2022年12月14日水曜日

戦艦大和には自然誘爆を防ぐため弾薬庫にクーラーがついてたそうですが、アフリカ戦線の戦車の中は高温になると思いますが弾薬は爆発しなかったのでしょうか?

https://jp.quora.com/%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%81%AB%E3%81%AF%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%AA%98%E7%88%86%E3%82%92%E9%98%B2%E3%81%90%E3%81%9F%E3%82%81%E5%BC%BE%E8%96%AC%E5%BA%AB%E3%81%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

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大和の冷却装置が有名で、それを転用したクーラー設備が稀有だったようです。

調べましたら、他の戦艦にも弾薬庫冷却装置はあったようです。

ぐぐったら詳しい方の記述がありました。

B2001741.html

抜粋>

戦艦の主砲のような大口径砲の弾は、実際に標的めがけて飛んでいく「砲弾」の部分と、これを発射する為の「装薬」の部分に分けられている事は御存知のとおりです。そして、砲弾に詰められている「炸薬」は、湿気や気温の変化に対して鈍感であるのに対して、「装薬」の方は湿度温度の変化に非常に敏感なのだそうです。したがって、「砲弾」の方は「弾庫」に、「装薬」の方は「火薬庫」に格納し、「火薬庫」の方には冷却装置を設置するのだそうです。(「軍艦構造及艤裝」松本喜太郎、昭和二十八年、「昭和館」図書室蔵)
 同書によれば、「火薬庫」は温度摂氏7度から21度、湿度80パーセント以下に維持されるように冷却機の能力を設定するそうですが、設計時における条件としては気温38度の時、「弾庫」は38度、士官室や兵員居住区などは40度という環境において上記の条件をクリアできるようにするそうです。
 ではいったいいつごろから「火薬庫」の冷却が行われるようになったのかについては私も勉強不測で分らないのですが(申し訳ありません!m(__)m)、遅くとも明治末期に作られ、大正から昭和にかけて改装を繰り返した「金剛」以降の戦艦群にはみな装備していたものと考えられます。ですから、「扶桑」にも当然冷却装置はあったでしょうし、また「金剛」で熱射病患者が出たと言うのは、「弾庫」での出来事であっただろうと推測されます。
 そうであればもっと早くから火薬庫の冷却装置を利用した冷房が行われてしかるべきだったのではないかと実は私も思うのですが、艦内の配管の都合等技術的な問題はもちろん、どうも艦内を冷房するという発想そのものが日本を含めたかつての海軍に無かったのではないかと思われます。

さて本題に戻って駆逐艦などの小艦艇に対する通風の問題ですが、やはり「昭和館」の図書室に納められている「造船設計便覧」の中に、「白露型駆逐艦ニテ防毒トスベキ区画」と題する昭和11年の文書があります。これを読みますと、「駆逐艦は防毒の意味より従来どおり下の諸室は気密とす」とあり、「諸室」とは「艦橋休憩室兼発射司令所、前後部電信室、無線電話室、海図格納所兼暗号室、操舵室、射撃指揮通信中継所、機械操縦室、罐操縦室」となっています。「従来どおり」とあるということは、「白露型」以前の駆逐艦、遅くとも「吹雪型」も毒瓦斯対策としての気密構造、つまり「軍艦長門の生涯」に登場した循環型の通気装置(冷房装置ではなく)が設置されていた事を示すものと推定されます。

「推定」と「思われます」ばかりで申し訳ありません。更に詳しい方のフォローをいただければ、私も勉強になり有り難く思います。

・・・

私には真偽を確かめるだけの知識はありません。申し訳ありません。

戦車についてですが、

もちろん弾薬に引火するリスクがあったようです。

しかし、自然発火は想定されておらず、発射後の高熱の薬莢が触れて爆発という事故はあったようです。

なお、湿式弾薬庫というものも設計思想としてあるようです。

以下まんまコピペします。

M1エイブラムスの弾薬庫について|くまさんのお部屋|note

M1エイブラムスの弾薬庫について

くまさんのお部屋

2020/06/07 18:21

アメリカ合衆国が誇るM1エイブラムス戦車には乗員の生存性を高めるために様々な工夫がこらされていますが、今回はその中の一つであり最も有名な弾薬庫について解説していきます。

まず戦車にとって弾薬庫とは欠かすことのできない重要な存在であり、同時に大きな弱点でもあります。弾薬庫は砲弾の大口径化が進むにつれてどんどん肥大化していくことになりました。下の画像はレオパルト2のカッタウェイを見れば弾薬庫(Munitionsbunker)がどれだけのスペースを食っているかお分かりになるかと。

弾薬は装薬と弾頭とから構成されていて、これが非っ常〜に危険。

まず弾頭を打ち出すための燃焼剤である装薬はとても燃えやすく、一度これに火が点いてしまうと戦車乗員らだけで消火するのはほぼ不可能。戦車に備え付けられている不活性ガス自動消火装置でも消火することはできません。装薬に火がつくと一瞬で燃え上がり、車内は一瞬にして高温の炎に包まれてしまいます。閉め切られた戦闘室内において装薬が燃焼した場合、車内温度は600℃〜700℃にもなってしまうのです。エイブラムスを含む数多くの西側MBTが搭載している120mm砲弾の薬莢はニトロセルロース製で、これは火気が無くても高温の物体に触れるだけで発火し勢いよく燃えてしまう代物です。過去には排気熱の蓄積により車外に積んであった弾薬が発火・M1A1が焼失したほか、イタリア陸軍においては同様の弾薬を使用するC1 アリエテ主力戦車で高温の使用済み薬莢が焼尽薬莢に接触、発火して乗員1名が亡くなるという痛ましい事故もありました。

次に弾頭。榴弾や対戦車榴弾の中には炸薬がタップリ詰まっていて、これが車内で爆発してしまえばいくら頑丈な戦車といえどひとたまりもありません。

戦車が徹甲弾や整形炸薬弾によりその装甲を貫通されてしまうと徹甲弾の弾芯、流体化した金属ジェット、高温ガス、剥がれた装甲の破片、そして超高温になり火花のように光る金属片がライフル弾並みかそれ以上の速さで車内に飛び込んでくるのです。もしこれが弾薬庫に当たって引火しようものなら、たちまち業火が時間と金を費やし育てた3〜4名の搭乗員の命をほんの一瞬で奪ってしまいます。難燃性のツナギを着ていても全身大火傷は必須です。

そのため、戦車の弾薬庫には被弾確立が低い場所への配置、湿式弾薬庫、弾薬庫の装甲化、燃料槽を兼ねた湿式弾薬庫、近年では弾薬そのものの定感度化(LOVA/IM化)などといった様々な種類の安全対策がされています。下は装甲化されたT-72の弾薬庫。

では、戦車の搭載弾薬とそれが孕んでいるリスクについて触れたところで、本題であるエイブラムスの弾薬庫について見ていきます。

これはM1A1の断面図で、全ての搭載弾薬が防爆壁で隔てられた弾薬庫に収納されています。これがどんな仕組みになっているのか気になりませんか?

この図はM1エイブラムスの砲塔後部にある弾薬庫を簡単に表したモノで、この弾薬庫には敵弾が命中し誘爆しても乗員を守れるような工夫が施されています。

乗員が居る戦闘室と弾薬庫は即応弾庫、予備弾庫ともに厚さ数センチの隔壁と耐爆弾薬ドアによって隔てられ、さらに弾薬庫上部にはブローオフパネルと呼ばれる板が弾薬が誘爆すると圧力で吹き飛ばされるように設計されています。誘爆時にはこれが吹っ飛ぶことで強烈な圧力と火炎を車外に逃し、万が一弾薬が爆発しても乗員がいる戦闘室に危害が加わらないようになっているのです。 この耐爆ドアは装薬と各種榴弾の誘爆に耐えられるよう設計されています。

↑こんなド派手に爆発しても、中の人は平気ってワケです。

因みに装填するときは足元にあるクッション付きのニー・スイッチを膝で叩き、油圧によって作動する耐爆スライドドアを開いて弾薬を取り出したら必ず閉じます。開けっ放しだと隔壁とブローオフパネルの意味がないですからね。

余談ですが、弾薬庫に腕や頭を突っ込んで作業する際は間違えてスイッチを押しても閉まらないようにサーキットブレーカーを切るのがお約束。一応油圧ドアには圧力センサーが付いていて、身体を挟まれてもアザ程度で済むらしいです(けどメッチャ痛そう)

車体弾薬庫も一応あり、こちらにもブローオフパネルと耐爆ドアが付いていますがドアは手動で砲塔を回さないと弾薬庫にアクセスできないという少々使いづらいモノとなってます。

では、弾薬庫が誘爆したら中の乗員はどうするの?と気になった方も居ることでしょう。
米軍はこの弾薬庫システムに大きな自信を持っているようで、アメリカ陸軍の教範においては「弾薬庫での火災発生時に最も安全な場所は車内である」とされています。むしろ車外に出ると燃え上がる弾薬の強烈な熱で火傷を負う危険性が高いのです。エイブラムス搭乗員向け教範にある弾薬庫火災の対処法についての項には以下の通り記述されています。

<砲塔弾薬庫で火災が発生した場合>

1.速やかに防護マスクを装着し車内加圧装置を稼働させ車外に有毒ガスを追い出す

2.可能であれば砲塔を横に向け炎や熱気がエンジン吸気口に入るのを防ぐ

3.戦車が自走可能であれば砲塔まで隠せる遮蔽まで移動し停車、アイドリング状態でハッチを開けたまま最低でも60分間待機する。(弾薬が満載の場合装薬は1分程度で燃え尽きるが、HEAT等の榴弾が余熱で爆発する恐れがあるため)
自走不可であれば車長の判断により誘爆後2~5分で脱出する。

<車体弾薬庫で火災が発生した場合>

車体弾庫で火災が発生した場合は装薬が15秒程度で燃え尽きるのでHEAT等の榴弾が誘爆する危険は無い。よって、戦闘能力に支障がなければ作戦を継続する。

...と、目を疑うようなことが書かれているんですが、アメちゃんは数々のテストと実戦を踏まえた上でこう言ってるんですね。エイブラムスの弾薬庫には消火装置が搭載されていない...というより仮にあったところで装薬火災には無力なので、乗員は火の手が収まるのを待つしかありません。

西側第3世代MBTでは最も実戦を経験しているであろうエイブラムス。この一見完璧に見える弾薬庫は果たして実戦で役に立ったのかって、気になりませんか?気になりますよね!?

てことで湾岸戦争とイラク戦争での実例や評価を見ていきましょう。

まず湾岸戦争において多数のエイブラムスが誤射や火災事故によって喪失していますが、弾薬庫から車内に爆発が漏れた例は一つもありませんでした。そして、戦後にGAO(政府監査院)により製作された報告書では「ブローオフパネルと弾薬庫隔壁は設計された通りに機能し、乗員の生存性向上に貢献した」と評されています。

お次はイラク戦争。イラクの自由作戦の後に製作された報告書である ”Lesson Learned Operation Iraqi Freedom 2003” においても、「耐爆ドアとブローオフパネルは設計通り作動した。砲塔後部に被弾し主砲弾が誘爆した事例があったが耐爆隔壁が爆発を庫内に留めたことにより、有毒ガスの吸引による中毒を除き乗員が負傷する事は無かった」との評価を得ています。

蒸し焼きになんかならねーぞ。

この画像は実際にブローオフパネルが作動した後のエイブラムスで、左上はRPGの被弾により誘爆したときのもの。右上は車両火災の熱により誘爆、そして下の焼け焦げたエイブラムスは行動不能になった後友軍戦車により破壊措置を受けた際に作動したものです。

このような隔壁で区画化された弾薬庫とブローオフ・パネルはレオパルト2、90式戦車、ルクレール、T-90MS、T-84オプロート等、世界中のMBTでも採用されています。

長くなっちゃいましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。

参考文献

Lessons Learned Operation Iraqi Freedom 2003

CARRO ARIETE: PIÙ LETALE PER L’EQUIPAGGIO CHE PER L’AVVERSARIO-Defesa Online

Critical Technology Events in the Development of the Abrams Tank-Project Hindsight Revisited

Survivability of a Propellant Fire inside a Simulated Military Vehicle Crew Compartment: Part 2 - Hazard Mitigation Strategies and Their Effectiveness-Australian Government Department of Defence

Ammo Operations in the Desert Guide-Formerly TB 43-0243

Capstone Depleted Uranium Aerosols: Generation and Characterization

Computer Simulations of the Abrams Live-Fire Field Testing

OPERATION DESERT STORM Early Performance Assessmentof Bradley and Abrams

Haynes M1 ABRAMS MAIN BATTLE TANK Owners’ Workshop Manual

TANK GUNNERY (ABRAMS) FM 3-20.12

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弾薬庫爆発事故は多数起きていますが、何しろ激しく破壊されてしまいますので原因究明が難しく、今でも諸説あり定まらない状況です。

人間が生きていられる程度の気温で簡単に爆発に至るとは考えにくいですが、ものすごい長時間放置された場合には火薬が変質して何かが起きるという可能性があるのかも知れませんが、ちょっとわかりません。

石炭燃料の時代には石炭庫が怪しいと言われたりもしましたが、石油時代に入っても事故っていますし、乗組員のサボタージュが原因とされた事例もありますが実際どうだったのか何とも言えません。

ちなみに、空調管理が重要なのは砲弾よりも装薬(発射用火薬)の貯蔵庫の方ではないかと思います。戦艦クラスの大型砲では、銃弾のように装薬が入った薬莢と砲弾が嵌め合わされているのではなく、分けて保管されており発射の際には砲塔まで別途運ばれます。

発射薬は湿気や温度変化の影響で変質してしまうと燃焼の具合が変わってしまい砲撃時の初速に影響します。

戦艦の砲撃戦は時代を下るごとに戦闘距離が伸びて、砲弾は角度を付けて落下しながら敵艦に斜め上から命中するようになりましたから、飛行距離の誤差の影響がどんどん大きくなっていきました。

帝国海軍の砲術将校は錆防止に砲身内に塗った油が燃えて初撃はちょっと余計に飛ぶかもみたいな事まで気にしていたそうですから、発射薬が変質して品質にバラ付きが出たら大問題ですよね。

戦車の場合は海戦よりも戦闘距離が断然近いので狙いとしてはほぼ水平に撃つため、多少の初速のブレは影響ありませんから、そこまで厳しい管理は必要ないのではないかと思います。

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強力ですね。

何をもって威力とするかという話にもなりますが、単純に命中した時の威力も命中率を考慮した場合の効率もフリッツXはきわめて強力な兵器でした。

一般的に艦砲で敵艦を撃った場合ですが、落角が15度として距離2万m程度だと水平甲板に命中するケースが多くなります。

ユトランド沖海戦ではこのケースで水平防御に難のあった英巡洋戦艦群が大打撃を受けています。

この戦訓からポスト・ユランド型と呼ばれる戦艦群(ワシントン条約以降の戦艦)は水平装甲を強化していますが、それでも限界はあります。

あまりに装甲を厚くしすぎるとトップヘビーで復元力が低下してしまうし、速力も出なくなります。

結果としてある程度で妥協するわけですが、だいたいは「自前の主砲に想定する砲戦距離で耐えうること」が原則になります。

ここでポイントは「想定する砲戦距離で耐えうること」です。

つまりはあくまで砲撃戦を想定したものであるという点ですね。

この場合、落角は2万mで15度~20度くらいの斜めの角度で命中します。

そうすると水平装甲は傾斜装甲と同じで実厚より防御力を発揮できることになります。

それを考えて装甲を施すため、垂直に近い落角で降ってくるフリッツXに対しては装甲の傾斜が無く、実厚のみで耐えなくてはならないことになります。

大和型戦艦の一番分厚い主砲塔天蓋装甲が270mmですが、投下高度4000mでフリッツXを喰らった場合、これが耐えられるギリギリの場所です。

標準投下高度の6,000mで喰らったら天蓋装甲でさえ抜かれる危険があります。

それ以外の場所は容赦なく抜かれてしまう計算になります。

自前の46cm主砲に対して過剰な重装甲だと判明している大和型でさえこれです。

他の戦艦はお察しくださいレベルです。

また、戦艦の主砲は命中しません。

最良の状態で10%程度であり、実戦では1~3%程度まで低下します。

これに対してフリッツXの命中精度は6,000 mから投下して目標までの誤差60 cmとされており、射手の腕にもよりますが艦砲とは桁違いの命中精度です。

それらを考慮してみればフリッツXは艦砲に比較しても強力な兵器だと言えると思います。

(ECMに弱かったり、母機の損耗が激しいなどの事情はさておき)

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正面装甲に貫通する角度で命中させるのが難しいですが、命中したら軽く貫通するでしょう。

大和の砲弾は、何種類かありますが、戦艦に対しては徹甲弾を使います。

徹甲弾は、ほとんどが固い金属でできており、わずかに火薬が入っており、戦艦の堅い装甲を貫徹して、内部で爆発するという作りです。

今の戦車は、いろいろ戦車砲や対戦車ミサイルに対して防御策をして、複合的な防御策をしています。物理的な力に対して角度をつけて弾の威力は半分にしたり複合材料で衝撃を吸収分散させたり、化学的な力に対しては空洞を設けて、内部に化学力の影響が及ぼさないようにしたり、自分から爆発して衝撃を中和したり、いろいろやっています。

しかし、せいぜい、120㎜の戦車砲に対する防御策なので、大和の46㎝(460㎜)砲の砲弾にはひとたまりもありません。

日本の海軍が、41㎝砲で、廃艦になった20㎝装甲の戦艦でテストしたところ、十分装甲を貫通することを確認しております。

大和級の戦艦では40㎝の装甲をしており、それに対する徹甲弾として46㎝の主砲を備えているので、戦車はひとたまりもないことでしょう。

毎年、アメリカ海軍の高級将校から、核動力空母を中心とした空母打撃群(CSG)はもはや時代遅れではないのか?「すべての卵を1つのカゴに盛るな(DON’T PUT ALL YOUR EGGS IN ONE BASKET)!」との論文が出されています。

それに対して「空母は大きい方がよいのだAircraft Carriers: Bigger Is Better | Proceedings - September 2020 Vol. 146/9/1,411 (usni.org)」などとの論文が同じ雑誌に掲載され、いまだに論戦が行われています。

いま、米国などでは、嘗ての戦艦が「記念艦」として、浮かぶ博物館となって公開されています。その司令塔に入って、とてつもなく分厚い装甲をペタペタ触れると、こんな怪物が、木と布でできた当時の航空機で沈められると主張した海軍将校たちは、よっぽど奇人変人扱いを受けたことだろうなと実感します。

さて、これからはどうなっていくのでしょうか?

海自と共同演習する米海軍CSG:

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兵器の大原則は「遠距離から一方的に殴れ」です。

戦艦がどんどん大型化・大口径化していったのも敵より大口径の砲を装備して遠距離から一方的にボコれるようにという方向性です。

ですが現代では巡航ミサイルという射程数千kmというバカげた射程の兵器があるためレールガンではミサイルにアウトレンジされてしまいます。

よってレールガンのみを主兵装とした水上砲撃戦を主体とする艦=戦艦の復活はないと思われます。

ですがレールガンは大電力を喰うという弱点があるためそれを搭載する艦は必然的に大型化すると思われます。

米海軍のズムウォルト級は駆逐艦ですが満載排水量はかつての弩級戦艦クラスです。

発電電力もそれ相応にあり、かつてはレールガンの搭載候補にも挙げられたほどですが、駆逐艦は駆逐艦であり戦艦ではありません。

戦艦とは砲撃戦で敵の水上艦艇を撃破するための艦でしたが、それは現代ではミサイルにとってかわられておりレールガンが実用化されてもそれは変わらないと思います。

BMD対応のためミサイルとレールガン、レーザー砲を搭載した艦が誕生する可能性はありますが、艦種は戦艦ではなく、やはり駆逐艦か巡洋艦でしょう。

レールガンは砲身の損耗が激しかったり、大電力が必要などの理由から否定的な意見もありますが、私は将来を見越しての開発であり必要だと思っています。

ジェット戦闘機が実用化された当初も「速度こそ早いが、曲がらないし航続距離は短いしエンジンの交換は頻繁だし迎撃戦以外の何に使うんだ? 普通のレシプロ戦闘機の方が強いじゃないか」という論調がありました。

もっと遡ればジェットタービンエンジンが考案された当初は「燃料だけ喰ってこれ何に使えるの?」と言われていました、

レールガンも同じです。

現状の技術で使えないからと言って将来に渡ってそれが続くとは限りません。

その時に備えて今から研究開発を進めておくのは重要だと思います。

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戦艦とは同じ主砲を搭載した相手と互いに殴り合っても耐える装甲を持つものを戦艦と呼びます。なまらすごい主砲を搭載しても同等の主砲をもった相手から殴られると簡単に沈むのは戦艦とは言いません。

[画像] 戦艦は簡単には沈みません

つまり、160cm砲を持つ戦艦ということは、相手の160cm砲の直撃を受けても耐えられる装甲を持つ船、ということになります。

…ムリポ _(:3 」∠)_

ちなみに大和型戦艦の主砲「45口径46cm3連装砲塔」の重量は1基2500tと言われており、同時代の駆逐艦よりも重い物となってます。

戦艦「大和」の3連装砲塔は「駆逐艦1隻」より重い!この巨大砲塔を動かす意外な力とは | 乗りものニュース

80cm砲は第二次世界大戦の列車砲として実現していましたが、戦術兵器というよりも今で言うICBMのような戦略兵器として使われました。それでも砲操作に1400人、支援作業で4000人という人員が必要だったこともあり、運用コストが掛かりすぎて実用的ではないということで廃れてしまいます。

[画像] 80cm列車砲。80cmでこれである。ただし重量は大和の主砲の半分程度なので、如何に大和の主砲がすごかったかという話でもある

…じゃあ巨大砲を搭載した軍艦は無いのかといわれると、やはりというかなんというか、あるんですよね、みんな大好き英国面が産み出した巨砲艦、それが軽巡洋艦フューリアスです。

ええ、軽巡洋艦ですよ。でもそれに45cm砲を積んじゃったんです (テヘ

[画像] 真ん中に見えるなんか物騒な大砲が45cm砲。前後2基搭載されているが、流石に作ったものの使い道が無く、後に航空母艦へ改造されることになる

戦車レベルではとても載りません。

長門型戦艦と同じ41cmでより短砲身(長門型45口径≒18m、こっちは32.8口径=13.445m)ですが列車砲として完成したものがあります。

試製四十一糎榴弾砲 - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 名称 試製四十一糎榴弾砲 砲列砲車重量 318,000kg 口径 410mm 砲身 長 13.445m 初速 580m/s 最大射程 20,000m 高低射界 -5°~+75° 方向射角 360° 使用弾種 破甲榴弾 試製 曳火 榴弾 試製 被帽 徹甲弾 試製二式榴弾 試製二式破甲榴弾 使用勢力 大日本帝国陸軍 総生産数 1門 試製四十一糎榴弾砲 (しせいよんじゅういちせんちりゅうだんほう)は、 1920年代 に 大日本帝国陸軍 が開発した 榴弾砲 ( 要塞砲 )。略称・略字は 四十榴 ( 40H )、または 四十一榴 ( 41H ) [1] 。 本砲は 口径 41cm、 砲身 長13.445m( 口径長 32.8)、 砲身 重量80,000kg(80 t )、全備重量318,000kg(318t)、 砲弾 重量1,000kg(1t)と、帝国陸軍の火砲では最大の口径・重量・威力を誇った。また口径のみを 海軍 戦艦 の 主砲 と比べても、十数年後に 四十六糎砲塔加農を装備する大和型戦艦 が登場するまでは、同時代の 長門型戦艦の四十一糎砲塔加農 とともに 日本軍 では最大クラスの火砲であった。 製造後は、その大きさと運用コストの高さなどから長らく日本 内地 で保管されていたものの、 太平洋戦争 ( 大東亜戦争 )開戦時前後に要塞砲として 満州 に送られ、 第二次世界大戦 最後の激戦地である 虎頭要塞の戦い で使用され、大威力を発揮し活躍した。 1920年代初頭、陸軍は 要塞 整備計画の一環として大口径41cmの要塞砲( 海岸砲 )開発を計画した。しかしながらその41cm砲は 七年式三十糎長榴弾砲 と比較して、砲身長約2倍・砲身重量約4倍・全備重量約3倍の巨砲であったため、重砲の製造を担当している 大阪砲兵工廠 火砲製造所は本砲製造のために新たに工場を新設し各製造準備を整えた。 日本製鋼所 に注文済みであった 砲身 ・ 被筒 ・他素材等が入荷し、これら部品の製造を経て、電気操縦装置などの諸機能試験や所要改修を終えた 試製四十一糎榴弾砲 が完成したのは 1926年 (大正15年)8月であった。試射場所は 千葉県 富津市 の 陸軍技術本部 富津射場 が予定され、砲は分解され 鉄道 輸送されたが、その大きさや重量から富津での荷下ろしと組み立てには 東京湾要塞 建築に用いられた大型走行 起重機 が転用された。 正式の試射前日には予備試験が行われ、重量約1,000kgの砲弾( 弾丸 )と約100kgの 装薬 を装填、電気発火により第1弾を初射撃しこれに成功。装薬を増した第2弾で 腔圧 を測定し常装薬量を決定したが、2,500kgを安全極限とする腔圧が3,000kgを超えていたために第3弾発射後に階段断隔螺式の 閉鎖機 が砲身に固着する事故が発生した。しかし総員が総がかりで閉鎖機を回しこれを開放することに成功し、また砲腔にも異常はなかったために徹夜の補修作業により機能を復旧。正式試射当日は予定通り11発を射撃、 陸軍大臣 や 皇族 軍人を筆頭とする見学者数百名にその大威力を見せ付けた。 竣工試験を終えた試製四十一糎榴弾砲であったが、 軍縮 により余剰となった海軍戦艦の艦砲( 砲塔 加農 )を陸軍の海岸砲( 砲塔四五口径四十糎加農 、口径41cm)に転用することになったため、運用コストの高い本砲の開発は一時中止状態となり未改修のまま富津射場に保管された。しかし 1935年 (昭和10年)、 陸軍重砲兵学校 より本砲の操砲研究・実用射撃実施の要望が挙がり、 塞環 を新調、 駐退復座機 ・電動装置などに補修を施し実用試験が行われた結果、「大威力 奇襲 兵器 」としての高性能と価値が認められた。 『試製四十一糎榴弾砲取扱上ノ参考』において「 三、本砲ノ各部品ハ相当ノ重量物ナルヲ以テ分解結合ニ際シテハ (中略) 注意スベシ 」と明記されているように [2] 、本砲はその重量や大きさゆえに操砲・装填のための電機操縦装置を完備していた。 ソビエト連邦 ( 労農赤軍 )は、 1931年 (昭和6年)に勃発した 満州事変 の頃から 極東 における帝国陸軍の動向を警戒しており、翌年以降は満ソ国境に トーチカ 陣地を構築するなど国境線強化に励んでいた。 満州 防衛を担う 関東軍 もこれに呼応し、国境各地に永久陣地を構築、各種要塞砲と 国境守備隊 を配備していた。日本軍の防御陣地の中でも、 ウスリー河 対岸のソ連領イマン(現・ ダリネレチェンスク )を見渡せる高地を抱え、長大な満ソ国境において唯一 シベリア鉄道 を視認できる 戦略 拠点であった 虎頭要塞 は重要視されており、七年式三十糎長榴弾砲2門を筆頭に要塞砲が増強されていたが、この虎頭要塞の砲兵隊の攻撃能力を危惧したソ連軍は、ウスリー河対岸のシベリア鉄道イマン鉄橋を国境より15km迂回して架橋しなおした( イマン迂回鉄橋 )。旧新と二重に建設された 鉄橋 のうち、古い手前側の鉄橋は、七年式三十糎長榴弾砲の射程圏内であったが、新設の後方側鉄橋は射程限界線まで後退してしまった。それに対抗するために転用されたのが長射程・大威力の試製四十一糎榴弾砲である。また同時に、日本軍火砲では最大の射程50,120m(50.12km)を誇る日本唯一の 列車砲 である 九〇式二十四糎列車加農 の配備も決定している。 1942年 (昭和17年)春までの備砲完了を目処に、 1941年 (昭和16年)11月から約1ヶ月間にわたり富津射撃場にて実弾射撃を含む 砲手 ら選抜操砲要員の訓練が実施された。その後に本砲は分解され20数両の 貨車 に分載、 神戸港 で九四式列車加農とともに「辰福丸」に積載され、 大連港 に輸送されて陸揚げ、同年12月に ハルビン に到着。 香坊 の 鉄道第3連隊 で必要な組み立てを終え虎頭に鉄道輸送され、搬入は秘匿のため夜間に行われた。砲床の構築を経て1942年3月に備砲を開始し、5月までに設置を完了した。その後に本砲の掩体として2箇所の砲門を有する 鉄筋コンクリート 製の ドーム (厚さ2mから7m)状の 掩体壕 を建造し、壕に 擬装 を行い四十一榴の陣地は完成した。 1944年 (昭和19年)、南方戦線の戦況悪化により関東軍から 南方軍 へ戦力を抽出する転用が激増した。虎頭要塞の国境守備隊も改編され、砲兵隊は 中隊 数が激減し、 九一式十糎榴弾砲 や 四一式山砲 などの軽砲が引き抜かれたものの、試製四十一糎榴弾砲・九〇式二十四糎列車加農・七年式三十糎長榴弾砲・ 四五式二十四糎榴弾砲 ・ 九六式十五糎加農 ・ 四五式十五糎加濃 などの重砲はそのままであった。 1945年 (昭和20年)8月8日、 ソ連は対日宣戦布告 し9日0時をもってソ連軍は満州に侵攻( ソ連対日参戦 )、国境の虎頭要塞でも砲兵隊 指揮官 (守備隊長代理)・ 大木正 陸軍大尉 の指揮のもと第15国境守備隊総員約1,400人は防衛戦を展開した。9日12時過ぎに試製四十一糎榴弾砲は配備以来3年3ヶ月の沈黙を破り射撃を開始、13時丁度に放った第11発目が

これの重量は318tです。

現代戦車が重たい部類のM1A2でさえ69tなんでお話になりません。

ドイツが計画していた陸上巡洋艦のラーテが54.5口径28.3cm連装砲装備で1000tの見積でした。

それよりデカい80cm砲を単装で装備するP1500が名前通り1500tの見積なんで大和型の46cm砲を単装で装備するとしても装甲抜きでだいたい重量は800t~1000tは必要になるでしょう。

ラーテ - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ラーテ ( 独 :Ratte)は、 第二次世界大戦 中に ドイツ で設計、計画された超巨大 戦車 、Landkreuzer P1000(ランドクルーザーP1000、陸上巡洋艦 P1000)に与えられた秘匿名称である。 より ドイツ語 の発音に近いカタカナ表記では ラッテ となる。ラッテとは、ドイツ語で ハツカネズミ属 よりも大型の 鼠 である クマネズミ属 のもの、主に ドブネズミ および クマネズミ を意味する [1] [2] 。 ドイツ が開発・製造した 超重戦車 としては、重量188tの マウス や140tの E-100 が知られているが、ラッテの 規模 はこれらの超重戦車をはるかに凌ぐ、重量約1,000トン、全長35m、全幅14m、高さ11mという桁違いのもので、「陸上 戦艦 」の異名を持ち、 シャルンホルスト級戦艦 の 主砲塔 である28cm 3連装砲から中砲を省いた [3] 連装砲塔を搭載する予定であった。 装甲 性能は、主砲塔転用予定のシャルンホルスト級戦艦に準じていると考えられ、砲塔および車体上面装甲は最低でも180mmに達し、側面および正面装甲も同様に350mm以上を想定していたとされ、 エレファント重駆逐戦車 を超える装甲を持つラーテに対しては、重砲の直接照準 射撃 や 航空攻撃 などの通常攻撃手段による無力化は事実上不可能である、とされていた。 このように誇大妄想的な 兵器 が計画された要因として、 ドイツ陸軍 は実際に 80cm列車砲 「ドーラ」という 口径 80センチの巨大 列車砲 を実用化しており、技術的にも実用面からも充分に可能である、と考えられていたことが挙げられる。 80cm列車砲には、 軌道 上を移動する列車砲ではなく陸上を移動できる「 自走砲 」化の計画があり、ラッテはこの延長線上で計画されたものであろうと考えられている。ドイツでは、本車を更に凌ぐ重量1500t級の超巨大戦車、"Landkreuzer P1500 Monster"(陸上 巡洋艦 P1500 モンスター )すら構想されていた。 重量50トン程度の 重戦車 ですらその自重のために 橋 が渡れないことを想定して シュノーケル 装備による潜水渡河を考慮している。50トンをはるかに超える車重を持つ本車の場合、軟弱地盤にはまって行動不能になることや、機械故障や 戦闘 損傷で走行不能になった際の回収作業が困難になることは明白であり、1000トン・1500トン級の超巨大戦車が完成したとしても、 道路 や橋がその重量を支えられるはずもなく、故障・損傷時の対処は事実上不可能になっただろうと推察される。 ティーガーI 重戦車の実戦での運用結果から、上記のような問題が現実の事項として認識されるようになり、軍需大臣 アルベルト・シュペーア により 1944年 にはラッテはP1500と共に計画中止とされ、構想のみに終わった。 スペック [ 編集 ] ※計画値 全長=39.00m(※ 砲身 先端まで) 全幅=14.00m 全高=11.00m 重量=1,000トン 装甲=360-150mm 武装 機関=8x ダイムラー・ベンツ MB501 20気筒 船舶 用 ディーゼル もしくは2x MAN V12Z32/44 24気筒船舶用ディーゼル 機関出力=16,000 or 17,000 hp (13,000 kW) 速度=40km/h 航続距離=約120キロメートル (75 mi) 乗員=20名以上、最大で40名程度 登場作品 [ 編集 ] アニメ・漫画 [ 編集 ] 『 ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN 』 TVアニメ第3期「ROAD to BERLIN」11話で、決戦兵器として赤く塗装されたものが「陸上巡洋艦ラーテ」の名称で登場。ジェラルド・S・パットン大将と宮藤芳佳が搭乗し、主砲で壁型ネウロイを次々に破壊した。 『 パンプキン・シザーズ 』 「蠍の王冠(イクリル・アル・アクラヴ)」のモデルとして登場。動力としてガスタービンエンジン4基、補助ディーゼルエンジンを使用する。 着弾観測用の気球を後部に二つ搭載する。 ゲーム [ 編集 ] 『 アースライト ルナ・ストライク 』 ラッテおよび モンスター を示唆すると思われる「かつて一人の独裁者が夢想した、陸上を自在に移動する戦艦」を現実のものとしたとされる兵器『タナトス級移動要塞』が敵ユニットとして登場。 『 スナイパーエリート3 』 キャンペーンモードに登場。最終目的がこれの破壊となる。 『 トータル・タンク・シミュレーター 』 ドイツの機密兵器超重戦車RATTEとして登場。非常に巨大でゲーム内で最大級の T-42 、 TOG2 、 FCM F1 、 マウス 、 E-100 をも圧倒する。 武装は砲塔に主砲x2とクーゲルブリッツに似た対空砲塔二機、車体後部デッキに同じ対空砲塔二機とマウスに似た砲塔が二機の計12(主砲x2、副砲x2、対空砲x8)。搭乗員はゲーム内最多で耐久力(体力1000、装甲10000)、コストも3200で戦車では最大となっている。 『 バトルフィールド1942 』 MOD 『 Forgotten Hope Secret Weapon 』にドイツ軍兵器として登場。非常に巨大かつ強固であり一部の大口径砲を除くと歩兵が侵入し内部から破壊する必要がある。 ^ 英語 の「ラット」(Rat)に当たり、主に実験動物として飼育される ドブネズミの飼育変種 (和名では「ダイコクネズミ」とも呼ばれる)を指す ^ このようにドイツ軍は超重戦車を「ネズミ」に喩え、 小型の無人無線操縦戦車 に聖書神話の巨人の「 ゴリアテ 」の名を与えていた。これは、実際とは逆のイメージを与える単語を選ぶことにより、実際の存在を秘匿することが目的であったとされる ^ 中砲を省いたのは重量軽減の意図があったためと言われている 関連項目 [ 編集 ] 外部リンク [ 編集 ]
P1500 モンスター - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Landkreuzer P 1500 Monster 種類 重戦車 原開発国 ナチス・ドイツ 諸元 重量 1500トン 全長 42メートル (138 ft) 全幅 18メートル (59 ft) 全高 7メートル (23 ft) 要員数 100+ 装甲 250ミリメートル (9.8 in) (hull front) 主兵装 1x 800 mm K (E) 副兵装 2x 15 cm sFH 18 MG 151 機関砲 エンジン MAN M9v 40/46 Uボート用機関 4基 行動距離 不明 速度 15 km/h (9.3 mph) テンプレートを表示 ラントクロイツァー P1500 モンスター ( 独 :Landkreuzer P1500 Monster 、ランドクルーザーP1500モンスター)は、 第二次大戦 中に ドイツ で計画された、 超重戦車 である。 このP1500 モンスターは、 ナチス・ドイツ が 第二次世界大戦 中に構想した超重戦車で、ナチスドイツの極端な戦車設計の最終点に位置する。計画上の巨大戦車としては重量1000 t の ラーテ が知られるが、モンスターはそれを更に上回っており、重量約1,500トン、全長42m、全幅18m、高さ7mである。搭載される大砲は ドーラ の80cm砲であり、その大きさから砲を旋回させることは出来ず、自走砲として固定搭載を予定したとされる。鈍重かつ大サイズのため、走行可能な場所が制限されるだけでなく、他の戦車の生産力に影響を及ぼすことなどから構想で終わった。 1942年6月23日、ドイツ軍需省は自重1,000t級の戦車としてラントクロイツァー P. 1000 ラーテを提案した。ラントクロイツァーは直訳すれば陸上巡洋艦である。 アドルフ・ヒトラー はこの提案に関心を示し、開発を指示した。同年12月、 クルップ 社はより巨大な1,500t級の戦車を設計した。これが P 1500 モンスターである。 1943年、軍需大臣 アルベルト・シュペーア は、P 1000 および P 1500 双方の開発計画をキャンセルした。 この「陸上巡洋艦」は、クルップ社の製作した口径800mmの シュベーラー・グスタフ 砲を搭載するための自走プラットホームとして設計された。シュベーラー・グスタフ砲は、第二次大戦の実戦で発砲されたものとしては最大の砲熕兵装である。この砲は強固に防御された目標を攻撃するために設計され、射出する7tの弾頭は最大射程が37kmに達した。 重グスタフ用の口径800mm砲弾。隣はロシアの戦車 T-34 モンスターの全長は42mと想定され、全重は1,500t、250mmの車体前面装甲を持ち、MAN社製の4基のUボート(潜水艦)用ディーゼルエンジンを装備し、搭乗員は100名以上を必要とした。 主兵装は800mm ドーラ/シュベーラー グスタフ K (E) 列車砲である。副兵装として2基の 15cm sFH 18 重榴弾砲、および口径15mmの MG 151 機関砲 多数を装備した。 設計案では、旋回砲塔や搭乗員を保護する密閉構造は設けられず、戦車よりも自走砲に似ていた。運用方法は原型となった80cm列車砲や60cm自走臼砲カールと同様だった。つまりこの戦車は直射による砲撃で敵と交戦することは想定しておらず、砲弾を後方から戦場へ投射した。 問題点 [ 編集 ] より規模の小さい全重188tの 超重戦車マウス の開発で、この種の巨大車輛が抱える問題が明確となった。例えば、これらの戦車が道路を破壊すること、橋梁を通過できないこと、道路または鉄道による戦略的な輸送が難しいことである。車輛が巨大化するほど問題の克服はより困難なものとなった。 マウスの開発過程ではその自走方法の問題も明らかになり、試作車輛は目標とされた速度条件を満たせなかった。これはP 1500のようなさらに巨大な戦車はより鈍重になることを意味した。また、巨大な図体のために連合軍航空機の格好の標的となることも予想された。 関連項目 [ 編集 ] 外部リンク [ 編集 ]

普通に考えてデカすぎ、重すぎでまともに動けないものになるでしょう。

足回りが現代の技術で何とかなってもインフラの方が耐えられませんので半固定砲になるでしょう。

それでできるのはせいぜい42km圏内への射撃のみです。

それくらいの距離なら155mmりゅう弾砲のRAP(ロケットアシスト弾)でも達成できます。

ミサイルや航空戦力の発達した現代ではただのゴミでしょうね。

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回答リクエストが積み上がったので、調べてみました。

まず、砲撃に必要なのは、方位、距離、標的の速度ベクトル、風等による誤差の修正のデータ、そして最後に着弾点をみての誤差修正です。でも、同じデータ、同じ環境で射撃しても、細かい誤差は射撃の度に変動しますので着弾位置はバラツキます。(着弾散布界という) 結局は、このバラツキの範囲内に敵を入れて、あとは雨あられと砲弾を降らして当たるのを待つことになります。

なので、試射を繰り返し、今の試射の着弾位置と、一つ前の着弾位置が標的を挟み込む状態になるように修正します。(挟夾:きょうさ という)そうなったら、本射の開始です。したがって、御質問にもあるように、挟夾したかどうかの着弾観測は必須です。

(ただし、現代では誘導砲弾なる高価な砲弾もあり、それはまた別の話になります。後述)

そして、古式ゆかしい第二次世界大戦の戦艦では、基本は光学観測だそうです。ただし、後半には徐々にレーダの性能が上がってきて事情が変化したそうです。また、観測機を飛ばしても撃墜の恐れがないときには、着弾観測のために航空機を飛ばすということも有効です。

なので、観測や射撃諸元を指示する射撃指揮所を戦艦のなるべく高いところに作るそうです。下の方に作ると地球の丸みのせいで遠くまで見渡せない、砲撃の煙で視界が悪い、波は被る、はで散々だからです。

●さて、方位を求めるためには、艦の左右方向の傾き、前後方向の傾きをキャンセルする必要があります。これはそれぞれ別の要員が行います。(リアルタイムに艦が揺れるので。)そうやってなんとか水平を確保された方位計を使い、観測員が自艦から見た標的の方位を測ります。

●距離の測定は、別のチームが測距儀という双眼鏡のお化けで行います。お化けと書いたのは、左右のレンズ間の距離が5−15mあるからです。細かい光学系の違いはありますが、基本的には三角測量です。この距離データに可能であれば、レーダーの反射時間から割り出した距離データも加味されます。(当時のレーダーは距離の誤差は少ないが、方位のデータは誤差が大きくレーダーだけで射撃すると制度が下がったそうです)なお、測距儀が距離の自乗比で誤差が増えるので、交戦距離がかなり開くとレーダ測距が相対的に有利になったようです。(方位が甘いとレーダだけでは、結局は当たりませんが。)

●そして、標的の速度ベクトルです。よくある交戦距離では発砲から着弾まで数十秒から1分かかり、その間に艦の大きさの数倍移動してても文句は言えないので,未来位置の割り出しは必須です。

まず、標的の艦種を見極めます。すると、その型の資料で調べ、全長を割り出します。次に、距離のデータを元に、その艦が真横を向いていたら、どれくらいの大きさに見えるはずかという値と、実際に見えている大きさを比べます。一致していたら真横、短ければ、真横から傾いている角度を割り出します。また、移動速度は標的艦の大きさを定規代わりにして計算します。

●これに、風速のデータ、地球の自転によるコリオリの力、湿度、気圧、砲弾の初速や空気抵抗(砲弾の種類、装薬の種類に依存)を加味して、主砲の方位や仰角の値に計算し直して射撃となります。

交戦距離30kmくらいまでは光学的観測による砲撃戦の記録は普通にあります。が、煙幕による妨害を、着弾による火災と勘違いしたりして、色々と困難はあったようです。

●それで、レーダによる着弾観測ですが、15–30 kmであれば、第二次世界大戦中の米国のレーダーに水柱がうつったそうです。ただ、距離が開くとぼやけてきて挟夾したかどうかが微妙になってくるそうですが、その辺はレーダーの型や水柱の大きさにもよるので、詳しいことは分かりませんでした。

そのうち、レーダによる方位観測の精度も上がってきて、レーダだけでも、そこそこの射撃ができるようになったらしいのですが、いつどの海戦からかは特定できませんでした。

標的艦が近づいてくるか遠ざかる速度はレーダーのドップラー効果でも割り出します。

○そして、現代では、指向性の高いレーダービームを標的に照射し続けることにより、より正確な測定が可能であり、射撃管制システムが全てを計算してくれますので、速度も命中精度も飛躍的に向上しているようです。

現在のミサイル駆逐艦についてる主砲は対空射撃にも使えるものですが、対水上戦闘も一応は視野にいれており、オート・メラーラ 76 mm 砲スーパーラピッドでは、射程16kmの通常弾の他、射程40kmのGPS・赤外線誘導の砲弾も開発中だそうです。そうなると、着弾観測や修正の概念が変わるかと思います。

ただ、そんな先進システムが普及するかどうかは、やはり一発あたりの価格次第でしょうか?(ズムウォルトの主砲のLRLAP弾は高すぎてキャンセルになったそうです。)

ミサイル全盛の現代ですが、艦砲射撃の現代史をしらべると面白そうですね。

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「何でも良い」ということで

現代の主力戦車に使われる55​口径120mm滑腔砲Rh120-L55

2000m鋼板貫徹力700mm

史上一番防御力が高いであろう「大和」

垂直382mm、水平146mm

ばっちり打ち抜けます。

あとは2kmまで戦艦が近づいてくれるかどうかですね。

そもそも座礁をおそれて岸壁になぞ近づかない気がしますが。

停泊中とかならいけます。


因みに逆は実績があります。

艦砲どころか駆逐艦の爆雷でドイツ戦車)パンターはズタズタにされました。

装甲は無事でも、ふっ飛ばされる衝撃だけで乗員も、エンジンも耐えられません。

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国同士が戦うという事は、最終的には敵国の中枢部まで攻め込んで行って、首都を包囲したり、最悪の場合は軍司令部および政府関係者の拘束という事になる事が多いです。

この時、航空戦力だけでは敵国の軍部および政府要人を拘束できません。航空戦力は基本的に防御力が低いので、簡単に撃墜されてしまいますし、地上に降りた瞬間に攻撃力がゼロになるからです。ですから、敵国を陥落させるには、最終的にどうしても地上戦力も必要になってきます。この際、歩兵を乗せたトラックだけで行ったとしても、当然ながら敵の残存兵力によって被害を受けてしまいます。その為、「重武装の車両」=すなわち「戦車」が弾除けになりながら、敵の首都を目指す事になります。

写真は湾岸戦争時にイラクのバグダッド入りをする国連軍(アメリカ軍)のM1A1戦車。この直後、戦争は終結した。

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徒歩歩兵を主力とした軽歩兵師団は、特殊な地形に依る以外、戦車を主力とした機甲師団に対抗する術がありません。従って、戦車が消える事はありません。

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(´・ω・`)っという感じはするのですが

apfsdsが装甲を貫通する能力はRHA鋼という均質圧延装甲をどれくらい貫くかで測られており、

そのRHA装甲は大和などで使用されていたMNC装甲とほぼ同時期に作られているので、

特にこれといった話を聞かない事から

ここでは両者の性能はほぼ同じと考えます

APFSDSだけで言うと貫通力はウィキペディアでは(500〜1000mm)とあり、大和の主砲の装甲では

(垂直装甲が410mm、水平装甲が230mmらしい)

素人目に見る限り貫通それ自体は条件によっては可能かと

ただし

戦艦にダメージを与えるには恐らく砲塔内部の弾薬を誘爆させる必要があり、砲塔とかの真横を貫いても下にある弾薬庫は無事でしょうし

APFSDSは例え戦車の内部に侵入したとしてもそれほど殺傷力は無いと色々な所で聞きます

なので

英国面

米国面

の異常暴走で開h、、、いや爆誕されたロマン砲でも無い限りまともに艦隊戦をやっていけそうな気はしないのが正直なところです(笑)

あとひとつ

大和も武蔵も「魚雷」で沈んでいます

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ビスマルク型戦艦は、第一次世界大戦時に建造されたバイエルン型戦艦の装甲配置等を流用して工期の短縮を行いました。その結果、本艦は英米日のポスト・ジュトランド戦艦とは真逆の、近距離砲撃戦に強い艦となりました。

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海と空の色は単調なので、陸地のような縞模様の迷彩など施した日にはむしろ目立って狙われてしまいます。なので派手な迷彩はなかなかないですね。

一応グレーの塗装も迷彩の一種で、曇りまたは夜間の海・空に隠れるには効果的な色だとされています。戦闘機、特に低空を飛ばない制空戦闘機にグレーの塗装が多いのもそのためですね。

水上艦の迷彩を1つあげるとすれば、ダズル迷彩という大変面白い迷彩があります。

ミサイルがない時代の艦隊戦では、敵艦の向いている方向を把握するのが基本でした。なぜなら、大砲は着弾まで時間差があって、敵に当てるためには敵の進んでいる方向へ狙いをずらしてやらないといけないからです。見えている敵にそのまま撃つと弾が届く頃には敵はそこを離れてしまっているわけです。

それを利用し、艦に複雑な幾何学模様を描いて遠目ではどちらを向いているかわからないようにしたのがダズル迷彩です。

また、これが使われたのは主に第一次世界大戦期でしたが、この時期の照準操作は2つの目のピント合わせの理屈でなされていました。つまり、2つ並んだレンズの互いの角度を調節して、両方に映っている映像がぴったり一致するような角度が分かれば、三角測量により敵との距離がわかるわけです。ダズル迷彩はこの照準操作すら惑わせ、敵からすると艦の形も進路も距離もわからないという状況に陥ったわけです。

しかし第二次世界大戦が始まり、レーダーが普及して目視に頼った戦闘がなくなると次第にこれらは姿を消していきました。

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逆に考えて、戦艦がなぜあそこまでの重防御をしていたのかと言うと、大口径の主砲と言う攻撃システムの特性に理由があります。

・攻撃に時間がかかる

戦艦の主砲はとてつもないサイズの砲弾を船の上から発射するのですが、砲弾と発射の反動がとにかくでかすぎるので搭載できる砲の数に限りがあり、装填にも手間がかかり、精度を出すためには船体の揺れに対して水平になるタイミングを見計らって撃つ必要があるため、下記の命中率の低さを考えると射撃速度はじれったくなるほど遅いです。

・命中率が低い

誘導能力を持たず遠距離になるほど命中確率が下がるので、夜間や霧の中で突然の至近距離会敵でもない限り、上記の射撃速度の遅さと相まって出会い頭に先手必勝とは行きません。そのため、お互いにある程度距離を詰めて撃ち合い、どちらが有効なダメージを与えるか確率論に基づいたチキンレースを行うことになります。

射程距離と速力でよほど上回らない限り、装甲をケチっておいて「当たらなければどうと言うことはない」と、運用で何とかするのは困難ということです。

・高価値すぎる

戦艦と言う存在はまず火力が命であり、その向上を求めれば発射の反動と砲の重量に耐えるため必然的に船体がでかくなる性質があります。最新最強を求めた競争の結果、国家の貴重な資産としてあまりにも重大な存在になりすぎたため、消耗品として割り切った設計思想や使い方が困難になってしまいました。

特に、魚雷や航空機が高性能化して戦艦の脅威になる以前の時代には、外洋で戦艦を撃沈できるのは戦艦だけでしたから、相手の戦艦に好き勝手させない抑止力としての役割もあったので、戦力劣勢な国の戦艦ほど生きて帰ってくるために防御力は疎かにできなかったのです。

・まとめ

これらの理由から、戦艦は撃ち合いで砲塔・機関・弾薬庫を簡単に撃ち抜かれ沈んだり戦闘力を喪失したりしないよう、強固な装甲を備えるのが常識とされていました。

海軍力で最強を誇った時代のイギリスが、主砲は戦艦と同じだが装甲ペラペラの巡洋戦艦と言う艦種を作ったことがありますが、ドイツ巡洋艦相手には狙い通り完封勝利しましたが、ドイツ主力との決戦では爆沈を連発してしまいました。

もし、搭載弾薬をショットガンのごとく短時間にまとめて撃つことが出来て、発射の反動に耐える必要がなく、最大射程で撃っても高確率で命中が期待できるなら、艦体の大きさは重要でなく先手必勝に賭けるのが合理的ですから、程々のサイズの非装甲の艦をいっぱい作って配備するのが最も効率的です。

現代の、VLS(甲板直下に設置する、ミサイルを縦に装填しておいてそのまま撃てる弾薬庫。全弾発射完了するまでの時間が断然短い。)を搭載したミサイル巡洋艦はまさにそのような存在と言えるでしょう。

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防ぎません。耐えます(えー

図体もデカいし進行方向を変えるにも非常に時間がかかります。敵からすれば良い的ですよね。なので、もう耐えるしかないんですね、戦艦って「そういうもの」ですから (゚∀゚) !

水雷防御網を御存じですか~忘れられた装備2~ - 電脳 大本営

水中防御デザインの難しさ

魚雷に対する防御は各国で試行錯誤が繰り返されて結局どれが「結論」というのが出ないまま、艦船の攻撃手段が魚雷からミサイルになりました。もう当たっても耐えるというのが無理ゲーになってしまったため、

こういうことに。おまけに魚雷も誘導や信管の技術も発達したので、船体に直撃させて穴をあけるという当初の攻撃方法よりも、船体の真下で魚雷を爆発させてそこで発生する「バブルパルス」で船体をへし折るというのが主流となっています。

そんなデカい船が直撃もしてないのに、へし折れるだなんて、まさかー…

(  Д ) ゚ ゚

ということで魚雷も対艦ミサイルもあたらったらオシマイ、もう防いでも防ぎきれないので、撃たれる前に相手を撃沈させるって方向になりましたね。

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どころかペラペラです。

コンテナ船に負けたイージス艦フィッツジェラルド


100km以上の彼方から、どんな装甲でも意味がない位な量の炸薬を積んだミサイルが飛んでくる世界です。

「装甲」みたいな重量物を積むよりは、戦争の時に生き残れるように電子機器、兵装、速さを選びました。

無理していろいろ積んでいるので天候にも弱いですが、立ち向かうより気象衛星から天気予報を受けて台風から逃げる方が合理的。

(ダメコンや隔壁、分離型で多重なので見かけほど沈み易くはないのですが、素材が軽い金属で、商船とぶつかって酷い姿に見える)

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命中するのが前提でいいんですね。でしたら、魚雷の方が効果が高いでしょう。

真珠湾攻撃で使用された九一式航空魚雷は重量838kg、炸薬量149.5kgです。これが命中して炸裂した場合、水線下に破孔が開き、浸水します。

真珠湾攻撃で使用された九九式八〇番五号爆弾は炸薬量14.9kgです。これを高度3000mから投下して命中した場合、貫通力は150mm程度であり、コロラド型戦艦の水平装甲(主甲板89mm、下甲板38mm)を貫通し、その下のデッキで炸裂します。甲板に破孔が開き、火災が発生するかもしれませんが、魚雷に比較すれば効果はより小さいものになるでしょう。

ちなみに、通常の攻撃における命中率は、航空魚雷の方が高いです。

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空母ガムビアベイという本があります。それによると、

空母ガムビアベイに対し戦艦大和と戦艦金剛の主砲弾が至近弾として艦の近くで破裂して損傷を与えた記載があります。

戦艦大和が空母ガムビアベイへ主砲の一斉射撃を行ったところ、命中弾はなかったが、至近弾の1発が爆発した衝撃で前部動力室の隔壁を破壊し浸水させた。その関係で速度が17ノットから11ノットへ落ちた。という記載があります。

もしかしたら2つあるスクリューの一つを破壊したかもしれません。

しかしながら、きちんと命中させ、炸裂し、艦の構造物や艦載機へ直接損傷を与えた砲弾を発射したのは重巡利根です。重巡利根が砲撃で空母ガムビアベイの動力室を全て破壊したのが致命傷でした。

戦艦大和ですが、対空射撃で米軍機を複数撃墜している可能性も考えられます。また、主砲が駆逐艦ホエールとサミュエル・B・ロバーツに損害を与えた可能性もあります。

この本は、重巡筑摩、羽黒、の被弾と、鈴谷、鳥海が被弾し沈没する様子が書かれています。鈴谷と鳥海は生存者がおらず、これまで詳しい沈没の様子はわかっていませんでした。

別な書籍によると、戦艦大和の副砲がアメリカ軍の駆逐艦の艦橋と煙突に一発ずつ命中弾を与えたそうです。

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Takashi Junさんの書かれている通り、航空戦力が初めて単独で戦艦を撃沈したのは1940年11月11日にイギリス海軍の航空母艦イラストリアスによって行われたタラント港空襲です。

参加した艦上雷撃機ソードフィッシュは合計21機(第一波は照明弾搭載2機、爆弾搭載4機、魚雷搭載6機。第二波は照明弾搭載2機、爆弾搭載2機、魚雷搭載5機)で、最新式のデュープレックス艦底起爆磁気信管を装備した魚雷を高度9m(真珠湾攻撃さえ20mなのに!)から投下しました。

この空襲で、イタリア海軍の戦艦コンテ・ディ・カブール、戦艦リットリオ(ヴィットリオ・ヴェネト型) 、戦艦カイオ・ドゥイリオの3隻が沈没(タラント港は浅いので大破着底)しました。

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Christopher Proescher

そのほかの戦艦と同じ理由です例えばAlabama:

North Carolina:

そしてMissouriも木製デッキを持っている….

.

.

.

のではありません。実際には鋼のデッキの上に木製の板が敷き詰められているだけです。太陽が当たると鋼鉄は熱を吸収し非常に熱くなります。つまり木は断熱材の役割を果たしています。また湿った鋼は滑りやすく、その意味でも表面は木のほうが良いのです。

回答者:Christopher Proescher, 全米ライフル協会認定の銃器インストラクター

それ、戦後の風潮です。(あれ?これ書いた様な)

大和は秘匿艦だったので、当時の人々にとっては日本の軍艦と言えば長門でした。ところが戦後復興が一段落終わり、自信を徐々に取り戻していく過程で「実は日本には世界が驚く驚異の戦艦を持っていた!!!」という事が周知されていく…

それが大和です。

現日本政府は旧帝國政府と同一線上の政体で、簡単に言えば「親父のやった戦争は正しかったのか?」という疑問がある。これは今の日本にもつながる話なんですが、とにかく現日本は旧帝國時代を総括しきれていない。

だから「昔は実は○○だった」に弱いんです。

その流れのトップバッターと言えるのが大和の存在です。

「実は日本の戦艦大和が世界最強だった」

これですよ、日本人が自尊心の回復を積み上げる役に立つ。

大和の○○はすごかった的な話が日本人の大好物になる。

それにより「俺たちは昔からすごかった」という認識が持てる。

そうする事で、昨日まで乞食みたいな生活をしていた現実の記憶の方が幻想になる。

「なにしろ俺たちのオヤジたちは世界最大の戦艦を作って世界を相手に戦ったんだから!」

というトコロ。

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