏が脱退
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イスラエル世論調査でわかる2つのこと
( )内は党首名、【 】内は同じ設問で約1週間前に行なわれた世論調査からの変動数である。
この結果を現在の与野党に振り分けると、与党は52議席【+1】、野党は63議席【-1】(どちらにも属さないアラブ系のハダッシュ・タアル党の5議席を除く)となる。
現与党の下野が確実視される中で、皮肉なことに、ガンツが離脱を発表したことで自身の国家統一党は4議席減らし、与党のリクード党が1議席増やしている。そして注目したいのは、若干ではあるが左派系の支持が回復していることだ。
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建国以来、第1党として多くの期間イスラエルの政権を担ってきた左派の労働党は、1993年のオスロ合意を導いたが、これを失敗と見る国民からの支持を得られず、この数十年で議席を減らし続けた。
労働党は現在4議席を有するのみだが、最新の世論調査では7議席となっている。2022年に実施された最後の選挙でしきい値を割り込んで議席を失った中道左派のメレツ党と連携すれば、10議席に増えるという予測も出ている。つまり、ベングビールの右派政党を上回る計算となる。
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現職首相への不信感
並行して次の世論調査も行なわれた。
最後の停戦案については、2024年5月末にアメリカのバイデン大統領が示したものである。双方が戦闘を停止し、段階的に人質解放・パレスチナ囚人釈放を実行し、ガザ地区北部住民を帰還させ、最終的にIDF部隊がガザ地区から完全撤退し、ガザ地区の復興を目指すとしている。
しかしイスラエル・ハマス双方が反対を表明し、暗礁に乗り上げたままである。1週間前のイスラエル世論調査では、この停戦案について「支持40%」「反対27%」「わからない33%」だった。
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しかし人質4名の奪還とガンツの政権離脱というニュースがもたらされたことにより、わからないと答えた人が14ポイント減少し、停戦案に賛成する人が9ポイント増加し、反対も5ポイント増える結果となっている。
オスロ合意以降、イスラム過激派によるテロが活発化してイスラエル世論が右傾化し、ネタニヤフ率いるリクード党が右派や宗教党と手を組んで支持を伸ばしてきたが、ここに来て中道のガンツやラピッド、さらに左派への揺り戻しが来ている。
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左派への揺り戻しの兆し
ネタニヤフ首相の汚職や司法制度改革に反発する声も大きく、今秋に選挙が行なわれればネタニヤフは退陣を免れないだろう。
では、次期首相はガンツになるのか。ガンツはIDF参謀総長経験者である。イツハク・ラビンやアリエル・シャロンなど、右派・左派に関わらず歴代首相の中には国防の最前線で戦った人物が多い。IDFにはイスラエル国民が絶対的信頼を置いているからである。
ガンツは政界入りしてから副首相兼国防相、国会議長を歴任しているが、首相としての手腕は未知数である。次期首相の有力候補であることは確かだが、ガンツにこの難局を乗り切るだけの政治力があるのか、不安な要素も多いと言われる。
現内閣では、右派からも不満が出てきている。イタマル・ベングビール国家安全保障相は、停戦案に応じるなら政権を離脱すると公言している。ベングビールが離脱するなら現政権は過半数割れとなるため、ネタニヤフはこれを阻止したい。
つまり現行の停戦案に応じる可能性は極めて低いだろう。中道のガンツが離脱し相対的に右派の影響力が強まるならなおさらである。
4人の人質奪還という喜ばしいニュースとは裏腹に、国民の過半数が総選挙に賛成し、現政権に不満を募らせている。ネタニヤフについては、自らの政治的延命を図っているとの批判が高まっている。
イスラエルは中東で唯一の民主主義国家を標榜しているが、今その真価が問われている。
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