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図1 競合に対して約20倍のアンモニア生成速度を実現
報告例1は2020年、報告例2は2023年でいずれも中国科学院の研究者の論文(出所:出光興産)

 アンモニアは100年余り前にドイツで水素(H2)と空気(実際には窒素ガス)から合成する技術「ハーバー・ボッシュ(HB)法」が開発されたことで、低コストで量産できるようになり、それを肥料に用いることで食料の生産量が飛躍的に高まり、世界の人口の急速な増加につながった。ただし、HB法には、
(1)高温高圧を必要とし、結果として装置が超大型になる
(2)水素は別途、生産または調達する必要がある
(3)(2)の水素を生産する過程で、少なくともこれまでは大量の二酸化炭素(CO2)を排出していた
といった課題があった。

 こうした背景から、出光興産らは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のグリーンイノベーション基金事業の委託業務として、常温常圧でしかも、水素の生産や調達を必要としないアンモニア合成法の開発を進めている。

PEM形水電解システムの一部を流用

 システムの概要は図2の通りになる。まず、水素の代わりとしての水、そして窒素原子Nの供給源としての窒素ガスを電解セルスタックに投入する。この際、還元剤と、窒素分子の3重結合を切るための触媒も同時に投入する。


(a)システムの構成
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(b)実際のシステム
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図2 システムはPEM形水電解に似る
今回のアンモニア電解合成システムの構成(a)と、実際の実験システム(b)。研究者が手にしている黒いデバイスが電解セル。今後はこれをより大型にする計画だ(出所:(a)は出光興産の資料に日経クロステックが加筆、(b)は出光興産)

 この電解セルスタックは、水を電気分解するPEM(Proton Exchange Membrane)形水電解のセルスタックと、多くの部材や構造が共通する。PEM形水電解では、水をアノードで酸化してプロトン(H)にした後、カソードで還元して水素を取り出す。

 今回の電解セルスタックでもアノードの役割はPEM形水電解と同じである。ただ、カソードでこのプロトンに加えて、水、及び触媒に配位した窒素原子Nなどをまとめて還元することでアンモニアを合成する。

世界をリードする2つのブレークスルー

 この開発では大きく2つのブレークスルーがあった。1つは、常温常圧の下で窒素分子の3重結合を切るための触媒の開発だ。これは東京大学 大学院 工学系研究科 教授の西林仁昭氏の研究チームが開発したモリブデン(Mo)を基にした触媒(図3)である。空気中の窒素を固定する根粒菌が持つ酵素「ニトロゲナーゼ」についての研究が端緒になっている。







図3 Mo触媒の例

東京大学の西林研究室が開発したMo触媒の化学式の例。最近はさらに改良が進んでいるようだ。tBuは、tertiary Butyl(出所:東京大学 西林研究室)

Moが3重結合の電子を静かに奪う

 窒素分子は、2つのN原子が3つの電子を共有する3重結合でつながっており、通常の環境下では非常に安定だ。HB法ではこの3重結合を切るために約セ氏500度の高温と数百気圧の高圧を必要とする。それが、このMo触媒であれば常温常圧でできる。この触媒2分子がN2の両側に配位し、それぞれのMoが3重結合に使われている電子を1つずつ奪うからだ。するとN間の結合は1重となり、容易に切れて、N原子が取り出される。

 出光興産は、「今回の高いアンモニア生成速度を実現できたのは、この触媒の寄与が大きい」とする。ただし、今回の成果に直接つながったのはもう1つのブレークスルーがあったからだ。それは、カソードで用いる還元剤を刷新したことである。

“再生可能”な還元剤で連続合成が実現

 出光興産などはこれまで、還元剤としてヨウ化サマリウム(SmI2)を用いていた。SmI2の還元性能は高いものの、自らが酸化されたまま一部が沈殿して元に戻らなくなる課題があった。つまり、SmI2は消費される一方だったため、連続的にアンモニアを合成することが難しかった。

 今回、その組成などは明らかにしていないものの、新しい還元剤“A”を用いると、還元反応によって、すなわち自らは酸化されるものの、沈殿はせず、アノードから来たプロトンと電子によって再還元される(図4)。つまり、還元剤として再生する。還元剤があたかも触媒であるかのように使えるわけだ。結果として、連続的なアンモニアの電解合成が可能になったという。



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図3 今回のアンモニア電解合成の反応経路の概要
アノード側の反応はPEM形水電解と同じ。カソードではMo触媒や還元剤A、H2O、そしてアノードから来たプロトン(H)でNH3を合成する。図中のRedは還元剤Aの還元前の状態、Oxは還元後(自らは酸化)の状態を示す。PCETはProton Coupled Electron Transferの略(出所:出光興産)

 出光興産によれば、「これまでの光合成の研究などで、プロトンと電子が同時かつ豊富にあることで触媒自体の活性が高まる『Proton Coupled Electron Transfer(PCET)』という現象が知られているが、今回もその効果がある」という。

目標生産コストは34円/Nm3

 この方式であれば、水素の生産や調達が不要で、電力と水と空気からアンモニアを直接合成できるため、合成時に二酸化炭素を排出しないアンモニアの生産コストを大きく下げられる可能性がある。出光興産は「アンモニアの生産コストとして34円/Nm3の実現が目標」だとする。

 ちなみに、これは水素換算では20円/Nm3で、日本政府が設定する、2050年時点のグリーン水素の価格目標値と同じになる。ただし、仮にグリーン水素を直接生産するコストが20円/Nm3でも、それを貯蔵や運搬するために高圧で圧縮したりアンモニアに変換したりするコストが加算されるため、利用時の価格は割高になってしまう。貯蔵や運搬が比較的容易なアンモニアを直接生産できれば、水素の利用コストは実質的に下がる。

 ただし、現時点でのこの方式でのアンモニアを、従来方式に対抗できるほどに量産するには「生成速度をあと20~30倍高める必要がある」(出光興産)。ただ同社は、それをゆくゆくは実現可能だと考えているようだ。

サプライチェーンはブルーアンモニア向けを利用へ

 記事冒頭で触れたように、出光興産は2032年度にこの方式で1000トン/年のアンモニアを生産する計画。一方で、同社は従来方式での生産ながら、生産時に排出される二酸化炭素を回収した「ブルーアンモニア」を100万トン/年規模でアラブ首長国連邦(UAE)などから輸入する計画で、同社の徳山事業所を拠点として付近の各種工場などに供給するサプライチェーンを構築しつつある。「新方式で生産したアンモニアも、このサプライチェーンを利用して流通させていく」(同社)という。