/// 編集部からのお知らせ ///
戦後のGHQや左翼による
「日本の軍人は絶対悪である」
という思想教育…
大東亜戦争の責任の全ては日本にあり、
戦前の日本は横暴な帝国陸海軍に
支配される暗黒期であった…
という、植え付けられた自虐史観
しかし、当時の帝国軍人教育を見直してみると、
私たちの抱くイメージとは
まるでかけ離れた姿がそこにはありました。
↓
>戦前の軍人教育の真実を知る
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
石塚正浩様こんにちは。
いつもルネサンス夕刊メルマガを
お読み頂きありがとうございます。
本日のメルマガを担当させて頂きます
政治経済部門の鈴木です。
本日の内容は
元海上自衛隊の惠隆之介先生の
「海の武士道」についての記事です。
大東亜戦争真っ最中の海の上で起きた
英国海軍と日本海軍の人間同士の物語です。
ぜひ、この真実を知ってください。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2003年、元英国海軍で
戦後は外交官として活躍した
サムエル・フォール卿が来日した。
「死ぬ前に、どうしてもお礼を言いたい。
この歳になっても、一度として
彼のことを忘れたことはありません」
フォール卿の来日の目的は
ある日本帝国海軍少佐を見つけ出すことであった。
〜英海軍艦の撃沈〜
大東亜戦争中の出来事である。
1942年2月28日
ジャワ島北東部スラバヤ沖にて
撃沈した英海軍駆逐艦「エンカウンター」
翌日には近くで
別の英国海軍巡洋艦「エクセター」が
撃沈され、
脱出した両艦の乗組員たちは合流し
連合国軍の救助が来てくれることを信じて
海の上を漂流していた。
しかし、いつまで経っても
味方の救助が現れることはなかった。
赤道に近い海の上で飲み水もなく
祖国に帰ること諦める船員もではじめていた頃、
一隻の小型艦が通りかかった。
それは、大日本帝国海軍の駆逐艦
「雷(いかづち)」であった。
当時はまさに戦時下で
漂流者の救出の義務もなく
ましてや敵軍であった英国軍人たちは
機銃掃射にあうのではないかと絶望していた。
〜敵兵を救出せよ〜
駆逐艦「雷」の艦長を務めたのは
海軍兵学校51期卒生の工藤俊作少佐(当時)だった
工藤艦長は海の上を漂う
英国海軍兵を発見すると
「敵兵を救助せよ」との号令を発した。
救助活動とはいえ、
艦を停止させれば
敵の潜水艦の格好の的となり、
傷病者を受け入れ
手当てを行うとなると
戦闘が行えなくなってしまう。
「雷」の乗組員は220名に対して
漂流する英海軍兵の数は400人以上
助けても反逆を起こされてしまうかもしれない。
そう言ったリスクを全て
考慮した上での決断だった。
「一番砲だけを残し
総員、敵溺者 救助用意!!
最低限の人員を残し
あとは全員 救助に向かえ!!」
工藤艦長のこの号令の元、
日本海軍兵による英海軍兵の救助が行われた。
日本海軍兵は魚雷搭載用のクレーンや
友軍救助の際でも使用を禁じられているハシゴ、
ロープに竹竿、使えるものは全て使って
救助活動を行なった。
英海軍兵はこのような状況でも秩序を守り、
負傷者、士官、下士官、兵の順番で
救助され艦に上がっていった。
当時「石油の一滴は血の一滴」と言われ
燃料を制御する機関長らは節約に努力していたし
艦内の真水は燃料を使って精製されていたので
乗組員たちも節約して水を使っていた。
機関長はこのまま救助活動を続ければ
戦闘時の燃料がなくなってしまうと上申したが、
工藤艦長は「漂流者は全員救助する」とし
最後まで救助活動を行なった。
この時救助された英海軍兵の数は422人に上った。
当時英国海軍少尉であったフォール卿は
このうちの1人である。
救助された英海軍兵1人に対して
日本海軍兵2人掛かりで世話をし、
重油にまみれた体を真水で洗い、
アルコールを染み込ませた木綿の布で丁寧に拭き、
被服と食料、飲み水を惜しみなく提供した。
そして、工藤艦長は英国海軍の士官を集め
「あなた方は勇敢に戦われた。
この艦において、あなた方は
日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
とスピーチし、士官室の使用も許可したのだった。
この時救出されたフォール卿は、
「雷」艦内で受けた厚遇を
「豪華客船でクルージングしているようだった」
と回想している。
そして、この出来事を
「たとえ戦場でもフェアに戦う、
戦闘を終えたあとは互いの健闘を称え合い
勝者は敗者を労る『日本武士道の実践』だった」
と述べている。
〜再会〜
フォール卿が初めて来日した2003年の時点で
工藤中佐(最終階級)はすでに他界しており、
遺族がどこにいるのか
墓がどこにあるのかもわからなかった。
しかし、この救助劇の話を聞いた惠隆之介氏は
「工藤中佐のお墓の所在と
遺族を探し出してみせる」
とフォール卿に約束し、
自身の海上自衛隊時代の人脈を駆使し、
ついに工藤中佐の墓と遺族を見つけ出した。
フォール卿は心臓病を患っており、
長旅は困難かに思われたが、
惠氏より知らせを聞き、再来日を強く希望。
そして、2008年12月、
フォール卿は工藤中佐が眠る
埼玉県川口市の薬林寺境内を訪ね
67年ぶりの再会を果たしたのだった。
帝国海軍は「サイレント・ネイビー」とも呼ばれ、
軍人には「己を語らず」というモットーがあった。
どんなに善い行いをしても
それを自らが語っては
その功は台無しになる。
工藤中佐も家族にも敵兵救出のことを
話すことなく他界しており、
遺族らがこの事実を知ったのは
フォール卿の訪問によってであった。
その5年後の2014年、
フォール卿は94歳でこの世を去った。
フォール卿は生前、
日本への国際世論の風当たりが激しい中で、
アメリカ海軍の機関紙や英国タイムズ紙に
「雷」の敵兵救助と工藤中佐を称える投稿文を掲載。
そして、1996年には
自伝『My Lucky Life』を出版し、
その本の巻頭には、
「帝国海軍少佐 工藤俊作に捧げる」
と書かれている。
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<著者紹介>
惠隆之介(めぐみ りゅうのすけ)
元海上自衛官。最終階級は二等海尉。
1954年当時、米軍統治下にあった沖縄に生まれた。
幼き日より海軍に憧れ、防衛大学校を卒業し、海上自衛隊に入隊。
海自幹部候補生学校(旧海軍兵学校)を経て、
世界一周遠洋航海を経験。その後、護衛艦隊に勤務。
1982年に退職し、
その三年後、昭和天皇が皇室史上初めて欧州をお訪ねになった際、
御召艦の艦長を勤めた提督を描いた「天皇の艦長」を出版。
昭和天皇が亡くなられた時に、枕元にあった本として
埋もれた戦前史を照らす衝撃と感動作として一躍注目を集める。
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///編集部からのお知らせ///
米国のアナポリス、
英国のダートマスと並んで
世界三大兵学校と評されていた
”伝説の海の学校”
そこで行われていた全人教育
「将校たるまえに紳士たれ」という教え
大東亜戦争中に敵兵救出を決行した
工藤俊作中佐も、この学校の出身である。
全国にその名をとどろかせ、
日本の若者たちの憧れの的であった
その学校の正体とは…
↓
>”伝説の海の学校”の正体を知る
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~先人の叡智を未来に繋げる~
Renaissance(ルネサンス)刊行にあたって
Renaissance(ルネサンス)とは、
14世紀にイタリアで始まった
「文化の再生・復興」運動を指します。
当時、疫病の大流行や飢饉。
百年戦争などの戦乱で人口は激減。
社会全体が危機的な状況に置かれる中、
人々は生と死について深く考え、
いかに生きるべきかを強く
意識するようになったといいます。
そこで彼らが手本にしたのが、
ギリシアとローマの優れた
古典文化でした。
その運動は大きなうねり
となってヨーロッパ全土に広がり、
より優れた中心的価値観の誕生とともに、
新しい時代を切り開いていったのです。
これというのは、年代や場所、
起きている事象は違えど、まさに
今の日本と重なる状況ではないでしょうか。
長引くデフレ、迷走する政治、
少子高齢化、深刻ないじめ問題、
過労死、過疎化、企業の不正や
無差別殺人など…
高度経済成長以降、
明確な中心的価値観を
見失った日本は、いつしか
暗いムードに覆われ、
長い停滞から抜け出せずにいます。
もはやこれまでの延長線上で、
同じような価値観・行動を
繰り返していては修復できない状態です。
そんな中、令和という
新たな時代を迎えた日本を、
再び明るく輝かせたい。
次の世代を生きる人たちが、
誇りを持って生きられる
日本を遺したい。
そのような想いを込めて、
新たな情報誌を発行する
運びとなりました。
「Renaissance」では、
感情や主観に偏ることなく、
世界各国の歴史や政治、
経済についてのデータや成功事例など。
明確な事実をベースに、
先人の叡智に学ぶことのできる紙面を、
Webと連動しつつお届けしていきます。
新たな試みではございますが、
多くの日本人に届いていきますよう、
何卒、末長く応援していただけますと幸いです。
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