他に素晴らしい解析的な回答がたくさんありますので、逸話を1つ差し上げたいと思います。
私が前働いていた日本の機械メーカーの話です。入社してしばらく働いてから、会社のソフトそのものとその開発体制に大きいな問題が見えてきました。品質を担保する仕組みがしっかりしていなく、それぞれのソフトはほぼ例外なく、元々プログラミングを専攻していないエンジニアが完全に一人で開発を行なっていて、自動テストやコードレビューが一切ありませんでした。会社としてエンジニアのノウハウを財産にできていなかった上に、エンジニア同士でも知見を共有できていませんでした。そればかりか、管理職にソフトの品質を評価する目があったとしても、品質を把握できる指数が1つもありませんでした。想像通り、客先で起きた問題対応か仕事の異常な割合を占めているエンジニアがたくさんいました。
一方、工場での工程過程やノウハウの資産化と共有がものすごい徹底していました。無駄は一切なく、各部品は様々な公差検査を受け、管理側が一目で部品の数や納期が分かるような仕組みが実施されていました。トヨタ式のなんちゃら法も導入中とのことでした。
ハードがあんなにしっかりしていたのに対し、ソフトがあれだけ素人っぽい工程になっていたことに戸惑いました。品質を世界に誇る日本だからこそ、ソフトの工程管理も徹底すると思い込んでいましたが、すっかり幻滅しました。
ある日、会社の偉い方と雑談する機会があって、その乖離について聞いてみたところ、「ソフトはものづくりではない」と軽く払われました。私が働いていた会社は主にハードの会社であって、ソフトの複雑さを理解していなかった、下手したら蔑視していた人ばかりがハンドルを握っていました。
私が3年間の間、自動テストやコードレビューの大事さを訴え続け、ワークショップなどを自発的に開催したりしたのですが、管理側のサポートなしに大した変化をもたらすことは困難でした。私の周りのエンジニア、直属の上司はみんな優秀でしたし、他に品質改善に取り組んでいるひとがいましたが、より上の人の関心がない限りは苦戦でしょう。
日本にソフト開発経験豊富な管理職が増え、ソフトもものづくりとして受け入れられるようになれば、欧州とのギャップを縮めることはできると信じています。日本の技術オタクはなめるべきではないです。
これはもう単純明快で、テクノロジーを本質的なレベルで理解していない人たちが社会をすみずみまで牛耳ってしまったからだと思います。
これはかなり根の深い問題で、大企業のトップだけでなくネット系スタートアップの創業者さえも、基本的には「お金」と「ビジネス」を専門とする人たちが多く、「技術」や「ビジョン」に主軸を置いた人物はほとんどいません。
日本が輝いてた頃は、そうではなかったんです。
ホンダの本田宗一郎は、自動車修理工からはじまって、「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」と言って、皇居での瑞宝章の親授式にまでその格好で行こうとしたほどの生粋のエンジニアでした。会社のハンコを藤沢武夫に預け経営は全て任せていて、自身は社印も実印も見たことがないというほどでした。
ソニーの井深大も、ハンダごてなどの工具から自作するほどの技術バカで、同じく技術者出身の盛田昭夫と二人三脚で、戦後のラジオ修理からはじまって電気炊飯器やら電気座布団のような変な商品を作りまくっているうちに、アメリカ進駐軍の使っていたワイヤーレコーダーをヒントに、磁性粉まみれで真っ黒になりながらテープレコーダー、そしてウォークマンを開発したのが大ヒットしたのでした。
ソニー創業者・井深大が2400人の幹部に発したパラダイムシフトという遺言
1992年の83歳にしてこの発言、インターネットもパソコンも一般家庭になかった時代にソフトウェア時代の到来を予言しています。科学的好奇心の塊です。しかしその後継者は、新製品の発表会でウォークマンを逆さに持つような人たちばかり。
ソニーもホンダも、誰かを雇ってきて作らせたのではなく、グーグル、フェイスブック、アップル、マイクロソフトの創業者と同じように、主力製品をまさしく自分の手でゼロから作り上げてきた人たちが牽引していた。そんな時代があったのです。
しかし、いまでは小さな技術的達成とその積み上げの価値が低く見られ、大きなお金を動かすのが好きな頭でっかちの人ばかりが出世する社会になってしまいました。
優秀な技術者の多くが、流動性の低い大企業や研究所に囲われ、奴隷とまではいかないまでも不完全燃焼で飼い殺しの憂き目にあっています。本人たちだって、ぬるい世界だなとわかってはいるんですが、ゆでガエルは茹で上がるまで自分で自分を騙して気づかないフリをしてしまうのです。
せめてこうした企業がどんどんつぶれてくれれば、強制的に人材が放流されて新しいダイナミクスが生じるのですが、どれほど生産性の低い企業でもとにかく延命しようとするために、国全体の老化の進行が止まりません。
でも、いつかはこの構造も維持できなくなり、大企業の倒産ラッシュが起き、創造的破壊のフェーズに入るでしょうね。そうなったとき、一気に群雄割拠の乱世がやってくるので、そのときに向けて準備しておくのが大切だと思います。
ものづくりの国、日本だから見えないもの(ソフトウェアやサービス)に対価を払う文化が育たなかったのだと思います。
以下、東京で外資ITベンダで働く私が言われたことです:
- ソフトなんてタダでちょちょっとコピーできるでしょ?
- 保守料なんか払わん。 ソースコードも一緒に売れ。
- あんた達が作ったバグでしょ。 なんであなたのミスに金取るの?
- バグを起こしたんだから謝れ
- どこそこのOSはひでぇのに高い
- どこそこのデータベースはぼったくり
- 値段高すぎ! 似たようなのを無料で配ってるのに。
上のセリフはすべて一般の消費者のみなさんが言うのは理解できます。 ところが、結構有名な自動車会社やメーカー系SIの人が言うんですよ。
自動車でも、飲食でも、建設でも、分野に関係なく作る側になったことのある人はそんなに軽率な発言はしません。 見えないところにものすごい手間がかかってたりしますから。 作る側の視点がないので素人目線でしか見れないのです。
例えば、Linuxのエンタープライズ版を売るRedhat社さんなどは、ルーマニアの拠点だけで二百人(以上?)の品質管理エンジニアを投入してた時期もあるそうです。 「Linuxなんて元はタダ」と思われますが、ものすごい労力を投入してその対価を得てるのです。
米系ベンダでもこれなので、国内のITベンダさんはかなり辛い思いをされたのではないでしょうか?
ハードで儲けられる限り、彼らの成果物はおまけ扱いです。 ハードでの成功体験が大きすぎて、目に見えないソフトやサービスに対価を支払う習慣が根付くのが遅く、結果として産業が育たなかったのでしょう。
「ソフトがおまけ」というのはアメリカでもあったんですが、日本はこのパターン一辺倒のように見えます。 また、米国ではハードだけで儲けるのが難しくなるにつれ、それに適応できたベンダーだけが生き残るか、新興勢力に置き換わりました。
個々の技術者をみると、日本の皆さん優秀なんですよ。 世界的に有名なカリスマ級のエンジニアも輩出してますし。 今の会社に転職を決める前にも、Yuki Sonodaさんのブログを読んでコンテナ技術について考えました。 インフラ勉強会 の録画とかみても、優秀な方が登板してて勉強になります。 講義によってはついてゆくのもやっとです。 Docker Meetupにしても、Docker Meetup Tokyoは本社よりはるかに規模が大きく参加枠も即いっぱいになります。
あともう一つ、ソフトウェアやITサービスは一番が一人勝ちになりやすいのも大きいかと思います。
検索エンジンや画像処理ソフトではトップの一社が二位以下を凌駕してますよね。 例えば自動車なら二位以下でも儲けて開発に予算が回せます。 やがて一位を追い抜くこともできるでしょう。 ソフトの世界では二位以下で生き残るのはとても厳しいです。
そこへきて、日本のメーカーはリスクを回避して既存製品の後追い的なものを好みます。 ソフトの世界では、ハードと違って前例があるものほど厳しい戦いを強いられるのに。
***追記***
Serviceという言葉が「タダ」と訳されたのも影響したと思います。 サービスが占める製品全体のコストの大半が機器の製造日だった時代はそれで問題はなかったのでしょう。 でも、ここ20年でハードはコモディティ化し、比率が逆転して顕著化したのかもしれないですね。
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最後にオマケです。
Adobeにいた頃、引退表明をしたばかりの前CEOのBruce Chizenさんのインタビューを聞いたことがあります。 その昔、Adobeの本社はエンジニアの大半がPost Scriptという印刷関連の技術が中心でした。 そんな時代に、前例ない写真加工の分野へ投資(Photoshopの買収)したことについて、なぜアレほど先見性のある判断したのか質問されました。
きっかけになったのはBruceが日本を旅行したことだそうです。 秋葉原で見かけたデジカメのようなもの(たしかカシオ製だったと記憶してます)をみて感銘を受けたそうです。 「今思うと解像度もひどいし、色もひどかった。 でも、今のデジカメの要素の全てが揃っていた。 フィルムを使わないで最初からデータで扱う、そこからいろんな可能性を感じた」のだそうです。 イノベーションのタネは日本にあったのですよ。 もったいない話ですよね。
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