横浜の野毛にあるジャズ喫茶ちぐさ(以下、ちぐさ)が、創業90周年を迎える2023年に、ジャズミュージアムちぐさとして生まれ変わる。築70年を超える建物の老朽化に伴う建て替えで、新たなちぐさは博物館機能とライブハウスを兼ね備えたものとなる。
まずは、ちぐさの歴史を振り返りたい。同店は1933年、当時20歳だった、吉田衛(よしだ・まもる)により創業した。人気を博すが、第二次世界大戦中、ジャズは適性音楽として禁止される。また吉田も出征し、横浜大空襲で店はレコードとともに焼失した。
しかしその後、常連客やミュージシャンらが持ち寄ったレコードと、吉田が収集したVディスクをもとに、1948年に店を再開する。Vディスクとは、第二次世界大戦、戦中戦後の数年間、米軍が前線や占領地の兵士に配布した78回転のレコード盤だ。朝ドラ 『カムカムエヴリバディ』で話題の『オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート』も含まれる。国家事業であったVディスクでは、所属レーベルのしばりはなく、数々の大物ミュージシャンがレーベルの垣根を越えて共演を果たしたのも興味深い。
レコードが貴重だった当時、吉田は進駐軍相手のクラブで演奏するミュージシャンのために、何時間もレコードを聴かせたという。のちに、秋吉敏子、渡辺貞夫など名だたるプレーヤーが足しげく通った。ジャズ喫茶ちぐさは、日本のジャズの黎明期を支えた店なのだ。
1994年に吉田が他界した後、妹の孝子や店を愛した常連客らが営業を続けたが、再開発による区画整理に伴い、2007年に閉店。50枚を超えるVディスクや店の備品などは、横浜の図書館などに保管されることになった。そして、ちぐさを愛する有志たちが社団法人を設立し、2012年3月に創業地から通りを2本ほど隔てた野毛2丁目で店を再開する。ここが、現在のちぐさであり、ジャズミュージアムちぐさの建設予定地だ。営業再開は2023年3月11日(土)を予定している。
桜木町駅から徒歩数分の場所にあるちぐさは、店の扉を開くとそこには時空を超えたような空間が広がる。机や椅子は、向かい合わせではすべてスピーカーに向かって配されている。パンデミック前から、このスクール形式の配置を採用しているそうだ。
「はい、ジャズに集中してほしいという思いからです。初めていらっしゃる方も、椅子の並びを見て察してくださいます」
こう語るのは、一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ(吉田衛記念館)のスタッフ、新村繭子だ。椅子やタイル地のテーブルは、吉田がいた頃から使われていたものだという。昼は喫茶、夜はバーとして営業し、月に数回、ライブイベントも行っている。昼は「席に座っていただいた順番に」(新村)リクエストに応じる。
オーディオ機材はすべて特注のオリジナルだ。とくに48年前から使われているという、2台の巨大スピーカーには圧倒される。そのスピーカーから流れだす音は、あたたかく、そして、やわらかい。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」(ジャケットにはサインが入っていた)の抒情的な演奏が流れるなか、新村にジャズミュージアムちぐさの未来について尋ねた。
「新たな店舗は2階建てで、 下層階には(2007年の移転前までの)旧ジャズ喫茶ちぐさをまるごと再現し、当時の音や雰囲気を楽しんでいただける空間を創出します。オーディオ装置一式や貴重なVディスク、さらにレコードジャケット掲示板、テーブルやイス、看板なども展示し、ちぐさが90年にわたって蓄積してきた6000枚のLPレコードを体感できるミュージアムとしての要素を備えます」
建設にあたっては「Jazz Museum CHIGUSAファンド」を発足。約1億円の総工費に対し、自己資金、銀行融資に加え、約1,000万円の募金活動をスタートした。ジャズの歴史的資料となるようなレコード、著作物、写真、オーディオ機器、楽器などの寄贈も受け付ける。
ちぐさは「若きミュージシャンを育てたい」という吉田の思いを継ぎ、2013年に優れた新人を発掘し表彰する「ちぐさ賞」を創設した。訪れたのは、ちょうど第8回ちぐさ賞受賞者のアナログレコードとCDがあがってきた日だった。今回の「ちぐさ賞」は創設以来初めて、現役の大学生が受賞したそうだ。吉田が作り出した「ちぐさの音」はさまざまなかたちで、そして確実に引き継がれていく。
現在の店舗での最後の営業は、4月10日(日)を予定している。
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