2019年1月25日金曜日

日本の教育制度の一番の問題点は(QuoraのQ&A)(シェアしました。)削除依頼がありましたので一部の方は削除致しました。

勉強の為に転載しました。
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山田 優 (Yu Yamada)
山田 優 (Yu Yamada), かつて日本 に居住
回答日時: 2018/05/03
偉大な方々が回答してる中で生意気ながら、まだ16歳の私がこの質問に回答してみようと思います。

私は帰国子女ですが、中学受験では一般入試ののちに御三家に入学し、今は海外のインターナショナルスクールに通い、大学受験に挑んでいるものです。このように私は多種多様な教育制度を経験することができた、大変恵まれた学生です。アメリカ式、日本式、そして英国式の教育制度を経験した後、私が考えるのは理想的な教育の姿です。どの国の教育方針にも長所と短所があると、私は考えます。では、日本の教育制度の問題点が何なのかを三つの項目に分けて私なりに話してみます。

1. ロボット育成教育

日本の教育で特徴的なのは型にはめられた狭苦しい教育環境だ。賢い者は最前列であくびをかき、追いつけない者はどんどん残されていく。美術に関心を持っている者は見下され、給料目当ての医者や弁護士ばかりが育たれていく(中には勿論尊い弁護士や医者もいる)。私が最近見たテレビでは、新東大生がインタビューで将来の夢を聞かされると、なんとなく、という理由で銀行員や商社マンと答えるものが多数いた。日本一の天才たちとして魅力を感じていたが、これを聞いてなぜか私は残念な気持ちだった。型にはまった教育により、日本の学生は受験、就活、そしてサラリーマンへ、という定められた道を歩くことを制されている。「自分の頭で考えて自分の体で動く」という自律性を無くしているようにも思える。このロボット化された人間で形成される日本社会の情勢は石田徹夜の絵にも投影されている。


もっと多種多様な職業を尊重するべきではないか。もっと個性を尊重することにより、一人一人の能力を最大限に発揮出来るのではないか、と思う。日本のIT事業への出遅れは東洋のエロンムスクになる可能性のある子供の夢を抹消したからなのではないか。発明者になりたい、映画監督になりたい、アプリを作りたい、という様々な方向性を認めることにより、日本の将来性も広がっていくと私は思う。

2.島国教育

次に重要な部分は国際意識だ。日本には未だ、外国=アメリカ、という考えを持つものが多々在する。中国が今世界に置けて大きな社会力を持っていることも知らずに、中国人を人種差別をする者も多く残る。日本が英語教育の開始を小学へと早まらせたことで喜んでいる中、世界各地では既に中国語の教育へと意識が移っている。日本の名門高校に通う学生と香港のローカルの学校に通う学生とで、国際意識を比べると日本の学生は歯も立たない。鎖国していたからといえ、今後日本が世界で活躍していくには個人の国際力が欠かせない。これには語学力だけではなく、世界に通用する話力も必要である。日本人は控えめで「建前」という文化を持っている。私自身もガンガン自己主張をする外国人の友達に囲まれ、なかなか自分の意見を言えない、ということを良く経験し、今でも悩んでいる。しかし私は「それなら建前なんかいう文化は捨てるべきだ!」という考えには同感しない。相手、そして自分の国の歴史と文化を理解し、分かち合えたところで初めて国を超えたコミュニケーションは成立する。決して「日本の国際化=日本の文化を捨てる」ことになってはならないと、私は考える。また時々私は、第二次世界大戦で日本が犯した過ちについて、同級生から意見を問われることがある。この時に、意味もわからずムキになるのは日本人としての恥だ。しっかりと両国の事実関連を理解することでまともな対等な立場に立てる。つまり、日本が国際的に力を発揮するには言語の教育にとどまらず、歴史、政治情勢なども含めた知識を育てることが求められる。これらの教育に置いて重要なのはディベートではないか。

3.マニュアル教育

私は中学受験をする際に、多くの日本の子供たちと同じように塾に通っていた。そこでは暗記、暗記、暗記という毎日で、お陰様で四年たった今でもまだ覚えている知識が多々ある。確かに、25の二乗や紫陽花の雌しべの数などを暗記していて外国の友達を驚かせることはできた。しかし、今大学受験をしている中で、私は自分の能力のおびただしさを改めて実感している。今まで日本では暗記をして教科書を鵜呑みにしてテストで良い点数を取ることばかり教わってきたせいか、いざ自立して勉強しろと言われると混乱してしまう。自分がどういう歴史に興味があり、それに対してどのような意見を持っているのか、自分にあった勉強法は何なのか、自分は何を学びたいのか。はてなだらけで今まで暗記してきたものは全く役には立たない。良く私の母親は「ザビエルが何年に来日したなんか知ってても知らなくても社会に出ればどうったことないわよ」と、勉強に追い込まれる小学生の私を励ましてくれていた。今思えばこれはある意味事実であり、日本に置ける教育の大きな落とし穴とも言える。日本では世界を変えたい天才よりも、豆知識を持ちすぎたナルシスト達を育ててしまっている気がする。東大生クイズに出ている人たちよりも、がん細胞の研究に打ち込む学生達の方が、私は倍を増した魅力を感じる。

この三つの点を中心として日本の教育制度は劣っていると私は考えます。教育はどの人間の人生においても多大な影響を与え、一国の社会と政治を考える上でもとても重要です。これはあえて16歳の未熟な私の考えなので、訂正すべき部分も多々あると思いますが、批評をくだされば、私の勉強にもなるので是非お願いします!
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石塚 正浩 (Masahiro Ishizuka)亀田 智之Takagi FummyYugo YamamotoTsuzuki-Myroshnikova MiyukiM N刘 倩Kono RyoheiJoseph Miao(繆 晨希)Tina槇島 鈴Hiroyuki Ishiiあなた、亀田 智之, Takagi Fummy, Yugo Yamamotoさんほか1,082人がこの回答に「高評価」をつけました
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Yuki Matsumoto
Yuki Matsumoto, 過去 復旦大学新聞学院留学生、
回答日時: 2017/11/18
教育の「内容」について多くの意見が言われていますが、僕は根本的な問題はむしろ現行の制度、構造だと思っています。

具体的には「教師の能力、自主性を活かせない雑用の多さ」、「補助金に振り回されること」です。

一つ目ですが、本来教育と研究に全力を尽くすべき教授/先生は、余計な申請、事務に追われ、ろくな研究の時間がありません。中高であれば、やりたくもない部活の監督によって教育準備にかける時間が大幅に削られています。教師が教育に使える時間が少ない現状、どれだけ素晴らしい教育論を念仏のように言っても無意味でしょう。

同様ののことが2つ目の補助金制に言えます。特に補助金に依存せざるを得ない国立大学に顕著ですが、政府からの補助金を得るために、新たな教育政策が出されるために表面的な「大学改革」に右往左往します。大学の学部編成が変わったり、余計な制度が増えたり…例えそれが「国際化」とか「自主的な教育」とか大層な理由でも、結局は現場の教授と学生が疲弊し、目標が達成されないだけです。

教師に学ぶ時間が無ければ、どんな素晴らしい教育制度だって浸透することはありません。

部活動はOBや外部のインストラクター、大学経営や事務は外部の専門家にアウトソースすること、国立大学の予算面の柔軟性(あるいは予算増額)、これらができなければ、どんな理想論も空論になると思います。
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米澤 裕二 (YUJI YONEZAWA)Takahashi Sachito神谷 健一 (Kenichi Kamiya)小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi)Chika MiwadaDante Crailman東島 紘 (Hiroshi Higashijima)Youji HajimeNobumitsu HIRUTAKillua Green郑 维涛 (kim taeyeon)Aizawa Mari米澤 裕二 (YUJI YONEZAWA), Takahashi Sachito, 神谷 健一 (Kenichi Kamiya)さんと他10人がこの回答に「高評価」をつけました
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Benoît Gardonio
Benoît Gardonio, JETプログラムに参加しました。
更新日時: 2018/04/11
日本の教育制度の経験は教師でありました。三年間JETプログラムと言う教師交換プログラムに参加し、埼玉県立高校で勤めていました。

教えた学校は2つで、メインはレベルが結構いい学校で、あともう1つは総合技術高校でした。2つ目の学校はやっぱり問題の子が多かったです。

でも、二ヶ所でも共通点がしばらくたったら見えてきたんです。それが、生徒達は「考える」と言うことは全くできず、教科書にある内容をペロリンチョ吸い込んで試験の日に吐いて得点満点を目指すのがとても上手な子がいました。

結果としては、そんな若者達が世界の舞台では負けるしかないと思います。なぜかと言うと、自分自身で意見を創るのもできないし、学校や家庭でずっと言われたことをいきなり疑う人が出てきたら、自信が身につかないし、対応はどこから始めたらいいのか分かりませんから。

日本の教育は、特に中学と高校、だんだん「育つ」と言うのは無くなってきたようです。未来社会に積極的に属する人間を築くより、入学試験に受かる人を作り出すからです。
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海道 惇 (Jun Kaido)中井 貴雄 (Takao Nakai)Ishii Hiroyuki野地 靖Miya KeiAkihiro Yoneda和久博 葉怡楓神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Terunobu AkashiKimura Satoko宮城 惠治阿倍 美岐 (Miki Abe)海道 惇 (Jun Kaido), 中井 貴雄 (Takao Nakai), Ishii Hiroyukiさんと他68人がこの回答に「高評価」をつけました
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Yukiko Takasu
Yukiko Takasu, 日本在住(1972〜現在)
回答日時: 8月2日
昔の教育で育って来たものです。所謂スポ根時代ですね。当時の教師は絶対的な立場にありました。子供からもそして保護者からも。今の教育は、脱ゆとり教育を始めているみたいですが、私から見たら『それで良いのか?日本よ』と不安になる事があります。

先ず初頭教育から……今の時代の『モンスターペアレンツ』。私は元々肌の色が白く低学年1年の時にクラスの子数人に『外人外人』とからかわれ非常に嫌な思いをした事がありました。それを皆が居る前で先生に『こんな事言われた 泣』と言いに言ったらその先生…、生徒全員に『この子にそんな事を言ったのは誰ですか?手を挙げなさい!』正直に手を挙げると先生は静かにこう言いました。

『今から引き出しに入っているもの全部机の上に出しなさい』そして間髪入れずに『お前ら!この子がどんな気持ちになったか分かっているか!そこの窓から飛び降りて死ね!』

…まあ、今の時代こんな事言えばニュースにもなりかねませんがこんな事が普通にあったわけです。しかも言われた方もシクシク泣いて謝ってました。相手の子も自分が悪い事したのを分かっているから親にチクる事もしません。そんな事したら、親からもゲンコツもんで怒られるから。

今同じ事があったら教師はどう対応するのでしょうか。当たり障りなくその場をやり過ごすのでしょうか。

虐め問題も然り。中学時代虐めを受けた人が居ましたが、担任の先生はその人の様子が変わっていくのに気が付いて学校あげてバックアップしていました。勿論相手の親にも報告、生徒からもキチンと謝罪。

今の教育だとどうでしょう。虐めが自殺に発展するまで気が付かない。事件になったら『そんな事実は無かった』等と逃げの姿勢。

言わば事なかれ主義なんでしょうね。

親は些細な事でも何かあればすぐ学校に文句を言う。学校も理屈で対処出来ないんです。何か言えば直ぐにネットで叩かれる。悪循環ですね。

そんな中で教育を受けて育ってきた子供達はというと、小、中、高、大学と進学し、いざ就職しても学校という名の小さな社会で厳しさを学んでいないから二、三ヶ月で辞めてしまう人が後を絶たないそうです。 実際に役に立つ人は就職してきた人達の2割にも満たないそうです。(言い方に語弊があるかも知れませんが、少し何かあっただけですぐに辞める若者が居るのも事実です。)

学校教育とは勉強を教えるだけではなく集団(世の中)で生きていく為の厳しさも学ぶ場所なのです。それを親が学校に盾をつき、それらを恐れて本来の教育が出来ないのは本末転倒だと私は思います。

私個人的な意見としては、橋下徹さんのような相手がどのような人であってもキチッと筋を通してダメなものはダメと言える教育者が必要だと思います。
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Takeo Kikuchi神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Tsuge MorimichiHarimoto MamoruYamashita HiroshiShinoda NobuhikoShiina RyutaroSimon Chang竜華 ジェイミー (Jaime Tatsubana)K Y赵 鹏Beyonca PattersonTakeo Kikuchi, 神谷 健一 (Kenichi Kamiya), Tsuge Morimichiさんと他10人がこの回答に「高評価」をつけました
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Yasuhide Mochizuki
Yasuhide Mochizuki, 東京工業大学博士課程 日本学術振興会特別研究員
回答日時: 8月25日
非常に興味深い投稿、ありがとうございました。
大学で研究を行いつつ、留学生を対象に授業を行なっている中、色々思うことがあります。

筆者の意見要約とそこに対する意見を、以下に書かせてください。

“高給を目的とした学習になっていること、型にはまった進路選択しかできないことは自律性と多様性を抹消する。”

これはより一般化できると予想されます。様々な国の事情を聞く限り、この傾向は日本だけではなく、東アジアにも、米国にも当てはまることだと思います。教育は「型」が用意されていることが前提であることが多く、仕方のない部分があると思います。
日本に限ったお話をしますと、他人(日本社会)の評価を気にしすぎることが自律性と多様性を殺していると私は感じています。皆が良いと認める選択肢に安心し、自分で選択する勇気と信念がなく、本当に自分がやりたいことが何なのか見失う人が多いように思います。
“国際意識、すなわち価値観が異なる他者間交流の中で、歴史や文化、経済状況に起因する偏見を持たずに、幅広く興味を持って世界を知ろうとする意識が、今後日本のさらなる国際化に備え、重要になる。”

その通りなんですよね。日本には格付けをすごく好む風潮が根強く存在しています。自国とその文化に対する愛情(愛国心)は素晴らしいと思いますが、偏見を持ち、他国を見下すことで得られる愛国心は、自信の無さの現れだと思います。自信のある方なら、相互尊重し合えるでしょう。国際的な交流を経ることで、様々なことを客観視できて非常に興味深く、私の経験から大抵の場合、その経験が自信になると思います。しかし、多くの日本人は英語に対する劣勢感と完璧に話そうとする姿勢の為に、国際交流に控えめになっている気がします。
“知識を単に知っているだけでは何の役にも立たない。”

これもその通りで、上記の通り、日本は格付けが大好きな社会です。学歴、年収、偏差値という言葉が頻繁に見られる度に思います。しかし、学歴や知識があることに対する評価は衰退しつつあり、それらを応用して新しい事柄を生み出すことに対する評価が重要になってきています。
自分に自信のない人ほど、他人から認められたいと願うもの。優秀さを簡単に誇示できる、知識や学歴、年収といったものにこだわる人が多い気がします。そのような人ばかりでは、新規性のあるものが生まれず、衰退が待ち受けていると思わざるを得ません。
まとめますと、日本には信念を持って何かに取り組む人が少ない為、筆者の指摘した問題が生じていると考えます。

私は研究者という職業柄、世界で誰も知らないことに対して、一流論文誌に自分の論文が掲載され、自らが開拓者になることに常に胸踊る思いで研究しています。しかし、時々カネが目的になっている人から「研究者は努力に対する費用対効果が低すぎる」と皮肉を言われたりもします。これも、まさしく自信や信念のなさの現れですが、残念な人だと思いながら聞き流しています。

社会を変えることよりも、まずは周囲に流されず自分の独自性を確立することが重要でしょう。社会全体に対して問題点を指摘するより、自分を深く知ることに挑戦してほしいと思いました。今後のご活躍を楽しみにしています。
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Yuu InabaKanako InagakiChristine WangHiga Michinao葉山 隼人Komura RyunosukeVotour TomokoYamashita YusukeKobayashi DaisukeTagu Sato宮島 央介 (Osuke Miyajima)Sakura SuzukiYuu Inaba, Kanako Inagaki, Christine Wangさんと他25人がこの回答に「高評価」をつけました
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Kenji Kawahara
Kenji Kawahara
回答日時: 2018/02/04
面白い課題ありがとうございます。

”本当のところは、誰もわからない”…のが一番の問題かと…。

つまり、当該質問への返答は、多種多様に存在するかと思うのですが、その”仮説”を確認するための具体的な手段が現在見当たらない。

教育だけに限ったことではないのですが…。

問題解決への動きとは?の具体例を考えるとわかります。
そうですね、メールが上手く機能しない…と言った問題解決を想定しましょう。
この場合、原因は複数考えられますので、“ネットワークに問題があるか?“と仮説をたて、ネットワークを確認。もしネットワークに問題がなければ、次に“メールサーバに問題?“と仮説を変更し、また確認を繰り返しながら動きを見る。結果、問題なく動き出した後で「ああ、原因はこうだったんだな」…とわかる。

問題原因は、わかった時点ですでに解決しています。

上記のように、機械に対しては自由に操作して、仮説⇔確認をテンポよくまわしていけます。ソレが蓄積されると次回に役にだちます。経験といいますね。

ただ、相手が”人”だとそうもいかない。

ある仮説を元に、”人”を相手に、実験的に教育方法変えて上手く行かなかった場合、その人の人生を変えてしまう可能性もあるので。また、「直ぐに結果がわかる」というものでもないのも問題です。

仮説を証明するためのシミュレーション設定が困難である…ということです。

仮想空間に、人間を模倣した仮想人間や環境があって、誰でも簡単に実験…できればまた違ってくるとは思いますが…それができると、本当に助かります。

今、精々できるのは頭の中で、理想的な学校を想像する事くらいですが、この場合「自分に都合の良い人間を発明」してしまい、現実と乖離する可能性が大きいかと思います。
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Misawa KentoHayato TsutsumiKanako MatsushimaDante CrailmanNobumitsu HIRUTAKihiro Tanakamaruフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Misawa Kento, Hayato Tsutsumi, Kanako Matsushimaさんと他4人がこの回答に「高評価」をつけました
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上杉 周作 (Shu Uesugi)
上杉 周作 (Shu Uesugi), EdSurgeに勤務
回答日時: 2017/12/03
どんな業界でも、業界全体が疲弊してくると、問題や不祥事が頻発します。日本の教育現場も教員の労働時間などが話題になっているかと思います。他の業界だと、たとえば日本のアパレル業界が軒並み業績を悪くしていることが話題になっています(ソース)。

しかし、これらは「結果」であり、では「原因」は何かというと、「その業界から大事な視点が抜け落ちているから」である場合が多い。

日本のアパレル業界は、スマホを駆使してファッションを楽しむ世代の消費スタイルについていけずに凋落したようですが(ソース)、そのような「スマホ時代の視点」がアパレル業界から全体的に欠けていることが問題なのです。他にも、たとえば「ビジネスの世界では当たり前なのに、役所では当たり前ではない」ということもよく聞きますね。

では、日本の教育業界から欠如している視点は何か。たくさんありますが、傍観者としてひとつ思うのは、日本では生徒に対する「教え方」や「教える内容」を職人芸というか、アートとして捉えるのは強い一方、「教え方」や「教える内容」をサイエンスとして捉える視点が欠如しているのではと思います。

日本の教育業界からサイエンス的な視点が欠如しているかもしれない証拠の一つが、「一般人がアクセスできる教育データの少なさ」です。アメリカの教育業界で働いていると、教育の実験や研究結果に多く触れるのですが、日本ではなかなか良い文献にあたることができません。

ここからはベストセラーになった中室牧子さんの「学力の経済学」の受け売り、というか引用になりますが、頷ける部分が多いです。ぜひご一読ください。

日本の教育経済学者が求めているもの

貧困の世代間連鎖のように、今まさに起こっている日本の教育問題に、教育経済学はまだ有効な処方箋を提供できていません。海外と比べて、日本の教育経済学の研究蓄積は質量ともに不十分だからです。日本で質の高い分析を行い、政策に貢献するためには何が必要なのでしょうか。 まず、正しく因果関係を証明するためには、データを収集する段階から、因果関係を証明することを念頭に置いたデザインにしなければならないのですが、日本の統計にはそもそもその認識が欠如しているものが多いという問題があります。 さらに、研究者が利用できるデータが限られている、という別の問題も存在します。たとえば、全国学力・学習状況調査は、文部科学省やその関連機関に所属する研究者など、限られた人以外はアクセスできません。 なぜなら、全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではないからです。「統計」であれば、研究者はアクセス可能なのですが、実際は「意見・意識など、事実に該当しない項目を調査する世論調査など」(総務省のウェブサイトより)という扱いになっており、研究者はこのデータを学術研究に用いることができないのです。   第三者機関による政策評価を 私は、この状態にはとても疑問を持っています。医学などの自然科学では、同じデータを用いた実験から同じ結果が得られるという「再現性」が保証されなければ、その結果は科学的に妥当なものとみなされません。これは、経済学を含む社会科学の領域でも同じです。特定の研究者にしかアクセスできないデータでは、再検証はできず、再現性が確保されているとはいえません。また、先にも述べたとおり、文部科学省やその関連機関などが行った調査・研究を「客観的」な政策評価と呼ぶに値するのかどうかにも、疑問が残ります。

最近、佐賀県教育委員会が、タブレット端末の導入が県内の高校生の学力に与える効果を測定した際、タブレットを導入していない学校でも学力の上昇が認められていたにもかかわらず、導入校の学力上昇のデータだけを示し、「タブレットの導入によって学力の向上が認められた」と発表し、大きな問題となりました(佐賀新聞、2013年12月24日)。自分たちが行った政策の効果を自分たちで検証するとなると、都合の悪い情報は出さないでおこうという誘因が働くのは当然のことですから、その状態で客観性を担保するのは難しいといわざるを得ません。   このように、教育委員会や自治体が、データを外部に公開することを避け、自分たちだけで分析しようしている例が散見されますが、政策評価は第三者機関が中立性を担保しつつ行うのが望ましいと考えられます。米国では、大学に加えてアーバンインスティテュートやランド研究所、ブルッキングス研究所のような政府から独立した政策系シンクタンクが政策評価においておおいに活躍しています。日本でも同様に、利害関係を持たない第三者機関による政策評価を徹底する必要があるでしょう。


なぜ日本で研究が進まないのか

私がこれまでご紹介した研究のほとんどは、米国の事例です。読者の中には、日本のデータを使って教員の質を分析した研究はないのかと、残念に思われている方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、日本の政策について議論するのであれば、日本のデータに基づいたエビデンスが必要です。誰よりも強く、私自身がそう思っています。しかし、残念ながら、日本において教員の質、給与、研修、免許が子どもの意欲や学力に与える因果効果について分析した研究は、あまり多くありません。 私は日本の教育において、もっともエビデンスが必要とされているのは、教員の「質」にかんするものだと思っています。しかしここでも、データの不足、アクセスの難しさが問題になります。文部科学省が3年に一度収集している「学校教員統計調査」という統計は、統計の対象となっている教員が、どの子どもを教えたかという情報と接続することができないので、学力調査のデータとリンクさせて、付加価値に変換することができません(そもそも学力調査のデータは研究者にはアクセスできないのですが)。このため、せっかく統計を取っているのに、教員の育成や人材配置にかんする研究や議論をすることができないのです。

今のところ、政府はデータの公開にはまだまだ消極的ですが、民間はそうではありません。教育にデータが活用されれば事業改善や、ビジネスチャンスにつながるという明確な動機があるからです。私は今、ティーチ・フォー・アメリカの日本版であるティーチ・フォー・ジャパン(代表理事:松田悠介)や民間の学習塾とも協力して、「いい先生とはどんな先生か」を明らかにするための研究を実施しています。このように、民間事業者と協働して得たデータを分析し、社会に有用な知見を還元していくことができれば、データの公開に消極的な政府にプレッシャーをかけることにもつながるはずです。少なくとも、私は、そう期待しています。 教員の質を高めることが重要だということは、論を待ちません。しかし、その方法をめぐっては、現在もさまざまな議論が行われています。まだ具体案は多くない状況ではありますが、教員の質の指標化、教員採用試験の共通化、教員免許の国家資格化、教員研修のさらなる充実などが提案されています。しかし、私がいくら調べてみても、これらの政策の効果を、本書で説明したような科学的な手法を用いて検証した例はほとんどありません。
ちなみに、「業界から視点が欠如している」ということは、「そういう視点を持った人材が足りていない、またはそういった人材が業界のリーダー的ポジションに立てていない、権力・権限を持っていない」ということです。日本の教育業界は「研究者出身で、データに強いリーダー的人材」が少ない気がしますが、他にも足りていない人材のタイプも多々あるかと思います。

僕について: 日本の教育は小学校までしか受けていませんが(中1から渡米)、2012年9月から2017年1月までアメリカの教育ベンチャーで働いていました。NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で教育評論家の尾木ママさんと共演したこともあります (プロフィール / 番組リンク)。


宮坂 竜太Hatakeyama TsuneyoshiAmaba ShinnosukeHizi Ko智片 青神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Do CanVotour TomokoShibuya RyokoHigasa Yoshika矢後 恵三子Eno Mit宮坂 竜太, Hatakeyama Tsuneyoshi, Amaba Shinnosukeさんと他36人がこの回答に「高評価」をつけました
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Youji Hajime
Youji Hajime, かつて日本 に居住
更新日時: 2017/12/03
小学校は中学に進むため。中学は高校に進むため。高校は大学や短大に進むため。で、大学は学問の場なのですから日本の教育制度は学問制度となっています。日本ではこれが当たり前と思われていますが、間違っていると思います。

教育は市民・社会人を育てるのが目的で人口の1%にも満たない学者を育てるところではないはずです。社会人・市民を育てるとの目的で教育が行われていれば学歴主義の社会にはならないと思います。

別に学問を否定しているわけではありません。近代国家の市民であれば読み書き・算数ができないと市役所の書類に用件を記入することもできませんし、お釣りの勘定をしたり家計簿をつけることもできません。ついでに、自分は外食店で働いた経験がありますが、やはり代数ぐらい理解していないと表計算で予算を計算したり在庫管理をすることができません。また、工場でメッキの仕事をした経験もありますが、部品の面積のトータルから電圧の強さや酸液につけておく時間を算出するのは中学の数学と理科の知識がないとできません。

ですが、社会に存在する職の大半は中学の数学・国語・理科・社会を理解していれば十分です。ですのでそれ以降の教育は用に応じて職業訓練として実施されるべきだと思います。ですから、工場での技師や電気工になりたい人はそれに適した物理や数学や化学を学習すべきですし、商業関係に進みたい人は商法や簿記やマーケディングやMS Officeを学習すればよいと思います。当然、IT関連の職種に進みたい人はCやアルゴリズムなどを学習すべきですし、デザイン関係に進みたい人は美術史や美術等やデザイン論など、料理人になりたい人は栄養学を学ぶとか、単に現場で働くだけでは習得できない基礎知識を学習するのが高等教育のあるべき形だと思い。

で、医者や技士や弁護士や科学者や学者などのより高度な職に進みたい、またそのような能力のある人達だけが純粋な数学・物理・法学・会計学等を学習するべきだと思います。実際に戦前の日本はそのような制度であったのに、現在では工業学校は不良の捨て場に成り下がっています。一方、現在の大陸ヨーロッパでは大部分の高校生は15歳から職業訓練を受けて18歳で国が運営する見習制度の下に働きだします。大学進学用の高校教育を受ける生徒は全体のごく一部です。非常に優秀な生徒だけが大学に進む制度になっています。

何の為の教育かという事を考えていない。代わりに良い大学に入学することが目的の教育制度。ではなぜ良い大学に入学するのかと聞かれると良い会社に就職するためとしか答えられない。実際に学習する内容が役に立つかどうかは関係ない。だから大学に入学するとほとんどまともな学習が行われていない。

ついでに、本当に匠の技が必要になる仕事は二十歳以降に仕事を習い始めるのは遅すぎます。15歳から22歳の合計7年間、日本人はこの間、個人が社会人になった時に実際に役に立つことを学習しない。とんでもない無駄だと思います。

教育および学習内容に意義が存在しない。これが日本の教育制度の一番の問題点だと思います。
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宮坂 竜太神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Kiyono TomohiroHiguchi NatsukoVotour TomokoYamada Keizo矢後 恵三子Turquoise White山本 民子 (Tami Day)Usui TakeoEno Mit岩村 徹宮坂 竜太, 神谷 健一 (Kenichi Kamiya), Kiyono Tomohiroさんと他60人がこの回答に「高評価」をつけました
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鈴木 聡 (Satoshi Suzuki)
鈴木 聡 (Satoshi Suzuki), ITコンサルタント・プログラミング講師 (2013〜現在)
回答日時: 2018/06/04
一言で言えば『画一的』なのですが、教育だけの問題ではありません。

日本社会が多様性を求めていないから、教育制度もそれに従っているのです。個性を憎悪するからです。

多様性を持つとは、『自分には理解できない価値観を、自分に必要なものとして受け入れる』という、効き目の分からない薬を飲むような怖さがあるからです。

何を言ってるのか分かりませんか?例を挙げて見てみましょう。

例えばある会社で、新卒2年めの社員が、『有給ぜんぶ使って、アメリカにバーニングマンを見に行ってきまーす♪』と言った時、上司の反応はどうでしょうか。

あるいは、別の新人社員が、『有給は当分使いません。お盆休みは簿記の勉強します』と言ったとして、上司が二人をそれぞれどう評価するでしょうか。

恐らく、たいていの会社では、後者の新人さんのほうが、高く評価されるのではないでしょうか。

分かりやすく、制御しやすいですからね。

人間はすべて、『自分にわからないもの』を恐怖します。だから、多様性を持った人材をマネージメントするという事は、『自分の手に負えないものを使役し、パフォーマンスを最適化する』という『魔物使い』的な領域なのです。

これは当然ですが結構怖いので、上司となる人に胆力や人生経験が必要です。『分かりやすい人材』だけ相手にして成果を出したい、と考える人も多いでしょう。

それは甘えです。

日本人は、日常生活で、『手に負えないもの達と渡り合う』という経験が乏しいのです。『同調圧力をかけて、異分子を排除する』という集団戦で、『手に負えないもの』と関わらずに生きてきたため、未知への耐性がないのです。

この構図は、よく言えば『規律を重んじる』、悪く言えば『足の引っ張り合い』です。

未知の未来に対応するには、未知の人のパワーを借りるしかありません。

それをしないのは、『沈む船から抜け駆けして降りるのやめような』という集団自殺主義です。

逆に、集団に染まらない変わり者は、濡れ手で粟の大儲けができるし、それをやっかむ人たちが、さらに変わり者を憎悪するのです。

最後に、現在の日本社会で個性が嫌われる理由を書きます。

教育の世界では、個性を『尊重』するとは、『まあ子供のうちは好きにさせてやろう』という意味です。

それに対し、経済社会では個性は『配慮』して『尊重』すべきお客様ではなく、『ビジネス上の資源』となるわけです。

わかりますか?『お金を産まない個性はただの厄介者だ』という事です。実際はそんなに短絡的に儲からないので、『お金を生む個性をひとつ見つけるために、お金にならない9つの個性を受け入れる』という感じになるでしょう。

そこには、怖さも非効率性もあります。

組織の規律をどう守り、パフォーマンスを上げるか、を命題に考えた時に、『自由な人お断り』というポリシーで運営する組織も多いでしょう。

短期的な利益を出さないと、会社は潰れます。その中で、未知の個性にお付き合いするのは、リスクがあり、非常に怖い事です。

個性がいつまで経っても『未知なるもの』なのがマズいんでしょうね。

一言で言えば、社会に『個性をどう活かすか』という方法論がなく、個性を嫌悪、排除するばかりで、活用するための議論が足りていないのです。
宮坂 竜太四元 玲慈 (Reiji Yotsumoto)神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Higa Michinao葉山 隼人Votour Tomokoサンケット (Sanket Garade (संकेत गराडे))大沢 雄介Nagai JunYusuke InoueKawano Tomoyuki信田 哲彦 (Tetsuhiko Nobuta)宮坂 竜太, 四元 玲慈 (Reiji Yotsumoto), 神谷 健一 (Kenichi Kamiya)さんと他40人がこの回答に「高評価」をつけました
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Rei Demizu
Rei Demizu, UG 経済学 & 経済理論, 関西大学 (2020)
回答日時: 2018/04/07
回答時の元の質問:日本の教育の一番の問題点は何だと思いますか?
少し前までまさに教育を受けていた立場からの視点ですと日本の教育はとても教育とは思えないです。奴隷の調教と言った方が相応しい物です。暗記偏重などの話以前です。

例を挙げると中学生の時英単語を100個それぞれ5回書いてそれから試験という物がありました。もしここで暗記を効率的にさせるなら先に試験を受けさせて、間違ったところを集中して覚えさせるや、逆に覚える範囲を教えてそれから試験を課し、例えば赤点を取った人に宿題を出すなどいくらでももっと効率がいい方法が直ぐに思いつきます。どうしても勉強をしない人というのはいる物ですから強制の宿題の存在する意味はわかりますがこのような方法が何故あるのか今でも理解できないです。

また暗記とは覚えさせるの事が目的であり暗記能力は千差万別なのにこのような一律の量を課される宿題も理解ができないです。

恐らく最も勉強ができない生徒に合わせているのでしょうがそれでも強制の一定の量の宿題というものが理解できないです

最初に書きました通り無駄な苦役をどんだけ耐えられるか奴隷を調教する以外の理由がおもいつかないです

一番の問題というよりまず最初に今の教師に教育とは何かを伝える所から始めるべきだと考えます
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宮坂 竜太Tamaki JortaHiga MichinaoJiro KozakiFukui FukukoShibuya RyokoKashiwaya RyosukeMorimoto KenIshii HiroyukiDante Crailman近藤 亮介武田 麻弓 (Mayumi T Watson)宮坂 竜太, Tamaki Jorta, Higa Michinaoさんと他13人がこの回答に「高評価」をつけました
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太田 昌文 (Masafumi Ohta)
太田 昌文 (Masafumi Ohta), 某ITコミュニティ代表、現在フリーランスなのかな (2012〜現在)
回答日時: 2017/11/08
とにかく予算をかけないことだと思います。他国と比べても著しくケチといったところです。また企業とのコラボも国のハードルからかなり少ないです。企業による奨学金の受け入れや消費税をヨーロッパ並の15–20%にして、もっと予算を潤沢にする必要があるかもしれません。
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神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Higa SayakaDante CrailmanNobumitsu HIRUTAAkira OnishiYamamasu MasahiroFurukawa IsaoYuki MatsumotoEiji Takano(高野 英二)フリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)神谷 健一 (Kenichi Kamiya), Higa Sayaka, Dante Crailmanさんと他7人がこの回答に「高評価」をつけました
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Yuichiro Sato
Yuichiro Sato
回答日: 月曜
””教師の指導に対するフィードバックがない。””

『・・・持久走とかだりぃ。数学もだりぃ。音楽は好きかなぁ。隣のやつのリコーダー取って遊べるから〜。』

上述の場面は生徒の学ぶ意欲を喚起する大事な指導場面ですが、こういった学習につながる指導の質を高めていくにはどうすればよいのでしょうか。

私はそういった教師の指導に対する評価、フィードバックがないことが日本教育の問題点だと思っています。

教師にとって最も明確な達成課題は生徒に規律を守らせることと、カリキュラムを確実に終えることです。なぜなら学力テストの結果や非行の有無は量的に計測することができ、一目見ればその成果がフィードバックとして認識できるからです。

一方で重要であるが目が向かない教育の成果もあります。それは生徒の学ぶ意欲を引き上げ、友人同士の関係性を密にし、困難にめげない胆力を育てるといった人間性の育成に関する成果です。
残念ながらそのような人間性の育成に関するフィードバックは学校現場ではほとんど受けることができません。

ただ日本の教育がとても愉快なのは、授業以外の場所で先生と生徒が触れ合う時、その人間性に関する指導が行われる点です。部活動や学校行事や休み時間のただのおしゃべりの中に楽しみを見出す教員が多いのも、諸々の制限がない中で人と人として関わることができるからでしょう。

今後、ICTの普及により知識の伝達をするという教師の役割は徐々に薄れていき、より人と人としての関わり、人間性の育成にシフトしていくと考えられます。そのような中で、教師が生徒の人間性育成に目が向くようなフィードバックはどのようにして可能でしょうか。
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江島 達也
江島 達也
回答日時: 2時間前
他の方となるべく重複しないように回答したいと思います。

ざっくり言うと、日本の教育における土壌の問題かと思います。

教育学はこれまた非常にざっくり言うと、教授サイドからの教育と学習者サイドからの教育に分けられると考えます。

ざっくり続きで恐縮ですが、前者はドイツなどで主流となったもの、後者はルソーやモンテッソーリ、デューイなどで知られるフランスなどで主流となったものだと考えます。

西洋諸国にかなりの遅れをとっていた明治期の日本はいち早く結果の得られる前者を選びました。その結果、富国強兵に成功し、後の歴史はご存じの通りです。また戦前戦後の日本では経済を立て直すためにも、8割を捨てても数パーセントの精鋭が経済をリードできる前者をそのまま推しすすめてしまいました。その結果が質問者が指摘されている結果を招いているわけです。

今、政府関係者はもうそのような時代では無くなったことに気づき、政策の変換を図ろうとしていますが、悲しいかな、大多数の教員はステレオタイプの教育環境で培養されたために、ずっと1つのメソッドだけを続けているというわけです。
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Matsunaga Atsushi
Matsunaga Atsushi, Creative director (2014〜現在)
回答日時: 2017/11/22
一番を決めるの難しいので3点

教師の「教える品質」の定義が行われていない点。
教師のスキルアップの仕組みがない点。コミュニケーション能力、認知額、教えるという行為のサービス的視点・・・etc
上記2つに対しての評価・測定可能な目標設定がない点
これらを定義した後に、はじめて何を教えるべきか?どのように教えるべきか?生徒はどう育つかを決める必要があると考えます。
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Dante Crailman武田 麻弓 (Mayumi T Watson)平川 奇跡 (Kiseki Hirakawa)Saito IsatoKawamura Yoshikatsuフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Vishal JagdaleDante Crailman, 武田 麻弓 (Mayumi T Watson), 平川 奇跡 (Kiseki Hirakawa)さんと他4人がこの回答に「高評価」をつけました
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Mingxi Chen
Mingxi Chen, Consultant
回答日時: 2017/12/10
カリキュラム内容・レベルや評価基準(公式な成績と非公式な「カースト」双方)において画一化されていることと、授業や部活含めた拘束時間が長いこと、この2つが同時に起きていることではないでしょうか。

これにより、短期的には、学校に帰属感を得られない学生が、その他の個性を育んだり、承認欲求を満たしたりする場がなく、消沈してしまう。長期的には画一化基準が、人材マーケットにも延長(官公庁の東大法学部志向と、日系大企業の体育会志向)し、学校で「低カースト」にあった者が、そのまま社会でも再チャレンジできないという悪循環を生みやすいのである。
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Eno MitDante CrailmanNobumitsu HIRUTA莉恵 有元Hiroaki SakaiShunichi AraiYoshi NodaMizumoto Kovia (水本 こびあ)Quora UserEno Mit, Dante Crailman, Nobumitsu HIRUTAさんと他6人がこの回答に「高評価」をつけました
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高橋 桃子 (Momoko Takahashi)
高橋 桃子 (Momoko Takahashi), ノースウェスタン大学に勤務中(2016〜現在)
回答日時: 2017/11/13
これは世界の教育に対して多分言えることだと思いますが、「考える人間」を育てないことだと私は思っています。

ジョン・スチュアート・ミルの演説に出てきますが、大学というのは考える人間を作るところです。しかし「さあ、今日から貴方は大学生。考えなさいね」と言ってもこれは一朝一夕で出来ることではないのです。その前に幼い頃から小さいステップで物事に対して問題意識を抱き、今ある情報を集め、それに対して自分なりの判断をし、意見を作っていくと言う作業を訓練しなければなりません。しかしこれは教師がやるとしてはとても大変なことなのです。

ところが今の教育はどうでしょう。Gardonioさんがおっしゃっているとおり、「教科書にある内容を吸い込んで試験の日に吐き出す」作業が主となっています。何が正しいのか、正しくないとすればなぜ間違っているのか、将来人間はどう生きていくべきなのか。それを考えてこない人間が自分が今置かれている状況に不満を持ち、「すぐ改善は出来ないが改善策はこれだ」と言う人間を退け、簡単な解決策(に見えるもの)を叫ぶ右翼を支持するからこそ、今右翼が浮上してきているのです。

と少し政治的な話になってしまいましたが、「人間は弱い葦である、しかしそれは考える葦である」。考えることをしなくなった今、私たちは人間なのでしょうか。
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竹尾 康代 (Yasuyo Takeo)Tamaki JortaMaki KurodaTsuge MorimichiYamashita HiroshiZHAO WENBOアーンスト・笠原 典子 (Noriko Kasahara-Ernst)Jim SmileyNobumitsu HIRUTAKazumi BabaShibuya Ryoko矢後 恵三子竹尾 康代 (Yasuyo Takeo), Tamaki Jorta, Maki Kurodaさんと他71人がこの回答に「高評価」をつけました
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Takanori Utsunomiya
Takanori Utsunomiya, 日本在住(1975〜現在)
回答日時: 2017/11/20
過度な学校偏重をあげます。ただし、学校が悪いという意味ではありません。

近年クローズアップされている問題として、学習障害・発達障害・行動障害を持つ児童が増えている(あるいは、より診断に結びつくようになった)と言われています。

そういった児童は必ずしも学校教育という組織では不十分で、私は、学校外教育機関として、例えばNPOが主催する「塾」のような教育組織も今後拡充される方がよいのではないかと思います。

繰り返しますが、学校が悪いというわけではなく、新しくクローズアップされた問題に、様々なアプローチを行うべきだろうと思います。
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矢後 恵三子Masatoshi SaitoDante CrailmanYouji Hajime平川 奇跡 (Kiseki Hirakawa)Sloan CarolineAsami Shinichiフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Quora User矢後 恵三子, Masatoshi Saito, Dante Crailmanさんと他6人がこの回答に「高評価」をつけました
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hideyasu tokuhara
hideyasu tokuhara, ITコンサルタント
回答日時: 9月11日
勉強の目的が、順位をつけることになっていることだと思います。

英語にしても、日常会話で使わない、英字新聞1ページに1回も出てこない表現がテストに出たりします。

本来、英語を学ぶ目的は、外国人と簡単なコミュニケーションがとれる。

とりあえず、英字新聞は読めるということが目的になるべきです。

しかし、目的が順位付けなので、みんなが塾に行って、より効率よくテストで高得点を取るようになると、更に、意味がないほどの難解な問題をだして、とにかく生徒の得点の差をつけないと、順番がつかないと考えていることにあります。

英語の大学試験など、本当は、TOEICでいいのです。それほど難しくないけど、ネイティブのスピードでヒヤリングテストがあります。

文章題も文法は難しくないけど、仕事で使える程度に、早く正確に読む訓練ですので、実用的です。

受験競争のために、意味のない勉強をして、塾に行って、教育費がかさむので、たくさん子供持てないという負のスパイラルに陥っています。そして実用の勉強でないので、入試が終わった途端すべて忘れます。

物理なんかも、例えば、”体重100kgの人がのっても壊れないようにするには、この椅子の、鉄製のパイプ足の肉厚はいくらにすべきか?”が解ければよいのです。

実用レベルまで到達したら全員100点つけて、差をつけないようにしたほうが良いと思います。成績表も10がクラスに10人いても良いのです。そうすれば、詰め込み式の弊害も減ると思います。

そんな事したら、大学にたくさん合格するではないか?

と言われるかもしれませんが、卒業数は同じにして、25%は勉強しないと進学できないようにする仕組みが必要です。

大学は勉強するところです。
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Higa Michinaoさんとフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)さんが回答に高評価をつけました
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Miki Alissa
Miki Alissa, イスラエル女子部に勤務中代表 (2018〜現在)
回答日時: 2018/06/18
教育を「教え込む」ものと、捉えていることだと思います。

Educationは、ラテン語「educere」から派生された言葉と言われています。このエデュカーレは、「引き出す」という意味で、元来教育とは子供たちの能力・やる気を引き出すのものであるはずでした…。

しかし、日本では「教え込む」ものととらえているから、先生が教えられないものは、嫌がる傾向にあります。その結果新しい「英語」「プログラミング教育」などなるべく少なくしようとしているのです…。

考えてみれば、英語やプログラミングなど、先生より上手な子供はたくさんいます。彼らをうまく使って授業を進める…その引き出す発想は、重要だと思うのです。
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江島 達也Higuchi NatsukoIwasaki YataroTakahiro TanakaKawano TomoyukiYamashita Hiroshi本間 旭 (Homma Akira)robin‘snest加藤 和哉 (Kazuya Kato)Ryoutaro KagaAkiyama IkumiYusuke Inoue江島 達也, Higuchi Natsuko, Iwasaki Yataroさんと他33人がこの回答に「高評価」をつけました
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Yamasita Yusei
Yamasita Yusei, 株式会社AISingに勤務中IT営業•採用担当 (2017〜現在)
回答日時: 2017/11/14
「手段が目的になっている点」

教育に限ったことでは無いが手段が目的になってる場合が多々ある。

日本の教育制度は勉強することが目的になっていて”なんで勉強するの?”を教えてくれない。

学問を学ぶことは手段に過ぎず、本来の目的は”人の人生を豊かにする”ことです。

もちろん目的を限定するわけでは無いですが、概ね間違ってないと思います。

個人的には”学歴があればいい就職先がある”より、”いろんな考え方が身につく”ことに焦点を当てて欲しい。

AIの分野が企業の採用活動に入ってくれば学歴は重要なファクターでは無くなる。

(実際ソフトバンクはWatoson導入済)

この先求められる人材は”色々な考え方”が出来る、思考力の高い人材です。

そういう人は就職だけでなく人間関係や趣味など様々なことが上手くいくのでは無いでしょうか?
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Eno MitMorimoto KenDante CrailmanNell ZhangMayumi MaedaYoshi Nodaフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Eno Mit, Morimoto Ken, Dante Crailmanさんと他4人がこの回答に「高評価」をつけました
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Tanimoto Shuya
Tanimoto Shuya, 建築家に勤務
回答日時: 2018/04/08
回答時の元の質問:日本の教育の一番の問題点は何だと思いますか?
決まった内容の、決まった答えを、決まった解き方で導く、点取り競争。

欠けているもの;

自発性
創造性
多様性
表現力
コミュニケーション力
思いやり
客観性
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Shigeto YataniMorimoto KenDante Crailman近藤 亮介武田 麻弓 (Mayumi T Watson)Issac PengYoshi NodaShigeto Yatani, Morimoto Ken, Dante Crailmanさんと他4人がこの回答に「高評価」をつけました
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Hidenori Inagaki
Hidenori Inagaki
回答日時: 2017/11/17
詰め込み式が幅を効かせている為に、それ以外の学習方法の否定、及び、自らの意見や考えが方に外れた場合の否定が酷い事、これが考える人間を育てるのに悪影響を及ぼしてる事でしょうか?

ただ、これは実はどこの国でも言える事で、実は欧州等でも国に依っては詰め込み式の学校が幅を効かせてる国は幾つも在りますし、基本公立学校が強い所はそうなりがちです。

日本の場合も、義務教育の影響と、官製教育機関の影響が強すぎる為に、私立学校の独立が非常に特殊な政治/外交事情が在る学校を除いて維持される所が少ない、また大学等も大学の自治云々は表向きは在る物の、研究費等のお金で実質官庁一本に略頼る制度と税制の仕組みの為に、役人になるのには向いてる人材が教育制度を上手く繰り上がる様にはなっていますが、それ以外の人材が育つのが非常に困難を伴う制度で在ると言う事でしょうか?

もちろん、安定した社会を作る意味では良いのでしょうが、革新的な考えを求められる時には、伝統的に教育制度の枠組みの外に下野した状態で行わないといけない、伝統があると言えます。この仕組みは、島国の比較的閉鎖的だった時代では、実は有利だった仕組みだったと考えます。令外物が革新に導くのは日本の伝統とも言えますし、それが豊かな文化を形成したのですが、ただ、国際的な時代では、これらは国民等を色々な国際てな学術制度から取り残してしまう形にもなって居る(外国なら、修士、博士が得られるかも知れない事案が、日本だったら制度が後手に回って、中卒専門学校が最終学歴にならざるを得ない様な話も在ります)のが恐らく問題点なのでしょう。

これが、本来だったら、国内で活かせる筈だった人材の流失を、今の時代は、招いてるのと言えます。
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Iwasaki Yataro小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi)Saki KasenTominaga SatoruShibuya Ryoko矢後 恵三子近藤 亮介Dante Crailman東島 紘 (Hiroshi Higashijima)Saitou RyukiKanako Matsushima武田 麻弓 (Mayumi T Watson)Iwasaki Yataro, 小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi), Saki Kasenさんと他17人がこの回答に「高評価」をつけました
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Francesco Baldessari
Francesco Baldessari, フリーランス翻訳者に勤務中(1984〜現在)
回答日時: 2018/07/18
下手な日本語を赦してくださいください。

私は日本人と一緒に勉強したこと何回も有ります。どんな学校でも、先生に質問するのは私だけでした。先生が質問する時に、返事するのは私だけです。日本人は自分の教育にあまり参加しません。

日本人は、人間ですから、わからない時に先生に質問したいのに、どうしても手を挙げることはできません。

ドイツ語の教室には私の隣に座っていたのは17歳の女の子でした。典子ちゃんは頭は良かったから、よく「フーちゃん、先生に質問してくれない?」と言っていました。

「なんで?自分で聞いて。」

「恥ずかしい。」

同じ典子ちゃんは先生が「誰かこの質問に返事できますか」と聞いた時にはいつも黙っていました。

「典子ちゃん、返事知っているでしょう。」

「知っているよ!」

「そしたらなんで返事しない?先生は誰も返事しないからがっかりしているよ。」

「恥ずかしい。」
閲覧数: 1.4千回 · 高評価した人を見る · シェア数 · フリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)さんがリクエストした回答
Kono NaokoHiga MichinaoVotour TomokoKihiro TanakamaruSuzuki RunaTaniguchi Sonomi林 育任 (Lin Yujen)Adachi TakeruKarino TomomiFrancesco RinarelliHigasa Yoshika矢後 恵三子Kono Naoko, Higa Michinao, Votour Tomokoさんと他20人がこの回答に「高評価」をつけました
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Suwa Masayori
Suwa Masayori, 修士号 国際政治学, ロンドン大学キングス・カレッジ (1998)
回答日時: 9月30日
暗記ばかりさせる『知識の詰め込み』だと思います。

例えば私は世界史が好きですが、大学入試の世界史の問題で『ローマ皇帝テオドシウスが即位していた時の、中国に関する記載について正しいもの選びなさい』といった問題が出題されますが、まったくナンセンスだと思います。

当時ほとんど接点のなかった、ローマ帝国と中国に関して知ることにどんな意味があるのでしょうか?

こんな問題より『〇〇帝国はどのようにして繁栄し、そして衰退したのか?』といった問いを考える方がよっぽど意味があると思います。


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たかく しゅういち (TAKAKU SHUICHI)Ishii Yuki堀田 和彦 (Kazuhiko Hotta)Harimoto MamoruYamashita Hiroshi芹澤 優斗Saki Kasen田村 誠志 (Tamura Masashi)Ryoutaro KagaSakura SuzukiMasatoshi SaitoYouji Hajimeたかく しゅういち (TAKAKU SHUICHI), Ishii Yuki, 堀田 和彦 (Kazuhiko Hotta)さんと他10人がこの回答に「高評価」をつけました
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宮川 正文
宮川 正文
回答日時: 2017/11/15
基礎的なことで言うと、子どもの権利に関して、教育(討論や行使等含めて)がなされていない。そして、何かあった際に国レベルでのオンブズパーソンなどの救済制度がないという部分ではないでしょうか。

人はマズローの法則のように、生きる上で安全がまず保障されることが大切です。その基本があってこそ、思考し、また、学んだものを活かせる自尊感情が育つと僕は考えるからです。

嫌だという意見を表明することを知らなかったり、そのような権利が当たり前にあることを知らない子も多いように思います。また、体罰やいじめを受けた時に、教員が万全万能ではないです。しかし第三者的に動いてくれる機関などがなく、利用法すら教えられていないところに、命をはぐくむという教育の原理を損なう、そもそもの問題があるのではと思っています。
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Iwasaki YataroKazumi BabaKikuchi KeiMorimoto KenDante CrailmanYorifuji Takashiフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Iwasaki Yataro, Kazumi Baba, Kikuchi Keiさんと他4人がこの回答に「高評価」をつけました
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Takao Shibamoto
Takao Shibamoto, PayPalでの元ソフトウェアエンジニアインターン(NetSec) (2018)
更新日時: 2018/05/06
考える力を育てないとか飛び級がないというのは最もですが、教育のトピックの観点からいうと、中国語教育を真剣にやる必要があると思います。中学で漢文は習いますが、実世界でほとんど役に立たないため殆どの人が忘れてしまいます。中国語の発音も学ばないので中国に行っても役に立ちません。

なにも漢文を廃止しようと言っているわけではなく、漢文を日本語として教える授業じゃなくて中国語して教えるべきだと思います。英語でも同じことが言えます。まず、英語中国語ともに、小学生で基礎文法とボキャブラリーを終わらせ、中学はすべて応用にします。はっきり言って、実際にその言語ちゃんと話せる人が教えないとあまり意味がないので、ネイティブをいっぱい雇って、授業自体も限りなくその言語だけにするべきです。

英検とかTOEICとか日本人しか使わない資格は意味ないので、国際的に使われているTOEFLまたはIELTSを中学卒業時に取得させます。中国語の試験も必須にします。

近年の留学数はどんどん減っていますが、留学の最大の壁は言語です。これさえ克服されれば多くの人は留学に行きたいと心のそこでは思っているので、中流階級はまだいっぱいいる日本、わざわざ奨学金を増やさなくても留学数はすぐに伸びると思います。

グローバルで競争・協力できる人材がいなくなったら日本は終わりだというのに、あまりに国民の外国への関心が少ないのは今の日本の大きな問題点だと思います。
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Tang WanglingEno MitShi SakiYouji HajimeJunko AraiTang Wangling, Eno Mit, Shi Sakiさんと他2人がこの回答に「高評価」をつけました
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五十嵐 誠
五十嵐 誠, 元システムエンジニア(2003-2014)
回答日時: 2017/11/18
現在における火急の問題は教員の数が少ないことだと思います。

この少子化の時代、全国的に多くの学校が統廃合され、教員の数はかなり削減されました。そのため、教員志望の学生が需要に対して多すぎるとまで言われています。それでも現場では、教員の数が少ない、このままではいつか破綻すると考えられています。では何が問題なのでしょうか?それは単純に財政的な問題です。

文科省と財務省がバトルした事をご存じでしょうか?いや、今もその戦いは継続中です。少子化に伴い、財務省は「子供の数が減るのだから、同じ割合で教員の数も減らせる」という理屈の元、文科省への予算を削減しようとしました。子供の数が多かった時代に教員一人あたりの子供の数が多すぎると考えていた文科省にとって、これは受け入れがたいものでした。子供の数が減ったからこそ、教員数が変わらなければ、少人数学級の導入や、レベル差がある子供達へのレベル別教育等により充実した教育が可能になると文科省は考えていたからです。このバトル、現在の所、文科省が負け込んでいます。教育に関する国の予算は年々減らされ、国公立は児童数に合わせた予算しか来ないし、私立も補助金がどんどん減って行ってきています。つまり、採用する教員を削減せざるをえない状況になったのです。

単純に担当の児童数が変わらないのだから昔と変わらないと思うかも知れません。財務省の人達もそう考えていました。ですが、教員の仕事量というのは担当の児童数に比例するものではありません。部活や課外活動の引率を始め、文化祭などの学校行事の準備もありますし、事務仕事もあります。問題を起こした子供や、授業について行けない子供のケアなども、学校全体として教員同士で仕事を割り振りながら行っています。それらの仕事の総数は減っていないのです。なのに、教員だけが減らさせるため、一人あたり負担は増える一方でした。文科省は学校の統廃合を推進し、学校単位での教員数を一定数維持することで対応しようとしましたが、それも限界が来つつあります。

事務などは事務職員に任せれば良いと考えるかも知れませんが、そもそも、学校の全てを任せるだけの事務職員数を雇うだけのお金が初めから無いのです。教員が事務仕事をある程度手伝うことが前提でしか予算が無いのです。部活の指導はアウトソーシングすればとかいいますが、はたしてそのお金は誰が出してくれるんでしょうか?ボランティア?やってくれる人が居なかったらどうするのですか?外部の専門家を呼べば良いとか、簡単に言いますが、その人達がどれだけ高いかわかっていますでしょうか?そんなお金が無いから、今まで教員同士で分担してなんとかやってきたということを理解していますでしょうか?

はっきり言います。もし、全国の教員が、真面目に残業と休日出勤の記録を正しく付けたら、残業などで色々問題を起こしたどこかの企業の比ではありません。それぐらい忙しいのです。学校の経営側が努力していないのかというとそうではありません。どんなに努力しても、予算は減る一方です。余計な経費を削減する努力をしても、一部アウトソーシングができるようになるぐらいで、やっているところはすでにやっています。ですが、全く追いついていないのです。慢性的な人手不足は解消できていません。

教育無償化などをするよりも、私は教員数を増加させ、教育の充実化と多様性の実現を目指すべきだと考えています。全ての先生の残業時間が0になるぐらいにする、引率などで休出した教員の代休取得率を100%にする、それぐらいを目指さないといけないのです。それに教育は子供時代のものだけではありません。生涯学習の名の下に、地域の人達を対象とした講座の開設など、やりたいことはもっとたくさんあるはずです。

子供は国の宝です。教育は国の礎です。日本の教育は何だかんだと言って高度です。ですが、今まさにその高度な教育体制の基盤が崩れつつあります。

なお、私は教員ではありませんが、学校教育に携わっている人間の一人です。ですから、かなりバイアスがかかっていることをご了承ください。ですが、だからこそ、この危機を皆様にも知っておいて欲しいと思います。
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Yoshida TakeshiSaki Kasen神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Okuno MamoruK YYuki InoueSakakibara Masayuki渋谷 康人 (Yasuhito Shibuya)黒田 一徳 (Kazunori Kuroda)Votour TomokoMaeda YukiArako HiroshiYoshida Takeshi, Saki Kasen, 神谷 健一 (Kenichi Kamiya)さんと他44人がこの回答に「高評価」をつけました
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Shun Omagari
Shun Omagari, JSPS博士研究員 (2018〜現在)
回答日時: 2018/04/07
回答時の元の質問:日本の教育の一番の問題点は何だと思いますか?
帰国子女です。他国で教育を受けた経験が長いです。また、教職過程を受けました(免許未申請)。

例えば、「なぜ植物は緑色なのか?」という問いを高校生に答えられるようにするためにはどうしますか?日本人がやりがちな教育方法はこうです:「緑色体が緑だから」(極端な例で、実際はこんなことされてないとは思いますが)。間違いではないですが、この教育方法は教育にはなっていません。ただの知識の詰め込みです。これをたくさんやれば、確かに知識は多いのでテストではいい点数が取れるかもしれません。しかし、もし緑色体の存在が知られていない世界の中で上記の問いを答えられるようにするためにはどうする必要があるのでしょうか?

日本人は質問に対して回答する能力は高いと思います。しかし、本当に必要なのは質問そのものを新しく作り出す能力です。これがいわゆる研究です。これを踏まえた上で上記の質問に戻りましょう。

「なぜ植物は緑色なのか?」という質問を聞かれた時に重要なのは「それを答えるためには何を知る必要があるか?」です。これが答えられるように先生が誘導するわけです。緑色ということは光源(太陽とか)が植物に照射されたとき、緑色の光が跳ね返って来ているのを人間は目で見ているわけです。つまり、緑以外の色の光は吸収されたということ。つまり、植物は青と赤の光を吸収している。じゃあ、「植物が持つ、青と赤の光を吸収する物質はなんだ?」...このように少しずつ、答えに近づけるように考えるプロセスが大事なのです。

これを養わない日本教育はこれからは確実に他国に遅れを取る原因となるはずです。
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タカギ マサヒコ王 片桐 望Shibuya SohnosukeTamba Naokazu松永 尚子 (Naoko Matsunaga)Gonbee NanasinoSakurai Rihito小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi)Saki KasenNomura SaoriChristine WangNobuaki Nemotoタカギ マサヒコ, 王 片桐 望, Shibuya Sohnosukeさんと他81人がこの回答に「高評価」をつけました
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Hitomi Sase
Hitomi Sase, 過去 器用貧乏、
回答日時: 2018/07/23
・全教科満遍なくできないといけないということ

「なんで得意を伸ばすだけじゃだめなんだ?」ってずっと思ってました。せめて義務教育までは満遍なく覚えておいたほうがいいけど、高校からは専門分野だけを学びたいよなぁと思ってました。大学に入ってからも一般教養という科目に困り、結局一般教養の第二外国語がイヤで大学辞めました。笑。

・周りの生徒と同じスピードで進まないといけないこと

例えば、私は小論文や現代文が得意でした。どちらも5段階評価で5でしたね。もっと、中学高校でそこを極めたかったなーと思います。

・大学が無料じゃない。ビジネスとして成り立ってる

大学無料にしてほしいです。うちの家は大学なんぞいかなくてもいいって家だったので、最初に通学過程で通ったときは奨学金を申請して月8万円いただいてました。でも考えてみてください。1年で96万。19歳ですよ?ありえない~!国立に入れるような頭脳じゃないのがいけないんですかね?もっと無料で通える学校を増やしてほしいですね。そうじゃないと学問や教養は一部のお金持ちのものになってしまいます。学生時代にお金の心配をしながら生活できたらいいなーと思いました。
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Votour TomokoEno Mit渋谷 康人 (Yasuhito Shibuya)フリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)Shinji HiranoVotour Tomoko, Eno Mit, 渋谷 康人 (Yasuhito Shibuya)さんと他2人がこの回答に「高評価」をつけました
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金ヶ江 真也 (Shinya Kanagae)
金ヶ江 真也 (Shinya Kanagae), 修士号 数学 & 符号理論, 静岡大学院 (1994)
回答日時: 2018/05/19
未来に関する予想の精度はそれほど高くないにもかかわらず経済的なコストパフォーマンスを考えすぎていることだと思います。

言い換えると事の大小を問わず世界を変えるような人は予想も付かない所から現れていることがかなりあるにも関わらずそう言う人を効果的に育てる方法を探求しすぎてる。

できる限り多くの人間に教育を安く広く受けさせる事が一番確実に成果を上げうる手段だと思います。具体的には教育無償化ですね。
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Kureho Ohara
Kureho Ohara, Experience designer
更新日時: 2018/06/11
シンプルに言うと本質的なものでない事が多い事が問題なのではないかと自分は思っています。方法論に頼りすぎてるのではないかと。

多様性がある中で何かは正しい、何かは間違いっていると教える時にその多様性がきちんと説明されず、一方的に良い、悪いで判断をつけてしまったりするので。
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Furukawa Isao
Furukawa Isao, 日本在住
回答日時: 2017/11/18
学校や教師が冒険(新しい試み)をやりにくいような仕組みが出来上がってしまっていることだと思います。教育指導要領の量や雑務が多すぎて教師に考える時間がない、現場の裁量がほとんど許されない、また肝心の教育指導要領の内容が保守的で改定も微少であることなど。

Googleの10%(5%でしたっけ?)ルールのように、新しい試みにしっかり時間を割き、成功した試みを教育指導要領にフィードバックするような仕掛けがあれば良いのに、と思います。
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Into Daichi
Into Daichi, 福岡大学卒業
回答日時: 2017/11/18
どんなに優秀でも飛び級がなくて例えば研究者やなにかを極めたい人達のスタートラインが高卒あるいは大卒から始まるという事。諸外国のように飛び級を認めないとどんどん研究分野で日本が遅れをとる。
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水谷 洋史 (Takashi Mizutani)
水谷 洋史 (Takashi Mizutani), 元Taxation, Judicial consultation, Welfare guidance(1968-2005)
回答日時: 2018/05/08
各教科の抱き合わせ販売・押し売りで徴兵制度の変形になっていることです。

教師達が生徒に「仰げば尊し」斉唱を臆面もなく強制できるのが不思議です。
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Matsubayashi Masaki
Matsubayashi Masaki, Associate Professor (2016〜現在)
回答日時: 12月27日
飛び級制度が、戦後なくなったこと。戦後教育改革に影響のあったアメリカでも、飛び級制度は健在であり、多くの高校生が在学中から大学の教養課程を受講でき、大学を20で修了している。これが教育の調書のはずだが、同年生の同時卒業の意味はない。教育での競争相手は、自分自身の筈。そこで浪人制度や学習塾、予備校を蔓延らせるから、中等教育と大学教育の意義が見失われがちになる。教育における競争の意義を再検討して、入試制度も変えるべき。
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佐藤 優智英琉 (Satou Yucheru)
佐藤 優智英琉 (Satou Yucheru), 教員免許(数学・情報)もってる。実績は浅いけど教材研究・色んなノウハウ・人格など先生なるために修得中。
回答日時: 2018/02/21
教育実習をした者です。

私の現場では数学の導入分野だったので

ほぼ覚えさせる作業のような環境でしたが、

同じく他の都道府県の公立へ行った

実習生たちはアクティブラーニングをしたそうです。

実習生全体としては、

ほぼ従来の授業環境のようでしたが

アクティブラーニングを用いた方も

全体の3/8くらいいたと思います。

ようやく世界の基準に公立は追いつき始めた感じで、

なるべく生徒を余すことなく考えさせる姿勢が

主要教科に表れてきてます。ただし、数学のような

覚えるだけの

「定義」にありふれた分野については

「記憶の仕方」についても

先生だけが試行錯誤するだけでなく

考えさせる機会を与えて・

工夫させるのが必要だと思いました。

それから政治に関しては

さっぱりなので敢えて触れません。
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Dante Crailman, 平川 奇跡 (Kiseki Hirakawa)さんとフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)さんが回答に高評価をつけました
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Kamiya Eiichiro
Kamiya Eiichiro, 一橋大学で商学部を専攻 (1966年)
回答日時: 12月5日
大学、特に東大の「法学部」でしょう。

官僚は法律を通して国家・社会にありように影響を与えるわけですが、法学部出身者は法律の教育を受けたのであって、制度設計すべき経済・教育等の分野の専門家ではありません。本来は制度設計は各分野の専門家が行い、「法学部」出身者はそれを法律としてまとめる、という分担にすべきです。

また政治学も多く法学部の中の一学科として置かれていますが、政治学とは「その程度のもの」でしょうか。。政治家になるにも政治学を学んだことが訴求ポイントになってる例を知りません。大学の先生方は、政治家の現状にもっと責任を感じるべきではないでしょうか。

法学部は解体・縮小しましょう。
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和泉沢 裕二
和泉沢 裕二, 日本アイ・ビー・エム株式会社 (1978-2012) におけるかつての 営業担当部長
回答日時: 11月27日
何か問題があるのでしょうか?

他国に誇る数のノーベル賞受者者を排出し、高度経済成長を成し、他にも他国に誇れる事は沢山あり、こういった事を成した方々やこのQUORAで解答なさっている知識レベルの高い方々は日本の教育を受けています。

もちろん欠点もあり日々改善しております。
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渡辺 裕文 (Hirofumi Watanabe)
渡辺 裕文 (Hirofumi Watanabe), 農業関係研究機関の研究員(生物系) (1988〜現在)
回答日時: 12月24日
こんな質問が出るくらいみんなが公的なマスプロ教育に期待していて、そこでの習熟度で人間の可能性を測ろうとしている事じゃないですか?

考える力を重視する教育を(豊かな家庭の子弟が)受けているとされるアメリカ合衆国でさえシリコンバレーのイノベーションは規格外・中退者・アウトローが結構な割合をもたらしているじゃないですか。結局、学校は「読み・書き・コンピューター」の最低限の力を与えれば、あとの人生は個人次第でしょう。好きなこと・やりたいことをドンドンやり、面白そうなことには資金を出して応援することこそ重要で学校教育に過度な期待をするのはナンセンス、失敗の典型とされる英語教育だって基本的な文法だけ覚えたらあとは自分で好きな勉強すりゃいいんです。インターネットや教育ラジオを使えば全くお金を使わず勉強できます。テキストなんか買わない方がいいんです。
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Myodo Yasuhiro
Myodo Yasuhiro, 株式会社エナ・ストーンに勤務中代表取締役(だいひょうとりしまりやく) (2016〜現在)
回答日時: 2018/04/09
回答時の元の質問:日本の教育の一番の問題点は何だと思いますか?
中学受験の算数を見るとこんなの方程式でいいだろ?っていうのを無理矢理解かせています。

どう見ても二度と使うことはありません。

その為に塾に行き、無駄な時間を使わせます。

詰め込んだ結果、自分で考えない人間を量産します。これが高学歴だろうとそうでなかろうとです。

東大卒の才媛に答が分からないと言われたときの衝撃は忘れられません。

これがこの国をダメにしています。

トヨタのなぜなぜ思考や論理的思考ができる人にあったことがない、情報量が少なくて訳が分からない発想する、といった問題の解決が急務でしょう。

為政者としては嫌かも知れませんが。
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Yokota Toru
Yokota Toru, 同志社大学で修士を取得 (2001)
回答日時: 12月10日
一番というのはなかなか難しいです。でも、他の人があまり言わないであろうことを一つだけ。

外語教育において、英語以外選択できないこと。

これは本当に最低だと思います。少なくとも、英語、中国語、韓国語のうちから、一つ、あるいは二つ選べるようにすべきです。
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Iwasaki Yataro
Iwasaki Yataro, Tama Art UniversityでArt ScienceとCultural anthoropologyを専攻(2015年)
回答日時: 12月29日
教師になる人の性格が限られる

お金がかかりすぎる

組織優位を大前提にした偏見のかかった社会像を伝えている

ジェンダー振り分けの装置になっている

安全ではない居場所

社会から隔離された場

教員は生徒に「自分が伝える」「人生は最後は自分で決めなきゃならない」という自覚を全く持たせないために、組織依存症の人材だけを作っている。
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日野 公三 (Kohzoh  Hino)
日野 公三 (Kohzoh Hino), 明蓬館高等学校の校長兼SNEC総合センター長/アットマーク国際高等学校 校長
回答日時: 2018/04/05
回答時の元の質問:日本の教育の一番の問題点は何だと思いますか?
多様性がなさすぎるところだと思います。インクルーシブ教育やダイバーシティなど、言葉ばかり先行して、多様性については相変わらず広がりがないと感じています。

理由は、普通を求めすぎているからだと思います。例えば、日本の学校で進学率や有名大学に入る率を競うというのは昔から同じでなかなか変わっていません。日本の国際化の問題もあり、今後色々な面で改革のスピードを速める必要があると思います。

2003年に特区法という法律ができ、株式会社でも学校に参入できる、市区町村でも小学校から大学院まで学校設置認可ができる、と決まった時にはなかなかユニークな事が始まったと沸き立ちました。

ただ、規制緩和の後は規制強化で逆にやりにくくなったり、なかなかイノベーションが続かないという印象です。

多様性を広げるにはもっと認可形態を緩めたり、いろんな勢力が学校づくりをできるようにしたり、選択肢をもっと増やせばいいと思っています。
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Tsuge MorimichiSaki KasenTakeuchi JunichiHigasa Yoshika矢後 恵三子Shickle Megumi東島 紘 (Hiroshi Higashijima)Takumi MatsuzawaKanako Matsushima黒川 智浩 (Norihiro Kurokawa)MihoHanafusa HidetomoTsuge Morimichi, Saki Kasen, Takeuchi Junichiさんと他16人がこの回答に「高評価」をつけました
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Arai Yasuaki
Arai Yasuaki, 専門学校での美術・デザイン・建築教育担当 社会福祉法人での子どもたちとのキャンプ活動 学習支援活動
更新日時: 2017/11/09
子どもたちへの学習支援をしていて とても強く感じるのは「個の尊重」ですね。集団教育体制では 望むべくもないかもしれませんが もっと一人一人に寄り添えるスタイルが取れないかと 危惧しています。
学習で問題を起こしている子どもたちを見ていると 共通していることがあります。
①授業でわからない点があった。
②どんどん授業が進んで行ってしまい 解らないことを解ることができなかった。
③そのうち 何がわからないかわからなくなった。
④授業がつまらなくなった。
⑤勉強が嫌いになった。
こうした事も 個々の子どもたちへの配慮の問題だと思っています。
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Iwasaki Yataro小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi)Tsuge MorimichiK Y渋谷 康人 (Yasuhito Shibuya)Votour TomokoShibuya RyokoEbisawa TaekoHigasa YoshikaDante Crailman東島 紘 (Hiroshi Higashijima)Kanako MatsushimaIwasaki Yataro, 小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi), Tsuge Morimichiさんと他19人がこの回答に「高評価」をつけました
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Lv Ying
Lv Ying
回答日時: 2018/03/30
日本の教育の一番の問題点は、教育に対する観念が古いことだと思います。

子どもが新一年生に上がるので、教科書にかわいいブックカバーを付けてあげようと思ってネットで検索したら、教員から回答で「この時期は他の人と同じであることが一番」とのレスを見て、愕然としました。

こどもには「横並び」、「一律」を期するのに、教員の授業は「カリスマ教師」がもてはやされるように、「個人芸」に期待している。そして、本来は教える技能を同じ水準化させ、子どもの成長は個々に委ねるべきだと言うことに、いつまでも慣例を言い訳に、変えようとない。

IT化も、理数化も、理念から変えなければいけないのに、残念ながら形から入っている。

例えば、教員の授業を「基本」と「実践」に分けて、「基本」の部分は国や市の行政単位で、一律で動画化すれば良い。(もっと言えば、保育園の飾りの工作も全部業者に委ねれば良い、資格を持つ先生がやる必要はない)

そして、先生はこどもたち個々の成長に合わせて、分からない点に集中すれば良い。

しかし、先日見学したいわゆる「理数先進モデル校」と謳う授業は、こどもたちが自分のノートをデジタルスクリーンに写して説明しているだけ。全く持ってがっかりしました。過去の「この問題を解ける人は黒板に書いて下さい」の考えのまま。

これじゃいくらお金をつぎ込んでも、効果は見えないでしょう。人が足りない、お金が足りないとか言う以前に、もっと考え方を根底から変えなければ、日本の教育は変わらないと思います。
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本田 孝之磯 三男Yamashita Hiroshirobin‘snestHiga MichinaoYusuke Inoue矢後 恵三子Eno MitOgura ShingoYano Hiroaki東島 紘 (Hiroshi Higashijima)Takumi Matsuzawa本田 孝之, 磯 三男, Yamashita Hiroshiさんと他20人がこの回答に「高評価」をつけました
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Morimoto Ken
Morimoto Ken, 町医者
回答日時: 2018/06/24
みなさんの沢山の回答をみて、とても勉強になりました。16歳の方の回答は衝撃的でした。

ああ、日本では、

大人がエライ

年長者がエライ

というのが背景にあるんだなあ、と感じました。

大人は子どもたちに、自分たちの価値観を押しつけ、次世代の多様性を邪魔しているんだなあと感じました。

子どもから学ぶことも多いはず。大人が思いもよらないことを、子どもは思いつきますね。で、即行動。「そんなバカなことはやめなさい」と言ったりしますが、もしかしたら自主性、創造性を殺してしるのかも。なぜそう思いついたのか、教えてもらう心と時間の余裕を持ちたいと思いました。

親が仕事と子育てに追われ過ぎなのでは?祖父母と別居、ダンナは単身赴任。もしかして資本主義経済の歪み、しわ寄せが子どもにいっているのでは?教育制度ももちろん大事ですが、親として、大人として、しっかり子どもと向き合ったうえで考えないと。じゃないと学校の先生に責任を押しつけてるだけになっちゃいそうです。
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Kanako Inagaki小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi)Urata DaisukeOgawa FumieHiga MichinaoVotour Tomoko木下 誠 (Makoto Kinoshita)Shibuya RyokoEno MitOgura ShingoNobumitsu HIRUTA春木 伸亮 (Nobuaki Haruki)Kanako Inagaki, 小林 恵美理 (Emilly-Claire Kobayashi), Urata Daisukeさんと他11人がこの回答に「高評価」をつけました
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Naoya Yamaguchi
Naoya Yamaguchi
回答日時: 2017/11/05
飛び級と落第がないことです。習熟度が高い生徒は足止めされ、習熟度が低い生徒は十分な学力を伴わず進級しています。
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Takei MasashiSaki Kasen太田 亮介Okuno Mamorurobin‘snestHiga MichinaoMasakazu OmuraYamada KeizoKenji McCulloughShibuya Ryoko矢後 恵三子K YTakei Masashi, Saki Kasen, 太田 亮介さんと他36人がこの回答に「高評価」をつけました
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水崎 大二郎
水崎 大二郎, 過去 一般、
回答日時: 2017/11/14
講義形式の授業は、本質的で重要なことをわかりやすく教え、プロが面白がるポイントを理由とともに示して生徒の感性的な部分も強化してあげるといいんじゃないかと思いますが、日本はそういうことに弱いんじゃないかと思っています。高校時代に行列を習いましたが、なんのために行列があって、なにができるのかまったくわからず、ただ行列計算だけやらされました。ベクトル空間での意味とかそういうの抜きにです。まぁはっきり言ってくそでしたね。大学時代も線形代数を習いましたが、問題が出てただ解くだけで、問題がどうしておもしろいのか、この解法がなにがうれしいのかとかいった、感性的な部分の教育は皆無です。

知的感性をみがくのを手伝うような教育が大事と思います。マニアックで自分以外だれも面白がらないことをしても評価されませんし、そういうのは役に立たない可能性が高いですから。
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神谷 健一 (Kenichi Kamiya)Kanako Inagakirobin‘snest木下 誠 (Makoto Kinoshita)Higasa Yoshika矢後 恵三子Eno MitDante CrailmanNobumitsu HIRUTA大矢 哲也Nell Zhang杉山 駿 (Shun Sugiyama)神谷 健一 (Kenichi Kamiya), Kanako Inagaki, robin‘snestさんと他14人がこの回答に「高評価」をつけました
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原 一真 (Kazuma Hara)
原 一真 (Kazuma Hara), CEO/Creative Director
回答日時: 2017/11/29
最終的に、社会の「学歴依存度」は低下する方向に向かうはずなので、日本の教育制度の一番の問題点は、その「制度の硬直化」ということになります。

オープンエデュケーションやMOOCの流れを見ると、教育コンテンツの淘汰が進むことは避けられない状況ですし、大学の国際間競争の激化で「成果を出せる大学」しか生き残れない時代になりつつあります。

そうした環境の中で、わが国の教育制度がどのように変化をしていくべきか。

大学自身では答えを出せないでしょうし、文科省だけも難しい。むしろ、超大型の国際企業を中心としたエコシステムから、新しい教育制度が生まれてくるかもしれません。

あるいは、産学官の「のり代」が広がっていることは間違いありませんから、そうした連携の中で「教育をリセットする制度」を整えることによって、制度の「乗せ換え」に導く方法


が見つかるかもしれません。

いずれにせよ、こうした教育システムの多様化は、教育制度そのものを無力化する可能性もあると考えています。
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神谷 健一 (Kenichi Kamiya)木下 誠 (Makoto Kinoshita)竜華 ジェイミー (Jaime Tatsubana)Eno MitMark RosaDante CrailmanSaitou RyukiNobumitsu HIRUTARyoko WadaFrancesco RinarelliYoshida Toshiakiフリーデンバーグ 桃紅 (Momoko Friedenberg)神谷 健一 (Kenichi Kamiya), 木下 誠 (Makoto Kinoshita), 竜華 ジェイミー (Jaime Tatsubana)さんと他9人がこの回答に「高評価」をつけました
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