2016年11月6日日曜日

カニと伊勢エビの完全養殖に成功!

引用元


エビについて最近見つけた話題


●テナガエビとバクテリアのへんな共生関係
(月刊アニマ 1990年2月号 「ANIMA NEWS」より)

 従来とは少し毛色の変わった共生関係についての論文が発表された。
 その共生関係とは、テナガエビの一種とその体表にすむバクテリアとの関係で、アメリカ・カリフォルニア大学のギルターンズ氏らによって発見されたものである(サイエンス誌第246号)。
 このテナガエビの幼生は水中のカビなどの菌類に大変おかされやすく、死ぬことが多い。だがなかには、この菌類に対して格段に強い抵抗性をもつ幼生もいる。その理由を調べていったところ、秘密の鍵はテナガエビの体表にいるある種のバクテリアが分泌する、菌類の生長を抑制する物質にあることがわかった。
 テナガエビの幼生をペニシリンの液で洗って、体表のバクテリアを殺した後に菌類を感染させると、ほとんどの幼生は死んでしまった。しかし、ペニシリン処理後、ふたたびバクテリアを接種したり、バクテリアの分泌する物質(イサチン)を与えた幼生に菌を感染させても、幼生は死なないことが実験によって証明された。
 テナガエビの幼生はバクテリアに守られていることで水中生活への適応を高めているわけだが、このイサチンという物質は人間やネズミの体内組織からも発見されている。人間のイサチンと抗菌性との関連ははっきりしていないが、なかなか興味深い事実である。


●エビかコメか
(NHKスペシャル「21世紀「食料」を考える;アジアのコメが消えていく」より)

 インドネシアはかつて、100%コメの自給を目指して1度は達成しました。しかし、その後アジアの他の国々と同じように近代化・工業化をはかろうということで産業を大きく転換しました。そして現在は世界一のコメの輸入国になってしまっています。いったい、インドネシアに何がおきたのでしょうか?

 インドネシアの稲作地帯の一つ、ジャワ島中部のクンダル県では、田んぼの緑が途中で途切れ、水浸しになっているように見えます。
これらはすべてエビの養殖場です。この10年、田んぼはつぶされ、次々とエビの養殖場に変わっています。その面積は全国で22,000ヘクタールにも及びます。
 田んぼを買い取り養殖場に変えていったのは、主に日本の資金や技術の援助を受けた企業です。土地を売った農民たちはそこで働くようになりました。いわば、エビ小作です。
 最近では、農民たちが自ら田んぼを養殖場に転換するケースが増えています。企業側も田んぼを買う必要がないのでリスクが少なくなり、こうした農民の動きを歓迎しています。
 このエビのほとんどは日本に輸出されます。インドネシアは日本向けのエビの最大の輸出国なのです。

 この農家も6年前からエビ養殖を始めました。
農民「エビの方がもうかります」
聞き手「どのくらい違いますか」
農民「コメにくらべて5倍くらいの収入があります」

 1985年ローマの国際会議でスハルト大統領はコメの完全自給を達成したと高らかに宣言しました。
スハルト大統領「我が国は、数年前まで世界有数のコメ輸入国でした。しかし、私達はついに、完全自給を達成したのです。」

 食料の自給を達成したインドネシア政府は、より豊かな国家の建設を目指して工業化へと舵をきりはじめていました。
 インドネシアの国内総生産における工業と農業の割合は、1990年には工業の生産高が農業を逆転しています。政府は農業の保護政策を維持しながらも、海外資本を積極的に導入し工業化を推し進めていったのです。
 外国企業が続々と進出したジャカルタなどの大都市周辺では、田んぼは次々に工場用地に変わっていきました。
 田んぼを手放した農民や農業の機械化によって農村での仕事を失った人々が工場で働くようになりました。
 1998年アジア経済危機がインドネシアにも波及し、通貨ルピアが暴落、国家財政は逼迫し、農業保護と工業化を両立させようという政策の歯車は大きく狂いました。
 さらにこの年、異常気象による大凶作に見舞われました。コメ価格は暴騰、市場から一時的にコメが姿を消しました。政府はコメの大量輸入を余儀なくされ、財政は完全に破綻したのです。
 
 政府のコメ備蓄倉庫は在庫がほとんど無く空っぽの状態が続いています。
 政府は工業化を進めてきた一方で、いわゆる食管制度だけは堅く守ってきました。きめられた価格でコメを買い上げ、農家を保護するとともに、市場の供給量をみながら在庫を放出し、コメ価格の安定をはかってきたのです。
 
 政府のコメの調達量は、100%自給できない年は政府が独占して買い付ける輸入米で補ってきました。
 しかし、1998年大凶作で実に600万トンという大量の輸入米の買い付けを余儀なくされます。財政は破綻し、国の根幹である食管制度を放棄せざるをえなくなったのです。
 政府は農家に対する補助金を減らすなど保護政策を大幅に縮小しました。さらに、独占してきたコメの輸入も民間にゆだね、完全輸入自由化に踏み切りました。

政策計画局部長「市場価格が安いときでも政府は高く買い取らなくてはなりませんでした。豊作のときには200~500万トンも買わねばならず、大きな財政負担でした。備蓄や流通にも金がかかる。だから今後は民間にまかせるべきだと考えました。」

 水田からエビ養殖場への転換が進む、ジャワ島中部のクンダル県。コメ農家のマックムリさんも3年前にエビの養殖を始めました。養殖場は田んぼに海水を引き込んで作られました。
 マックムリさんは父親から譲り受けた1.5ヘクタールの田んぼで、年に2回コメを作っています。しかし、国から買い上げてもらえなくなり、コメによる安定した収入が保証されなくなりました。
 エビの養殖は順調にいけば、多額の収入が得られます。しかし、稚エビの代金や、エサ代、薬代などコメ作りよりはるかに多くの費用がかかります。また、病気の発生などでエビの収量が大きく落ち込む恐れもあります。それでもエビにたよらざるをえないのです。

 マックムリさんの住むレンコン村。80世帯が暮らしています。
 かつてはどの家もコメ作りだけで十分食べていくことができました。しかし、この村でもエビ養殖に転換する人や農業を離れる人が相次いでいます。

 3ヶ月前マックムリさんに初孫が生まれました。マックムリ家は16人、村一番の大家族です。
 マックムリさんの米による収入は、年間1200万ルピア、日本円でおよそ15万円です。3年前の6割にまで落ち込んでいます。国による米の買い上げが無くなった上、経済危機でルピアの価値が下がり、輸入にたよっている肥料や農薬の値段が2倍~3倍に跳ね上がったのです。
 マックムリさんが今回収穫した米はおよそ4トン。その米をまだ売らずに残しています。全国的に豊作で市場に米があふれているため、今売りに出しても安く買い叩かれてしまうのです。

マックムリさん「今は値段が下がっているので上がるのを待っています。今の値段で売ったら、次のコメ作りの資金が足りない。赤字です。しかし、2ヶ月も値段がこのままなら売ってしまうしかありません。」

 1000万人のジャカルタ市民の食を賄う、インドネシア最大のコメ市場には、ジャワ島各地の農家から買い取られた米が集められ、業者によって取引されます。
 業者はそれぞれ独自に価格を設定して農家から米を買い取ります。3年前の米不足の時、大量の輸入米がこの市場に入ってきました。しかし、豊作の今期は一転して国産米があふれています。
 輸入が自由化されて以降、業者は輸入米でも国産米でもより安いほうを選択し、自由に取引できるようになっているのです。

 マックムリさんと同じ村に暮らすスタルさんは米だけでは生活できなくなり、バイクタクシーで生計を立てています。小作だったスタルさんは6年前貯金をはたいて土地を手に入れました。自分の田んぼで米を作ることが長年の夢でした。まわりには続々とエビの養殖場が作られ、そこから塩水がしみ込んできました。この田んぼを買ってから米を一度も収穫することができません。

聞き手「この田んぼはどうするつもりですか」
スタルさん「放っておくだけです。どうすればいいんだろうね。」

 かつて米の完全自給を達成したインドネシア。それから16年経った今、世界一のコメ輸入国に転じています。水田は次々とエビの養殖場に変わり、今も拡がり続けています。
 

北海シマエビ
(中日新聞2001年6月29日「産地から市場から」より)

 鈍色の海がやや強い風に波立つ。気温は、前日より10度以上下がった。断続的な雨。かすんではいるものの、国後の島影が目の前に大きく横たわっている。その距離、わずか16km。車はここで行き止まり。無人の番屋が散在する海岸には、秋サケ漁に向けて定置網を手入れする漁師たちのほかに人影はない。
 観光バスの到着にはまだ間がある。北海道野付郡別海町尾岱沼(おだいとう)。根室海峡に弧を描くように突き出した日本最大の砂嘴(さし)、野付半鳥の先端へは、ここから徒歩で進むほかない。
 振り返ると、静かな湾が広がる。所々に白い帆を揚げた小舟が見える。これが打瀬舟。美味で知られる北海シマエビの漁だ。漁の光景は、明治時代から変わらない。湾内にはアマモが群生し、エビたちのすみかになっている。「こんな環境は世界的にもまれ。オホーツクの北海シマエビは、みんな野付産です。と言うと、ほかの漁協は嫌がるけどね」。野付漁協参事の戸田博義さんは笑う。
 このエビは、あまりの美味ゆえに乱獲され、昭和五十年代に漁獲量が急減した。生態が本格的に調査されるようになったのはこのころからという。
 漁期は6,7月と10,11月の2回。秋の漁では子持ちエビが捕れる。深紅の卵は天下の美昧で、千したものは雑煮のだしなどとして皇室に献上されていた。子持ちエビの漁を厳しく制限すると、エビの数は回復した。漁獲制限は現在も続いており、8.5cm以下のエビは、捕れてもその場で.放される。
 出漁は午前4時45分。舟は、湾内のポイントに着くと帆を揚げて網を流す。あとは風任せ。収穫は網に入れたまま海中につるし、生かしたまま帰港する。水揚げは午前と午後の2回。競りも生かしたまま行われる。鮮度の落ちが極めて早いからだ。淡泊な刺し身は地元限定の味だ。
 てんぷらも美味。脱皮したてのエビが手に入れば空揚げにして丸ごと食べられる。だが、何といっても最高なのは塩ゆでだ。生だとくすんだような色だが、加熱すると深紅に変わる。仲買人兼飲食店経営者の大隅美保子さんは「加工業者によって塩の種類や加減が違う。やり方は企業秘密」と話す。強めに利かせた塩と肉質の相性がたまらない。「後を引く味」とはこのことだろう。ゆでエビは年問通して地方発送可。(野川真一郎)


商品としてのボタンエビ3種
「水産問屋ドットコム」のホームページより)

 本ボタン:日本、ロシア、朝鮮半島近海で漁獲されるボタン。船上で凍結され、多少のバラつきはあるかもしれないが、その味は折り紙つき。身は太いが、肉はシマっていて超一級のスシダネだ。

 カナダのボタンエビ:英語では、スポット・プラウン(Spot prown)と呼ばれているエビ。アタマの両側に3本の側線があり、胴体部分の第1、6関節び2個づつの白い点がある。カナダボタンエビがスポット海老と呼ばれるゆえんはココにある。
 体色は漁場の深さや環境によって多少の違いはあるが、透き通った美しい赤。
 本ボタンと殆ど同じ品種のボタンエビで、地域的亜種。採れる場所はカナダ西海岸にある、カナダ本土とバンクーバーアイランドに挟まれた海域。
 漁期は5~7月初旬だが、これは、あまり小さいうちに獲ると水産資源的に良くないので、カナダの水産庁がエビの子供の成長を見て決める。
 甘味が強いのが特徴で、ねっとりとした食感とプリッとした食感という、背反する要素を持っている。日本近海で漁獲される北海ボタンエビ…そう、通称本ボタンに勝るとも劣らない美味しさだ。
 商品サイズはXLとかLサイズの表示で1kgあたり、20~33尾…あるいは25~24尾とかハバを持たせてパッキングしてある。商品の中には、1kgあたりに20、25、30、35、40尾と尾数を揃えてパッキングした使いやすい商品もある。

 アルゼンチンのボタンエビ:正確にはアルゼンチン赤海老というんだが、こいつはやや褐色がかった赤色で、中型サイズが中心。グリーンランドやノルウェーなどの北欧産甘エビにやや近い種類だが、それより身がずっと大きく、味もはるかにまろやか。北海道産のボタンエビに味がよく似ているが、アルゼンチン産の方が尾の部分が大きく、その分だけ可食部は多い。
 アルゼンチンのデセアドという南端に近いところで採れる。とにかく物凄くきれいな海でとれ、それを船上で活〆で凍結するから鮮度は抜群。
 スイサンドンヤ・ドット・コムさんは、お寿司屋さんなんかですぐ使えるように“背開き無頭の尾付きムキ”にして、真空パックにした商品とかが揃ってる。 船上で凍結した2kgのパックもの。溶かすだけですぐに使えるんだから、便利な世の中になったモンだよ。このアルゼンチンボタン。価格がカナダボタンや本ボタンに比べると安いのが嬉しい。


 昨年、水槽でふ化したタラバガニが抱卵する「完全養殖」に成功した北海道・根室市水産研究所(橘高二郎所長)が、今度はミナミイセエビの完全養殖に成功した。イセエビ科では世果初の快挙で、ふ化から体長25cmで抱卵できるようになるまでに実に十一年かかった。資源管理や再生産への活用が期待される。十月に横浜市で開かれる日本水産学会で発表する。
 同研究所は、ミナミイセエビ属のうちニュージーランド近海に生息する世界最大のグリーンロツクロブスター(現地名)を13匹飼育し、4月30日、メス6匹のうち5匹の抱卵を確認した。
 これらは橘高所長が勤務した北里大水産学部で1990年にふ化したものの生き残り。イセエビは飼育が難しいが、エサなど甲殻類の専門知識を生かして取り組んだ。
 イセエビはふ化から通常二、三年で抱卵するとされるが、・今回の種類は十一年もかかることが確認された。この種類は大きい個体で50cmを超え、ニュージーランドでは資源枯渇が問題になっている。


 ベトナムのメコン・デルタでは行政指導のもとに、地元の人たちの手によって結合型エビ養殖がおこなわれている。彼らは外部資本に直接たよらずに、農業開発銀行などからお金を借りて、自分の使用権という形で池を作っている。だから、その点において、自立的で持続的な利用を考えることができる。
 ベトナムでは、戦争によって広大な面積のマングローブ林が失われたときから、その重要性を知っていた農民の手によって、マングローブが植林されてきた。しかし、80年代始めより、農民、漁民に地域の人民委員会から一人当たり3~4ha の養殖池のための土地が分与され、その池を利用したエビ養殖が儲かるとわかると、約15年間でベトナムの海岸線の多くをエビ池で埋め尽くしてしまった。過度な開発により、80年代末に入ってエビ養殖の生産が落ちてしまい、マングローブ植林との結合が政府主導で始まった。ベンチェ州では、マングローブ植林とエビ養殖の面積を7対3の割合にする、という条件のもとにエビ養殖池用に政府から土地が貸し出されている。
 ACTMANG(マングローブ植林行動計画)や各分野の専門家は結合型養殖池の水、土壌、生態調査をしており、結合型養殖池の有用性について実験中である。これまでの調査結果によると、池の中にはエビの餌になるような底生生物がなぜか外の水路よりもずっと少なく、エビ池がエビを育ちにくくしているらしい。中の島のマングローブの生態系をいかに外の水路の自然に近づけるかということが、今後の課題であるようだ。
 生産性はマングローブを植林するぶん、エビ池の面積が狭いために、粗放的養殖よりもさらに低い。しかし、結合型養殖はマングローブの植林とエビの養殖を同時にできる持続的な養殖方法であり、将来の新しい養殖形態になりえるかもしれない。


(H.M.さんの2000年3月提出の卒業論文「インドネシアにおけるエコシュリンプ」より)

 1999年に粗放的なエビの養殖について質問のメールがHさんから届き、このホームページでも紹介していた「エコシュリンプ」について返信のメールを出しました。それが縁で、Hさんはその年インドネシアに行き、エコシュリンプの生産者の家にホームステイして調査活動を行い、卒業論文を書き上げました。昨年、それのコピーを送っていただき、読ませていただきました。
 1章:日本のエビ輸入とエビの養殖、2章:インドネシアにおけるエビの養殖、3章:クドゥンプルック村におけるエコシュリンプの生産、4章:エコシュリンプの冷凍加工・輸出・販売、5章:まとめ、からなり、ここでは7節から構成される5章の「まとめ」より「第7節:結論」の部分をこの調査から感じた「エビとそれに係わる日本人」としての素直なご意見として原文のまま紹介します。

第7節 結論

 エビはやはり日本において高級食品のはずである。エビは群れを作らず魚の群れを捕まえるように効率よい漁ができず、また日本近海では資源が極めて少なくなってしまったからである。その証拠に国内産の活クルマエビは1kg 3000~10000円ほどと高い。日本は物価の安いアジアでエビを安い人件費を使って養殖し、冷凍加工し、輸送することで莫大なエネルギー消費されたものを低価格で輸入することに成功した。環境規制が日本よりも緩い、または無い地域で、マングローブを伐採し、汚染物質を海に流し、環境の汚染や悪化を引き起こしてきたにもかかわらず、それに対するコストは払わずにいた。その結果、輸入エビは国産のものより安い。しかし、自然に多大な負担をかけ、多くのエネルギーが消費され、生産されたエビが安いはずはないのである。本当はそれに見合った十分な金額を支払うべきである。例えば、途上国における環境規制を強化し、環境に対するコストを多くすることが考えられる。そうすれば、輸入エビはもっと高くなるはずである。しかし、エビは国際商品であるから、世界的にエビの価格が上がらなければ、値段が高くなった国のエビが売れなくなるだけで、意味がないのである。途上国において環境規制を行なうということは難しいことなのかもしれない。
 エビ資源を枯渇させるトロールなどの乱獲漁業とエビの集約的養殖は持続的な産業とはいえない。それらは資源を独占することにより貧富の差を拡大させるだけでなく、まわりの環境までに被害を与えるからである。まわりの自然環境が健全であれば、粗放的養殖は持続的な利用が可能だが、例えば、すべての養殖池を粗放的養殖方法に切り替えたとしても、問題の根本的解決にはならない。なぜなら世界のエビの生産量の7割以上は天然エビだからである(Shrimp News International 1997: World Shrimp Farming 1997 より)。すると、残された資源を持続的に利用することが最善の道である。漁の制限をし、汚染された海を元に戻す努力をし、失われた漁業資源を回復するためにマングローブの植林することなどが重要である。ベトナムにおいて、エビ養殖とマングローブ植林の結合型養殖が進行中である。
 日本人は世界一、海外の海で獲れたエビを輸入している。現在のエビの消費量は持続的な利用できる範囲を超えており、その責任は日本人にないとは言えないのだから、日本人はエビを食べる量を減らすべきである。そして、ただ減らすのではなく、集約的養殖やトロール漁によるエビに規制か関税をかけて減らし、環境に配慮し、持続的に生産されてきた粗放的養殖や零細漁法によるエビの輸入量は、維持するべきである。また、エビのほとんどを輸入にたよっている日本人として、ただエビを食べるのではなく、その産地でどのように生産または漁獲され、どのように運ばれてくるかということを知ろうとするべきである。
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 さて、こうした意見に、集約的クルマエビ養殖に係わっている者として、どう答えていけばよいのでしょうか?
 日本国内では集約的なクルマエビ養殖は持続的な産業として確立しているといっても良いと思いますが、大きなコストをかけても活クルマエビの価格が高いという特殊性によって成り立ってきました。しかし、ウイルス病の出現によって、リスクの高い仕事になり、また、価格も低迷してくると、私のように資本力のないものは一度の被害で養殖場の経営ができなくなるという状況にもなってきました。
 確かに、多くのコストをかけて集約的な養殖を行なうというのは、ウイルス病の脅威の下では精神的にかなりしんどい仕事で、昨年中国で集約的な養殖にトライしたときも、周りの粗放的な養殖をしている池の人達は朝一回餌を撒いて、あとはのんびりと麻雀をやったりしていて、人間としての「生き方」についても考えさせられました。
 ただ、集約的養殖だから環境を破壊するとか、粗放的養殖だから持続的な養殖ができるというのは偏った考え方のような気がします。私たちは、日本という土地の価格の高い国で、狭い限られた面積での集約的養殖の可能性を追求し、おいしくて、食べて安全なエビを作っています。ただ、こうした技術をそのまま広大な土地を利用できる国において適用するのは電気の供給の問題などで困難でもあります。
 「郷に入れば郷に従え」、それぞれの国の事情によって、エビ養殖のスタイルはさまざまであって良いでしょうし、世界的な急激なエビ養殖開発はウイルス病の出現という自然から与えられたストッパーによって、とりあえずは足踏みしています。また、経済の停滞によってエビの需要も右肩上がりではなくなってきており、需給のバランスも見極めなくてはならないでしょう。
 答えは風の中に舞っていてくれれば良いのですが、私自身なかなか良い答えがみつかりません。ただ、昨年から日本だけではなく、中国でのエビ養殖を体験し、これからもエビ養殖についてのさまざまな体験ができると思います。そうした体験をホームページを通して紹介していくことができれば何か見えてくるんではないかと思っています。


突然変異?アカザエビ 底引き網に
(中日新聞2001年2月15日朝刊より)

 静岡県榛原郡吉田町の吉田港沖の駿河湾で、全身白色化したアカザエビが見つかり、14日、持ち込まれた清水市三保の東海大学海洋科学博物館が公開した。フランス料理などに使われる高級食材のアカザエビの体色は鮮やかなダイダイ色がかった赤色が特徴で、同博物館は「アカザエビの白子(アルビノ)はこれまでに報告例がない。恐らく初めてだろう」としている。
 白色エビは雄で、体長約18cm、生後約4,5年の成体。底引き網漁をしていた吉田漁協所属の「隆清丸」の藤田佐一郎船長が今月12日、吉田港の沖合い約3kmの海底200~250m付近から引き揚げた。
 黒い目を除けば、はさみや脚もすべて真っ白。同博物館の毎原(まいはら)泰彦学芸員は「突然変異で白くなったのか、原因は分からない。白いと目立つため、この大きさまで生き延びることは非常に珍しい」と驚いている。
 同博物館で飼育を試みているが、海底の泥の中に穴を掘って生息するアカザエビの飼育は難しく、残念ながら今後数日間の命だという。毎原学芸員は「標本にして大切に保存したい」と話している。 

(東京水産大学卒業生の楽水会メーリングリストより)

『 日本でアカスエビ(主に中国産?)というものが流通していますがこのエビの学名及び英名は何でしょうか?
またベトナムよりも入っているとのことを聞きましたが。ご存じの方教えてください。』

という質問が、私も参加しているメーリングリストから飛び込んできました。
私としては初めて聞く名前で、図鑑などにもでていないので、単純に考えて次のような返信メールを送りました。

『さて、「アカスエビ」についてですが、これはたぶん「赤いスエビ」ということだと思います。
「スエビ」というのは、酒向先生の「えび」という本によりますと「ヨシエビ(Metapenaeus ensis)」の商品名だそうです。
中国では、このヨシエビのことを「泥蝦」といいまして、クルマエビのように空中露出に強いので、活エビとして流通しやすく、人気のあるエビで、養殖も盛んに行われています。
また、生きているときは、体色は黄褐色ですが、茹でたりすると、赤の発色がよいエビです。
そんなわけで、たぶん、茹でて赤くなったヨシエビの冷凍ものを「アカスエビ」と呼んでいるのではないでしょうか。』

しかし、このメーリングリストに参加している方の会社で冷凍エビを担当していて、以前からメールのやりとりをしているTさんから、写真付で次のようなメールをいただきました。



『さてアカスエビですが添付の写真ご覧ください。実は渡辺さんのemail を見るまでは添付の写真のものをアカスエビ、赤海老と認識しておりました。
学名的には Solenocera Melatho です。
商業的には台湾アカスなどと称されています。
スエビは確かに ヨシエビのことで、M..ensis だと思います。どちらが正しいものでしょうか?

なるほど、「台湾アカス」という商品名があれば、アカスエビというのはこのエビのことだと私も思いますから、早速次のように訂正のメールを送りました。

『お尋ねの「アカスエビ」について、私は「赤いスエビ」ではないかと思ったのですが、冷凍エビを扱っている方からメールをいただき、「アカスエビ」として流通しているのは、「クダヒゲエビ」の類であることがわかりました。』

それでは、学名の「Solenocera」から分かった、「クダヒゲエビ」とはどんなエビであろうかと調べてみました。

 クダヒゲエビ類の名の由来は、第一触角の2本の鞭状部がやや平たくなり、上下に合わさって内部が管状になっていることである。浅海の泥底に浅く潜っており、この管から呼吸水を取り入れる。クダヒゲエビ類は英語で mud shrimp (泥のエビ)と総称されるが、これは生息環境を表現している。一般にやや小型で、体が左右にやや平たいため可食部分は少ない。(多紀保彦ほか監修、平凡社刊「食材魚貝大百科、1巻」より)

「台湾アカス」の「Solenocera melantho」については

 台湾名:憂鬱管鞭蝦(大頭蝦;Big head prawn、紅中蝦;Red middle prawn、葱頭蝦)
 香港名:赤蝦

 最大体長150mm、一般には70~120mm。日本、韓国、台湾、香港に分布する。
 水深50~200mに生息し、他のクダヒゲエビ類に比して、深いところに生息する。台湾沿海で漁獲量は多く、4~6月が漁獲の最盛期である。(游祥平他著、台北南天書局刊「原色台湾対蝦図鑑」より)


日本海のアマエビ
(毎日が発見、2000年12月号より)

 浜坂町は、兵庫県北西部の日本海に面した町。浜坂は松葉蟹とホタルイカの水揚げでは「日本一」といわれる漁港です。
 松葉蟹やホタルイカ同様、日本海の美味の一つに数えられるアマエビは、新潟、北陸もさることながら、ここ浜坂漁港に揚がるのは大型のものがそろっているといわれます。
 「日本海の甘エビが、今日のように全国各地に流通するようになった背景には、冷凍技術の進歩があります。地方発送するアマエビは、獲れるとただちに船内で冷凍します。マイナス50度という冷凍室で瞬時に冷凍されたアマエビは、完璧に鮮度が保たれます。」と語るのは浜坂町漁協直販部の仲村幸義部長。
 仲村さんによれば、浜坂漁港に水揚げされるアマエビは、生は浜坂沖、冷凍は日本海の大和堆(やまとたい;日本海中央部にある東北東方向に伸びる海底丘)で獲れるもの。アマエビは雄性先熟の性転換を行い、5年目以後はすべての個体が産卵するとされ、1~2月の時期に抱卵を海中に放つために浅場に移動してくるといわれます。
 しかし……と仲村さん。「子持ち、子無し、と私達は呼んでいますが、6~8月の休漁期を除いて、子持ちアマエビは一年中見かけます。それに、大きさにしても、子持ちのくせに小型だったり、逆に子無しのくせにかなり大型のもいます。どうもアマエビの生態というのは、いまひとつはっきりしないようです。」
 アマエビの他にも、浜坂で水揚げされ、流通経路に乗らないために、よその土地の人にはまだ知られていないうまいエビがあります。その代表格が、通称モサエビと呼ばれるクロザコエビ。その他にもシマエビ、オニエビなどがあります。


風変わりな生殖行動をするエビ
(ナショナルジオグラフィック日本版、2000年3月号より)

 多くの水生生物は性転換をするが、大西洋やカリブ海にいるヒゲナガモエビ属の仲間は独特だ。すべてオスとして生まれ、その大半が変なメスになるのだ。「メスはオスの生殖腺を残して精子をつくり、自分の卵を抱いている間もメスに転換した仲間と交尾する。」と、語るルイジアナ大学の研究者レイモンド・バウアーは、このエビを同時的雌雄同体と呼ぶ。


タイショウエビの白斑(ホワイトスポット)病ウイルスのゲノム、中国科学者が解読
(月刊アクアネット2000年2月号、「水産経済新聞2000年1月17日付記事」の紹介より)

 北京発新華社電によると、中国の科学者は最近、エビの病気の「元凶」である白斑桿状ウイルスのゲノムのすべての序列を測定することに成功し、世界に先駆けて、エビの病気のウイルスの遺伝暗号を解読した。
 分析の結果、これは約30万の塩基対からなるウイルスで、世界でこれまで知られている動物ウイルスとしては最も大きく、しかも新しいウイルスである可能性が強いことが分かった。
 ウイルスは細菌より小さく、たいてい電子顕微鏡でないと見えない病原体。その繁殖力も極めて強い。1993年から毎年、中国のエビの病気を発生させている白斑桿状ウイルスは感染力が強く、感染範囲が広く、一度発生すると大正エビはたいてい難を逃れられない。エビの病気の防除は90年代以降、多くのエビ養殖業者の悩みの種で、科学者にとっての一層の難題だった。
 専門家は次ぎのように話している。世界で初めて大正エビのウイルスの遺伝暗号が解読された事は、中国のゲノム研究がヒトから動物、農作物に広がったあと、さらに海洋生物にまで延びているだけでなく、エビの病気を防除する分子生物学の基礎が整ったことを示している。これを基に開発された診断試薬や薬品の市場は極めて広く、目下、発明特許の出願中。
 これまで世界で遺伝暗号が全面解読されたウイルスは数百種に上るが、ほとんどヒトの疾病に関連したものだという。


イセエビの幼生の生態
(中日新聞2000年1月30日「黒潮南側まで長旅、イセエビの幼生、生態のなぞ徐々に解明」より)

 伊豆の特産物の一つで、高級食材のイセエビ。幼生の生態はこれまで不明な点が多かったが、最近の研究で徐々に明らかになってきた。稚エビに変態直前の幼生の生態や、イセエビの漁獲量予想を研究している静岡県水産試験場伊豆分場(下田市)の鈴木朋和技師に、最近の研究成果などについて、中日新聞経済部・楯三紀男記者が聞いた。
 イセエビは孵化後、体長1.5mmほどのフィロゾーマ幼生となって海中で浮遊生活を始める。同幼生の期間は約300日で、この間に28回脱皮し体長30mmまで成長する。その後プエルルス幼生(体長20mm)に変態、10日程度でエビの形をした稚エビ(体長20mm)に変態する。
 稚エビになった後も脱皮しながら成長し、体長が13cmになると、県内では漁業調整規則による漁獲可能なサイズをクリアする。孵化からここまでに普通3年以上かかる。親エビは沿岸で生活し、産卵する。
 以前から変態の過程は分かっていたが、沿岸で生まれたフィロゾーマがどこで成長するかなどは分かっていなかった。それが分かったのは数年前。水産庁の調査などで、黒潮の南側で後期のフィロゾーマが、黒潮主流域で変態直前のフィロゾーマが各々発見された。こうしたことから、沿岸で生まれたフィロゾーマは、浮遊しながら黒潮の南側まで移動し、その後は沿岸に近づきながら黒潮でプエルルスとなって沿岸まで戻り、海底に着底、稚エビになると考えられるようになった。ただどうやって黒潮南側まで移動するかは、まだ分かっていない。
 同試験場伊豆分場は、プエルルス以降の生態を研究。毎年6~10月の間に2、3回、短期間にプエルルスが集中して伊豆沿岸に来遊することを突き止めた。プエルルスは沿岸に着底後、数日で稚エビに変態し、小さいうちは海底の穴の中で単独で生活することなども明らかにした。
 イセエビの種苗生産は、実験的には既に成功しており、こうした試験研究は種苗生産実用化の際の基礎資料にするという。鈴木技師らは毎年のプエルルスの採集数と小エビ採集数、イセエビの漁獲量の相関を研究。小エビが多く採集されると、翌年の漁獲量も増加することが分かった。
 鈴木技師らは「プエルルスの採集数から2年後の漁獲数を予測する方法を開発するとともに、種苗生産の実用化に備え、稚エビの生活などの基礎データを蓄積していきたい」としている。

 -----ここで、私事ですが、私はもともとはイセエビに興味があって、大学生のころはイセエビの種苗生産がやりたかったのです。しかし、種苗生産は、幼生期間が長く一年近くかかることや、25年前の当時はまだ、フィロゾーマ幼生のための餌料探しの段階で学生の卒論研究にするには難しすぎるということで、それではと、稚エビ期の生態を潜水観察したいと思った時に、科学研究費がおりた「イセエビ研究グループ」に参加させてもらい、千葉県小湊の大学の実習場の禁漁区内で1年間毎月10日間ほどイセエビの稚エビと付き合いました。そんな時に、やはり静岡水試伊豆分場のFさんの研究で着底したプエルルスは海藻のテングサに付着しているものが多いと発表されていたので、実習場の隣町のテングサ干し場へ自転車ででかけ、1尾だけでしたがまさかのプエルルスを手にすることができました。まさか採集できるとは思わなかったのでバケツ一つ持って行っただけで、自転車の荷台にバケツをくくりつけての帰り道で、ころんでなくさないようにハラハラしながらペダルをこいでいました。本当にあのときの感動は忘れられません。その後、潜水中にもやはり1尾だけですが、稚エビに脱皮間近のプエルルスが岩穴に潜んでいるのを採集できました。
 イセエビは趨触性といって、岩とかに体を触れている習性があり、稚エビ期には体にピッタリの岩穴に単独で潜んでいますが、あるていど大きくなると、体にあった穴がなくなるせいか、岩棚などに集まって潜んでいます。採集した稚エビ20尾ぐらいをバケツなどにいれておくと、趨触性のためか、みな集まって団子状態になるのが印象的でした。本当に、本当に、懐かしい思い出です。(2000.01.30)-----


新種イセエビ「アカイセエビ」の発見
(中日新聞2000年1月26日「38年ぶり発見、新種イセエビ」より)

 小笠原諸島近海に生息し、これまで沖縄などにすむ「カノコイセエビ」の変種とみられていたイセエビが実は新種であることが、三重大学生物資源学部の海洋生態学が専門の関口秀夫助教授らの研究で26日までに分かった。イセエビの新種は同助教授によると38年ぶりで、和名を「アカイセエビ」と名付け、今年9月に米国で開かれる国際会議で報告する。アカイセエビは、体長40センチ前後。現地で食用にされるほか、東京などの市場にも出荷されている。
 全体的にカノコイセエビに似ているが、頭の中央にある触角がカノコイセエビは白みを帯びているのに対し、アカイセエビは赤褐色。甲羅にあるとげの配置も違う。関口助教授は、こうした特徴の違いなどを1991年(平成3年)、学会誌に発表した。これを西オーストラリア博物館元主席研究員で分類学が専門のレイ・ジョージさんが読み、関口助教授とジョージさんは97年から共同研究を開始。形態の細部を比較検討し、カノコイセエビとは違う新種であることを突き止めた。
 世界では21番目、日本近辺にいるものとしては7番目のイセエビになる。イセエビの新種認定は1962年以来という。関口助教授は「一般的に分布範囲が広いが、アカイセエビはなぜか小笠原だけ。生息できる磯はリゾート開発や護岸工事で狭まりつつある。生態を解明し、資源保護に役立てたい」としている。
 なを、これまで日本近海で確認されていたイセエビ類は6種で、イセエビ、カノコイセエビ、ケブカイセエビ、シマイセエビ、ゴシキエビ、ニシキエビ。このうち最も一般的なのは「イセエビ」で学名「Panulirus japonicus」。これと比べ、新種のアカイセエビは一回り大きい。


「バクエビ」発見の顛末
(遠洋No.105,16-18 より)

 友人の張さんから珍しいエビの写真を使った年賀状をもらい、それについてのEメールのやりとりのなかで、そのエビの発見のきっかけは、ミズウオという魚の胃の中かから出て来たということを知りました。そこで、その顛末を問い合わせたところ、文章で発表しているとのことで、その原稿を送ってきてくれました。一部、省略しましたが、ほぼ全文で紹介します。
 とりあえず、「ミズウオ」という魚については、まったく知りませんでしたので、東海大学出版会刊、日本産魚類大図鑑で調べてみました。 『学名、Alepisaurus ferox 。北海道南岸から南日本、北太平洋、インド洋、大西洋の暖海域に分布する。口蓋骨と下顎には大きな短剣状の歯がある。鱗はない。夏期を除いて駿河湾美保海岸にしばしば生きたまま打ち上げられる。ミズウオが打ち上げられると天気が悪くなるという話しがよく知られている。肉は柔らかくて水っぽく、おいしそうではないが、地元の漁師は好んで食べる。体長1.3mに達する。』ということです。本当に獰猛な顔つきです。それでは、以下が張さんの報告です。

ミズウオの胃中で発見した珍しいエビ』

(水産庁遠洋研究所/浮魚資源部/熱帯性まぐろ研究室)

 1999年の1月から2月にわたって行われた新照洋丸第2次航海では,はえ縄操業およびミナミマグロ産卵場調査のためのプランクトン採集を行った.
 はえ縄操業ではまぐろ類といった重要魚種を狙っているわけだが,非重要魚種も多く釣れる.ミズウオはその中でも最も頻繁に釣れる魚のひとつである.獰猛(どうもう)な顔つき,ブヨブヨな肉質,寄生虫だらけの内臓,とくれば誰も食べてみようという気にはならないが,非重要魚種といえどもひょっとしたら生態学的には何か重要な役割を果たしているかもしれないので何もせずに捨てるわけにはいかない.というわけで調査航海では釣れた魚は全て測定,解剖し,生殖腺や胃内容物の調査をするわけだが,全長約100cmのミズウオの胃から変わった形態をしたエビを見つけた.
 私のようなエビ,カニの分類に関してはアマチュアでも一目でこのエビが大変珍しいものだとわかったほど珍奇な格好をしていた.簡単に説明すると,まず頭が非常に大きい.このようなプロポーションを持つエビはそんなに多くない.また,頭部から突き出ているツノ(額角)は短いもののかなり下方へ彎曲している.これも結構珍しい特徴である.また、エビの胸脚を拡大して見たところ,驚くべきことに明瞭なハサミがどの胸脚にも全く見あたらなかった.さらに,エビ,カニ類だけでなく甲殻類全般にわたって,各付属肢には外肢といったものが付け根近くからニョキッと出ていて2叉状になっており胸脚も例外ではない.普通,胸脚の外肢は小さく痕跡的になっているものが多いのであるが,このエビの胸脚の外肢は胸脚本体よりも長くて立派で,最初,実体顕微鏡で拡大して見た時には足が20本あるんじゃないかと驚いたくらいであった.また,詳しい説明は省くが腹部は明らかにコエビ類としての特徴を持っていた.というわけで,恥ずかしながらこのエビは一体どのグループに属するのか理解できず混乱してしまった.
 日本に帰ってから,以前に分類等でお世話になったことがある武田正倫博士(国立科学博物館)にこのエビの形態を説明すると,さすがに私と違ってあちらはプロ,私のつたない説明だけですみやかに理解し早速文献2)を送ってくれた.その文献の記載をみるとまさに我々が採集してきたエビに間違いはないものであった.というわけで,すでに名前のついているエビだったというわけであり,いささかがっかりしたが,その内容を読んでいくうちに,とんでもないエビであることが判明したのである.
 すなわち,この記載はたった1個体に基づいたものであり,その1個体というのが,約50年前に行われたガラテア調査航海で採取された標本類を最近になってロシアの研究者がひっくりかえして調べていたところ偶然に発見したものであったのである.このエビは彼によると新科であり,当然のことながら新属、新種である.彼はこのエビをGalatheocaris abyssalisと命名した.さらに彼は新上科(Galatheocaridoidea)の創設さえも提唱している.というわけで,我々は,エビ類の進化系統を論ずる上で重要な情報を提供してくれるかもしれない非常に稀なエビの2個体目を発見したわけである.
 前述の模式標本は永年にわたって標本瓶中で雑然と保存されていたせいか形状はよくなくもちろん色あせている.しかし,形態的に珍しい特徴を具えた新発見のエビということで前述のロシア人研究者はかなり気合いが入っていたようで,武田博士によると形態の記載にはこれ以上加えることは無さそうということであった.しかし,我々の標本はかなりフレッシュであり,生時の色彩が白地にオレンジのまだら模様が浮き出たものであることが判明した.また,彼の記載は1個体のメスだけに基づいたものであり,もしオスが我々の標本中にあればその生殖器官,雌雄差その他において何らかの新知見が発見できるものと期待している.
 33個体調べたミズウオのうちでこのエビを食べて胃中にこのエビが見られたのは5個体であった.ミズウオからは合計15個体のエビを発見し,今になって全部持って帰ればよかったと悔やんでいるが,そのうち10個体を冷凍で持ち帰った.面白いことにメバチや他の魚からは一切発見されなかった.この珍しいエビの形態はともかく,発見したいきさつは面白いのではと考え短い英文のエッセーにして欧州の甲殻類専門誌に投稿したところすぐに受理された3)。
 さて,ロシア人研究者が見つけた標本はセレベス海の水深5,000mもある海域でのドレッジによって採集されたものである.海底や海底付近に棲息する魚や無脊椎動物が収容されていた標本瓶でみつかったことから,彼はこのエビもその立派な胸部付属肢で5,000m程度の海底付近で遊泳しながら棲息しているものと考えた.その名のabyssalisはまさしく深海にちなんだものである.我々がはえ縄操業した海域も2,000から5,000mと深いが,枝縄に装着した小型水深水温計(SBT500)からミズウオが釣れた水深が150mから300mの範囲でありメバチとさほど差はないことがわかった.
 さらに,エビはどれもあまり消化されておらず,十分フレッシュで食べてもうまそうな感じであったから,ミズウオに食べられてからさほど時間は経過していないのではと推測した.昼夜で深浅移動する別の深海性のエビであるヒオドシエビやチヒロエビの類はミズウオの胃にもメバチの胃にも見られた.しかし,前述したようにメバチからはこのエビが見られなかったことから,明らかにメバチの守備範囲よりは深いところにこのエビは棲息しているものと考えられるが,明らかに海底ではないようである.
 さらに,200mまでの水深で行ったプランクトンネット調査では深夜に1個体このエビが採取できた.これも,海底棲ではないことの傍証になるであろう.また,前述の他の深海性エビ類よりは深浅移動の幅が狭いことも考えられる.今回はまぐろ類を狙った操業であり,はえ縄は300mよりは深くには達していないが,ミズウオはさらに深くまで棲息しているものと考えられている4).
 ミズウオがどれぐらい深いところまで棲息しているかは未だにナゾであるが,1960年代にバーミューダ海域で深海底まで垂らしたロープに噛み付く生物の調査が行われたが5),1,000mより深くなるとミズウオの歯形あるいは歯そのものは残っていないことが報告されている.大西洋の彼方とこのインド洋では海洋構造が異なるであろうから,これとて決定的なものではないだ ろうけれども参考にはなる.
 というわけで,私にはこのエビが2,000から5,000mとい う深海底付近で泳いでいるとはとうてい考えられない.大体からして他の深海エビ類 は殻がフニャフニャしているのだが,このエビでは殻が結構頑丈なことも理由のひとつである.以上の貧弱な根拠から推定するに,この海域では200mくらいから500mあるいはそれよりやや深いところで,比較的狭い深浅移動の幅を持って遊泳生活しているのではなかろうか.棲息深度に関してはこれ以上のことは今のところ不明である.
 ところで,全く同じ海域で1970年代に東京水産大学のグループが同じようにはえ縄操業 を行っており,ミズウオの胃内容物調査も行っている6).その中の記載で出現頻度も 今回と良く似ている“種不明エビ”というのがこのエビであろうと私は想像した.当 事者であった藤田清先生(現東京水産大学教授)は当時のことをよく覚えておられて, 写真をお見せしたが,このエビとは違うものであったと断言された.
 ミズウオは世界 中に広く分布しているが4),世界中の海の調査している遠洋水研の誰に聞いてもこん なエビは見たことがないそうだ.ということはこのエビの分布は東部熱帯インド洋か らインドネシア周辺の水域に限られているだけでなく,同じ場所でも季節変動がある ということになる.
 さて,このエビの和名であるが,武田博士によれば和名は付けたもの勝ちだそうだ. 学名を直訳すればガラテアコエビとかシンカイコエビとかになるが,そんなにシンカイそうではないようだしガラテア何とかというのも肩ひじ張っているような感じでしっくりしない.船上では我々はバクエビと呼んでいた.夢を食べるあの獏である.人にこの名を話すと皆一様に笑うのだがどうでしょうか,良いネーミングだと思うので すが.
 最後に,この"バクエビ"に関する情報を提供していただいた武田正倫博士,ミズウオ に関する文献や情報について御指導いただいた東海大学,久保田正教授(東海大学) 及び釣獲水深情報に関してお世話になった岡崎誠研究員(低緯度域海洋研究室)に感 謝いたします.

1) 張 成年(1999): 遠洋ニュース104: 26-27.
2) Vereshchaka, A. L. (1997): J. Crust. Biol. 17: 361-373.
3) Chow, S., Okazaki, M., Takeda, M. and Kubota, T. (印刷中): Crustaceana.
4) Gibbs, R. H., Jr. and Wilimovsky, N. J. (1966): Fishes of the Western North Atlantic (eds. Olsen, Y. H. and Atz, J. W.), Yale University, New Haven.
5) Turner, H. J., Jr. and Prindle, B. (1965): Limnol. Oceanograph. Supplement 10: R258-264.
6) Fujita, K. and Hattori, J. (1976): Jap. J. Ichthyol. 23: 133-142.


サクラエビ漁は世界でもまれにみる資源管理型漁業
(NHK総合TV放送、「食卓の王様、サクラエビ」より)

 「網を入れるのも号令、巻上げるのも号令、港に入るのも順序で入る。」
 駿河湾のサクラエビ漁は、由井、蒲原、大井川の3つの町から合わせて120隻が出漁します。そして、120隻すべてが漁の開始から終了まで足並みをそろえて行う世界でもめずらしい漁です。
 午後1時になると3つの町の代表がその日の漁についての話し合いを持ちます。そこでは、天気や波の高さによって漁を行うかどうか、さらに、120隻全体の水揚量を決めます。これは、獲りすぎを防ぎ、価格の安定を計るためです。その日は40~50トン獲れば漁を終えることを取り決めました。こうした漁が始まった陰には、漁師達の苦い経験がありました。昭和43年春、かつてないサクラエビの大量に浜はわきました。しかし、獲りすぎてしまい、価格は一晩で1/4 に大暴落し、さらに、サクラエビの資源の枯渇を心配する声が高まりました。そこで漁師達は全体の水揚量を自分達で制限することにし、すべての船の水揚金額を合計して全員で平等に分け合うようにしました。
 由井町のサクラエビ漁船49隻の代表を7年前から勤めている、サクラエビ漁33年のベテラン宮原淳一(58歳)さんは、「漁師は誰でも獲りたいですよ。人よりも多く獲りたい。それが漁師の気質なんですよ。これをやってなかったら獲りすぎて、このサクラエビ漁のこれだけの船が今現在あるかないかわからないですよ。」と語ります。
 夕方5時、サクラエビ漁船120隻は一斉に港を出ていきます。昼間、海の底にいるサクラエビは陽が沈む前に海面近くに上がってくる、その瞬間を逃さず網を入れなければなりません。由井町の漁船49隻は宮原さんの号令を待って網を入れます。会議で決めた水揚量を確保できるかどうか、逆に獲れすぎはしないか、すべて3つの町の代表者の判断にかかっています。
 6時15分、漁場に到着。宮原さんは魚群探知機をにらみながら、網入れの号令を出すタイミングを計ります。漁場に着いて30分後に宮原さんは網入れの号令を出し、由井町の漁船は一斉に漁にとりかかりました。そして蒲原町、大井川町の船も同時に網を降ろします。120隻ある船のうちまず網を降ろすのは半分の60隻、一回目の漁で水揚げが目標に達しなければ、残りの60隻が二回目の漁にかかります。
 漁が始まると今度は網を巻上げるタイミングに神経をとがらせます。巻上げが遅れると長い時間網を曳くことになり、自分達で決めた水揚量を大幅にこえてしまうからです。網入れからわずか6分、宮原さんの号令ですべての船が一斉に巻上げをはじめました。
 7時30分、網を揚げた船から次々と水揚量の報告が宮原さんのもとに集まってきます。この日はたった一回の漁で目標を達成し、半分の漁船は網を降ろしませんでした。帰り支度が始まるなか、なんと他の船が獲ったサクラエビを分けてもらっている船がありました。網を入れなかった船は他の船が獲ったサクラエビをもらって港に運びます。一見不思議に思えるこの習慣が全員で漁をするという固い結束を維持してきたのです。
 午後8時漁は終了。獲れなければ赤字、かといって捕りすぎてもいけない。春の漁の終わる6月上旬まで、宮原さんの慎重なカジとりは続きます。


(NHK総合TV、1999.05.10放送、ニュース11「シリーズ 変わりゆくベトナムの海、1回、イセエビ御殿の村」より)

 ベトナムでは1986年にドイモイ政策、政治経済の改革解放政策が始まり、現在急速に市場経済化が進んでいます。そのドイモイ政策は都市部だけでなく、海とそこに暮らす人々の生活にも大きな変化をもたらしました。ベトナム中部の「スンツ村」ではベトナムで唯一、イセエビの養殖に成功して、大きな家が次々に建つようになりました。
 地元では「トム・フン」と呼ばれるイセエビ(ニシキエビ)、養殖されたエビの大きいものは重さ2キログラムをこえるものもあり、1キログラムおよそ3,600円で、香港や台湾へ生きたまま輸出される。この日エビを出荷した養殖業者の売り上げは、およそ130万円、ベトナムの平均的な漁師の年収のおよそ10倍の金額です。スンツ村でイセエビ養殖が始まったのは7年前。今では3,000人の村人のうち半分近くがイセエビ養殖にかかわる仕事をしています。養殖が始まって、村は急速に豊かになりました。ベトナムの漁村で普通に見られる土とヤシの葉でできた家にかわり、今ではコンクリートとレンガでできた真新しい家が目立つようになりました。
 村で一番大きな養殖場を持つ「ティエウ・クァ・ホア」さんは、元々農家であったが、多くの村人に先駆けて6年前からイセエビの養殖を始めました。スンツ村の沖合は年々養殖網イケスが増え、今ではその数500、ホアさんは水が汚れてエビの育ちが悪くなったと感じ、イケスを村から船で1時間の島に移しました。水のきれいなその場所ではエビの成長が20%くらい速くなったそうです。現在その場所に13の網イケスを持つホアさんは500匹のエビを飼い、年間350万円の売り上げがあります。
 村の漁師「グェン・ティエット・ハイ」さんと息子の「サク」さんは、養殖に欠かせない稚エビが高値で売れるので、毎年2月から4月にかけて、稚エビ専門に漁をしています。息子のサクさんがホースを口でくわえて海に潜り、コンプレッサーから送られてくる空気を吸いながら稚エビを採ります。稚エビは大人の中指ほどの小さな穴に触角だけを出して隠れているので、みつけると、触角をつまんで慎重に穴からひっぱり出します。稚エビが穴の奥にいるときはノミで岩を砕き、穴を大きくして傷をつけないようにていねいにエビを捕まえます。養殖が始まった当初に比べると、稚エビの値段も上がり、1匹800円近くで売れるようになりました。毎年この時期にしか捕れない稚エビを一匹でも多く捕るため1日10時間潜っていることもあるそうです。ハイさんの家に養殖業者がこの日捕れた18匹の稚エビを買いに来て、110万ドン、およそ11,000円で売れました。ハイさんの9人の家族が1ケ月暮らしていける金額です。稚エビの値段が上がったおかげで、漁師の生活もかなり楽になりました。しかし、養殖の収入には遠くおよびません。サクさんの夢はイセエビを養殖することです。
 ドイモイ政策の中で、イセエビ養殖が始まって7年、村の暮らしは格段に豊かになりました。村の人々は富をもたらし続けてくれると信じて、イセエビに自分達の将来を託しています。
 しかし、村の海は養殖イケスが密集するようになって汚れが目立つようになり、イセエビの養殖が今後も順調に進んでいくか、これは村の人々が今後こうした問題にどう対処していくかにかかっていると、取材したハノイ支局の山田慎一カメラマンは感じたそうです。


(中日新聞1999.04.05、「花に負けじとサクラエビ、市場に満開、大井川漁協、春漁解禁」より)

 春本番を告げる駿河湾特産のサクラエビの春漁が4日夜、駿河湾の焼津沖と沼津の大瀬崎沖で始まった。豊漁に恵まれ、5日朝、静岡志太郡大井川町の漁協魚市場には、15キロ入りのエビ箱約1400箱が所狭しと並び、ここ3年の不漁続きに頭を悩ませていた関係者の顔もほころんだ。
 エビ船120隻は4日午後5時半、大井川町の大井川港と同県庵原郡由井町の由井漁港などから出漁、大瀬崎沖を中心に操業した。初日の水揚げは両港合わせて約195トンで、型も大きいものがそろった。
 浜値は15キロ当たり前年のほぼ半値の約16,000円の取り引きとなったが、豊漁に漁師さんは「ありがたいことだ」と表情を和らげていた。春漁は6月5日まで続く。


(中日新聞1998.11.07、「港から市場から“お魚物語”、中部水産、神谷友成著」より)

 名古屋市場で、ここ数年、中国地方の日本海側からやってくるクロザコエビという新顔が、静かなブームを呼んでいる。
 体長は12センチ前後。全体にやや赤っぽく、胸のあたりがシャコのように平べったい。水深250~270メートルという深海の泥底にすんでいる。ゆでて食べても刺身でも、甘味が強く、歯ごたえもいい。
 ところが、地元では「モサエビ」と呼び、あまり評判がよろしくない。「ザコ」といい、「モサ」といい、名前からしてその処遇がしのばれる。「昔は肥料だったよな。ほかにいくらでもうまい魚があったから---」という声も聞く。
 昔、クロザコエビは底曳き漁の「おまけ」とされた。ほかの獲物と混獲したのを地元の人が食べていた。それが近年、例えば島根沖ではハタハタや赤ガレイなど目当ての獲物が獲れなくなった。漁師達は仕方無く、昼間はイテガレイ、夜はクロザコエビの“ダブルヘッター”をするようになり、クロザコエビを他地域へも仕方無く送り始めた。ところが、特に名古屋市場で評判がよく、今では専門の漁船まで出るようになっている。
 冬場が旬だ。卸売価格は1キロ2千円前後と、クルマエビの半値程度。味の割りには安いと思う。今のところは---。


(NHKTV放送、「全国うまいもの名鑑、潮の香り豊かえびせんべい~香川、観音寺(かんおんじ)市~」より)

 瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に面した香川県観音寺市は人口4万5千人の水産加工業が盛んな街で、なかでも伝統の味は「海老煎餅」、昔ながらの身近な食品として観音寺の人々に親しまれてきた。海老煎餅はお店によってさまざまな味や形があり、それぞれ独特の風味を持っている。
 観音寺で海老煎餅作りが始まって約120年になる。明治時代に初めて海老煎餅を作ったのは「豊浦三州(みつくに)」さんのお店「満久屋」で、三州さん(56才)は19才のころから煎餅を焼き始めた5代目です。明治10年、初代主人「豊浦佐吉」さんが、エビを保存のきく食品にしようと海老煎餅を作りました。「相蒸焼き候也(あいむしやきそうろうなり)」、「エビを蒸し焼きにしなさい」という意味のこの言葉は、初代の「佐吉」さんがのこした海老煎餅作りの極意です。そこからこの海老煎餅は「あいむす焼」と名づけられた。それから120年、5代にわたってその教えを守りながら海老煎餅作りを続け、今では5種類の海老煎餅を作っている。豊浦さんは「うちの煎餅は粉などの混ぜものなしで、エビの身だけ焼いています。」と語っている。工場で主に煎餅を焼いているのは、6代目孝幸さんで、やはり19才のころから焼き始めました。材料のエビは、殻をきれいに剥いて片栗粉をまぶして水気をとり、そしてエビの身を4、5匹独特の焼型にはさんで1分ほどで焼き上げます。ほのかに暖かい海老煎餅は1日かけて、パリッと仕上がる。

 観音寺漁業協同組合魚市場には、海老煎餅の材料になる「アカエビ」がたくさん水揚げされる。おだやかな燧灘で獲れるアカエビは、体長5~10cmぐらいの小さなエビで海老煎餅などの加工に適している。毎朝6時、前の晩に獲れたエビがセリにかけられる。アカエビは年間およそ65トンが水揚げされ、キロ当たり300円~700円で取り引きされている。午後6時観音寺港から40隻以上の船が一斉にエビ漁に向かう。アカエビの漁は夏にかけて最盛期を向かえる。

エビ漁を始めて50年のベテラン、「白川義徳」さんは「エビ漕ぎ網漁」と呼ばれる方法でアカエビを獲る。長さ20mのサオで口を開けた袋状の網をおろし、船で曳きます。網にはエビの他にアナゴやキスなども入ります。エビは夜行性で、餌を食べに海底から出てくるので、そのエビを狙って網を曳くのです。一晩に8回網を入れ、多い時には100kg以上のエビが獲れる。白川さんは「ここではなあ、ホンエビ、エビジャコいうて、いろいろいるけどなあ、全部海老煎餅の材料にいくんよ。」「この辺のエビは身が多くて皮が薄い。だから加工しても歩留りがいい。」と話す。

 加工しやすいアカエビが獲れる観音寺では、海老煎餅をはじめとした水産加工業が盛んです。かまぼこや揚げものなどの工場も10軒あり、大正時代から続く「福弥蒲鉾」の福島加寿子さんは、「祖父から聞いた話しですが、今から約50・60年前、この辺で獲れるエビが冷蔵設備もよくないし、流通もよくない。獲れたエビが腐ってしょうがない。それをなんとか利用できないかというところから漁師や加工業者が集まって知恵をだしあい、試行錯誤してこうした商品が生まれた、と聞いています。」と話している。

 観音寺のアカエビは年間の水揚げ量のほとんどが夏場に集中します。いたみやすいエビを加工して保存がきく蒲鉾や揚げものなどの商品にしてきました。海老てんぷら、蒲鉾、焼き竹輪など今では香川県の生産量の3割を占める観音寺の水産加工業、そうした中でつちかわれてきた技術が新しい海老煎餅作りにつながっていった。

 観音寺で一番大きな海老煎餅作りの会社では、もともと他の水産加工品を作っていたが、昭和33年に海老煎餅作りを始めて急成長した。水産加工のノウハウを生かした手法で新しい海老煎餅を作りました。工場は機械化されていて、素材のエビを澱粉や塩、砂糖で味付けされた生地とまぜあわせて次々と焼き、年間148万枚の煎餅が生産されている。二代目社長、「島一(しまはじめ)」さん、海老煎餅作りを提案したのは父親のヒデオさんでした。以来親子で二人で工夫しながら機械化を計り大量生産を目指してきた。この会社の海老煎餅は、エビそのままではなく、エビのすり身を使ったのがポイントです。北海道産のデンプンと良質の塩で味付けして軽く焼きあげました。島さんは新しいアイデアで次々と新製品を生み出してきた。島さんの努力により、海老煎餅は香川県の代表的なおみやげ品になり、観音寺の海老煎餅が全国に知られるきっかけになったと言われている。島さんは、「海老煎餅はマーッケトは小さいけれども、日本人の嗜好にあったお菓子ということで、あまり大きいことは望めませんが、心をこめていい香りのお煎餅を焼いて行けばまだまだ先はある業界じゃあないかと考えています。」と語る。

 個人の煎餅屋はそれぞれ独特の焼き方や味を持っている。創業80年の藤村さんのところでは、エビ以外はいっさい使わず、エビの頭としっぽを残して焼くのが特徴。松本さんの海老煎餅は、エビとデンプンと砂糖と塩で作った生地を粘りがでるまでこねてから焼きあげ、口の中でエビがとけるような味わいです。

 観音寺の人達にとって、海老煎餅は身近なお菓子であるとともに、全国に知られた商品でもあります。手焼きの伝統と機械化された新製品が絶妙なバランスで支えあっている。


南アメリカのエビ事情
(東京水産大学卒業生の楽水会メーリングリスト)

 私と同期卒で、京都で冷凍エビの仲卸しをしている、石川さんから同窓生のメーリングリストへの加入の案内があり、早速加入しました。この連休開けに南米チリでの生活が16年目に入った、林泰夫さんから、南米のエビ事情についてのメールが送られてきました。
 本では見つけることができない情報が、地球の逆側から送られてきて、それにアッという間に返信が届きやりとりでき、あらためて、インターネットのすごさを実感しました。
 なを、水大のOBの方でこのメーリングリストに参加を希望される方は、

   斉藤嘉朗 (Yoshio Saitou)さん、E-mail:yoshio29@mb.infoweb.ne.jp

に連絡して下さい。

<林 泰夫さん(チリ在住16年目、27回漁生)のメールより(1998.05.09)>

 『私も魚屋ですが、海老担当ではないので、海老の事は良く分かりませんが、南米諸国の中にもエビが獲れて日本・米国・ヨ-ロッパ等に出している国々もあります。

 * アルゼンチン : 深海性の海老で日本でも生食で 北海道で良く 消費されています。甘エビ系統 ボタンエビ ?? (今年は好漁の様です)

* エクアドル/ペル-北部 :養殖海老 (WHITE エビ ??)

* ブラジル・アマゾン川 河口/ギアナ ::PINK エビ (年々漁獲が減っている様です)

 日本でも知られ商品化されているのは、大体この 3種類位と思いますが、それ以外にも、種々知られていないものもあります。 エル・ニ-ニョの影響で昨年から今年初めにかけて ペル-北部沖で エビが沸きました。天然エビです、種類は メキシコの太平洋沖で漁獲されるものと同種と思います。エル・ニ-ニョが発生する年は例外なくペル-北部沖でエビが大量に沸き出します。

 チリにもエビはいます。北国甘エビより若干小粒の甘エビです。寿司タネにも充分利用出来ますが、形が若干小さい為に 日本へは送られてはいません。国内消費か BOILED ムキ身で USA 向けとなっています。
 その他 腰折りエビが 2種います。

(学 名)

* チリ甘エビ : Heterocarpus reedi

* 腰折りエビ : Cervinumida johni と Pleuroncodes monodon

 伊勢エビも 2種類います。ロビンソン・クルソ-が発見したフアンフェルナンデス島に学名 Jasus frontalis が生息し、これは商業化可能ですが、チリのマフィヤにそのル-トを押さえられています。イ-スタ-島に Panulirus pascuensis が生息しますが天然記念物となっておりイ-スタ-島内で消費するのみしか漁獲を許可されていません。』

<石川一三さん(24回増)のリターンメールより(1998.05.10)>

『> * アルゼンチン : 深海性の海老で日本でも生食で 北海道で良く消費されています。甘エビ系統 ボタンエビ ??
> (今年は好漁の様です)

 我々はアルゼンチン赤エビと呼んでます。ほとんどが生食用で販売されています。おっしゃるように北海道でよく消費されているようです。10年前ぐらいから日水が輸入してきて、京都でもずいぶん販売努力しましたが定番にはなりませんでした。京都はエビを生で食べるのは車海老と甘エビ(ホッコクアカエビ)がほとんどで、最近ボタンエビも定着しつつありますが、それ以外のエビを生で食べるのは抵抗があるようです。

> * エクアドル/ペル-北部 : 養殖海老 (WHITE エビ ??)

 ムキエビとしての消費が多いようです。中国大正によく似た肉質なので、高級中華屋さんで使用されてます。もっとも本当の高級中華屋さんは、生の芝エビを使っているけど。

> * ブラジル・アマゾン川 河口/ギアナ : PINK エビ(年々漁獲が減っている様です)

 ブラジル、ギアナは寿司屋さんの寿司エビとして使われています。発色がよく甘みがあり、肉質がかたくないのが特徴のようです。

> チリにもエビはいます。北国甘エビより若干小粒の甘エビです。寿司タネにも充分利用出来ますが、
>形が若干小さい為に 日本へは送られてはいません。国内消費か BOILED ムキ身で USA 向けとなっています。
> その他 腰折りエビが 2種います。
> (学 名)
> * チリ甘エビ : Heterocarpus reedi
> * 腰折りエビ : Cervinumida johni と Pleuroncodes monodon

 日本では回転寿司が再ブームで増えてきてます。北欧アカエビの小型サイズが不足気味で価格が上昇してますので、価格が安ければ寿司ネタ用の商材として面白いと思いますが。』


エビの食味の比較検討
(柴田書店発行「日本料理の四季27号」より)

 東京、西麻布にある『分とく山』の料理長、野崎洋光氏による、食材としての9種類のエビの比較検討の結果が美しい写真とともに紹介されていました。この比較では、相対的に評価するために、氏が一番よく使い、かつ品質が高いとする国内産活けの車エビに便宜上の基準をおき、それを「1」、最低を「5」として評価しています。また、「ここでのエビの評価は、今回用いたものについてであることを付言します」とのただし書きがあります。

品種
コメント
評価
国内産
車エビ
(活・ブラウン系)

鮮やかな朱色、キメの細かさ、歯ざわり、風味など、どの要素をとっても、小型のエビの中で一番高い位置にある。活けものは生も、ゆでたものも、甘みと旨みのバランスがよい。用意したのが20cm近いもので、同じエビでもサイズの小さい「才巻」に比べて身が硬かった。縞模様の黒色が濃いが、透明感はある。ゆでたむき身と同様、熱を入れるとその模様が強い鮮やかな朱に一変する。

1
中国産
車エビ
(冷凍・ブラウン系)

中国産の冷凍車エビ(頭ナシ)。冷凍エビとしての状態はよいが、エビ特有のムッとする生臭さが鼻につく。ゆでた身は活けものほどではないが朱色が強かった。香りがなく、食感は少しパサついていて、甘みがない。すり身はゆでたものも揚げたものも、同様に、車エビ特有の甘みや味がなく、総体的においしさに欠ける。

3
タイ産
ブラック・タイガー
(冷凍・ブラウン系)

車エビと同じブラウン系という系統に属しているというが、生の状態のときは殻が緑がかった青黒っぽい色が特徴的なので、他のエビと区別しやすい。加熱すると朱色になるが、尾の先のほうに黒い部分が残った。ただし、車エビほどに朱が強くない。ゆでた身は弾力があるが、繊維が粗くて触感が強い。すり身にするとちょうどよい弾力感になり、歯触りもよくなる。

4
ギアナ産
ピンク
(冷凍・ピンク系)

解凍した生の時点でも殻は明るい朱色をしている。身の色は透明感が強い。肉は繊維質が強く、すり身にしてもその弾力感は変わらない。白身魚と混ぜて真蒸に仕立てるとよいのでは、という意見あり。加熱すると、トウモロコシに似た香ばしい風味が出てくる。ほかのエビにはない香りで、使い方によっては香味野菜などを利かせる必要がある。身そのものにあまり甘みは感じられない。

3
ニューカレドニア産
ホワイト
(冷凍・ホワイト系)

頭付の冷凍品。9種類の中では飛び抜けて身が柔らかいため、すり鉢ですると短時間ですり身になる。すり身は全体がノリのような、滑らかな状態。加熱すると、肉全体が明るい朱色になる。食感はボソボソとして、歯応えがない。頭付きのまましばらくおいておいたのがいけなかったのかも。舌触りが悪いが、身に甘みはある。すり身の状態でしか使えないのでは。エビのそぼろのようなものがよいだろう。

5
インドネシア産
バナナ
(冷凍・ホワイト系)

頭なしの冷凍品。その名殻からも知れるように、殻が他のエビと比べて黄色っぽく、肉も白濁した淡い黄色である。香りに乳くささがあるが、それほど気にはならない。身にほんのりした甘みがあり、クセがない。味は今回調べた中国産の車エビやギアナ・ピンクよりもよい。特に、揚げたとき、甘みが強くなるようである。生のものは黄色っぽくて食欲がそそられないが、加熱すると歯切れもよく、食味の印象はよい。

2
中国産
大正エビ
(冷凍・ホワイト系)

大正エビを使った料理の代表に鬼殻焼があるが、最近はあまり見かけない。ミソが多いのがこのエビの特徴だが、日本料理には合わないと思う。加熱した色はオレンジっぽい赤で、エビそのものの味がしない。ゆでたすり身では甘みと旨みを感じたが、特に揚げたものには旨みがない。それ自身は淡白だが、食感はしっかりとしているので、黄身揚げのように、味つけして揚げたものをさらに煮て仕上げるような料理向き。

3
国内産
芝エビ
(冷蔵)

頭の付いた冷蔵品。エビのすり身として評価が高い。ただし、型が小さいために下処理が面倒くさい。すっても腰があまりなく、すぐにすり身になる。クセがほとんどなく、甘みが感じられる。加熱すると、強くないが少しオレンジ色を含んだ明るい朱になる。食感は適度な弾力があり、甘みはあるがクセがないため、非常に使いやすいエビといえよう。すり身の材料としては活けの車エビに勝とも劣ることがないほどだ。

1
国内産
ボタンエビ
(冷蔵)

刺身の材料として充分使える鮮度をもっていた。そのまま口に含むとトロリとした上品な味わいだが、すり身にすると水分を多く含んでいるため、ほんの短時間でノリ状になってしまう。すり身を生のまま食べてもおいしくはない。ゆでると色がきれいに出てくる。揚げると水分が抜けて、身痩せがはげしい。ゆでたものも揚げたものも、どちらも食感は柔らかく、旨みが強い。

2

アメリカイセエビの大行進
(NHK総合TV放送の「生き物地球紀行」『大西洋バハマ諸島の海、イセエビ謎の行進』より)

 アメリカ、フロリダ半島の東約90kmにあるバハマ諸島は大小700余りの島々が800kmにわたって連なり、高い山を持つ島は一つもなく、島はみな海底に石灰岩が堆積してできています。バハマで最も西に位置するいくつかの島々はビミニ諸島と呼ばれ、1,600人ほどが暮らしており、年間の平均気温は25℃、温暖なリゾート地になっています。
 島の西側と東側では海底の様子が違っており、西側では広い砂地がどこまでもひろがっていて生き物の姿はほとんど見かけないが、東側の浅瀬の砂地の所どころに小さなサンゴ礁があります。そうしたサンゴ礁の岩棚の下にアメリカイセエビが隠れています。
 アメリカイセエビは日本のイセエビに近い仲間で、フロリダ半島周辺からカリブ海にかけてみられ、20年以上も生きると言われ、成長すると体長は60cmにもなります。イセエビは夜行性です。この浅瀬に棲むものは、大きいものでも体長30cmほど、生まれて3・4年の若いエビです。大きなおとなのエビは、この浅瀬ではなく、水深数十メートルの深い所に棲んでいます。詳しいことは不明だが、このイセエビは、深いところで産まれ、その後の3・4年をこの浅瀬で過ごすと考えられています。サンゴ礁の海は水温が高く、餌になる小さな生き物も豊富で、イセエビが大人に成長するまですごすかっこうの場所になっている。
 ビミニ近海ではイセエビ漁が盛んで、毎年3,000トンもの水揚げがある。60年間漁を続けるサンダースさんによると、「普通獲れるのは一日に50匹ぐらいですが、秋の終わりには300、400匹獲れることがあります。それは、イセエビが集団で行進するときです。私たちはロブスター・マーチと呼んでいます。」
 秋から冬にかわるころ、たくさんのイセエビが列を作って行進していく、ロブスター・マーチと呼ばれる行動が知られている。普段、若いイセエビが棲んでいるのはサンゴ礁が点在する島の東側の浅瀬ですが、30cmほどに成長したイセエビは秋になると深い海へ続く浅瀬のへりにあたる島の西側に集まります。そして冬を告げる嵐が通過するとそれを合図にイセエビ達は一列になって行進を始めます。延々と続く砂地を50kmも歩いて、深みへ入っていきます。
 10月始め、すでに夏は過ぎ去っていますが、水温はまだ27℃、日本の海でいえば真夏のような暖かさです。しかし、アメリカイセエビは微妙な季節のうつろいを感じ取って島の東側から西側への移動を始めます。イセエビ達が何をきっかけに移動を始めるのかはまだはっきりとは解っていませんが、今の所、秋になって次第に日が短くなっていくことが関係していると考えられています。このイセエビの移動は、毎年10月から11月始めにかけて数週間にわたって続きます。
 島の西側に移動したイセエビは、岩陰など、少ない隠れ場に押し合いへし合いしながら身を隠し、深い海に移動するときを待ちます。
 11月下旬、毎年きまって、冬の訪れを告げる最初の嵐がやってくると、風速十数メートルの強い北風が数日から一週間も吹き荒れ、水温は27℃ほどあったのが、5℃以上も下がります。
 嵐が通りすぎると、数日の間におこった急激な水温の変化が匹金になり、イセエビ達は何匹もが一列になって、深い海への行進を始めます。二つのグループが出会うと合流して一つになります。歩く早さは時速1kmほど、海底の水の流れをうまく利用しながら進んでいきます。一列のエビは平均7匹ほどだが、ときには60匹ものイセエビが連なることもあります。ビミニ諸島では、行進していくイセエビの多くは、産まれて3・4年ほど、これから繁殖の時期を向かえるイセエビです。アメリカイセエビは春から夏にかけて水深十数メートル以上の深い海で繁殖するといわれています。嵐をきっかけとしておこる行進は、冬の間しばしばやってくる嵐の影響を避けるとともに、繁殖の場を求めての移動であるとも考えられています。
 夜行性ではあるけれども、安全な棲みかにいちはやく着くため、身を隠すものがない延々と続く砂地を昼間でも行進していきます。イセエビは列を作り、一つの大きな生き物のようにみせて、身を守ります。また、まっすぐに連なることで、水の抵抗を最小限に抑えることができます。
 行進は嵐の後数日間続き、移動する距離は50kmにも達すると言われています。この海域で移動するイセエビは実に数万匹、ときには大行進に出会うことがあり、25年ほど前には、2kmにも達っする行列が観察されました。


中国大陸と沖縄諸島を結ぶ生き物「ショキタテナガエビ」
(NHK総合TV放送の「生き物地球紀行」『琉球列島の不思議、なぜ残る太古からの動物たち』より)

 ショキタテナガエビは、西表島の浦内川上流にあるカンピレーの滝の上流の流れの緩やかな所に棲み、今から32年前の1964年、現在琉球大学理学部の「諸喜田茂充教授」が発見した。
 雄の姿は他のテナガエビと変わらないが、雌が抱卵する卵の数と大きさに大きな違いがあり、普通のテナガエビは何千個もの小さな卵をお腹に抱くが、ショキタテナガエビの卵は大きく、わずか40個ほどしかない。しかも、子供の生まれ方がまったく違う。普通のテナガエビは親の体から離れる瞬間に孵化し、子供の体長はわずか2mm、親と姿形が異なり自由に泳ぐことはできず流れにまかせて川を下り、海で成長し、親と同じ姿になったあと、川を上る。一方、ショキタテナガエビは、体長5mm、親と同じ姿で孵化し、すでに自分の力で泳ぎまわり、エサを探すこともでき、海に下ることなく、川に留まって成長する。
 海に囲まれた島国の日本では、川よりもエサの多い海に下って成長するほうがはるかに有利だから、このようなテナガエビは他にいない。川で一生を過ごすテナガエビは海から遠く離れた大陸の奥に棲むには有利で、西表島に棲むショキタテネガエビは明らかに大陸から渡ってきたのが生き延びていると考えられる。
 中国、揚子江上流などに棲む、「タイリクテナガエビ」がショキタテナガエビときわめて近い種類であることがわかった。この二つのテナガエビを結ぶのは、今からおよそ1000万年前、川で一生をすごすテナガエビが大陸の奥に現われ、その後西表島が大陸と陸続きになり大陸を流れる川と浦内川がつながり、大陸に棲むテナガエビが浦内川に移りすんだ。その後、再び海に隔てられた後、浦内川に取り残されたのが、ショキタテナガエビの祖先だったと考えられている。


アメリカザリガニ“上陸”70年
(読売新聞、1997年10月22日発行)

 読売新聞の「解説」のページにメディア編集部の阿部秀明さんの署名入り記事で「グルメで脚光、今や高級食材」と副題がついて「アメリカザリガニ“上陸”70年」について詳しく解説されていましたので全文を紹介します。

『エビカニの愛称で知られるアメリカザリガニが日本に上陸してちょうど70年。小さなハサミを振りかざして日本での居場所をすっかり確保したザリガニ、近ごろはグルメブームの脇役も演じ始めている。

 アメリカザリガニは、名前通りアメリカ原産。日本に最初に渡来したのは、食用ガエルのエサとしてだった。
 今を去る大正7年(1918)、食料難解消に努力していた動物学者、渡瀬庄三郎・東京帝大教授(故人)が米南部ルイジアナ州から食用ガエルを輸入した。教授の指示で、まな弟子の河野卯三郎博士(故人)が、神奈川県鎌倉市岩瀬で大規模養殖の研究に入った。だがエサに困り、養殖が盛んな同州で天然のエサにされていたザリガニの輸入を思い立ったという。
 百科事典などに書かれたザリガニの渡来年は、大正13年、同15年、昭和5年などまちまちだが、最近、東京水産大学の大森信教授が、正確な渡来年は昭和2年(1927)であることを突き止めた。決め手は、河野博士の兄、芳之助氏(故人)が残した写真だった。芳之助氏は商用で渡来した際、弟の依頼でザリガニを買い付け、帰路の船上で記念写真を撮った。遺族が保管していた旅行アルバムには「昭和2年5月12日、横浜上陸」と記されていた。
 これまで「昭和5年」説が最も有力とされてきた原因も判明した。卯三郎博士は、ザリガニ上陸を、昭和2年の二男誕生と関連付けて覚えていた。ところが、誕生日が同じ三男が生まれた昭和5年と錯覚、問い合わせに「昭和5年」と答えたのが学会誌などに記載され、広まったという。

以前は「嫌われ者」

 最初に樽で運ばれたザリガニは約百匹。うち生きて上陸したのは20匹ほどという“哀愁のザリガニ航路”だった。それが終戦前後には、北は東北、西は九州北部まで広がった。あまりの速さに、米軍の謀略説も出た。日本の戦力をそぐため、イネの根を食べるザリガニを爆撃機でばらまいた、というものだった。
 だが、戦後の食料難の一時期を除いて、ザリガニが日本の食卓に上がることはめったになかった。泥の中にいるため、なんとなく汚く見える上、生食するとジストマなど寄生虫の問題があることが響いたようだ。
 一方、「ルーツ」の米南部では、食用のザリガニ養殖が地場産業となっており、高級食材としてフランスにも輸出されている。日本でも最近のグルメブームで、やっとザリガニが見直されてきた。茨城県の霞ヶ浦からは、定置網で捕獲されたザリガニが毎日のように東京・築地市場に出荷されている。特に、フランスの要人の来日時には、必ず注文があるそうだ。
 繁殖力おう盛なザリガニも、生存の危機に見舞われたことがある。高度成長時代の化学農薬漬けの時期、ほかの水生動物たちと同様、田んぼから姿を消した。今でも霞ヶ浦の漁は水揚げが少なく、以前の1キログラム当たり50円から、同900円前後の高値が付いている。
 水質が悪い所では生きられない「環境指標」の側面を持つ、やさしいザリガニの味を、この食欲の秋に経験してみるのもいいかもしれない。』


アメリカザリガニ日本上陸物語
(「所さんの目がテン!」日本テレビ系、1997年9月28日放送)

 「私はエビなの?カニなの?」というアメリカザリガニの疑問に「あなたはアメリカ出身のエビです」という国立科学博物館の甲殻類の権威、武田正倫先生の答えで始まった「所さんの目がテン!」は興味深い情報に溢れていました。

日本上陸物語

 アメリカザリガニは、今から70年前の大正時代、政府が食料増産計画のいっかんとして食用ガエル(ウシガエル)を輸入したとき、その餌としていっしょに日本に持ち込まれた。
 大洋丸という船にウシガエル200匹、アメリカザリガニ100匹が積み込まれ、ニューオリンズから1927年5月27日に横浜港に到着したが、一ヵ月にわたる船旅でウシガエルはすべて死に、ザリガニは約20匹が生き残っていたので神奈川県大船に用意されたウシガエルの養殖池に放された。
 その後、20匹のアメリカザリガニがどんどん増え、大水や台風で周囲にひろがり、10年(1940年)で関東一円を制覇し、1950年には北海道を除く全国を制覇、上陸20年で全国制覇をしてしまった。
 日本には在来種のニホンザリガニがいるが、寒い気候を好むので東北や北海道にしか分布しない。

じゃあ何故そんなにふえたのか? 

1. 原産地と気候が似ていた
 
アメリカザリガニの原産地はアメリカ東南部ミシシッピ河流域で、日本と緯度が同じの温帯性気候である。
2. 日本には餌が豊富でしかも身を守りやすい「田んぼ」があった
 「田んぼ」は小魚やドジョウなどエサの宝庫であり、また天敵である鳥のサギ類やウシガエルから身をかくすのにもってこいであった。
3. なんでも食べる雑食性である
 動物性の餌から、ピーナッツ、稲の若葉、そして共食いまでするなんでも食べる雑食性である。
4. 稚エビで生まれてくる直接発生で生存確率が高い
 アメリカザリガニの交尾は20分間と長く(イセエビの場合は20秒)、雄が雌の産卵孔に交尾器を差し込み精子を送り込む。約二か月後産卵し腹部に抱卵する。卵は大きく400個ぐらい、約2週間で孵化する。親と同じ様な形で生まれてくる直接発生で、魚に食べられやすい稚エビの時期は親の腹部にくっついて親が守っている。そのため生存率は10%と高い。(イセエビは80万個の卵を産卵するが、幼生期があるのでほとんどは魚などに食べられてしまい生残するのは1尾程度である)

その他の面白い話題 

 ザリガニ獲りの漁師、その道30年の本橋紘一郎さんはザリガニが流れに逆らって歩く習性を利用して手製のトラップを1000個ほどしかけ、1日に200個ほどを揚げて多いときで5000匹を漁獲する。
 稚エビは母ザリガニを(フェロモンによってか)見分けることができ、母の腹部にくっつき身を守る。
 寿命は5年くらい。
 稚エビは体長4ミリほどで、1年で5~6cm、2年で7~8cm、3年で9~11cmに生長する。
 脱皮により生長し、脱皮は約3分で終了する。
 脱皮が終わると必ず目を掻くような行動をするが、埼玉大学理学部生体制御科の古館宏文先生の説明によれば、これは「砂かぶり」と呼ばれ、目の奥にある平衡胞に石を入れるために行われる。平衡胞にある感覚毛に石が付着し石にかかった重力を感覚毛が感じとることによって平衡感覚がうみだされる。エビ類のほとんどはこの石を持っている。ちなみに魚のイシモチもこの石を持っている。

 試食試験では服部栄養専門学校の佐藤月彦先生によるゆでたイセエビとアメリカザリガニの「マヨネーズソースかけ」を10人が中味を知らされないまま食べ、10人が10人イセエビを選んだ。その違いはザリガニは泥臭く、水っぽいとのことです。可食部100g中の成分分析では、

   イセエビ

 アメリカザリガニ

    水分

    75.9g

   84.7g

   たんぱく質

    21.2g

   12.4g

    脂質

    1.5g

    0.47g

    その他

    1.4g

    2.43g

 しかしフランスではザリガニは高級食材で、一皿分の料理を作る場合イセエビの可食部1匹500gは約5000円、ザリガニは20匹で500g約6000円。ザリガニのほうが材料費がかかる。


エビの免疫機構
(高橋幸則著、月刊養殖1997年9月号pp.117-121、
「養殖魚類に対する免疫賦活物質の活用」より抜粋)

1. 魚介類はリンパ節を持たない上に免疫機能が不完全である。
2. エビ、カニ類をはじめとする無脊椎動物は抗体を産生する機能を持たない。
3. しかしエビ類にも特定の病原体に対してではなく、不特定多数の病原体に対して生体を守る、非特異的免疫機構が存在する。
4. エビ類は抗体を産生する機能を持たないが、細胞性と液性の防御因子によって生体を守っている。細胞性因子には血球とリンパ様器官などの定着性細胞が、液性因子にはフェノール系の物質を酸化する酵素の前駆体(proPO)活性化系、レクチンおよび殺菌素が知られている。
5. このうち、血球については大顆粒球と小顆粒球および無顆粒球の三種類の存在が知られており、大顆粒球と小顆粒球に高い貪食活性が認められる。血球が貪食できないような大きな病原体や多量の細菌などが侵入した場合には、血球が層状をなして病原体を包囲したり、組織の細胞と協力し合って結節を形成し、周囲の細胞から病原体を隔離する。
6. リンパ様器官は中腸腺の前方に位置する小さな組織で、侵入した病原体を補足して生体を守る重要な器官である。
7. proPO活性化系とは、エビ類の血球に存在するproPOが、生体内に侵入した細菌のリボ多糖類やカビのβ-1、3-グルカン(多糖類)などで活性化されたセリンプロテアーゼによってフェノール酸化酵素(PO)となり、エビ生体内のチロシンやドーパなどのフェノール系の物質を酸化して、最終的にメラニンを生成する一連の反応をいい、この連鎖反応の中間生成物であるキノンや最終産物としてのメラニンが病原体を包囲して殺滅すると考えられている。


フィリピンにおけるブラックタイガー養殖の現状
(土居正典著、月刊養殖1997年8月号pp.100-103、
「SEAFDEC養殖部局インサイドレポート、3.甲殻類および新規特定プロジェクト」より要約)

1. 東南アジア各地やインド、中国においてウシエビ養殖の壊滅的打撃にかんするニュースがいたるところで聞こえてくるが、フィリピンも例外ではなく、著者は昨年9月にネグロス島の養殖池を調査したが、まさに惨憺たる状況であった。最盛期は360経営体が稼働していたが、現在では300以下、池入れしている経営体は50%以下であり、その大半はエビではなく、ミルクフィシュとなっている。
2. ここでのへい死原因は Luminos バクテリア(Vibrio sp.)とされており、エビの生残率低下にくわえ、出荷価格の低下に拍車をかけている。
3. この地域には輸出向けエビ加工工場が3ケ所あったが、現在は1ケ所だけとなり、病気による国際価格の低下を理由に安く買い付けている。
4. 当初、集約的養殖池の生産性はha(10,000平米)あたり6トンに達し、中堅的な10haの経営体での粗収入は日本円で4,000万円に達していたと推察される。
5. SEAFDECでは、マングローブ域のエビ資源増養殖の可能性についての生態学的研究なども実施し、集約的養殖一本槍の業界とは別に、代替的養殖手法についての検討も進めている。また、エビ養殖に限らず大量に使用されるようになってきた抗生物質の使用に関する基準作り、近年開発された善玉バクテリアによる悪玉バクテリアの相対的防御方策の実証試験などが特定プロジェクトとして組まれ、実施されている。
6. Luminos バクテリア対策については休耕や粗放的養殖に回帰するという消極的な方策ではなく、Bacillus sp. などの善玉バクテリアで制御する新技術(プロバイオティクスとして市販されている)の実証、排水処理施設の改良など集約的方法を維持発展させるような積極的な技術試験が提案されている。


ブラックタイガー養殖の現状
(石川一三さんのホームページ「古都からのそよ風」より)

 石川さんは、東京水産大学の同期生ですが、卒業以来交際が跡絶えていました。しかし、私のホームページを見てくれて「私の知人にあなたと同じ名前の人がいますが、あなたは、その人ですか?」というメールが飛び込んできて、「まさに、その人です。」と旧交が再開しました。6月には養殖場を訪ねてくれて、20年ぶりの再会となりました。彼は京都の市場で主に冷凍エビを扱っています。アジア産が主のようですが、冷凍エビの事は彼に聞きましょう。(1997.07.26)

 『15年ほど前に、台湾で通称ブラックタイガーと呼ばれる車海老の仲間が養殖されるようになり、爆発的に生産量が増えた。一時、台湾がわが国の海老輸入国相手国のナンバー1になりました。あの小さな国の台湾が、養殖のおかげで世界で有数の海老の生産国になったのです。ところが、海老のウイルス病による大量弊死で、台湾の海老養殖は幕を閉じた。高密度養殖による養殖池の汚染が原因と言われている。養殖池の老朽化とも言われている。
 その後、台湾の養殖技術と資本がタイに持ち込まれ、タイは、わが国の輸入相手国のトップになった。養殖池の老朽化問題は解決されていないが、台湾に比べると海岸線の長さと国土面積がかなり違う。どんどん新しい池を作って、海老の養殖を行い生産量を維持してきた。最初はバンコク市内から始まり、次第にその周辺に拡大し、その後マレー半島を南下して行った。そのころには、バンコク市内の池は老朽化が進んで生産量は激減したが、南タイの生産量がそれをカバーした。しかし、タイの経済が急激に成長したために生産コストが高騰して、安く海老が作れなくなった。
 次はインドに養殖ブラックタイガーの生産地は移った。インドは、もともと天然海老の生産量は多かったのだが、電力、道路等の問題で品質的にあまり良いものが出来なかった。近年東海岸を中心にかなり良い製品が出来るようになったのと、価格面で他の国よりも安いので、現在ではほとんどインド産のブラックタイガーが店頭で販売されている。
 インドネシアも養殖ブラックタイガーの主要な産出国である。鮮度の良い製品がここ数年増えている。島国であるこの国は、海老の養殖に適した自然環境は整っているが、インドと同じで、道路、電力問題で生産量は伸び悩んでいる。しかし、インド、タイと並んで現在、わが国の主要輸入相手国である。
 フィリピンもインドネシアとよく似た島国で、養殖ブラックタイガーの生産量は多い。日本へは、有頭として輸入される量が多い。わが国の市場における、フィリピン産有頭ブラックタイガーは評価が高く、タイ産有頭ブラックタイガーと並んで珍重されている。』


北海道野付湾のホッカイエビ
(NHK総合、「ひるどき日本列島」1997.07.04 放送)
(NHK総合、「水と漁の旅」1997.07.18 放送)

 NHK総合テレビで、北海道野付湾のホッカイエビ漁について相次いで放送されました。

 「ひるどき日本列島」では、「北海道とれたて旬の味めぐり、ホッカイシマエビ」と題して、NHKの田中アナウンサーと随分前、子役の「チー坊」が印象的だった、杉田かおるさんの案内で、野付湾で10年以上エビ漁をしている、豊田幸雄さんの操る打瀬船(うたせぶね)の船上から中継された。
 打瀬網漁は、6月11日から始まり、放送されたころがピーク。ホッカイエビはアマモという海草の繁るアマモ場に生息するので、アマモのある場所で漁をする。
 アマモの名の由来は長い藻の根元の方をかじると甘い味がするからだそうだ。秋に渡りをするハクチョウやカモ類はここでアマモを食べて元気をつけてまた渡りを続ける。
 打瀬網漁は明治時代からの伝統的な漁法で、漁は一人で行い、機械を使うとアマモを切ってしまうので、アマモをいためないように、今も風の力を利用して網を曳くので風がないと漁ができない。場所によって違うが、1回、20-30分網を曳く。朝5時から漁を始め、午前11時のセリにいったんもどってからまた漁に出て、昼の2時のセリに戻る。
 資源の保護のため、体長8.5cm 以上のエビを持ち返り、それ以下のものは海へ返している。

 「水と漁の旅」では、「エビ打瀬網漁」と題して、同じ野付湾別海町で打瀬網漁をする漁師は31人いるが、名人といわれた白土正隆さんのあとを6年前に継いで漁をしている正義さん(45才)を中心に打瀬網漁の様子が紹介された。
 漁は、風がないとできないので、朝4時、白土さんは起きるとすぐ庭の桜の木や松の木を観て風を読む。漁が始まるのは朝4時45分、この日は風がでるのを2時間ほど待ち、まず31隻の船が港の外へ出たところに集まり、旗の合図でヨーイドン、網を曳く場所で漁の出来、不出来が決まるので場所取りを公平にするため同時にスタートして、一斉に漁場へ向かう。
 野付湾の水深は50cm~3m と浅く、アマモが繁茂していて、ホッカイエビはそのアマモを棲みかにしている。
 漁場に着くとまず網を入れ、風の強さ向きに合わせて帆をはる。風の力で歩く程の速さでゆっくりと曳く。この日は風がほとんどないのでサオも使って船を動かす。風のあるときは8~10回ほど網を曳くが、この日は5回しか曳けなかった。それでも50kg の漁獲で、風のないわりには大漁。
 正義さんは、「エビ漁は一番の楽しみだね。お祭りみたいなものだよ。」と話す。

     

夏の浜名湖旬のエビに周富輝突撃
(TBS系、「ちょっといわせて」1997年7月16日放送)

 今度は、TBS系のお昼のワイドショー「ちょっといわせて」という番組の「旬の食材探しの旅」というコーナーで浜名湖の天然クルマエビを、私の住む町、雄踏町で取材された話題が放送されました。「ちょっと?」と首をかしげるところもありましたが、楽しく視聴しました。細かいことは抜きで確かと思われるところを要約して紹介します。

 浜名湖で行われている漁を、雄踏町のベテラン漁師、松山武司さん(63)の案内で観て回る。カキの種付け、アサリ漁、流し網漁、が紹介され、スッポンの養殖場「服部中村養べつ場」では場長の鈴木謙輔さんの説明で「1池3000匹のスッポンが入っていて、全部で100万匹前後を養殖している。」そうだ。ここまでは昼の部で、クルマエビは夜行性なので、夜行われる「たきや漁」、早朝エビを取り上げる小型定置網漁の「かくだて漁」が夜の部として紹介された。浜名湖のエビは主に「かくだて」で漁獲され、「たきや」は水がきれいで風がないときにしかできない。浜名湖の魚介類の味が良い秘密は、たきや漁の名人、神村伊代嗣さん(62)が「浜名湖は海水と淡水が混じりあって、エビでもカニでも味にコクがある」と説明しています。浜名湖は食材の宝庫で、クルマエビの他にもスズキ、クロダイ、ヒラメ、ノリ、カニ、アナゴ、アサリ、ウナギ、スッポン、シラスが挙げられていた。
 浜名漁協雄踏支所のセリ場も紹介されて、入札によるセリ風景が観られた。このとき、ひとザル70尾入ったクルマエビが1,800円(重さは計らず、仲買さんの推量で値踏みする)でセリ落とされたのが紹介され、漁師さんの話しで「これが東京へいくと、1尾400~500円」と、「その日東京築地では1kg40尾のものが1万円!」とも紹介されていました。(このあたりの値段の差が生まれる事情は「築地市場への訪問記」、「築地市場への出荷始まる」を参照してください。)
 そして、漁師の松山さんのお宅で奥さんの手料理と、周さんの料理指導が続きました。


クルマエビの謎と究極のフライ
(テレビ朝日系、「ワイド!スクランブル」1997年6月24日放送)

 お昼のワイドショーの「ワイド!スクランブル」の中の「知ッ得グルメ、キッチンの主役」というコーナーで、『今が旬!車海老 天然vs養殖』と題して、クルマエビの天然と養殖ものの味の差について、以前、「欽ドコ」にでていた藤井暁アナウンサーが天然ものにこだわって取材した様子が紹介されていましたので要約します。

1.世界各国のえび輸入量(国際農林水産統計1995年版より)

    日本

  28.7%

   アメリカ

  24.5%

   スペイン

   8.6%

   フランス

   6.2%

   デンマーク

   4.6%

2.殻にふくまれるキトサンの効果
  キトサンは良質の食物繊維で、コレステロールを改善、血圧上昇を抑制し、免疫活性を高める働きがある。また、抗菌物質であるので、抗菌シートなど様々な商品につかわれる。アトピーにも効果がある。

3.天然、養殖どちらがおいしいか。
  藤井アナが最初に訪ねたのは、各界著名人が絶賛する寿司店『銀座 久兵衛』。主人の今田洋輔さんは養殖ものを使っており、「クルマエビについては、天然も養殖も味はかわらない」との返事。ちなみに、このお店でのクルマエビの握り一カン 1,200円~ です。
 次に訪ねたのは、築地市場。一日当たり2~2.5トン入荷していて、内25%が天然、75%が養殖で、この時期、天然ものは、静岡県浜名湖、大分県別府、長崎、熊本から入荷している。また、海外からはオーストラリアから入荷している。そして、市場でも「天然と養殖にこだわりはない」との返事。
 築地場外の海老専門店『海老の大丸』のエビの目利きとしても有名な井上副社長は「天然と養殖の区別はプロにしかわからないでしょう」と藤井アナに国内産のクルマエビを見せ、浜名湖の天然ものと、国内産の養殖ものを食べ比べさせ、味は変わらないことを納得させた。

4.車海老に一生を捧げた男、藤永元作物語
  
藤永先生は、昭和の始め、東京帝国大学の学生の時「皆に車海老を食べさせたい」と思い、商品価値が高いのにその生態はまったく不明であるので、研究を始めた。試行錯誤を繰り返し、成功したが、実用化にはその後20年かかった。昭和48年心不全で亡くなったが、その後、養殖技術が各地で普及し、今では、クルマエビはキッチンの主役となり、手軽に食べられるようになった。

5.知ッ得情報
  中華料理の『銀座アスター』の料理長、久保木武行さんは、「中華の場合、油とか強火、色々な調味料を使い味を加工するので、天然、養殖の違いがでずらくなるのが特徴です」と話す。
  世界中のエビを食べてきた『ニッスイ』の「エビ課長」といわれる上西敏之さんは、「冷凍エビでこれからは、メキシコブラウンインドネシアバナナ、インドネシアエンデバーシバエビの近縁種)が市場に多く出回るようになる。」と話す。
  『割烹 えび田』の二代目、戸田裕さんによる、豪華なえび天丼やクルマエビのフルコースが紹介され、なかでもエビの身を味噌(中腸腺)と塩であえしばらくねかせて作る「塩辛」は絶品とのこと。

6.江戸前の天然クルマエビのエビフライ
  天然、養殖のクルマエビの味は変わらないと知った藤井アナは、それでも江戸前の天然にこだわり、東京湾の漁師歴30年の小松原茂郷さんの底曳漁船にのせてもらい、6尾のクルマエビをてにいれ、ホテルオークラのレストランへ持ち込み、シェフの神谷政雄さんに「超豪華江戸前天然車海老のフライ」を作ってもらい、それを賞味し、エンディングとなる。


有明海ではタイショウエビが放流されている

 本来すんでいる海域と有明海の環境が似ており、また、成長が非常に速く、種苗生産の技術開発もあって、昭和61年から毎年有明海に試験的に放流されている。平成8年までの放流尾数は2千万尾以上にのぼり、放流の効果も良好で特産エビとして定着しつつある。有明海では、5~6月に2cm程度の大きさで放流されたものが、8月にはシバエビと同じくらいの全長10cm程度となる。それまでは主に河口付近に分布するが、その後徐々に深みに移動する。11~12月には最大の大きさとなり、その後、交尾し、10mより深い場所で越冬する。翌春には再び沿岸周辺に移動する。クルマエビのように海底に潜ることはなく、群をなして泳ぐ。メスの方が大きく25cm程度、オスは最大でも20cmに達しない。10cmより小さい時はあんこう網等で、それより大きくなると刺網等で主にとられ、年間10トン程度は漁獲されていると推測されている。


熱帯の海が育む共生の輪
(ナショナル・ジオグラフィック日本語版1997年5月号p.171)

 熱帯の海では、エビとイソギンチャクの共生関係が見られる。西インド諸島周辺で見つけた大きなイソギンチャクの触手の間を、刺されずにはい回る、体長約2~3cmのイソギンチャクカクレエビの一種は、イソギンチャクの出す粘液をエサにし、天敵の魚からも身を隠せる。では、イソギンチャクにはどんな得があるのか。米国コティカット大学海洋科学技術センターのスティーブン・スポットは、こう説明する。
 イソギンチャクは自分の組織の中に入り込んだ単細胞の藻類、ゾーザンテラ(褐虫藻)から養分をとっている。熱帯の海では、藻の増殖に必要な窒素が乏しい場合が多いが、エビが共生していれば、その排泄物中のアンモニアから窒素が得られる、というわけだ。


エビ好き日本人必見・天丼とマングローブ
(日本テレビ系「今日の出来事」1997.05.07 放送)

 ニュース番組の特集枠で「天丼とマングローブ」と題して、東南アジアのブラックタイガー養殖によるマングローブ林の破壊とそれを教訓にしてマングローブとの共生を計って養殖しているベトナムの様子や、インドネシアの一部で自然に優しい方法(伝統的な粗放養殖)で養殖している様子などが紹介されていましたので要約します。

1. アジア地域でのエビ養殖の現状
 
ブラックタイガー(ウシエビ)は、安くて大きいので日本で人気があり、アジア地域で養殖されている。しかし、過密な大量養殖でエビに病気が発生しがちで、病気を防ぐために薬漬けにされ、池が使い捨てになっている。

2. 日本への冷凍エビの輸出量

1

インドネシア

64,000トン

2

インド

55,000トン

3

タイ

33,000トン

4

ベトナム

28,000トン

5

中国

16,000トン

3. ベトナムでのマングローブとエビの複合型養殖(食材探検家、中西純一氏の取材)
 1960~1975年のベトナム戦争でアメリカ軍が使用した枯れ葉剤により東京都と同じ面積のマングローブ林が失われたが、その後の植林でマングローブの森がよみがえった。
 ベトナムの日本への輸出品の額では、エビが第3位で、メコン川河口でエビ養殖が盛んに行われている。河口に位置する街「ベンチェ」の養殖場が紹介され、エビ池の中にマングローブを植林し、薬のかわりに自然の力を利用して養殖している様子が紹介されていた。
 また、ベトナム最大のマングローブ地帯「カマウ」では、この5,6年間に政府の主導で入植がすすめられ、エビ養殖がおこなわれている。ここでは、アジア各国の自然破壊を教訓に、マングローブ林の中に細長い溝を掘っただけの独特な方法で養殖している。人工飼料も薬も撒かないこの方法は、マングローブにも悪い影響を与えない。
 こうした方法は、集約的な養殖に比べて、収穫は1/100だが、過密な養殖をする人はいない。こうした養殖はベトナムが計画経済の国だからできるのかもしれない。

4. インドネシアから輸入されている「エコ・シュリンプ(Eco Shrimp)」
 
日本の堀田正彦さんが、インドネシアで行われている、自然に優しい方法(伝統的な粗放養殖)で養殖されているブラックタイガーを現地の人達との繋がりを大切に商品化し、「エコ シュリンプ」のブランド名で生協や自然食品店で売られ、好評である。

5. 結語
 
こうした粗放的な方法で養殖されたエビはわずかで、日本人が食べているブラックタイガーのほとんどは、過密な養殖で育てられたものである。エビを食べれば食べるほどマングローブの森が破壊される。この現実を変えるには、そのエビがどの国でどのように養殖されているかに興味をもつことが出発点になるのかもしれません。


●春本番サクラエビ漁駿河湾で始まる(中日新聞 1997.04.02)

(全文) 春本番を告げる、駿河湾特産のサクラエビ漁が一日夜、駿河湾で始まった。
 同漁は先月26日、春漁が解禁となったが、天候の悪さなどから出漁が延びていた。春漁は6月5日まで続けられる。
 初漁となったこの日は午後5時、静岡県志太郡大井川町の大井川港と同県庵原郡由井町の由井漁港などから、エビ船120隻が一斉に出港した。
 船は、吉田沖から沼津沖まで漁場全域に広がり、沖合い3、4キロ付近を中心に、エビの群れを探索した。このうち、大井川港や焼津市の小川漁港から出た船は小川沖から吉田沖にかけて網を入れたが、群れは少なく、午後8時すぎ、漁を打ち切った。
 大井川港に帰港した船は、各船とも15キロ入のエビ箱4箱ほどの水揚げ。
 例年に比べ数量はかなり少なかった。漁師らは「型もやや小ぶり。潮が悪く海水が濁っていた。潮がよくなれば、魚群も探しやすくなるだろう」と期待を込めていた。

●JICA マングローブ保護へ(読売新聞 1997.03.11)

 (全文)国際協力事業団(JICA)はこのほど、激減しているフィリピンのマングローブ林の保護に向け、資源調査を実施することで比政府と合意した。フィリピンのマングローブ林は、日本向けのエビを養殖するため乱伐された経緯があり、政府開発援助(ODA)による“罪ほろぼし”に乗り出す形だ。
 JICAは今年11月から、ルソン島北部や南西部のパラワン島でマングローブの分布状況を調べ、資源保全の前提となる基礎データを集める。
 同時に建築材などマングローブの利用状況も調べて、周辺住民の意向を反映する形でマングローブ林の減少をくい止める方策を探る。
 今世紀初頭フィリピン全土で約50万ヘクタールにおよんだマングローブ林の面積は、88年には14万ヘクタールまで減少した。消えた面積の7割まではエビ養殖池になったと見られる。大半は対日輸出用で、80年代のブーム時には日系自動車メーカーまでが競って養殖に参入した。
 だが、近年はインドネシアやベトナムといったコストのより安い国に押され、フィリピンの輸出量は過去5年でほぼ半減。養殖をやめ放置された池も目立っている。
 マングローブは海岸地帯に群生する塩生の木で、地中から根っこを引き抜いたような形の「気根」で知られる。建材、紙の原料となるほか、防波堤の役割も果たし、周辺水域は稚魚や稚エビの生育環境となる。

●クルマエビの一尾飼い試験で得られた情報(雑誌“養殖”1997年1月号pp.73-74)

 (株)南国飼料の堀内洋一郎さんが飼料開発の際に行った様々な実験のうち、これまで見られなかった、一尾ずつ飼育することで得られた興味深い結果を発表されているので要約して紹介します。

(1)脱皮と摂餌の関係 :脱皮殻を確認した朝は、前日の餌がそのまますべて残っているが、翌日からしばらくは最高の摂餌を示し、後は下降気味にバラつき、次ぎの脱皮前日には激減して当日にゼロになる。実際の養殖場で、水温変動による脱皮ではない時に脱皮殻が急増していたら摂餌が減ってあたりまえで、その夜から猛烈に食べるということを認識すべきです。
(2)脱皮と増重の関係 :脱皮の周期・回数は生長の速い遅いにあまり関係なく、同じ間隔・回数で行う。エビは、脱皮の都度、階段状に増重するだけでなく、脱皮と脱皮の間にもかなり生長する。 一尾飼育での低生長のエビは、脱皮直後も中間期にも生長はにぶく、その原因は群飼育における、いわゆるビリの多くの場合とは異なり、腸管の(発育異常とも思える)萎縮です。

●鮮度抜群 桜エビアイス(中日新聞 1996.11.15)

 以前、浜名湖北方の引佐町にある鍾乳洞“竜ケ岩洞”を訪れた時に、そこの売店のアイスクリームがおいしいと有名なので、数有るメニューから“ワサビ味”を選んで食べたことがある。なかなか風味のよい味で、ペロリペロリと食べてしまったが、後で胃の中が焼けるようであった。このワサビ味の中にクルマエビのサシミを入れるとうまいかもしれないと、この記事を見て思いました。

●「Taura Syndrome」より(Taura Syndrome(英語))

 (抜粋訳)この病気は、1992年6月に、エクアドルのGuayaquil湾にあるTaura川の河口近くにあるエビの養殖場で最初に認められた。
 初め、タウラ・シンドローム(TS)はバナナ農園で使われる殺菌剤に関係すると思われたが、後に、TSに罹ったエビから一致した結び付きとして、1種類のバクテリア(Vibrio harveae)と3種類のウイルスが発見された。これらの病原体に結び付くものは、その後タウラ症候群と名づけられた。
 TSは、池入れ後10~14日以内の稚エビ(体重0.1~5グラム)に最もよくみられる。
 この病気は、主として殻のすぐ下の組織を侵す。
 瀕死のエビは、赤色素が拡散して体色がうすい赤色になる。
 発病したエビは、普通、脱皮の時に死亡する。脱皮時に生き残ったもは、回復するか、もしくは慢性的に冒され、特に“shell disease”のようにメラニンが沈着した傷がみられる。
 この病気は、発見されて以来、エクアドルからペルー、コロンビア、ホンジュラス、ハワイのオアフ、日本(PAV)、中国に広まった。最も最近では、1995年5月に、テキサスのリオグランデ・バレーのPacific white shrimp(P.vannamei)の種苗生産場で発見された。  すべての場所で、この病気がどのように感染したのかは不明である。
 この病気が発生した後、テキサスのエビ養殖業者は、養殖対象種をPacific white shrimpからメキシコ湾に産する在来種のWhite shrimpに変えた。

●「海産エビ類の養殖の発達と現状そしてその未来」より(Darryl E. Jory,1996(英語)

 (抜粋訳) 海産のエビ養殖は、1980年代の始めから急速に拡がり、現在では海産エビ類の総生産の1/4に達する。
 すべての水産物の漁獲量は1989年に約9000万トンでピークに達し、その後はほぼそのレベルで推移しており、最大維持生産量に近い生産を揚げていると思われる。
 近年、エビの漁獲量は約200万トンでピークに達し、それ以上の生産は養殖による。
 海産エビ類の養殖は世界中の50カ国以上で行われているが、その生産量は、アジアとラテンアメリカにある12カ国に集中している。1994年では、これら12カ国が養殖エビの生産量の96パーセントを占め、アジアの8カ国で80パーセント以上を占める。
 生産量の第1位の国は、過去数年の間にエクアドルから台湾に、そしてインドネシア、中国、タイと変化している。
 タイは、深刻なエビの病気の問題があるにもかかわらず、過去4年間、1位の生産量を保っている。1994年には生産量の世界新記録を達成し、それは2位、3位の国の2.5倍に達した。
 世界中にエビは約2,500種類あるが、養殖されているのは12種類ぐらいで、そのなかでも、量的に多く生産されているものは数種類にすぎない。
 ウシエビ(Penaeus monodon)は、過去3年間、世界のエビ生産量の半分以上を占める。
 1992年以来、ウシエビとホワイトレッグ・シュリンプ(P.vannamei)の2種で養殖エビの生産の63-76パーセントを占める。
 ホワイトレッグ・シュリンプはラテンアメリカでのエビ養殖の90パーセントを占める。
 ブルー・シュリンプ(P. stylirostris)は、タウラ・シンドローム・ウイルスと呼ばれる病気に感染しないので、その養殖がホワイトレッグ・シュリンプに代わって増加している。
 東南アジアでは、P.indicusP.merguiensisの養殖が、ウシエビを養殖してきた人達に注目されている。
 近年、いくつかのエビの病気が発生し大きな問題となり、過去10年間における養殖エビの第1位の生産国(中国、タイ、インドネシア、台湾、エクアドル)を含む、いくつかの国々でエビ養殖産業のすさまじい崩壊が起こった。これらの国々に共通してみられるのは、急速で無制限な開発と病気、特に、ウイルスによる病気が増加したことである。
 ウイルス病の発生は1994年にインド、タイ、ベトナム、バングラディシュ、エクアドル、ホンデュラス、コロンビア、メキシコなどでみられた。
 いくつもの新しいウイルス、例えば、China Baculovirus、Taura Syndrome(TS) virus、Yellow-head virus、などが大規模に伝染し大きな経済的損失を与えた。
 感染したエビを発見し締め出すための重要な味方として、DNAが試験される有益な道具があらわれた。IHHN ウイルスを発見するためのものはすでに市販されており、TSウイルスについても2、3カ月のうちにできるようだ。(これは、日本でも現在ウイルスに感染しているかどうかを検査するために行われている、「PCR(Polymerase Chain Reaction;ポリメラーゼ連鎖反応)法」の事と思われる)

●海綿の中で君臨する女王エビを発見!(クォーク1996年9月号p.30)

 (全文) 動物界で「女王」というと、すぐアリやハチを連想してしまうが、海にも女王が健在することが、6月6日号「ネイチャー」掲載の論文で発表された。
 シナルフェウス・レガリスは、中南米の国ベリーズの珊瑚礁で海綿の体腔などに生息する。そのエビのコロニーからは平均180匹の個体が見つかっている。しかし、どのコロニーをとってみても卵巣、ないし卵をもつ生殖可能なメスは1匹しかいなかった。
 アリやミツバチのように「女王」を中心に世代が重複するコロニーをつくり、集団で子育てやエサ集めをすることを、真社会性という。エビのコロニーの中には卵からかえったばかりの幼生も確認されており、エビが生まれたコロニーで育てられることを示唆している。また、遺伝子を調べたところ、同じコロニーで暮らす個体は血縁度が高く、すべて女王エビの子である可能性が高い。
 真社会性の動物の最大の特徴は、みずからは子孫を残さない個体が子育てを手伝うことだ。このエビは住みかにしている海綿を食べているらしく、エサには困らない。一方、ハサミを使って侵入者からコロニーを守る、女王ほどではないが大きな個体が確認されており、これが生長中の幼生を守っていることはほぼ間違いない。
 海で、そして甲殻類で真社会性の種が発見されたのはこれが初めてのことだ。しかし、これらの生物には、巣穴などに密集して暮らすという大きな共通点があり、今後はどのような条件下で社会性が進化するかの研究が進みそうだ。

たきや漁と笹漬け漁(水と漁の旅,NHK総合1996年7月27日放送)

 「水と漁の旅」という10分ほどの短い番組の特集編が放送された。川や湖で今も行われている伝統漁法を紹介している番組だが、エビに関係するものが二つ紹介された。

 「たきや漁」は、私も住んでいる所の浜名湖で行われている漁法で最近しばしばテレビで紹介されている。この番組では、クルマエビを獲る「かぶせ網」にスポットをあてていた。(浜名漁協の雄踏支所、TEL053-592-1063、では観光たきや漁の受け付けをしています)

 「笹漬け漁」は、宮城県若柳町の伊豆沼で白鳥の飛来する冬に行われているそうだ。カラタケという細いタケの葉をたばね、40たばほどを平均水深が1mもない伊豆沼に1週間ほど漬けておき体長1~2Cmの「ヌマエビ」を獲る。このヌマエビを使っての名物「えび餅」の作り方も紹介されている。鍋にヌマエビを入れ、かるく塩をして5分ほど火にかける。醤油で味付けしたエビをつきたての餅にからめるとおいしいえび餅のできあがり。

●エビのクチから奇妙な生物を発見(ナショナル・ジオグラフィック日本版1996年7月号p.166)

 (全文) 新種の発見は後を絶たない。これまでに分類、命名された約150万種の動物は、体の基本構造や発生の違いから、「門」と呼ばれる35のグループに大分類されている。ところが、その 数が36に増えそうだ。
 そのきっかけは体長1mm足らずの生物。デンマーク・コペンハーゲン大学のラインハート・モバーグ・クリステンセンとピーター・フンクが、ヨーロッパアカザエビ(Nephrops norvegicus)の口器から見つけたこの「シンビオン・パンドラ」は、奇妙で複雑なライフサイクルを持ち、新種どころか、新しい「有輪動物門(Cycliophora)」の生物として発表された。
 この生物は無性生殖でも増え、出芽と幼生いずれの形態もとる。この時期にはエビの口器の、繊毛に覆われた付属肢に体を固定し、宿主のエサのおこぼれにあずかる。だが、エビはよく脱皮するので、置き去りにされないように脱皮を化学的に察知し、有性生殖を始めるらしい。精子を持った小さな雄が生まれ、雌の個体を受精させると、水中を自由に泳ぐ個体が誕生する。これらが無事脱出して別のエビの口に引っ越し、再びこの不思議な循環を繰り返す。

●イセエビ、知られざる一生(所さんの目がテン!,日本テレビ系1996年6月9日放送)

 日曜日の朝7時は朝食をとりながらテレビを観るが、いつも子供に「ビーファイター」でチャンネルをとられるので,この日はビデオに録画した。じっくり観たのは今回が初めてで、内容がよくまとまっているので感心した。その内容を以下に要約します。

 エビの消費量は世界一で一世帯一年あたり7000円分購入する。
 1995年の輸入額も輸入食品中ではエビが約4000億円、豚肉約3700億円、牛肉約3200億円、トウモロコシ約2300億円、カツオ・マグロ約2000億円でエビがNo.1。(私としては豚肉がNo.2というのに驚かされた)

 イセエビの成長過程が、卵-フ化-フィロゾーマ幼生-プエルルスへの変態-稚エビと各ステージごとの映像とともに紹介されている。(私は大学の卒論研究でプエルルスから稚エビ期の生態の潜水観察をしていたので、フィロゾーマからプエルルスへ変態する映像を観る事ができ大感激しました。)

 イセエビの生態についてもまとめられていて、棲所、食性、10秒足らずの交尾、産卵の様子、天敵であるタコとの関係とそれを利用した漁法などの映像も観られた。

 イセエビ以外のエビの映像は、イセエビの仲間としてニシキエビ、ゴシキエビ、カノコイセエビ、ケブカイセエビ、セミエビが、身の守り方としてカクレエビの仲間のガンガゼカクレエビ、ウミシダヤドリエビ、アカシマシラヒゲエビ、アカホシカクレエビが、その他にカチンとハサミで音をだすテッポウエビの一種、クルマエビの潜砂行動が観られた。

 この番組は名古屋で公開録画されていて、名古屋名物として「天むす」、「エビフライ」、桐箱入り5000円の「エビせんべい」が紹介されていた。やはり、エビといえば「名古屋」できまり、ということか。ちなみに、番組冒頭で所さんがかぶっていた金のイセエビはどうみても「金のシャチホコ」をイメージとしてデザインされていた。

 この番組はずいぶん前から放送されているようだが、今まで観てこなかったことが大いに悔やまれる。

  

●命拾いをした80歳のミナミイセエビ(月刊SINRA,No.29,1996年5月号p.162:SINRA CLUB)

 (全文): 米国メーン州では熱湯で殺されるロブスターが取り沙汰されているが、ニュージーランドでは巨大な年取ったミナミイセエビの命が救われたというお話し。
 ファンガレイ市に住むダイバーのデイブ・デント氏が、グレートバリア島の海に潜っていた時に、 体重9キロもあるミナミイセエビを捕まえた。「こんなにデカイのは見たことない」というので、彼はこれを記念の剥製にしようと考えた。そのためには殺して、中身のお肉は食べてしまおうというわけ。
 ところがその計画について市内の魚類博物館の館長ジョージ・キャンベル氏に相談すると、「いや、待て。殺すのはいけない。このミナミイセエビはメスで推定年齢80歳。そんなに生きてきたのだから、海に戻してもっと長生きさせてあげようじゃないか。でも君にはちゃんと記念品はあげられるからね」と言う。キャンベル氏はニュージーランド有数の海洋生物剥製師でもあり、彼女の次の脱皮を待ち、その脱け殻で複製を作ってくれるというのである。結局、デント氏もその案に賛成。いつになるかわからないが、脱皮の日までこのミナミイセエビは博物館で飼われることになった。キャンベル氏曰く、「海に返すことになっても、すぐに人間に捕まって食べられるようでは困る。どこか安全な場所を探さなければ」
 彼女はたまたま80歳という高齢で、それが希少価値だったので、命拾いをすることができた……。

 

ロブスターは痛みを感じるか(月刊SINRA,No.29,1996年5月号p.162:SINRA CLUB)

 (全文): ロブスターは米国メーン州の名産だ。巨大なハサミを持つ食用のその大エビが、動物愛護協会の最近のターゲットになっている。ロブスターを生きたまま煮え湯に入れる料理法が「残虐である」というのだ。そしてこれに賛同する全米各地の人々の間で、食料品店から生きたロブスターを購入し、北米東部へ空輸して、海に放す運動が盛り上がっている。
 これを深刻に受け止めたメーン州ロブスター産業組合では、各小売店に「ロブスターの神経システムは極めて原始的で、人間のような苦痛は感じない。沸騰したお湯の中に入れるのは、最もヒューマニスティックな殺し方である」という情報パンフレットを配布した。これに対し、愛護協会側の運動の看板を務める女優のメリー・タイラー・モーアは「ロブスターはきちんと社会的な生活を営む生き物であり、もちろん人間と同じように痛みを感じます」と反論。
 妥協案として、料理する前に冷蔵庫に保管して感覚を麻痺させる、冷凍室に数分いれる、などの提案が科学者たちから出されたが、協会側はこれを断固拒否。「ロブスターにとって安楽死なんてありえません。犬や猫のように可愛くないとはいえ、彼らにも苦痛や快感を味わう神経があるのです」という。
 一方、30年以上の経験を持つロブスター漁師、グレッグ・グリフィン氏は「ロブスターは獰猛な肉食生物で、共食いも何とも思わない。長年観察している私から言わせると、ホラー映画の主役に相応しい生き物です」と同情心の薄い発言。ロブスターの権威とされる海洋学者のジェリー・アテマ博士は「個人的にはロブスターは痛みを感じていると思う」と語る。「でも僕はロブスターを食べます」
 馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでのこんな運動も大真面目に取り沙汰されるところが米国らしい。が、グリフィン氏の次の発言にはうなずけるものがある。
 「我々は生きるものを全て救うことはできません。トウモロコシだって痛みを感じてるかもしれない。草を刈る時はバッタを殺してしまうのではないか。我々の文明は洗練されすぎて、生きることの現実感を失いつつあるのです」

●踊り出す 新種赤エビ(中日新聞 1996.05.20)

 (全文): この世にたった一匹、突然変異で誕生した真っ赤な小エビを足掛りに、赤い種ばかりを殖やす栽培法を、愛知県渥美郡田原町豊島、すし店主鈴木久康さん(48)が開発、このほど特許庁に品種と栽培法を特許申請した。在来種は鑑賞魚の水槽のコケを食べる掃除役という地味な役回りだったこの小型淡水エビ。新種は水槽にルビーのかけらをちりばめたような姿で"主役"に躍進。熱帯魚マニアの注目を集めている。
突然変異をおこしたのは東南アジア原産の「ビーシュリンプ」。体長2、3センチ。本来は半透明の体に黒のしま模様が入るが、鈴木さんが飼い始めて3年目の平成3年、約1000匹から最初の赤エビが見つかった。
 いったんとだえたが「赤の遺伝子を持ったエビが次の赤エビを産んでくれる」と隔世遺伝にかけ、栽培を始めたところ狙いは的中。三世代目の3000匹から赤エビ3匹が誕生した。「クリスタル・レッド」と命名し、水槽を増やして、現在は手元の5000匹、業者に出荷した3000匹の計8000匹を誕生させた。
 熱帯魚は中性の水が最も飼いやすいが、鈴木さんが使った自宅の井戸は弱アルカリ性の水。NHK教育テレビの番組「家族水族館」で熱帯魚飼育などの講師を務めた山田洋さん(53)=長野県諏訪市=は「淡水エビも先祖は海から上がってきた。海と同じ弱アルカリ性が、エビが隠し持っていた赤くなる因子を引き出したのでは」という。
 設備代などこの6年間に約800万円を投資した鈴木さん。「偶然出会えた新しい命を世に出したい一心だった。赤エビは私が打ち込んだあかしになってくれる」と特許申請に踏み切った。

●新種?エビの化石(中日新聞 1996.04.22)

 (要約): 大阪府から淡路島にかけての7000万年前の地層からエビの化石5点が産出し、新種とみられることが、岐阜県瑞浪市化石博物館の鑑定で分かった。
 化石はいずれも数センチから10センチ前後の大きさ。ザリガニ科のオンコパレイアの仲間とみられ、額角や、6つの節からなる腹部の第5節、第6節に、とげのような特徴的な形が見られる。1尾が まとまって産出したものはないが、胴や腹部、はさみや歩脚の一部が5点の化石から確認でき、額から尾までの体長は約15センチ、はさみや触角を含めると20数センチと推定される。
 オンコパレイアは現代のアメリカンロブスターに近い種で、化石はベルギーやオランダ、フランス、北米などで産出しているが、日本ではこれまで未発見。日本最古のエビの化石としては、1億余年前(ジュラ紀)のグレフィアが宮城県から、ウンキナが山口県からそれぞれ産出、8000万~6500万年前のハコエビが北海道で産出しており、今回の発見はこれらに次ぐ。
 化石を見つけた楓さんは「最初はアンモナイトかと思ったが、観察しているうちにエビらし
いと分かった」と話している。


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