2017年5月17日水曜日

共謀罪:赤狩りと同じ 「テロリスト」国家の胸一つ


毎日新聞
人員整理に反対して工場に立てこもり、レッドパージで検挙される労働組合員=1950年9月撮影
 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の国会審議が進む中、自らの体験をもとに廃案を訴える男性がいる。戦後最大の人権侵害とされる「レッドパージ」をめぐる全国唯一の国家賠償請求訴訟(2013年上告棄却)の原告の一人、大橋豊さん(87)=神戸市西区=で、近く最高裁に第4次再審請求を申し立てる。大橋さんは暗い時代を振り返り、「レッドパージも共謀罪も捜査対象を決めるのは国家権力だ。国は同じ過ちを繰り返すことになる」と危機感を募らせている。
67年前解雇の男性「家族も影響」危機感
 大橋さんは1950年8月、共産党員であることを理由に、当時の中央省庁の一つだった電気通信省神戸中央電報局を解雇された。当時、党員として職場環境の改善を求めて組合活動をしていた。上司からは「党員をやめたら首にせず、姫路への異動にとどめる」と迫られ、母からも泣いて「仕事をやめないでくれ」と頼まれた。しかし、大橋さんは納得できず断った。
 稼ぎ頭を失った母と3人の妹弟は家や畑を売り払って離散。母は絶望して尼寺に入り、中学を卒業したばかりの妹はバス会社の就職内定を取り消された。後日、妹から送られてきたはがきには「兄ちゃんは好きなことをしているけど、家族はたいへんな思いをしてるよ」と書いてあった。「つらかったね。この気持ちは経験した人間でないと分からない。共謀罪も同じ。捕まれば家族が巻き込まれる」
 当時は「戦後の国鉄三大ミステリー」とされる下山、三鷹、松川事件の直後だった。いずれも労働組合の関与が取りざたされ、世間では急激に「組合活動の中心を担う危険な共産党員は解雇されても当然」との空気が強まったという。「私たちはテロリストにされた。共謀罪で政府は『一般人は捜査対象外』と言うが、警察の判断一つで、いとも簡単にテロリストにされてしまう」と危惧する。
 解雇から約60年後の2009年3月、大橋さんは「レッドパージは憲法が定める基本的人権を侵害した」として、神戸市内の男性2人とともに全国初の国賠訴訟を神戸地裁に起こした。しかし、神戸地裁判決(11年)、大阪高裁判決(12年)、最高裁第1小法廷決定(13年)と敗訴。その後も最高裁に再審を申し立て続けたが、昨年6月には3回目の請求が棄却された。いずれも「国はGHQ(連合国軍総司令部)によるレッドパージ指令に従う義務があり、解雇は有効」との過去の最高裁判決を踏襲した判断だった。
 レッドパージから70年近くが経過し、被害者の高齢化が進む。昨年11月には原告の一人、安原清次郎さんが95歳で死去した。だが、昨年末に100歳になった川崎義啓さんは大橋さんと共に第4次再審請求に参加する。
 全国組織「レッドパージ反対全国連絡センター」の代表も務める大橋さんは「再審の見通しは明るくないが、人権が認められる社会になるまでは死ねない。そのためには共謀罪などいらない。まだまだ闘い続ける」と力強く宣言した。【望月靖祥】
 【ことば】レッドパージ
 米国占領下にあった1949~51年、日本共産党員やその支持者とみなされた人たちが、公職や企業から追放された一連の事象。被害者は1万人とも4万人とも言われる。第二次大戦後の東西冷戦の激化を背景にGHQが指令を出し、当時の吉田茂内閣が閣議決定や政令を通じて実行したとされる。

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