大和の冷却装置が有名で、それを転用したクーラー設備が稀有だったようです。
調べましたら、他の戦艦にも弾薬庫冷却装置はあったようです。
ぐぐったら詳しい方の記述がありました。
↓
抜粋>
戦艦の主砲のような大口径砲の弾は、実際に標的めがけて飛んでいく「砲弾」の部分と、これを発射する為の「装薬」の部分に分けられている事は御存知のとおりです。そして、砲弾に詰められている「炸薬」は、湿気や気温の変化に対して鈍感であるのに対して、「装薬」の方は湿度温度の変化に非常に敏感なのだそうです。したがって、「砲弾」の方は「弾庫」に、「装薬」の方は「火薬庫」に格納し、「火薬庫」の方には冷却装置を設置するのだそうです。(「軍艦構造及艤裝」松本喜太郎、昭和二十八年、「昭和館」図書室蔵)
同書によれば、「火薬庫」は温度摂氏7度から21度、湿度80パーセント以下に維持されるように冷却機の能力を設定するそうですが、設計時における条件としては気温38度の時、「弾庫」は38度、士官室や兵員居住区などは40度という環境において上記の条件をクリアできるようにするそうです。
ではいったいいつごろから「火薬庫」の冷却が行われるようになったのかについては私も勉強不測で分らないのですが(申し訳ありません!m(__)m)、遅くとも明治末期に作られ、大正から昭和にかけて改装を繰り返した「金剛」以降の戦艦群にはみな装備していたものと考えられます。ですから、「扶桑」にも当然冷却装置はあったでしょうし、また「金剛」で熱射病患者が出たと言うのは、「弾庫」での出来事であっただろうと推測されます。
そうであればもっと早くから火薬庫の冷却装置を利用した冷房が行われてしかるべきだったのではないかと実は私も思うのですが、艦内の配管の都合等技術的な問題はもちろん、どうも艦内を冷房するという発想そのものが日本を含めたかつての海軍に無かったのではないかと思われます。
さて本題に戻って駆逐艦などの小艦艇に対する通風の問題ですが、やはり「昭和館」の図書室に納められている「造船設計便覧」の中に、「白露型駆逐艦ニテ防毒トスベキ区画」と題する昭和11年の文書があります。これを読みますと、「駆逐艦は防毒の意味より従来どおり下の諸室は気密とす」とあり、「諸室」とは「艦橋休憩室兼発射司令所、前後部電信室、無線電話室、海図格納所兼暗号室、操舵室、射撃指揮通信中継所、機械操縦室、罐操縦室」となっています。「従来どおり」とあるということは、「白露型」以前の駆逐艦、遅くとも「吹雪型」も毒瓦斯対策としての気密構造、つまり「軍艦長門の生涯」に登場した循環型の通気装置(冷房装置ではなく)が設置されていた事を示すものと推定されます。
「推定」と「思われます」ばかりで申し訳ありません。更に詳しい方のフォローをいただければ、私も勉強になり有り難く思います。
・・・
私には真偽を確かめるだけの知識はありません。申し訳ありません。
戦車についてですが、
もちろん弾薬に引火するリスクがあったようです。
しかし、自然発火は想定されておらず、発射後の高熱の薬莢が触れて爆発という事故はあったようです。
なお、湿式弾薬庫というものも設計思想としてあるようです。
以下まんまコピペします。
↓
M1エイブラムスの弾薬庫について|くまさんのお部屋|note
M1エイブラムスの弾薬庫について
2020/06/07 18:21
アメリカ合衆国が誇るM1エイブラムス戦車には乗員の生存性を高めるために様々な工夫がこらされていますが、今回はその中の一つであり最も有名な弾薬庫について解説していきます。
まず戦車にとって弾薬庫とは欠かすことのできない重要な存在であり、同時に大きな弱点でもあります。弾薬庫は砲弾の大口径化が進むにつれてどんどん肥大化していくことになりました。下の画像はレオパルト2のカッタウェイを見れば弾薬庫(Munitionsbunker)がどれだけのスペースを食っているかお分かりになるかと。
弾薬は装薬と弾頭とから構成されていて、これが非っ常〜に危険。
まず弾頭を打ち出すための燃焼剤である装薬はとても燃えやすく、一度これに火が点いてしまうと戦車乗員らだけで消火するのはほぼ不可能。戦車に備え付けられている不活性ガス自動消火装置でも消火することはできません。装薬に火がつくと一瞬で燃え上がり、車内は一瞬にして高温の炎に包まれてしまいます。閉め切られた戦闘室内において装薬が燃焼した場合、車内温度は600℃〜700℃にもなってしまうのです。エイブラムスを含む数多くの西側MBTが搭載している120mm砲弾の薬莢はニトロセルロース製で、これは火気が無くても高温の物体に触れるだけで発火し勢いよく燃えてしまう代物です。過去には排気熱の蓄積により車外に積んであった弾薬が発火・M1A1が焼失したほか、イタリア陸軍においては同様の弾薬を使用するC1 アリエテ主力戦車で高温の使用済み薬莢が焼尽薬莢に接触、発火して乗員1名が亡くなるという痛ましい事故もありました。
次に弾頭。榴弾や対戦車榴弾の中には炸薬がタップリ詰まっていて、これが車内で爆発してしまえばいくら頑丈な戦車といえどひとたまりもありません。
戦車が徹甲弾や整形炸薬弾によりその装甲を貫通されてしまうと徹甲弾の弾芯、流体化した金属ジェット、高温ガス、剥がれた装甲の破片、そして超高温になり火花のように光る金属片がライフル弾並みかそれ以上の速さで車内に飛び込んでくるのです。もしこれが弾薬庫に当たって引火しようものなら、たちまち業火が時間と金を費やし育てた3〜4名の搭乗員の命をほんの一瞬で奪ってしまいます。難燃性のツナギを着ていても全身大火傷は必須です。
そのため、戦車の弾薬庫には被弾確立が低い場所への配置、湿式弾薬庫、弾薬庫の装甲化、燃料槽を兼ねた湿式弾薬庫、近年では弾薬そのものの定感度化(LOVA/IM化)などといった様々な種類の安全対策がされています。下は装甲化されたT-72の弾薬庫。
では、戦車の搭載弾薬とそれが孕んでいるリスクについて触れたところで、本題であるエイブラムスの弾薬庫について見ていきます。
これはM1A1の断面図で、全ての搭載弾薬が防爆壁で隔てられた弾薬庫に収納されています。これがどんな仕組みになっているのか気になりませんか?
この図はM1エイブラムスの砲塔後部にある弾薬庫を簡単に表したモノで、この弾薬庫には敵弾が命中し誘爆しても乗員を守れるような工夫が施されています。
乗員が居る戦闘室と弾薬庫は即応弾庫、予備弾庫ともに厚さ数センチの隔壁と耐爆弾薬ドアによって隔てられ、さらに弾薬庫上部にはブローオフパネルと呼ばれる板が弾薬が誘爆すると圧力で吹き飛ばされるように設計されています。誘爆時にはこれが吹っ飛ぶことで強烈な圧力と火炎を車外に逃し、万が一弾薬が爆発しても乗員がいる戦闘室に危害が加わらないようになっているのです。 この耐爆ドアは装薬と各種榴弾の誘爆に耐えられるよう設計されています。
↑こんなド派手に爆発しても、中の人は平気ってワケです。
因みに装填するときは足元にあるクッション付きのニー・スイッチを膝で叩き、油圧によって作動する耐爆スライドドアを開いて弾薬を取り出したら必ず閉じます。開けっ放しだと隔壁とブローオフパネルの意味がないですからね。
余談ですが、弾薬庫に腕や頭を突っ込んで作業する際は間違えてスイッチを押しても閉まらないようにサーキットブレーカーを切るのがお約束。一応油圧ドアには圧力センサーが付いていて、身体を挟まれてもアザ程度で済むらしいです(けどメッチャ痛そう)
車体弾薬庫も一応あり、こちらにもブローオフパネルと耐爆ドアが付いていますがドアは手動で砲塔を回さないと弾薬庫にアクセスできないという少々使いづらいモノとなってます。
では、弾薬庫が誘爆したら中の乗員はどうするの?と気になった方も居ることでしょう。
米軍はこの弾薬庫システムに大きな自信を持っているようで、アメリカ陸軍の教範においては「弾薬庫での火災発生時に最も安全な場所は車内である」とされています。むしろ車外に出ると燃え上がる弾薬の強烈な熱で火傷を負う危険性が高いのです。エイブラムス搭乗員向け教範にある弾薬庫火災の対処法についての項には以下の通り記述されています。
<砲塔弾薬庫で火災が発生した場合>
1.速やかに防護マスクを装着し車内加圧装置を稼働させ車外に有毒ガスを追い出す
2.可能であれば砲塔を横に向け炎や熱気がエンジン吸気口に入るのを防ぐ
3.戦車が自走可能であれば砲塔まで隠せる遮蔽まで移動し停車、アイドリング状態でハッチを開けたまま最低でも60分間待機する。(弾薬が満載の場合装薬は1分程度で燃え尽きるが、HEAT等の榴弾が余熱で爆発する恐れがあるため)
自走不可であれば車長の判断により誘爆後2~5分で脱出する。
<車体弾薬庫で火災が発生した場合>
車体弾庫で火災が発生した場合は装薬が15秒程度で燃え尽きるのでHEAT等の榴弾が誘爆する危険は無い。よって、戦闘能力に支障がなければ作戦を継続する。
...と、目を疑うようなことが書かれているんですが、アメちゃんは数々のテストと実戦を踏まえた上でこう言ってるんですね。エイブラムスの弾薬庫には消火装置が搭載されていない...というより仮にあったところで装薬火災には無力なので、乗員は火の手が収まるのを待つしかありません。
西側第3世代MBTでは最も実戦を経験しているであろうエイブラムス。この一見完璧に見える弾薬庫は果たして実戦で役に立ったのかって、気になりませんか?気になりますよね!?
てことで湾岸戦争とイラク戦争での実例や評価を見ていきましょう。
まず湾岸戦争において多数のエイブラムスが誤射や火災事故によって喪失していますが、弾薬庫から車内に爆発が漏れた例は一つもありませんでした。そして、戦後にGAO(政府監査院)により製作された報告書では「ブローオフパネルと弾薬庫隔壁は設計された通りに機能し、乗員の生存性向上に貢献した」と評されています。
お次はイラク戦争。イラクの自由作戦の後に製作された報告書である ”Lesson Learned Operation Iraqi Freedom 2003” においても、「耐爆ドアとブローオフパネルは設計通り作動した。砲塔後部に被弾し主砲弾が誘爆した事例があったが耐爆隔壁が爆発を庫内に留めたことにより、有毒ガスの吸引による中毒を除き乗員が負傷する事は無かった」との評価を得ています。
蒸し焼きになんかならねーぞ。
この画像は実際にブローオフパネルが作動した後のエイブラムスで、左上はRPGの被弾により誘爆したときのもの。右上は車両火災の熱により誘爆、そして下の焼け焦げたエイブラムスは行動不能になった後友軍戦車により破壊措置を受けた際に作動したものです。
このような隔壁で区画化された弾薬庫とブローオフ・パネルはレオパルト2、90式戦車、ルクレール、T-90MS、T-84オプロート等、世界中のMBTでも採用されています。
長くなっちゃいましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。
参考文献
Lessons Learned Operation Iraqi Freedom 2003
CARRO ARIETE: PIÙ LETALE PER L’EQUIPAGGIO CHE PER L’AVVERSARIO-Defesa Online
Critical Technology Events in the Development of the Abrams Tank-Project Hindsight Revisited
Survivability of a Propellant Fire inside a Simulated Military Vehicle Crew Compartment: Part 2 - Hazard Mitigation Strategies and Their Effectiveness-Australian Government Department of Defence
Ammo Operations in the Desert Guide-Formerly TB 43-0243
Capstone Depleted Uranium Aerosols: Generation and Characterization
Computer Simulations of the Abrams Live-Fire Field Testing
OPERATION DESERT STORM Early Performance Assessmentof Bradley and Abrams
Haynes M1 ABRAMS MAIN BATTLE TANK Owners’ Workshop Manual
TANK GUNNERY (ABRAMS) FM 3-20.12
弾薬庫爆発事故は多数起きていますが、何しろ激しく破壊されてしまいますので原因究明が難しく、今でも諸説あり定まらない状況です。
人間が生きていられる程度の気温で簡単に爆発に至るとは考えにくいですが、ものすごい長時間放置された場合には火薬が変質して何かが起きるという可能性があるのかも知れませんが、ちょっとわかりません。
石炭燃料の時代には石炭庫が怪しいと言われたりもしましたが、石油時代に入っても事故っていますし、乗組員のサボタージュが原因とされた事例もありますが実際どうだったのか何とも言えません。
ちなみに、空調管理が重要なのは砲弾よりも装薬(発射用火薬)の貯蔵庫の方ではないかと思います。戦艦クラスの大型砲では、銃弾のように装薬が入った薬莢と砲弾が嵌め合わされているのではなく、分けて保管されており発射の際には砲塔まで別途運ばれます。
発射薬は湿気や温度変化の影響で変質してしまうと燃焼の具合が変わってしまい砲撃時の初速に影響します。
戦艦の砲撃戦は時代を下るごとに戦闘距離が伸びて、砲弾は角度を付けて落下しながら敵艦に斜め上から命中するようになりましたから、飛行距離の誤差の影響がどんどん大きくなっていきました。
帝国海軍の砲術将校は錆防止に砲身内に塗った油が燃えて初撃はちょっと余計に飛ぶかもみたいな事まで気にしていたそうですから、発射薬が変質して品質にバラ付きが出たら大問題ですよね。
戦車の場合は海戦よりも戦闘距離が断然近いので狙いとしてはほぼ水平に撃つため、多少の初速のブレは影響ありませんから、そこまで厳しい管理は必要ないのではないかと思います。
強力ですね。
何をもって威力とするかという話にもなりますが、単純に命中した時の威力も命中率を考慮した場合の効率もフリッツXはきわめて強力な兵器でした。
一般的に艦砲で敵艦を撃った場合ですが、落角が15度として距離2万m程度だと水平甲板に命中するケースが多くなります。
ユトランド沖海戦ではこのケースで水平防御に難のあった英巡洋戦艦群が大打撃を受けています。
この戦訓からポスト・ユランド型と呼ばれる戦艦群(ワシントン条約以降の戦艦)は水平装甲を強化していますが、それでも限界はあります。
あまりに装甲を厚くしすぎるとトップヘビーで復元力が低下してしまうし、速力も出なくなります。
結果としてある程度で妥協するわけですが、だいたいは「自前の主砲に想定する砲戦距離で耐えうること」が原則になります。
ここでポイントは「想定する砲戦距離で耐えうること」です。
つまりはあくまで砲撃戦を想定したものであるという点ですね。
この場合、落角は2万mで15度~20度くらいの斜めの角度で命中します。
そうすると水平装甲は傾斜装甲と同じで実厚より防御力を発揮できることになります。
それを考えて装甲を施すため、垂直に近い落角で降ってくるフリッツXに対しては装甲の傾斜が無く、実厚のみで耐えなくてはならないことになります。
大和型戦艦の一番分厚い主砲塔天蓋装甲が270mmですが、投下高度4000mでフリッツXを喰らった場合、これが耐えられるギリギリの場所です。
標準投下高度の6,000mで喰らったら天蓋装甲でさえ抜かれる危険があります。
それ以外の場所は容赦なく抜かれてしまう計算になります。
自前の46cm主砲に対して過剰な重装甲だと判明している大和型でさえこれです。
他の戦艦はお察しくださいレベルです。
また、戦艦の主砲は命中しません。
最良の状態で10%程度であり、実戦では1~3%程度まで低下します。
これに対してフリッツXの命中精度は6,000 mから投下して目標までの誤差60 cmとされており、射手の腕にもよりますが艦砲とは桁違いの命中精度です。
それらを考慮してみればフリッツXは艦砲に比較しても強力な兵器だと言えると思います。
(ECMに弱かったり、母機の損耗が激しいなどの事情はさておき)
正面装甲に貫通する角度で命中させるのが難しいですが、命中したら軽く貫通するでしょう。
大和の砲弾は、何種類かありますが、戦艦に対しては徹甲弾を使います。
徹甲弾は、ほとんどが固い金属でできており、わずかに火薬が入っており、戦艦の堅い装甲を貫徹して、内部で爆発するという作りです。
今の戦車は、いろいろ戦車砲や対戦車ミサイルに対して防御策をして、複合的な防御策をしています。物理的な力に対して角度をつけて弾の威力は半分にしたり複合材料で衝撃を吸収分散させたり、化学的な力に対しては空洞を設けて、内部に化学力の影響が及ぼさないようにしたり、自分から爆発して衝撃を中和したり、いろいろやっています。
しかし、せいぜい、120㎜の戦車砲に対する防御策なので、大和の46㎝(460㎜)砲の砲弾にはひとたまりもありません。
日本の海軍が、41㎝砲で、廃艦になった20㎝装甲の戦艦でテストしたところ、十分装甲を貫通することを確認しております。
大和級の戦艦では40㎝の装甲をしており、それに対する徹甲弾として46㎝の主砲を備えているので、戦車はひとたまりもないことでしょう。
毎年、アメリカ海軍の高級将校から、核動力空母を中心とした空母打撃群(CSG)はもはや時代遅れではないのか?「すべての卵を1つのカゴに盛るな(DON’T PUT ALL YOUR EGGS IN ONE BASKET)!」との論文が出されています。
それに対して「空母は大きい方がよいのだAircraft Carriers: Bigger Is Better | Proceedings - September 2020 Vol. 146/9/1,411 (usni.org)」などとの論文が同じ雑誌に掲載され、いまだに論戦が行われています。
いま、米国などでは、嘗ての戦艦が「記念艦」として、浮かぶ博物館となって公開されています。その司令塔に入って、とてつもなく分厚い装甲をペタペタ触れると、こんな怪物が、木と布でできた当時の航空機で沈められると主張した海軍将校たちは、よっぽど奇人変人扱いを受けたことだろうなと実感します。
さて、これからはどうなっていくのでしょうか?
海自と共同演習する米海軍CSG:
兵器の大原則は「遠距離から一方的に殴れ」です。
戦艦がどんどん大型化・大口径化していったのも敵より大口径の砲を装備して遠距離から一方的にボコれるようにという方向性です。
ですが現代では巡航ミサイルという射程数千kmというバカげた射程の兵器があるためレールガンではミサイルにアウトレンジされてしまいます。
よってレールガンのみを主兵装とした水上砲撃戦を主体とする艦=戦艦の復活はないと思われます。
ですがレールガンは大電力を喰うという弱点があるためそれを搭載する艦は必然的に大型化すると思われます。
米海軍のズムウォルト級は駆逐艦ですが満載排水量はかつての弩級戦艦クラスです。
発電電力もそれ相応にあり、かつてはレールガンの搭載候補にも挙げられたほどですが、駆逐艦は駆逐艦であり戦艦ではありません。
戦艦とは砲撃戦で敵の水上艦艇を撃破するための艦でしたが、それは現代ではミサイルにとってかわられておりレールガンが実用化されてもそれは変わらないと思います。
BMD対応のためミサイルとレールガン、レーザー砲を搭載した艦が誕生する可能性はありますが、艦種は戦艦ではなく、やはり駆逐艦か巡洋艦でしょう。
レールガンは砲身の損耗が激しかったり、大電力が必要などの理由から否定的な意見もありますが、私は将来を見越しての開発であり必要だと思っています。
ジェット戦闘機が実用化された当初も「速度こそ早いが、曲がらないし航続距離は短いしエンジンの交換は頻繁だし迎撃戦以外の何に使うんだ? 普通のレシプロ戦闘機の方が強いじゃないか」という論調がありました。
もっと遡ればジェットタービンエンジンが考案された当初は「燃料だけ喰ってこれ何に使えるの?」と言われていました、
レールガンも同じです。
現状の技術で使えないからと言って将来に渡ってそれが続くとは限りません。
その時に備えて今から研究開発を進めておくのは重要だと思います。
戦艦とは同じ主砲を搭載した相手と互いに殴り合っても耐える装甲を持つものを戦艦と呼びます。なまらすごい主砲を搭載しても同等の主砲をもった相手から殴られると簡単に沈むのは戦艦とは言いません。
[画像] 戦艦は簡単には沈みません
つまり、160cm砲を持つ戦艦ということは、相手の160cm砲の直撃を受けても耐えられる装甲を持つ船、ということになります。
…ムリポ _(:3 」∠)_
ちなみに大和型戦艦の主砲「45口径46cm3連装砲塔」の重量は1基2500tと言われており、同時代の駆逐艦よりも重い物となってます。
戦艦「大和」の3連装砲塔は「駆逐艦1隻」より重い!この巨大砲塔を動かす意外な力とは | 乗りものニュース
80cm砲は第二次世界大戦の列車砲として実現していましたが、戦術兵器というよりも今で言うICBMのような戦略兵器として使われました。それでも砲操作に1400人、支援作業で4000人という人員が必要だったこともあり、運用コストが掛かりすぎて実用的ではないということで廃れてしまいます。
[画像] 80cm列車砲。80cmでこれである。ただし重量は大和の主砲の半分程度なので、如何に大和の主砲がすごかったかという話でもある
…じゃあ巨大砲を搭載した軍艦は無いのかといわれると、やはりというかなんというか、あるんですよね、みんな大好き英国面が産み出した巨砲艦、それが軽巡洋艦フューリアスです。
ええ、軽巡洋艦ですよ。でもそれに45cm砲を積んじゃったんです (テヘ
[画像] 真ん中に見えるなんか物騒な大砲が45cm砲。前後2基搭載されているが、流石に作ったものの使い道が無く、後に航空母艦へ改造されることになる
戦車レベルではとても載りません。
長門型戦艦と同じ41cmでより短砲身(長門型45口径≒18m、こっちは32.8口径=13.445m)ですが列車砲として完成したものがあります。
これの重量は318tです。
現代戦車が重たい部類のM1A2でさえ69tなんでお話になりません。
ドイツが計画していた陸上巡洋艦のラーテが54.5口径28.3cm連装砲装備で1000tの見積でした。
それよりデカい80cm砲を単装で装備するP1500が名前通り1500tの見積なんで大和型の46cm砲を単装で装備するとしても装甲抜きでだいたい重量は800t~1000tは必要になるでしょう。
普通に考えてデカすぎ、重すぎでまともに動けないものになるでしょう。
足回りが現代の技術で何とかなってもインフラの方が耐えられませんので半固定砲になるでしょう。
それでできるのはせいぜい42km圏内への射撃のみです。
それくらいの距離なら155mmりゅう弾砲のRAP(ロケットアシスト弾)でも達成できます。
ミサイルや航空戦力の発達した現代ではただのゴミでしょうね。
回答リクエストが積み上がったので、調べてみました。
まず、砲撃に必要なのは、方位、距離、標的の速度ベクトル、風等による誤差の修正のデータ、そして最後に着弾点をみての誤差修正です。でも、同じデータ、同じ環境で射撃しても、細かい誤差は射撃の度に変動しますので着弾位置はバラツキます。(着弾散布界という) 結局は、このバラツキの範囲内に敵を入れて、あとは雨あられと砲弾を降らして当たるのを待つことになります。
なので、試射を繰り返し、今の試射の着弾位置と、一つ前の着弾位置が標的を挟み込む状態になるように修正します。(挟夾:きょうさ という)そうなったら、本射の開始です。したがって、御質問にもあるように、挟夾したかどうかの着弾観測は必須です。
(ただし、現代では誘導砲弾なる高価な砲弾もあり、それはまた別の話になります。後述)
そして、古式ゆかしい第二次世界大戦の戦艦では、基本は光学観測だそうです。ただし、後半には徐々にレーダの性能が上がってきて事情が変化したそうです。また、観測機を飛ばしても撃墜の恐れがないときには、着弾観測のために航空機を飛ばすということも有効です。
なので、観測や射撃諸元を指示する射撃指揮所を戦艦のなるべく高いところに作るそうです。下の方に作ると地球の丸みのせいで遠くまで見渡せない、砲撃の煙で視界が悪い、波は被る、はで散々だからです。
●さて、方位を求めるためには、艦の左右方向の傾き、前後方向の傾きをキャンセルする必要があります。これはそれぞれ別の要員が行います。(リアルタイムに艦が揺れるので。)そうやってなんとか水平を確保された方位計を使い、観測員が自艦から見た標的の方位を測ります。
●距離の測定は、別のチームが測距儀という双眼鏡のお化けで行います。お化けと書いたのは、左右のレンズ間の距離が5−15mあるからです。細かい光学系の違いはありますが、基本的には三角測量です。この距離データに可能であれば、レーダーの反射時間から割り出した距離データも加味されます。(当時のレーダーは距離の誤差は少ないが、方位のデータは誤差が大きくレーダーだけで射撃すると制度が下がったそうです)なお、測距儀が距離の自乗比で誤差が増えるので、交戦距離がかなり開くとレーダ測距が相対的に有利になったようです。(方位が甘いとレーダだけでは、結局は当たりませんが。)
●そして、標的の速度ベクトルです。よくある交戦距離では発砲から着弾まで数十秒から1分かかり、その間に艦の大きさの数倍移動してても文句は言えないので,未来位置の割り出しは必須です。
まず、標的の艦種を見極めます。すると、その型の資料で調べ、全長を割り出します。次に、距離のデータを元に、その艦が真横を向いていたら、どれくらいの大きさに見えるはずかという値と、実際に見えている大きさを比べます。一致していたら真横、短ければ、真横から傾いている角度を割り出します。また、移動速度は標的艦の大きさを定規代わりにして計算します。
●これに、風速のデータ、地球の自転によるコリオリの力、湿度、気圧、砲弾の初速や空気抵抗(砲弾の種類、装薬の種類に依存)を加味して、主砲の方位や仰角の値に計算し直して射撃となります。
交戦距離30kmくらいまでは光学的観測による砲撃戦の記録は普通にあります。が、煙幕による妨害を、着弾による火災と勘違いしたりして、色々と困難はあったようです。
●それで、レーダによる着弾観測ですが、15–30 kmであれば、第二次世界大戦中の米国のレーダーに水柱がうつったそうです。ただ、距離が開くとぼやけてきて挟夾したかどうかが微妙になってくるそうですが、その辺はレーダーの型や水柱の大きさにもよるので、詳しいことは分かりませんでした。
そのうち、レーダによる方位観測の精度も上がってきて、レーダだけでも、そこそこの射撃ができるようになったらしいのですが、いつどの海戦からかは特定できませんでした。
標的艦が近づいてくるか遠ざかる速度はレーダーのドップラー効果でも割り出します。
○そして、現代では、指向性の高いレーダービームを標的に照射し続けることにより、より正確な測定が可能であり、射撃管制システムが全てを計算してくれますので、速度も命中精度も飛躍的に向上しているようです。
現在のミサイル駆逐艦についてる主砲は対空射撃にも使えるものですが、対水上戦闘も一応は視野にいれており、オート・メラーラ 76 mm 砲スーパーラピッドでは、射程16kmの通常弾の他、射程40kmのGPS・赤外線誘導の砲弾も開発中だそうです。そうなると、着弾観測や修正の概念が変わるかと思います。
ただ、そんな先進システムが普及するかどうかは、やはり一発あたりの価格次第でしょうか?(ズムウォルトの主砲のLRLAP弾は高すぎてキャンセルになったそうです。)
ミサイル全盛の現代ですが、艦砲射撃の現代史をしらべると面白そうですね。
「何でも良い」ということで
現代の主力戦車に使われる55口径120mm滑腔砲Rh120-L55
2000m鋼板貫徹力700mm
史上一番防御力が高いであろう「大和」
垂直382mm、水平146mm
ばっちり打ち抜けます。
あとは2kmまで戦艦が近づいてくれるかどうかですね。
そもそも座礁をおそれて岸壁になぞ近づかない気がしますが。
停泊中とかならいけます。
因みに逆は実績があります。
艦砲どころか駆逐艦の爆雷でドイツ戦車)パンターはズタズタにされました。
装甲は無事でも、ふっ飛ばされる衝撃だけで乗員も、エンジンも耐えられません。
国同士が戦うという事は、最終的には敵国の中枢部まで攻め込んで行って、首都を包囲したり、最悪の場合は軍司令部および政府関係者の拘束という事になる事が多いです。
この時、航空戦力だけでは敵国の軍部および政府要人を拘束できません。航空戦力は基本的に防御力が低いので、簡単に撃墜されてしまいますし、地上に降りた瞬間に攻撃力がゼロになるからです。ですから、敵国を陥落させるには、最終的にどうしても地上戦力も必要になってきます。この際、歩兵を乗せたトラックだけで行ったとしても、当然ながら敵の残存兵力によって被害を受けてしまいます。その為、「重武装の車両」=すなわち「戦車」が弾除けになりながら、敵の首都を目指す事になります。
写真は湾岸戦争時にイラクのバグダッド入りをする国連軍(アメリカ軍)のM1A1戦車。この直後、戦争は終結した。
徒歩歩兵を主力とした軽歩兵師団は、特殊な地形に依る以外、戦車を主力とした機甲師団に対抗する術がありません。従って、戦車が消える事はありません。
(´・ω・`)っという感じはするのですが
apfsdsが装甲を貫通する能力はRHA鋼という均質圧延装甲をどれくらい貫くかで測られており、
そのRHA装甲は大和などで使用されていたMNC装甲とほぼ同時期に作られているので、
特にこれといった話を聞かない事から
ここでは両者の性能はほぼ同じと考えます
APFSDSだけで言うと貫通力はウィキペディアでは(500〜1000mm)とあり、大和の主砲の装甲では
(垂直装甲が410mm、水平装甲が230mmらしい)
素人目に見る限り貫通それ自体は条件によっては可能かと
ただし
戦艦にダメージを与えるには恐らく砲塔内部の弾薬を誘爆させる必要があり、砲塔とかの真横を貫いても下にある弾薬庫は無事でしょうし
APFSDSは例え戦車の内部に侵入したとしてもそれほど殺傷力は無いと色々な所で聞きます
なので
英国面
や
米国面
の異常暴走で開h、、、いや爆誕されたロマン砲でも無い限りまともに艦隊戦をやっていけそうな気はしないのが正直なところです(笑)
あとひとつ
大和も武蔵も「魚雷」で沈んでいます
ビスマルク型戦艦は、第一次世界大戦時に建造されたバイエルン型戦艦の装甲配置等を流用して工期の短縮を行いました。その結果、本艦は英米日のポスト・ジュトランド戦艦とは真逆の、近距離砲撃戦に強い艦となりました。
海と空の色は単調なので、陸地のような縞模様の迷彩など施した日にはむしろ目立って狙われてしまいます。なので派手な迷彩はなかなかないですね。
一応グレーの塗装も迷彩の一種で、曇りまたは夜間の海・空に隠れるには効果的な色だとされています。戦闘機、特に低空を飛ばない制空戦闘機にグレーの塗装が多いのもそのためですね。
水上艦の迷彩を1つあげるとすれば、ダズル迷彩という大変面白い迷彩があります。
ミサイルがない時代の艦隊戦では、敵艦の向いている方向を把握するのが基本でした。なぜなら、大砲は着弾まで時間差があって、敵に当てるためには敵の進んでいる方向へ狙いをずらしてやらないといけないからです。見えている敵にそのまま撃つと弾が届く頃には敵はそこを離れてしまっているわけです。
それを利用し、艦に複雑な幾何学模様を描いて遠目ではどちらを向いているかわからないようにしたのがダズル迷彩です。
また、これが使われたのは主に第一次世界大戦期でしたが、この時期の照準操作は2つの目のピント合わせの理屈でなされていました。つまり、2つ並んだレンズの互いの角度を調節して、両方に映っている映像がぴったり一致するような角度が分かれば、三角測量により敵との距離がわかるわけです。ダズル迷彩はこの照準操作すら惑わせ、敵からすると艦の形も進路も距離もわからないという状況に陥ったわけです。
しかし第二次世界大戦が始まり、レーダーが普及して目視に頼った戦闘がなくなると次第にこれらは姿を消していきました。
逆に考えて、戦艦がなぜあそこまでの重防御をしていたのかと言うと、大口径の主砲と言う攻撃システムの特性に理由があります。
・攻撃に時間がかかる
戦艦の主砲はとてつもないサイズの砲弾を船の上から発射するのですが、砲弾と発射の反動がとにかくでかすぎるので搭載できる砲の数に限りがあり、装填にも手間がかかり、精度を出すためには船体の揺れに対して水平になるタイミングを見計らって撃つ必要があるため、下記の命中率の低さを考えると射撃速度はじれったくなるほど遅いです。
・命中率が低い
誘導能力を持たず遠距離になるほど命中確率が下がるので、夜間や霧の中で突然の至近距離会敵でもない限り、上記の射撃速度の遅さと相まって出会い頭に先手必勝とは行きません。そのため、お互いにある程度距離を詰めて撃ち合い、どちらが有効なダメージを与えるか確率論に基づいたチキンレースを行うことになります。
射程距離と速力でよほど上回らない限り、装甲をケチっておいて「当たらなければどうと言うことはない」と、運用で何とかするのは困難ということです。
・高価値すぎる
戦艦と言う存在はまず火力が命であり、その向上を求めれば発射の反動と砲の重量に耐えるため必然的に船体がでかくなる性質があります。最新最強を求めた競争の結果、国家の貴重な資産としてあまりにも重大な存在になりすぎたため、消耗品として割り切った設計思想や使い方が困難になってしまいました。
特に、魚雷や航空機が高性能化して戦艦の脅威になる以前の時代には、外洋で戦艦を撃沈できるのは戦艦だけでしたから、相手の戦艦に好き勝手させない抑止力としての役割もあったので、戦力劣勢な国の戦艦ほど生きて帰ってくるために防御力は疎かにできなかったのです。
・まとめ
これらの理由から、戦艦は撃ち合いで砲塔・機関・弾薬庫を簡単に撃ち抜かれ沈んだり戦闘力を喪失したりしないよう、強固な装甲を備えるのが常識とされていました。
海軍力で最強を誇った時代のイギリスが、主砲は戦艦と同じだが装甲ペラペラの巡洋戦艦と言う艦種を作ったことがありますが、ドイツ巡洋艦相手には狙い通り完封勝利しましたが、ドイツ主力との決戦では爆沈を連発してしまいました。
もし、搭載弾薬をショットガンのごとく短時間にまとめて撃つことが出来て、発射の反動に耐える必要がなく、最大射程で撃っても高確率で命中が期待できるなら、艦体の大きさは重要でなく先手必勝に賭けるのが合理的ですから、程々のサイズの非装甲の艦をいっぱい作って配備するのが最も効率的です。
現代の、VLS(甲板直下に設置する、ミサイルを縦に装填しておいてそのまま撃てる弾薬庫。全弾発射完了するまでの時間が断然短い。)を搭載したミサイル巡洋艦はまさにそのような存在と言えるでしょう。
防ぎません。耐えます(えー
図体もデカいし進行方向を変えるにも非常に時間がかかります。敵からすれば良い的ですよね。なので、もう耐えるしかないんですね、戦艦って「そういうもの」ですから (゚∀゚) !
水雷防御網を御存じですか~忘れられた装備2~ - 電脳 大本営
魚雷に対する防御は各国で試行錯誤が繰り返されて結局どれが「結論」というのが出ないまま、艦船の攻撃手段が魚雷からミサイルになりました。もう当たっても耐えるというのが無理ゲーになってしまったため、
こういうことに。おまけに魚雷も誘導や信管の技術も発達したので、船体に直撃させて穴をあけるという当初の攻撃方法よりも、船体の真下で魚雷を爆発させてそこで発生する「バブルパルス」で船体をへし折るというのが主流となっています。
そんなデカい船が直撃もしてないのに、へし折れるだなんて、まさかー…
( Д ) ゚ ゚
ということで魚雷も対艦ミサイルもあたらったらオシマイ、もう防いでも防ぎきれないので、撃たれる前に相手を撃沈させるって方向になりましたね。
どころかペラペラです。
コンテナ船に負けたイージス艦フィッツジェラルド
100km以上の彼方から、どんな装甲でも意味がない位な量の炸薬を積んだミサイルが飛んでくる世界です。
「装甲」みたいな重量物を積むよりは、戦争の時に生き残れるように電子機器、兵装、速さを選びました。
無理していろいろ積んでいるので天候にも弱いですが、立ち向かうより気象衛星から天気予報を受けて台風から逃げる方が合理的。
(ダメコンや隔壁、分離型で多重なので見かけほど沈み易くはないのですが、素材が軽い金属で、商船とぶつかって酷い姿に見える)
命中するのが前提でいいんですね。でしたら、魚雷の方が効果が高いでしょう。
真珠湾攻撃で使用された九一式航空魚雷は重量838kg、炸薬量149.5kgです。これが命中して炸裂した場合、水線下に破孔が開き、浸水します。
真珠湾攻撃で使用された九九式八〇番五号爆弾は炸薬量14.9kgです。これを高度3000mから投下して命中した場合、貫通力は150mm程度であり、コロラド型戦艦の水平装甲(主甲板89mm、下甲板38mm)を貫通し、その下のデッキで炸裂します。甲板に破孔が開き、火災が発生するかもしれませんが、魚雷に比較すれば効果はより小さいものになるでしょう。
ちなみに、通常の攻撃における命中率は、航空魚雷の方が高いです。
空母ガムビアベイという本があります。それによると、
空母ガムビアベイに対し戦艦大和と戦艦金剛の主砲弾が至近弾として艦の近くで破裂して損傷を与えた記載があります。
戦艦大和が空母ガムビアベイへ主砲の一斉射撃を行ったところ、命中弾はなかったが、至近弾の1発が爆発した衝撃で前部動力室の隔壁を破壊し浸水させた。その関係で速度が17ノットから11ノットへ落ちた。という記載があります。
もしかしたら2つあるスクリューの一つを破壊したかもしれません。
しかしながら、きちんと命中させ、炸裂し、艦の構造物や艦載機へ直接損傷を与えた砲弾を発射したのは重巡利根です。重巡利根が砲撃で空母ガムビアベイの動力室を全て破壊したのが致命傷でした。
戦艦大和ですが、対空射撃で米軍機を複数撃墜している可能性も考えられます。また、主砲が駆逐艦ホエールとサミュエル・B・ロバーツに損害を与えた可能性もあります。
この本は、重巡筑摩、羽黒、の被弾と、鈴谷、鳥海が被弾し沈没する様子が書かれています。鈴谷と鳥海は生存者がおらず、これまで詳しい沈没の様子はわかっていませんでした。
別な書籍によると、戦艦大和の副砲がアメリカ軍の駆逐艦の艦橋と煙突に一発ずつ命中弾を与えたそうです。
Takashi Junさんの書かれている通り、航空戦力が初めて単独で戦艦を撃沈したのは1940年11月11日にイギリス海軍の航空母艦イラストリアスによって行われたタラント港空襲です。
参加した艦上雷撃機ソードフィッシュは合計21機(第一波は照明弾搭載2機、爆弾搭載4機、魚雷搭載6機。第二波は照明弾搭載2機、爆弾搭載2機、魚雷搭載5機)で、最新式のデュープレックス艦底起爆磁気信管を装備した魚雷を高度9m(真珠湾攻撃さえ20mなのに!)から投下しました。
この空襲で、イタリア海軍の戦艦コンテ・ディ・カブール、戦艦リットリオ(ヴィットリオ・ヴェネト型) 、戦艦カイオ・ドゥイリオの3隻が沈没(タラント港は浅いので大破着底)しました。
そのほかの戦艦と同じ理由です例えばAlabama:
North Carolina:
そしてMissouriも木製デッキを持っている….
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のではありません。実際には鋼のデッキの上に木製の板が敷き詰められているだけです。太陽が当たると鋼鉄は熱を吸収し非常に熱くなります。つまり木は断熱材の役割を果たしています。また湿った鋼は滑りやすく、その意味でも表面は木のほうが良いのです。
回答者:Christopher Proescher, 全米ライフル協会認定の銃器インストラクター
それ、戦後の風潮です。(あれ?これ書いた様な)
大和は秘匿艦だったので、当時の人々にとっては日本の軍艦と言えば長門でした。ところが戦後復興が一段落終わり、自信を徐々に取り戻していく過程で「実は日本には世界が驚く驚異の戦艦を持っていた!!!」という事が周知されていく…
それが大和です。
現日本政府は旧帝國政府と同一線上の政体で、簡単に言えば「親父のやった戦争は正しかったのか?」という疑問がある。これは今の日本にもつながる話なんですが、とにかく現日本は旧帝國時代を総括しきれていない。
だから「昔は実は○○だった」に弱いんです。
その流れのトップバッターと言えるのが大和の存在です。
「実は日本の戦艦大和が世界最強だった」
これですよ、日本人が自尊心の回復を積み上げる役に立つ。
大和の○○はすごかった的な話が日本人の大好物になる。
それにより「俺たちは昔からすごかった」という認識が持てる。
そうする事で、昨日まで乞食みたいな生活をしていた現実の記憶の方が幻想になる。
「なにしろ俺たちのオヤジたちは世界最大の戦艦を作って世界を相手に戦ったんだから!」
というトコロ。
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