https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/07621/?i_cid=nbpnxt_sied_blogcard

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2022年12月、東京大学、九州大学、大同大学の3大学は「常温常圧の環境下、可視光エネルギーを用いて 窒素(N2)ガスをアンモニア(NH3)へと変換することに世界で初めて成功した」と発表した。

 これまでNH3は、人工肥料目的の生産がほとんどだったが、今後は水素(H2)を運搬、または長期保存するための水素キャリアとして、あるいは直接燃焼させる、燃焼時二酸化炭素(CO2)フリー燃料としての利用が見込まれている。

 NH3の工業的生産技術としては1906年に開発されたハーバーボッシュ法がこれまで用いられてきた。これも空気中のN2ガスが材料の1つであるため、開発当時は、「空気からパンを造る」技術といわれた。そして実際に人工肥料の大量生産によって農業の生産性が向上し、世界の人口が飛躍的に増えた大きな要因になった。

水素は空気から得られない

 ただし、世界がカーボンニュートラルを目指す時代になったことで、ハーバーボッシュ法の課題が目立つようになってきた(図1)。課題は大きく2つある。1つは、NH3のもう1つの材料である水素(H2)は、空気から得られるわけではない点である。

図1 “かすみ”と光から燃料や食料を生産する技術が登場
これまでの工業的にNH3を生産する方法(ハーバーボッシュ法)とその課題(a)。課題は大きく2つ。1つは、H2の生産時にCO2排出、そして運搬や保管コストが高い点。もう1つは、高温高圧が必要で、システムが大型になる点。これに対して、今回の製法は、H2が不要で、空気中のN2と水蒸気(かすみ)と光だけからアンモニアを現場で製造可能になる見通し(b)。常温常圧での反応でシステムは非常に簡素で済む(出所:日経クロステック)

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 このH2を得る手法は、これまで天然ガスや石炭などの化石燃料を改質する手法がほとんどで、この際にCO2を大量に排出してしまう。こうした水素は、「グレー水素」と呼ばれる。

 H2生産時にCO2を回収するプロセスを導入した「ブルー水素」、再生可能エネルギーの電力だけで水(H2O)を電気分解して得る「グリーン水素」も注目を浴びているが、現状ではコストの壁がある。

 さらに、生産したH2はそのままでは体積が大きくて効率的な運搬が難しい。また、液体水素の維持には少なくない電力が必要だが、それでも容器から漏れ出しやすいため、長期保存も難しい。それらを解決する手段の1つが、NH3だが、その生産にはH2が必要であり、「ニワトリが先か卵が先か」といった課題のループになってしまう。

 運搬や保管問題に対する出口の1つはH2とNH3の生産を1カ所で進めるコンビナート方式だが、ここに、もう1つの課題が出てくる。ハーバーボッシュ法が温度にしてセ氏400~600度、圧力にして100~300気圧といった高温高圧の反応環境を必要とする点だ。これは、N2のN同士を結合させている3重結合が非常に強固で、それを切り離すのにエネルギーが必要であることに起因する。

 合成に必要となるエネルギーは反応熱を生かすことで多くをまかなえるが、高圧への耐性を確保し、しかも熱損失を低減するためにはプラントを大型化する必要がある。このため、ハーバーボッシュ法のプラントは非常に大型である。

改良技術でもH2は生産できず

 最近、NH3の新しい生産技術が数多く提案されているが、その多くは、ハーバーボッシュ法の触媒を改良し、より低い温度と圧力でもNH3を生産できるようにするものだ。とはいえ、現状では実用的なNH3の収率を考えるとセ氏200度以上かつ10気圧以上の反応条件が必要な技術がほとんどで、常温常圧でできる技術は出てきていない。加えて、H2はどこからか調達しなければならない。システムはやや小型化できるものの、NH3をその消費地に近い場所で生産する場合、H2の運搬や保管問題が再燃する。

 水電解装置を用いてH2を現地生産することは可能だが、それに用いる電力の大半が再生可能エネルギー由来でなければ、CO2の問題は免れない。仮に再生可能エネルギー100%だとしても、複数種類のプラントを同時に稼働するミニコンビナートのようになり、システムの大幅な小型化につながるかどうかは不透明だ。

住宅の屋根でNH3を生産可能に

 これに対して、今回の東京大学らの技術は、H2の生産が不要で、かつ常温常圧でNH3を生産できる可能性がある点で、ハーバーボッシュ法の改良技術とは一線を画する。

 この技術の開発を以前から進めている東京大学 大学院 工学系研究科 応用化学専攻 教授の西林仁昭(よしあき)氏(図2)は、「中国の仙人が霞(かすみ)を食べるように、N2とH2O、そして太陽光でNH3を生産し、家の屋根で燃料を生産できるようにするのが目標」とする(図1(b))。







図2 東京大学 教授の西林仁昭氏

(写真:日経クロステック)

 これが実用化できれば、H2の生産システムや運搬、そして保管が不要になる。湿度の高い地域であれば、H2Oでさえも空気から得られるため、外部からの材料調達なしに文字通り“かすみ”からNH3などを生産できるようになる。

 今後、ハーバーボッシュ法の改良技術で必要な温度や圧力がさらに大幅に低減できたとしても、H2を生産したり運んだりするコストが不要になる点は、まねができない。これが、今回の技術の大きな長所になりそうだ。

植物ではない、あの生物の機能がヒント

 ところで、植物の光合成をヒントにした技術、具体的には、太陽光のエネルギーとH2Oなどを基にH2を生産、さらにはそのH2とCO2を基に有用な有機材料に変換する技術は一般に「人工光合成」と呼ばれる(図3)。今回の技術も一見、そのカテゴリーに入りそうに思える。太陽光とH2Oを使う点は同じだからだ。

図3 人工光合成とは別の未踏の技術
人工光合成と今回の技術の関係を示した。空気中のN2をNH3などに変換する空中窒素固定は、植物にはできず、マメ科の植物の根などに付く根粒菌や甲虫の腸内細菌、一部のシアノバクテリアだけができる。西林研では、この空中窒素固定をほぼ再現し、しかも人工光合成のように、太陽光をエネルギー源とすることにメドを付けた(出所:日経クロステック、写真:根粒菌はWikipedia、甲虫は日経クロステック)

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 しかし、決定的な違いがある。今回の技術の最大のポイントである空気中のN2をNH3に変換することは、植物にはできない点だ。このため、植物の多くは、土中のNH3(正確にはアンモニウムイオンNH4)を根から取り入れて、それを基にアミノ酸などを合成する。ほとんどの植物の栽培に窒素肥料が必要なのもこうした理由による。

 ただし、このセオリーに一見、当てはまらない植物もある。それが、大豆などマメ科の植物やサツマイモなどだ。これらの植物は、やせた土地でもよく育成する。良かれと思って他の植物並みに窒素肥料を与えるとかえって収量が低下する。

 理由は、これらの作物が、常温常圧の条件でも空気中のN2をNH3に変換する空中窒素固定細菌を茎や根の周辺に“飼って”いるからだ。マメ科植物の場合は、根粒菌と呼ばれる。畑の肉ともいえるほどタンパク質を多く含む大豆が育つのは、この根粒菌が空気中のN2をNH3にせっせと変換し、大豆に供給するおかげである。

 空中窒素固定菌を利用して成長する動物もいる。クワガタやカブトムシなどの甲虫の幼虫である。甲虫の固い外皮は、まさに空中窒素固定菌が作り出した、キチン質と呼ばれる窒素を含む固い多糖類でできていると考えられている。

 今回の技術は、植物だけではなく、これら空中窒素固定菌の機能をヒントにした技術といえる。

そのままの再現にメリットは小さい

 このうち根粒菌については、これまで農業系の研究者を中心にした数十年の研究実績があり、「ニトロゲナーゼ」と呼ばれる、複雑なタンパク質から成る酵素がその空中窒素固定機能を有していることが分かっている(図4)。

図4 生体での反応よりはるかに省エネ
根粒菌などが空中窒素固定に用いているタンパク質「ニトロゲナーゼ」の構造(a)。その中で、N2の3重結合を切る役割は、FeMo補因子(FeMoco)と呼ばれる鉄(Fe)とモリブデン(Mo)と硫黄(S)などで構成する分子が担っている。ただし、この生体反応は、ATPという生体エネルギーキャリアをNH31mol当たり8molも必要とし、エネルギー収支上、効率が低い(i)。西林研は2019年には、N2とH2OからNH3を造る技術を発表したが、これには、ヨウ化サマリウム(SmI2)の化学エネルギーを消費してしまう(ii)。しかも、やはりエネルギー効率は高くない。一方、今回の手法(iv)は、光のエネルギーだけで反応が進み、反応の前後で失われるエネルギーがない。ただし、現状では水素源にはジヒドロアクリジンを用いている。近い将来、西林研は水素源にH2Oを用いる計画だという(出所:(a)の上はWikipedia、下は京都大学、(b)は西林研の資料を基に日経クロステックが作成)





図4 生体での反応よりはるかに省エネ

 ただし、その機能が詳しく分かってきたのは、比較的最近だ。ニトロゲナーゼの一部の分子が触媒活性を持つことが知られるようになったのが1992年。それが、鉄(Fe)とモリブデン(Mo)と硫黄(S)が組み合わさった「FeMo補因子(FeMo cofactor:FeMoco)」と呼ばれる分子などであることが確定的になったのが2011年という具合である1)

 現時点では、このFeMocoが、特にN2の3重結合を切る役割を果たしていることや、生体内の“エネルギー通貨”ともいわれる「ATP(アデノシン三リン酸)」をエネルギー源にして、NH3を合成していることも分かっている。

 ただし、それらの知見が得られるにつれて、生体内での空中窒素固定機能をそのまま再現してもハーバーボッシュ法に代わるような、NH3の工業的な生産技術にはなり得ないことも分かってきた。

 その理由は大きく3つある。(1)複雑なニトロゲナーゼ全体の合成が困難、(2)FeMocoが空気中の酸素に非常に弱い、(3)NH3分子1個当たり8個のATPが必要と非常に“高額”で、エネルギーを浪費する――である。

 (3)について補足すると、反応自体は常温常圧で進むものの、熱損失以外のエネルギー損失が、ハーバーボッシュ法での損失をはるかに超えて大きい。植物の光合成が太陽光の波長帯の一部しか利用していないことや、足を使った移動が、車輪よりもはるかにエネルギー効率が低いことと同様、生物の仕組みが常に最適解とは限らないことの例になっている。

触媒の耐性は8回から6万回に

 この(1)の複雑さは回避しながら、(2)や(3)の課題を解決してハーバーボッシュ法に代わる、常温常圧でのNH3生産の実現に取り組む研究で世界をけん引しているのが東京大学の西林氏の研究室だ。

 同研究室はまず、FeMocoに代わる、繰り返し耐性の高い分子触媒を化学的に合成する研究を始めた。2003年に米Massachusetts Institute of Technology(MIT)が発表した触媒は8回しか繰り返し利用できなかった。一方、西林研は2011年にFeMocoと同様、Moを含む分子触媒を独自に開発し、12回利用できることを確認した。

 その後の研究で、西林氏の研究室は2017年に開発した触媒で、利用可能回数を230回と大きく伸ばした2)。さらに2019年には、わずかな組成の変更で最大4350回と飛躍的に伸ばした3)。これは「それまでの触媒の10倍で、工業的に使える水準」(西林氏)だったという。しかも、N2とH2Oから、常温常圧でNH3を合成することに成功した。

 さらに西林研究室はごく最近、この触媒の誘導体で、6万回の繰り返し利用が可能なことを確認したとする。近く、論文として発表するもようだ。こうした触媒の性能の高さは、研究開発の競争相手にも評価されてきており、「最近は、ライバルが我々の触媒を使って実験を始め出した」(西林氏)。誇らしい半面、ライバルに次々と成果を出される可能性があり、のんびりしていられなくなったという。

N2の分離にエネルギー供給は不要

 ではなぜ、この触媒では常温常圧で反応が進むのか。西林研究室とこの共同研究を進める九州大学 先導物質化学研究所 教授の吉澤一成氏の研究室は、この触媒の機能を第一原理計算(密度汎関数理論、DFT)を用いて検証した。その結果、2つの触媒中の各MoがN2を挟み込むように配位し、N2の3重結合を構成している電子をMo側に移動させ、最後にはN2の結合を切ってしまうことが分かってきたという(図5)。

図5 N2の3重結合は外部からのエネルギーなしで切断 
N2の3重結合を切る触媒について、西林研と共同研究を進める九州大学 教授の 吉澤一成氏の研究室が第一原理計算(DFT)を用いて推定した素過程の様子。触媒2分子の2つのMoがN2をはさみ、3重結合の電子がMo側に段階的に移ることでN2が分離する。この反応は室温以上であれば、外部からエネルギー供給がなくても進む(出所:西林研の資料を基に日経クロステックが作成)

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 この反応の中間状態のエネルギー、つまり活性化エネルギーは12k~35kcal/molで、触媒なしに高温環境下でN2の3重結合を切るエネルギー約220kcal/molより大幅に小さい。しかも、反応の最終生成物のエネルギーが低いため、全体としては外部からエネルギーを供給しなくても、発エルゴン反応で自然に反応が進むようだ。

†発エルゴン反応=化学反応の前後で、ギブスエネルギーGが減少する反応。いわゆる“発熱反応”にエントロピーの出入りを考慮した拡張概念である。発エルゴン反応の場合、外部からエネルギーを供給しなくても、自然に反応が進む。吸熱反応の拡張は、吸エルゴン反応と呼ぶ。

空気と水と電力でもNH3を生産

 西林研究室の2019年時点の成果には、エネルギー源とその利用効率という点で課題が残っている。具体的には、この反応では、N2の分離自体は常温常圧で進むものの、H2Oを還元してHを取り出すエネルギー源としてヨウ化サマリウム(SmI2)を用いる点だ。

 このSmI2は、現時点では触媒ではなく、反応で消費されてしまう。つまり、NH3を量産する前に、このSmI2を量産する必要がある。加えて、ATPの場合ほどではないものの、反応の前後でのエネルギー損失が大きい。

 「現在、SmI2の反応生成物を電力でSmI2に戻す触媒の研究開発を進めている」(西林氏)。これが成功すれば、N2とH2Oと電力でNH3を生産することができるようになる注1)

注1)この技術開発は2022年1月に、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「グリーンイノベーション基金」に基づく助成プロジェクトの1つとして採択された。出光興産が幹事企業となって、東京大学や東京工業大学、大阪大学、九州大学、日産化学、産業技術総合研究所などが参加している。

可視光で水を直接還元へ

 一方、西林研究室では、再生可能エネルギーの有効活用という観点から、光のエネルギーをH2Oの還元に直接用いる研究も進めている。その成果が今回の技術だ。N2の結合を切る触媒は2019年時点のものとほぼ同じながら、光のエネルギーで強い還元力を持つ光触媒を加えることで実現した(図6)4)。根粒菌の機能の再現を超えた、世界で初めての技術といえる。



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図6 2種類の触媒が連携
今回の西林研の空中窒素固定反応の概要。イリジウム(Ir)錯体が光触媒になって、H供給源となるジヒドロアクリジンを光のエネルギーで還元し、プロトン(H)を取り出す。次に、西林研が開発したMo系の触媒が、N2の3重結合を切ることで、NH3が生成する。ただし、現状では量子収率は0.7%と低い。また、各触媒は修飾基の違いでさまざまなバリエーションがある(出所:西林研の資料を基に日経クロステックが作成)

 この成果のポイントは単に還元のエネルギー源が光というだけではない。反応の前後でエネルギーが失われないという点も大きな優位点になる。太陽光のエネルギーを損失なくNH3に変換できるわけで、ハーバーボッシュ法を含む競合技術に対する大きな強みになる。

 ただし、この技術にもまだ“注釈”が必要だ。現時点では還元するのはH2Oではなく、ジヒドロアクリジン(acrH2)という物質である点だ。とはいえ、西林氏は、「これをH2Oにするのは、光触媒の改良などでできることが分かっている」とし、H2Oを還元する光触媒の近い将来の開発に自信を示す。

今後の伸びしろは大きい

 実際、今回の光触媒はイリジウム(Ir)錯体の一種で、有機EL技術では比較的初期に使われた燐(りん)光発光材料である。現時点の光エネルギーからNH3生成までの量子収率は0.7%と低いが、これも最近の有機EL素子や有機薄膜太陽電池についての知見を使うことで、今後飛躍的に改善することはほぼ確実といえる。


参考文献

1)Spatzal,T. et al.,"Evidence for interstitial carbon in nitrogenase FeMo cofactor,"Science,vol.334,p.940, Nov. 2011.

2)Eizawa,A. et al.,"Remarkable catalytic activity of dinitrogen-bridged dimolybdenum complexes bearing NHC-based PCP-pincer ligands toward nitrogen fixation,"Nature Comm.,vol.8,Article number:14874,April 2017.

3)Ashida,Y. et al.,"Molybdenum-catalysed ammonia production with samarium diiodide and alcohols or water,"Nature,vol.568,pp.536-540,April 2019.

4)Ashida,Y. et al.,"Catalytic nitorogen fixation using visible light energy,"Nature Comm.,vol.13,Article number:7263,Dec. 2022.