受信トレイ
| 7:26 (1 時間前) | |||
「遣隋使・遣唐使は
中国の進んだ文化を持ち帰った」
今やこれは古代史の通説となっていますが、、
東北大学名誉教授である
田中先生の研究によって、
この歴史はウソだったことが判明したのです...
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古代史の新説を知る
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<古代中国人が信じた?
佐賀県の不老不死の薬草>
今から約2200年前。
史上初の中国統一を果たし、
あらゆる権力と富を手にした秦の始皇帝。
しかし絶対の権力者の彼でさえ
ままならなかったものがありました。
それは「老い」と「死」でした。
中国の歴史書「史記」によると、
始皇帝が、
不老不死を求めている中、
臣下の一人・徐福という人物が、
始皇帝にこのように進言しました。
「東方に不老不死の霊薬があるそうです」
始皇帝は、すぐさま彼に
その薬を持ってくるように命令。
始皇帝の命を受けた徐福は、
従者とともに船出...
そして、一向は日本に辿り着いた
と言われています。
その証拠に日本の各地には、
徐福がやってきたという
伝承が数多く残っているのです。
三重県、愛知県、青森県、秋田県...
数え出すときりがありません...
その中でも特に面白いのが、
佐賀県佐賀市の金立山(きんりゅうさん)に
残る伝説です。
少しご紹介すると...
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不老不死の薬を求めて、
金立山の頂上付近までやってきた徐福は、
釜で何かを湯がいている仙人に出会いました。
徐福は、この仙人に
不老不死の薬を探し求めて
歩き回っていることを伝え、
「薬草はどこにあるか?」
と尋ねました。
すると,仙人は
「釜の中を見ろ」と答えました。
これこそが不老不死の薬で、
「私はこの薬草を
飲んでいるから丈夫なのだ。
薬草は谷間の大木の根に生えている。」
と言いました。
こうして徐福はついに、
薬草を手に入れたのでした。
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仙人が釜で湯がいていたのは
実はフロフキという薬草でした。
フロフキは、
金立山の山奥に今でも自生しており、
煎じて飲めば腹痛や頭痛に
効果があるそうです。
またこの「フロフキ」と言う言葉は、
「不老不死」の訛りだとも言われています。
東北大学名誉教授は
このように言います。
「重要なのは、彼らが日本に不老不死の薬があると
信じてやって来たと言う点です。
このことは太古の時代から中国人は日本に対して
高い評価を持っていたことを推測させます。」
徐福来日の他にも、
古代の日中関係史を深ぼっていくと
・中国から2000人規模の遣日使が、
日本に何度も来ていたこと
・儒教の始祖・孔子が
日本行きたがっていたこと
などなど...
どういうわけか中国は日本に対して、
強い信仰心のようなものを
もっていたことがわかります。
今回の講座では、
中国人が古代日本をどのように見ていたのか?
そして、なぜ彼らは
日本にやってこようとしていたのか?
これらの謎を丁寧に
紐解いていきます。
ぜひ古代史の通説を大きく覆す
新説に触れてみてください。
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古代史の新説を知る
NEW HISTORY事務局 岡本直也
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