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アフガン人への支援は難しい
朝晩は寒いが好天の昼間は20℃にもなるので、少し遠くまで買物に出ていた。帰って来たら自宅に置きっぱなしにしていたタブレットには知らない電話番号が並んでいる。メールもface bookにもlineにも幾つものメッセージが入っている。ペシャワール会の中村先生が銃撃され亡くなられたと。
中村先生の死に、「支援や恩恵を受けられない人たちからのヤッカミ、恨みは凄いのです。皆が喜んでいると思わないように」と、息子のように可愛がっていたアフガン人スタッフから毎日のように言われていたのを思い出した。
日本人の多くには理解しがたいだろうが、民族、部族が入り乱れる多民族国家での支援活動はきれいごとではなく、また現地の人々の皆もが喜んでくれるものではないと改めて心した。オバハンたちアフガン難民を支える会soraでの活動は、事故もなく10年間で区切りをつけた。アフガン政府からは「長年のご支援・ご尽力に深謝いたしますと」の言葉を頂いたが、事故が遭っても不思議ではない活動だった。
今もオバハンが30年続けているギルギットでの母子保健センターの活動、皆が皆、喜んでいると思わないようにしようと。
中村先生の死を心から悼みつつ、銃撃を他人事のように思わずオバハンも注意したい。
12月4日 オバハンからの気まぐれブログ
★注、11年前の2008年8月パキスタンの北部辺境州に隣接するアフガニスタンのナンガルハール州で人道支援に携わっていた中村医師の主導するペシャワール会の伊藤和也さん31歳は現地パシュトーン人のイスラム教武装勢力に拉致されて殺害されるが、この時、『オバハンからの気まぐれブログ』(パキスタンに30年以上在住)管理者が、人道団体のペシャワール会スタッフの殺害事件について、『日本人ボランティアに助けられた1人は神に感謝するが、助けてもらえなかった残りの99人は日本人ボランティアを恨む』と、現地アフガニスタン人による殺害が少しも意外では無いとの驚きの指摘をしている。
『30年前のソ連軍のアフガニスタン撤兵』1回目は悲劇として2回目は喜劇として、
9・11事件を口実にした初めての『対テロ戦争』であるアフガニスタン戦争が2001年に始められ現在まで18年間も延々と続けられたが、とうとうトランプ政権によるアメリカ軍のアフガニスタン全面撤退が目前に迫っているのである。1979年12月アフガニスタン侵攻以降、10年間駐留を続けていたソ連軍が1989年に全面撤退する。まさに『歴史は繰り返す』が、この時に政権基盤が脆弱なアフガン政府(カルマル首相)はソ連軍撤退を妨害する目的でイスラム武装勢力との秘密交渉を徹底的に妨害、潰している歴史がある。その結果、無協定でソ連軍が全面撤退したので、その後カブール陥落から無政府状態に陥り、イスラム原理主義タリバン支配と、最悪の結果になる。
今回予定されているアメリカ軍全面撤退でも同じで、一番恐れているのは現地のアフガン傀儡政権であり、なんとしても米軍を引き留めたい。中村医師を待ち伏せして暗殺した犯人ですがタリバンは即座に否定しているので可能性は一番低い。ISIS(イスラム国)の方も可能性は比較的低い。一番可能性が高いのは今後もアメリカ軍の駐留を必死で求めている1979年当時のカルマル政権以上に脆弱な親米アフガン政府自身である。
今回の中村哲医師殺害事件に関してNHK(5日のニュース9)ではシリアのISIS(イスラム国)と親密な関係にある(イスラム改宗者 ムスリム名はシャミルの)フリージャーナリスト常岡浩介の『誰が殺したかは不明だが政府、タリバン、IS(イスラム国)の何れが犯人であれ不思議でない』との言葉を紹介して、利害者の3者による暗殺を示唆したが、その順番がNHKも常岡浩介も『アフガン政府』を筆頭にあげている。
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