2024年9月13日金曜日

メンバーの離脱で目が覚めたリーダー。「人の役に立たなければ、仕事をする意味はない」の言葉でクラウドワークスを生み出した

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連載:第60回 成長企業 社長が考えていること


BizHint 編集部2024年7月30日(火)掲載

日本のフリーランス市場に革新をもたらした株式会社クラウドワークス。創業者・代表取締役社長の吉田浩一郎さんは、ベンチャー企業の役員としてIPOを経験後、独立してベトナムで新たなビジネスを立ち上げます。しかし、ビジネスの不調、仲間の離反などにより最初の起業は大失敗に終わります。たった一人になった吉田さんは大きな挫折を味わい、ビジネスの本質について深く考えさせられることになります。その後、とある経営者の言葉から「人の役に立つ」ビジネスを手掛けることを決意、そこから再起をかけた挑戦が始まります。吉田さんがこれまで歩んだ道のりについてお話を伺いました。

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株式会社クラウドワークス
代表取締役社長 兼 CEO 吉田 浩一郎さん

1974年生まれ、兵庫県出身。東京学芸大学卒業後、パイオニア、リードエグジビションジャパンを経て、ドリコムでは執行役員として東証マザーズ上場を果たす。2008年に独立。いくつかの事業を起こした後、2011年にクラウドワークスを創業。業界のパイオニアとして、国内最大手の地位を築いた。


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上場企業の役員を辞し、新天地ベトナムで事業を興す

――クラウドワークスの立ち上げ前、最初の起業は2008年だと伺いました。どのような経緯で起業されたのですか。

吉田浩一郎さん(以下、吉田): 当時、私はドリコムという会社の執行役員として上場を経験したばかりでした。その時の経験を持ってすれば自分も事業を起こせるはずだと、とりあえず独立をしたのです。

独立してしばらくの間は、一緒に起業した仲間とIPOのコンサルティングや、他社の社外取締役を引き受けながら新たなビジネスプランを練っていました。

国内外でいろいろ調査した結果、最終的にベトナムでアパレル事業を手掛けることにしました。アジアの中でも成長の余地があるベトナムで、日本の大企業がまだ進出していなかったアパレル分野なら勝ち目があると踏んだのです。

テストとしてベトナムで開かれたイベントに出展、仕入れた衣服を販売すると、3日で1500万円も売り上げることができ、ビジネスの成功を確信しました。それからハノイに店舗を構え、ECサイトも立ち上げ本格的にベトナムでの事業を展開することにしたのです。

――ベトナムでの事業展開はいかがでしたか。

吉田: まったくうまくいきませんでした。原因は私にあり、外国で異業種に挑戦するにはあまりに無知でした。

例えば、同じベトナムでも南に位置するホーチミンは年中温暖な地域ですが、北に位置するハノイには明確な四季があります。ダウンジャケットが必要なほど冷え込む時期もあり、夏と冬では売れる服がまったく違うのです。調べたらすぐわかりそうなものですが、ハノイでビジネスを始めた当時はそんなことすら予想外でした。

そして、アパレル業界の商習慣について無知だったことが、最も致命的な敗因でした。シーズンごとの商品の入替やディスカウントのタイミング、在庫処分の方法などアパレル業界では当たり前のノウハウすらわからないまま経営していたのです。

肝心の売れ行きも伸び悩みました。日本から仕入れた商品のうち約7割は売れ残り在庫になる有り様。ビジネスを立ち上げてから1年で、気づけば億単位の在庫を抱え込んでいました。

――それでも事業を続けられたのですね。

吉田: ベトナムでは赤字続きでしたが、日本に残した役員、社員によるコンサル事業、ホームページ制作などの売上があったためになんとか成り立っていたんです。しかし、日本で稼いだ利益をすべてベトナムに突っ込む状況。

稼ぐ側と使う側という歪な関係はとうとう1年で限界を迎えます。日本側の事業を担当していた役員が、社員と取引先を連れて独立してしまったのです。

さらにベトナムで一緒に働いていた日本人役員も、これ以上は勝算が見えないと出ていってしまい、私はベトナムで1人取り残されていました。

その時、私は単なる金儲けでは人はついてこないと痛感したのです。

それまでの私は、「どうやってお金を稼ぐか」ということにばかり気を取られて、事業に対して「こうなりたい」というビジョンや信念を持っていませんでした。ビジョンなき事業や組織には、誰も魅力を感じません。だからこそ、一緒に事業を立ち上げた仲間も「儲からない」と判断するとすぐに離れてしまったのだと痛感したのです。

事業を整理し、日本に帰国した私はたった1人で再出発を余儀なくされました。

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――相当なショックだったと思います。その状態からどのように立ち直ったのですか?

吉田: 日本に戻った私は、オフィスで1人考え込む日が続きました。

そんなある時、私の元に、過去お取引のあった企業からお歳暮が届きました。

それまでお歳暮の価値など考えたこともなく、形式的な慣習だと否定的な思いさえ持っていたのですが、孤独だった私には先方の気持ちがとても嬉しかった。こんな状況でも、私のことを思い出してくれる人がいるありがたさが身に沁みました。

そして、ある経営者から聞いた 「人の役に立たなければ、仕事をする意味はない」 という言葉を思い出したのです。

辛い時期に届いた「お歳暮」をきっかけに、私の中に「人の役に立つビジネスをしたい」という明確なビジョンが芽生え、そのビジョンを道標にとにかく動き出すことにしたのです。

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「私に向いている事業はないか」他者のアイディアも動員して探した糸口

――投資家を回る中で“クラウドソーシング”にたどりついたそうですね。

吉田: そうです。出資を募ると同時に新規事業のアイディアを集めて回ったのです。普通は事業を決めてから出資を募るものだと思いますが、私に出資してくださるビジネスの先輩から良い知恵をお借りできたらと思ったのです。

そして、出資者の1人である、サイバーエージェント・ベンチャーズの田島 聡一社長(現・株式会社ジェネシア・ベンチャーズ代表取締役)が教えてくれたのが「クラウドソーシング」という概念でした。

田島社長から 「インターネットを通じて個人同士でビジネスマッチングできる時代がそこまで近づいていますよ」 と教えていただき、詳しく話を聞く中で「このビジネスに再起をかけてみよう」と決断したのです。

――なぜクラウドソーシングビジネスを選んだのですか?

吉田: 理由は2つあります。

1つ目は事業内容が明確にイメージできたから。私自身もホームページ制作事業などで受注者・発注者と両方の立場で苦労した経験がありました。そのため、発注後に起こったトラブルへの対処法や調整方法が手に取るようにわかります。何もわからなかったアパレルとは180度真逆の世界です。 発注する企業、受注する個人のいずれの気持ちも理解できるのは大きな強みになるし、これが自らの経験を活かしてビジネスを創造すること なのだと直感しました。

2つ目は「プラットフォームを握れるビジネスは強い」という考えからです。競合が現れてもプラットフォームを会社が握っている限り利用者を簡単に持っていかれることはありません。

当然、「人の役に立つ」という点も満たしています。今でこそ、システム開発から動画編集まで様々な依頼が飛び交っていますが、初期のクラウドワークスでは仕事を依頼する「発注者」を企業、仕事を受ける「受注者」をエンジニアに絞っていました。一般的にエンジニアの多くは自分の魅力をアピールするのが苦手です。一方で私は仕事を取ってくること、営業力が取り柄だという自負がありました。私の営業力を使ってエンジニアの持つ強みや魅力を世の中に届け、発注者と結びつけることで、彼らを“笑顔”にできるのではないかと考えました。

ちなみに、「人の役に立たなければ、仕事をする意味はない」という言葉はクラウドワークス設立時に「“働く”を通して人々に笑顔を」というミッションとなり、今でもバリューの一部として社員全員で共有しています。

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再起をかけたビジネスの立ち上げ。受注者、発注企業を集めて回る日々

――クラウドソーシングという新しい事業を軌道に乗せるためにどのようなことをされたのですか?

吉田: リリースまでの準備期間を1年と定め、その間に立ち上げメンバーのCFOの佐々木、エンジニアの野村が加わりました。佐々木はご紹介いただいて、野村はTwitter(現:X)から声をかけさせてもらいました。ちなみに、リリース後に加わった成田もTwitter経由で入社しています。

私の主な役割は営業。つまり、受注者と発注者集めです。

世の中に広めるためには兎にも角にも利用者を集めることが急務でした。プラットフォームは利用者がいてこそ価値が生まれるものです。受注するエンジニアも、発注側の企業も両方をある程度の数集めなければプラットフォームとして機能しません。

世の中をあっと言わせるには、黙々とシステムの開発を重ねて、 サービスリリース当日には、すでに多くの登録者がいる状況が必須 でした。

そのため、2011年に株式会社クラウドワークスを立ち上げるとすぐに著名なエンジニア達に声をかけ「オンラインでエンジニアがマッチングできるプラットフォームを立ち上げるので、サイトに顔写真を掲載させてほしい」とお願いしました。各方面で有名なエンジニア何十名かの写真がトップに並んだ状態を作り出しました。そのことを日経新聞などにも取り上げていただいた結果、受注者であるエンジニアを1300人集めることに成功しました。

この時こだわったのは、想定されるどんな依頼にも手を挙げられる体制を作るために、C言語やRuby、サーバー、Webページ制作など、とにかく色々な分野からフリーランスのエンジニアを募ったこと。エンジニアが足りていない分野については、自ら探し当て毎日30人以上のエンジニアと面談する日々が続きました。

今度は、そのエンジニア1300人のリストを持って、発注側の企業回りです。 「良い発注先が見つからなければお金は一切かかりません。発注した仕事の中から成功報酬が発生します」 とビジネスモデルを説明したところ大企業からベンチャー企業まで、IT企業を中心に30社が手を挙げてくれました。

さらに、当時はまだ「リモートワーク」という言葉がそれほど浸透していなかった時代でしたが、岐阜県から「地元にいながら働けるモデルを作りたい」と申し出を受け、業務提携を結ぶことができました。このニュースもリリース時に発表することができ、「クラウドソーシング=新しい働き方」というイメージを世の中に広めることができました。

そして、1年の準備期間を終えた2012年3月に「クラウドワークス」がリリース。エンジニア層が厚く、どんな依頼にも対応できたため、マッチングが盛んにおこなわれるようになり、サービス開始から1か月で受注金額1億円突破という快挙を成し遂げることができたのです。

――立ち上げからわずか3年で上場を果たしました。急成長できた秘訣はどのようなところにあるのでしょうか?

吉田: クラウドソーシングという1つのビジネスに集中しただけでなく、 成長フェーズにあわせて課題の1つ1つに人的リソースを集中した ことが大きかったと思います。

具体的には、最低限の企業とエンジニアを集めた後は、広告や営業よりもまず「UXの改善」を最初におこないました。毎週UX改善会議を設けて、使いにくいと感じた点やデザインの改善案を発表してその日のうちに修正。そういうPDCAを納得できるまで続けました。

重視したのは、発注者である企業が登録をして、仕事を発注して契約するまでのファネルをひたすら疑似体験して、改善するということです。受注側には優秀なエンジニアを揃えていたため安定して発注が来るようになりさえすれば、マッチング自体はうまくいくと確信していました。

UXに満足すると、その次にSEO、広告、営業という順にポイントを変えて強化していきました。当時は、このように課題の1つ1つをクリアすることを重視しており、この体制は事業が軌道に乗るまで続けました。

また、「デンタツ」というクラウドワークス独自の組織づくりも急成長に寄与したと思います。「デンタツ」とは「成果=結果+デンタツ」だという考え方のこと。結果を出して、他人に伝わって初めて成果と呼ぶ。逆に、伝わらなければどんな偉業も成果とは認められません。

自己アピールが苦手な日本人、エンジニアは多いと思いますが、私は「デンタツ」の浸透には徹底的にこだわりました。

デンタツのマインドを起業初期に浸透できたからこそ、自分たちの仕事の結果を出すこと、社外にデンタツすることに貪欲になり、「サービスリリースから1ヶ月で発注された仕事の予算総額が1億円突破」あるいは「リリースから3年で上場」という成果に社員がこだわれたのだと思います。

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――今後のクラウドソーシングや働き方はどう変わるとお考えですか。

吉田: もうすでに確実に変わってきていますよね。若者を中心に、「働く」というより、「自分の特技や好きなことを他人に役立てたい、喜んでもらいたい」という感覚が広がってきたように思います。

実際、弊社の社員の約5割が副業経験者です。学生時代からTikTokで初任給の倍以上の金額を稼いでいるような人材もいます。経済的に考えれば、サラリーマンのほうが「副業」になりそうなものです。しかし、彼らは「社会とつながる感覚を得るために会社で働く。副業はあくまでお金を稼ぐだけ」といった価値観を持ってクラウドワークスに在籍しているのです。もはや、仕事、会社のあり方が大きく変わっていることに気づかなくてはなりません。

我々も含め、企業は改めて社員の意志に寄り添った環境づくり、キャリアプランの設計が重要な時代になっていると認識しています。

また、個人の価値観や環境だけでなく、会社としてAIのような大きな変化にも注目しています。その例として、2024年4月に「クラウドワークスAI」(旧:オーダーメイドAI)というAIによる記事や画像の作成ツールを手掛ける会社をM&Aでグループ傘下に加えました。

これから訪れるAI時代を予測し、人材、SaaS、AIをうまく組み合わせて発注者の要望に応えられるようなサービスを生み出すことが今後の課題ですね。イノベーションに対して順応することで、また新たに「人を笑顔にする」働き方をデザインしていきたいと決意しています。

(文:蒲原 雄介 撮影:松本 岳治 編集:山本 拓宜)

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