「封印された日本古代史」失われたユダヤと古代日本の接点
今からおよそ2000年前。地中海を中心に、広大な領土を統治していた帝国が存在した。
それはローマ帝国。当時ローマ帝国は強大な力をもって周辺地域を駆逐...ユダヤ人の住んでいたエルサレムもその支配下に置かれた一つだった。
ユダヤ人たちはローマ帝国の支配に不満を持ちながらも、耐えながら暮らしていた。しかし、ある日事件が起こる...紀元66年。ローマ人が、ユダヤの神殿から宝物を強奪したのだ...
これを知ったユダヤ人たちは激怒した。これを機に、ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人が武装蜂起。ユダヤ人の独立を試みたのだった。この事態に、帝国の皇帝ネロは、紀元68年にはローマ軍を派遣。圧倒的な軍事力をもってユダヤ人の反乱を制圧...ユダヤ人たちは敗北を喫した...
この鎮圧により、ローマ帝国におけるユダヤ人による自治は完全に廃止。その後、厳しい民族的弾圧を受け、ユダヤ人たちは広大なローマ帝国から追放。帰る故郷を失ったユダヤ人たちは、流浪の民としての旅に出ることとなった...
だがその道のりは、決して楽なものではなかった。彼らが他国に入ろうとすれば、侵略者あるいは侵入者として捉えられ、迫害を受けたからだ...しかし、ユダヤ人の中には、行く先々で迫害を受けながらも、東へ東へと進む者たちがいた...
東北大学名誉教授・田中英道氏によれば、彼らは、"東の果て"を目指していたと言う。彼らは"東の果て"に何を求めて進んだのか?ユダヤ人が目指していたもの...それがなんと、我々が今住んでいる"日本"だった。
一体なぜユダヤ人たちは日本へ来ようとしたのか?そもそも彼らは本当に日本へ来ていたのか?
そんなユダヤ人と古代日本の関係の謎を紐解いたのが、田中英道の講演録・「空白の古代史」日本とユダヤの関係図である...その内容は...
目次
「空白の古代史」日本とユダヤの関係図
◯はじめに
◯シルクロードを築いたユダヤ人-迫害が生んだグローバル世界
◯迫害を受けたユダヤ人が古代日本を目指した理由
◯旧約聖書とDNAが裏付ける日本とユダヤの関係
◯天皇家とユダヤ人-日本書紀が示すユダヤ来日の秘密
著者の紹介
〜文化遺産を読み解けば、真実の歴史が見える〜
24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど... 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における”世界的権威”として、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けている。
また、田中教授は、西洋美術研究の折、形象学(フォルモロジー)という独特の学問手法を体得。作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までをも読み取るもので、その観点から日本美術素晴らしさに気付くとともに、見落とされてきた真実の歴史をも次々と論文で発表している。
出版書籍(一部)
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